言葉の破壊力〜目線

『ありがとう』の重み。

感じたことありませんか?

英語でThanks

フランス語でMerci

ドイツ語でDanke

イタリア語でGrazie

どれを言われても嬉しいけれど、ありがとうは特別。

『ありがとうございます』でも『どうもありがとう』でもない。

『ありがとう』

日本人だからだと思うけれど、ありがとうは世界で一番重い。

『すみません』とか『どうも』、『すまんな』

なんて言ってしまう日本人って多いけれど、

ありがとうを言われて、嫌な気持ちになる人はいない。

たぶん。

何かをしてもらった時に言う言葉だけれど、

『ありがとう』

は、人を幸せな気持ちにする言葉。

言った側が忘れていても、言われた方はずっと覚えていたりする。

この一言を言われて、人生が好転してしまう事だってある。

 一度発した言葉は取り消せない

ここからが本題。

ありがとうを言いそびれたり、なかなか言う事ができなくても、人を傷つけることは無さそうです。

まあ確かに

『うちの主人は、何をしてあげても当たり前だと思っているわ。

美味しいも、ありがとうも言わないの』

なんて愚痴はよく聞きますけど。

今日のテーマはモラハラに近い、しかし本人が気づいていない言葉の暴力の話。

殺傷力を持った言葉を機関銃のように撃っておいて、転がった死体に気がつかない鈍感な人たちの話。

私は比較的、教師の体罰(愛のある…多分)やシゴキを普通に受けてきた世代です。

ハンドボール部に所属していて、だらしない試合をやったりすると、たとえ勝っても並ばされてビンタなんて当たり前でした。

だからメンタル的には弱い方ではありませんでした。

でも、妻の病気の事とか、巨額の支払いの事とかで悩みすぎて、気がついたら鬱になっていた経験を持ちます。

まあ、その時は必死すぎて気がつくこともできなかったけど。

今でも、ちょっとしたトリガーで再発してしまうことがあるのです。

普通は全然問題ないし、コントロールの仕方は分かっているつもり。

でも、無理するとね。

みなさん同じだと思います。

それもあって、弱者の気持ちが分かってしまう。

私の世代(もちろんもっと上も)には、気合を入れると言う感覚で人の背中を押したり、元気付ける(つもり)人が多くいます。

(世代だけの問題ではないですよ、勿論)

そうやって育ってきたからです。

時代の変化に気づくこともなく、同じ振る舞いを続ける人も多くいます。

『鬱でなくても傷つくよなー』

頻繁に発生しています。

心って、一度病んでしまうと完治できないんだと思います。

自分の中ではバッチリなんだけど、理不尽な言葉の暴力で再発してしまう。

浴びせられた言葉はトラウマとなって、心に刻まれてしまいます。

顔も見たくなくなり、いくらその人の気分が良い時に優しい言葉をかけられても手遅れです。

理由はともあれ、一度発した言葉は取り消す事ができません

『あの時はついカッとなって』

『酔っていたから』

『追い詰められていたから』

言葉を発した方からすれば、

『あの時は本心から出た言葉ではないから許してくれ』

と言いたいのでしょう。

『許してくれ』って言えるだけマシだけれど、それって本心からじゃないよね。

それが証拠に、同じ過ちを絶対に繰り返すから。

一度発した言葉は、言われた人の心の奥底に刻まれてしまっているから、いくら許してくれた(言葉ではね)としても2度と忘れないって事ですよ。

そこを理解して行動しない限り、同じ過ちを絶対に繰り返す。

夫婦の中でも

恋人同士でも

仲の良い友達でも

同僚でも

職場の仲間でも

どんな関係でも同じです。

腹が立つことはあります。

相手が悪い場合もあります。

もちろん自分が悪いこともあります。

でも、ほとんどは勘違いだったり、考え方の違いから来る些細なもの。

腹が立った勢いで出た言葉は、本心以外の何者でもありません。

少なくともその瞬間はそう思っていた。

わざと傷つけようとして(言葉の)攻撃を仕掛けるのは論外!!

無意識に言葉で傷つけてしまう人は救いようがない!!

言葉は人の背中を押すスイッチになる代わりに殺傷能力の強い兵器にもなる

読み人知らず

知っていても使ってはいけない言葉がある

伊集院静

目線を意識する

ポイントは『目線』

相手の気持ちになって考えるって事。

謙るわけでもないし、

マーケティング以前の問題。

WordPress.comでブログを書くようになって、沢山の方のブログを読むようになりました。

様々な境遇の方達が、苦しみながら頑張っている姿に感動しています。

ご主人だったり、教育関係の方だったり、会社の上司だったりと、辛い思いをさせられている相手はそれぞれ違うけれど、

根本は同じなのかも?

そう思いながら読んでいます。

ご主人だったら、

・どんな気持ちで時間を割いて、自分のためにご飯を作ってくれたのか?

・寒さを我慢して洗濯物を干してくれた

・昼はひとりぼっちだから、話したいだろうな

・妻のおかげで仕事に集中できてるな

みたいな感謝の気持ちを言葉にできていない。

エスカレートすると、感謝どころか当たり前になってしまっている。

昔みたいに

『誰のおかげで飯食えるんだ!!』

なんて思ったりしている(人も稀にいるかも)

教育関係の方ならば

・相談者の境遇を理解して話す

・生徒の心に寄り添う

・自己保身ではなくて生徒を守る気持ち

・個性を理解してあげる

・みんな違うという事実を理解する

なんて基本的なことが分かっていないから、殺傷力のある無意識な言葉が発せられてしまう。

職場だったら

・この人は今の仕事は向いていないけれど、ICTの能力は凄いから任せてみよう

・この人は語学力が弱いから、ご学力のあるあいつと組ませてみよう

みたいな発想の転換ができないから、

たかだか仕事が鈍いとか、

たかだか間違いが多い

くらいの理由で人格否定にまで発展する。

得意な部分が仕事に生かせないか?

適材適所は上司の仕事。

相手を変らせようとする人に限って、自己管理ができないものである

WordPress.com のブロガー(ごめん、忘れた)

災害が起こって、歩いて歩いてやっと辿り着いた避難所で、暖かい食事を振る舞ってくれているのが、あなたが人格否定したその人だったらどうしますか?

極端かもしれないけれど、縁って巡り巡って戻ってくるから不思議です。

結局は感謝です

結局は、出会えた縁に対する感謝です。

縁があるから知り合えたのです。

自分の人生に何らかの影響を及ぼすために出会えたはずです。

縁に感謝!!

存在に感謝!!

どうせ発するなら感謝の言葉にしよう!!

パッチングワーカー🙃

私の拙い文章を読んで、そして勇気付けてくださる皆様に感謝です。

前回の投稿に対して、コメントやメールを頂きました。

本当に元気が出ました。

言葉を吟味して、沢山の人が元気になれるブログを目指します。

ありがとう!!

言葉の破壊力〜目線” への2件のフィードバック

追加

  1. おはようございます〜
    ホントに言葉って、大事ですよね🤗
    私も時々失敗する事があります💧
    私の場合は、良くジョークで場を和ませようと、気を使っているつもりなのですが、相手が全く冗談が通じずしらけムードに💦
    最近は年を取りましたので、少なくなりましたがーーー
    気を付けたいですね🧡

    いいね: 1人

コメントを残す

WordPress.com でブログを始める.

ページ先頭へ ↑