片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その2

鹿児島大学霧島リハビリテーションセンター

大学病院は紹介状がないと原則受け入れてくれません。

風邪をひいても大学病院にかかられてしまっては、本当に大学病院を必要としている人に医療が行き渡らないからです。

アメリカの病院から日本の大学病院に紹介状を書いてもらうことはできません。

なので、最初は難色を示されました。

今迄の症状、治療内容、各種画像をもらって、それを持参する約束をして何とか外来での診察が許されました。

ただし、川平先生の診察を受けるに値するのかを判断する診察。

大分県の妻の実家近くに借りた古民家に子供達を置いて、車椅子を積んで霧島に向かいました。

朝早い診療だったので、霧島温泉に1泊。

この病気になってから高血圧になってしまって、薬を飲んでも150を超えることが多くて心配していましたが、一時的でも温泉に入ると血圧が120くらいに下がる。

本当に久しぶりに見た安心の数字でした。

豪華な食事が出されましたが、何を食べたのかはあまり覚えていません。

『何とか受け入れてほしい』そればかり考えていましたから。

霧島リハビリテーションセンター(2018年、本院に機能移転)

退院してみれば4ヶ月も入院させていただいていました。山を降りた鹿児島空港近くのマンスリーアパートを借りて通って、毎日朝から晩まで付き添いました。

作業療法、理学療法、言語聴覚士による言葉のリハビリ、視野欠損のリハビリ、磁気刺激治療法、装具審、自主トレーニング等々。

日本全国から作業療法士や理学療法士が学びにやってくる病院でした。

毎夕行われていた川平教授による講習会。休みの日にも病院に出てきて指導にあたられている。熱い先生なのです。高校時代ラグビーで花園に出たそうです。

私は子供達のいる大分県と行ったり来たりしながら、必死にやってました。無収入の不安に押しつぶされそうになりながらでした。

『なんとかなるさ』

まずは家内の事だけを考えるようにしていました。

頭フリーズによる失敗

ひとつ申し訳なかったエピソード。(まだアメリカにいる時の話)

時間が大きく遡ってしまいますが、家内のことばかり考えていてやっちまった失敗の話です。

倒れたのが1月17日で、リハビリ病院を退院したのが3月でした。その後自宅に戻ってPTの先生が来てくれてリハビリ。

私はというと、大きく穴を開けた仕事の繕いをしながら、日本でのリハビリや住まい探し、100枚以上あった請求書の処理。

救急車1,000ドル(約10万円)とか。装具代3,000ドル、最初にかかった病院(転院前の入院なし)代3,500ドルとか、

まあ、入院していた病院の詳細合計(値引き前450,000ドル)を見てしまっていたので麻痺状態でしたけど。

何はともあれ客観的にものを考えるなんぞは不可能状態。

子供達も傷つき苦しんでいたことは分かっていたけれど何もできずでした。

忘れもしない4月21日。

例によって支払いやら、薬の調達やら、室内リハビリやらで頭がいっぱいの夜に娘が急に泣き出しました。

堪えきれずに泣き出した感じ。

聞いてみると娘の誕生日。

すっかり忘れていて、娘も理解していたようなのですが悲しくなってしまったようで。

辛かったのは家族全員なのに、父親失格!!

急いで娘を連れて近くのモールに行き、ほしい服を沢山買ったのでした。

何かの縁でしょうか?

霧島リハビリテーションセンターに関しては、3つ不思議な事がありました。

偶然ではないと思いますが。

ひとつ目は、家内の従兄弟はすごく腕の良い美容師で、六本木でバリバリやっていた人なのですが、鹿児島の女性と結婚が決まって、その方の実家で暮らしていると聞いていました。

なんと、私が借りていたマンスリーアパートの目と鼻の先。

鹿児島って広いのに、こんなに近くだったなんて。

空港近くのホテルで結婚式が執り行われた時、病院の許可をもらって外出して祝福に駆けつけました。

六本木でバリバリの美容師でしたから、この町では有名だったようで、病院の看護師の方や、言語聴覚士の先生と奥様も常連様でした。

家内の髪を切りに病院まで来てくれて。

こんな近くに引き寄せられてきたんだと、驚きました。

ふたつ目は、脳卒中後疼痛(この話も沢山あるので書く予定です)に悩まされて、ドクターショッピングや、漢方医、怪しい宗教や、次からつぎへとやってくるMLMの紹介、整体、痛みを中和する電極挿入、YNSA(頭に打つ鍼)、気功etc。

少しでも良くなる方法を求めて探しまくっていたのですが、YNSAと気功は相性が良くて長く通っています。

YNSAに関してはそれ専用に書きたいと思っています。

気功の先生は目が見えません。

ある方の紹介を受けて通っていました。

目が見えなくなってから自分の力に気づいたそうなのですが、行く宛もなく日本中を彷徨って、何気なくたどり着いて気功の技を取得した場所が霧島だとおっしゃるのです。

その場所を調べてみると、霧島リハビリテーションセンターのすぐそば。

私が病院からアパートに帰る途中に買い物をしていた小さな雑貨屋さん(一応スーパーと書いてあった)の裏。

何じゃそれ?って感じでした。

引き寄せられてるでしょ。

3つ目はつい1年前のこと。

時は流れあれから10年近く経ってしまって。

私が通っていたジムにパワープレートが導入されました。

何が良いんだかいまいち分からない。ただのバイブレーションマシン?

ある日、時間ができたのでジムに行くと、『2時間後にパワープレートの担当者がプレゼンにきますよ』って教えてくれて、何気に家内に良いのではと思った私は『会員ではないですが、家内に聞かせたい』というと、快くOKしてくれました。

担当の方は一生懸命パワープレートの良さをアピールしてくれて、沢山の医療関係者の推薦もあるのですと。家内に沢山体験させてくれて。

下記はアフェリエイトではありません。効果を実感したから載せています。

先生ごとにパンフが作られていて、何とその中に川平先生がいらっしゃいました。

渋谷で川平先端リハラボというパーソナルリハビリみたいなことをされていました。

早速予約をして、川平先生にお会いしてきました。ギリギリコロナ前の出来事です。

今我が家にパワープレートがあります。

ピンポイントで目の前に現るんです。

色々な偶然が。

偶然ではないと思ってますが。

まだまだ創作に行きつかないですが、今日のところはこの辺でおしまいにいたします。その3に続きます。

昨日と同じ動画をアップさせていただきます。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その2” への4件のフィードバック

追加

  1. 素晴らしいですね〜
    努力の賜🧡

    私もマスク作りますが
    こんなにスイスイ出来ませ😓

    強い気持ちが継続出来る!
    家族愛があるからなのでしょう🧡
    素敵ですーーー

    いいね: 1人

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