片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その3

痛み

霧島の病院に入院していた方の中に、痛みを訴えていた方が多くいらっしゃいました。

ジンジンとか、キリキリとか色々な表現をされていました。

妻は痛みが全くなくて。

後でわかるのですが、単純に出血が多くて広範囲に神経がやられてしまったために、痛みを感じなかったのです。

痛みが出なかったのではなく、痛みを感じなかった。

軽度であればリハビリを開始して神経のバイパスが出来上がって、繋ぎ替えが起こります。

その際に繋ぎ間違えが発生して、神経過敏や感度高すぎ現象が起こるのです。その痛みを脳が記憶して、痛み信号に晒せれ続けると信号が来なくなってもリセット出来なくなる。最悪のスパイラル状態。

だから周りの人たちは痛みを訴えていた。

妻は繋ぎかえには程遠い距離と範囲の神経損傷があったため、その時は痛みが出なかっただけでした。

もちろん出血場所によっては痛みが残らないケースも沢山あります。

視床下部というところに出血がかかっていると、厄介な痛みが出やすくなるのです。

なんて偉そうに語っていますが、その時は全然知らなかった。

『ママは痛くなくてよかったね』なんて言ってました。

こんな状態なので、リハビリの効果が出ないんです。

毎日夕方になると自主練習までして頑張ったのですが、右手や指は一向に動く素振りを見せてくれませんでした。

痛みは霧島を退院して、川平先生の前の院長だった田中先生が週1回来てくださる大分県竹田市の大久保病院に通い始めてから1年ほど経ってからのことです。

原因不明の痛みを訴え出して、リハビリ出来ないくらい痛みが強くなって。

痛みは恐ろしい。何も出来なくなるし、何もする気が失せる。リハビリも何もかも。『どんな手段を使っても改善しなければ』そう思う。

この種の痛みは構造上『ロキソニン』『イヴプロフェン』といった周知の鎮痛剤が全く効かないんです。

テグレトール、トラムセット、リリカ、全く効果を示さないまま量が増えて薬漬けに。

リリカ(イメージ画像)

副作用は半端なくやってきて、目眩なんか半端なくて突然倒れ込む。目眩でですよ。

ある日、薬をやめることを決意。

効かないんだから副作用がなくなるだけ良いよ、って考えました。

リリカ400mgを相当長い期間服用してきたところから、一気に抜こうとしたわけで(先生に言えなくて〜絶対に真似しないでください。自己流は危険です)、テレビドラマで覚醒剤を抜く時みたいな幻覚は見るは、突然泣き出すわ、死にたくなったり。

常に誰かが近くにいる状態を切らさないようにしていました。

痛みの度合いを測定する画期的な測定器は存在しません。

だから無知な医師達に、痛みを抱える患者は傷つけられるのです。

流れ流れて、東京医大の有名な漢方医にかかった時のこと。

とりあえず痛みの強さを測定しようということで、擬似的痛み測定みたいなことをやったのです。

片手に電気を流して、電流を上げていきます。今の自分の痛みと同じくらいの辛さになったらボタンを押すといった簡易的なもの。

でも、痛みの強さを数字にしていただいたのは有難いことでした。

『我慢できない歯痛が、左半身全てにあって、24時間常にある状態』だそうです。

『男だったら我慢できない痛みの強さ』と表現されていました。

平成天皇の心臓バイパス手術を成功させた順天堂大学の天野篤教授が2014年に上梓された『熱く生きる』の最後に書かれていた一説が私の心を打ちました。

臨床医が最優先でやらなければいけないことは『患者の痛みを取除いてあげることだ』と。

不治の病かもしれないし、現代医学では対処できない難病かもしれない。でも、痛みをとってあげる最善の努力はできる。それが最優先だ。みたいな事だったと。

今、私の手元にこの本がないので少しニュアンスが違うかもしれませんが、内容は間違っていないと思います。

それ程痛みはQOLを低下させるのです。

片手で創作するということ

書きたいことが多すぎて、文章がどんどん出てきてしまうので、まだまだ続きます。

でも、長きにわたって痛みのために何もできない、何もしたくない状態が続いたため、自分の存在価値さえ見いだせないどん底の生活が続きました。

痛みの強さは今も同じですが、色々な面から希望が持てるようになってきて、何か大好きなこと、喜んでもらえることをしたい。

そう思えるようになったのです。

どんな物でも、誰かに喜んでもらえると自分の存在価値を見出せるのです。

痛みは常にありますが、好きな事に熱中している時間は忘れられる。

片手でも、痛くても、効率が悪くても作り続ける理由は、自己肯定そのものなのです。

自己肯定なんて一言で片付けたくないです。

片手しか使えないからこそ作り出せる何かを見つける旅でもあるのです。

『片手で創作するということ〜目覚めてからの試練』はもう少し続けさせてください。

痛みで心が潰れている頃、妻の誕生日に大好きなジャンポールチェボーさんにお願いしてサプライズケーキを作っていただきました。

六本木のジャンポールさんのスタジオ(今は下総中山)から大分の当時の住まいまで運びました。

驚きで顔がぐちゃぐちゃでした。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その3” への4件のフィードバック

追加

  1. 本当に何時も頭が下がります。
    痛みは辛いでしょう〜
    自分しか分からないんですもの💦
    夫婦の絆🧡
    素晴らしいです!

    いいね: 1人

    1. コメントありがとうございます。私もいつも楽しみにブログ拝見させていただいております。心が晴れるまでまだまだ時間がかかると思いますが、力強いブログを拝見して安心しております。これからも読ませていただきます。よろしくお願いします。

      いいね

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