結婚記念日

今日は結婚記念日です。

結婚して30年が経ちました。

家内が倒れてから11年なので、19年間は若さを頼りに走り、この11年は生きるのが必死だった気がします。

1991年博多祇園山笠の追い山の日に博多のホテルで結婚式を挙げました。

そのままフィジーに新婚旅行に行きました。

スキューバダイビングをやっていたのでモルディブに行きたかったのですが、親戚から反対されて断念しました。

ガルフウォーと呼ばれた湾岸戦争が行われていて、地図で見るとモルディブまで5センチくらい😀

ミサイルが飛んでくるかもしれないからやめたほうが良い!!

親戚の意見を無視すると後々面倒なことになりそうで、この時は諦めました。

モルディブに行けたのはそれから6年後のことでした。

1991年は新年から米国のアトランタに出張していました。

テレビでに映し出される湾岸危機を意味するGulf crisisがある時から湾岸戦争を意味するGulf warに変わりました。

空港のせキュリティーが異常に厳しかったのを覚えています。

そんな年でした。

新婚旅行から帰ってすぐに、私は単身で欧州に旅立ちました。

私が属していた会社にとって初めてのルクセンブルグへの進出であり第一陣だった事から、暮らしの体制を整えることと仕事を軌道に乗せることの両方をしなければならないため、最低3ヶ月は時間を置いてから家族が赴任する決まりでした。

家内が合流したのは11月で、既に冬になっていました。

夕方5時には真っ暗で、朝は10時くらいにならないと明るくならないし、太陽が出ない。

月に1回くらい快晴の日があるのですが、決まって温度が低いのです。

マイナス20度とかね。

ある日会社で安定して動いてくれない生産設備(私の能力不足でした)と格闘していたら家内から会社に電話がかかってきました。

郊外の家だったので、頑張ってバスに乗って街中に出てみたけれど帰りのバスが分からず、タクシーにも乗車拒否されて途方に暮れていると。

訳を話して早退させてもらい街中の地下道(とはいっても寒いです)に迎えにゆきました。

紫色の唇で泣きそうな家内。

街中は一方通行が多くてバスの行きと帰りの道が違うのでした。

タクシーは自動ドアでは無いことを教えていなかった。

乗車拒否ではなく、自分でタクシーのドアを開けなければいけないのを知らなかっただけ。

せっかく早く帰れたし、街中に来たからって近くのお寿司屋さんで贅沢して帰りました。

基本的には仕事が忙しく、というより私の能力が足りてなくて帰れないために、家内には寂しい思いをさせてしまいました。

そんな私たちを気遣ってくれたチームメイトが、ある時スキーに誘ってくれました。

ボージュというところのスキー場でした。

超硬水で有名なコントレックスの近くです。

約束の朝に電話がかかってきたので、遅刻か何か?って思いながら出ると会社からでした。

当時はナンバーディスプレイがなくて。

機械がトラブルを起こして止まってるから助けてくれと。

妻を車に乗せて会社にゆき、サクッと直してスキーに行こうと考えましたが、その日は7時間もかかって断念。

数週間後にリベンジを果たしました。

泥棒に入られたこともあるし、同じアパートに住んでいたご家族に優しくしていただいたり。

悪い思い出も良い思い出もたくさんあります。

30周年を迎えている姿も想像できなかったし、妻が倒れて障害を持つなんてことも想像できなかった。

二人の子供に恵まれて、二人ともルクセンブルグ産🙃

小さな幸せがこんなにもありがたく感じることができる今が、私達夫婦の人生の中で一番幸せなのかもしれないと思うわけであります。

今日は二人きり。

鮨ざんまいで贅沢な寿司を握ってもらいました。

しっぽりと二人で祝います。

結婚記念日” への17件のフィードバック

追加

  1. 30周年おめでとうございます㊗️
    湾岸戦争の時、新婚旅行中でイギリスにおり、パディンドン駅の構内で湾岸戦争開始の号外を受け取りました。
    ということで、結婚歴はちょうど同じくらいだなーと思った次第です。

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  2. 30年ですか。おめでとうございます!!
    1991年、高校生でした。
    湾岸戦争・憲法第9条とPKO問題。、受験で必ず出るからとかなり勉強したのを覚えています。
    アメリカってどこにでも首を突っ込んで戦争をするな、と高校生ながら思いました。

    30年あると思い出がいっぱいですね。来年はお嬢さんも就職とのこと、またお二人の時間が増えますね!!

    いいね: 1人

    1. 高校生でしたか。
      実は娘の勤務地が今住んでいるところから30分なんです。
      多分家から通います。
      なのでまだまだ娘に迷惑かけるかな。
      湾岸戦争もコロナも歴史に残る事件ですよね。
      結果的に世界的にみても信じられないほどの人が亡くなってしまった国になっていないことを祈るばかりです。

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  3. 御結婚30周年おめでとうございます。厳しい海外生活が有ったのですね。技術者魂に幸あれ。
    1991年と言えば、新年の湾岸戦争の砲火が飛ぶ映像が脳裏に焼き付いて忘れられません。
    小生も年末、「病窓に 満月迎え 除夜の鐘」と初めて歌を詠みました。強制入院で、閉じ込められて、そのベットの上で、正月の1週間で、「光の相対性論」を纏めました。アインシュタインの特殊相対性理論の誤りを指摘するために。急に思い出して、すみません妙な話で。

    いいね: 1人

    1. コメントありがとうございます。強制入院とは過労ですか?でも、「光の相対性論」のための集中を神様が提供してくださったのでしょうね。
      私も湾岸戦争の映像が忘れられません。
      ミサイルに取り付けられたカメラが敵に着弾するまで実況をするなんて、人の命を何だと思っているのかと憤ったのを覚えています。
      政治的に作られた悪者を退治する大義名分の中で、もっと悪い奴らが人の命を踏み台にしてやりたい放題は絶対にいけない。
      「光の相対性論」のように、平和的に間違いを改める世界になって欲しいものです。

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      1. 有難うございます。当時、長岡技科大での人事事件から逃げて、意味不明で、死を覚悟した引き籠りでした。『分限免職』処分後の新潟県立病院の処置入院。それでも『静電界は磁界を伴う』の物理概念は子供たちの未来の教育の意義を問わなければ済まないとの思い一つの反抗でありました。漸く『電荷』による物理学理論の矛盾の確信に辿り着いたようです。🙇詰まらぬ話で。

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      2. 事事実はいづれ常識となる。ガリレオ級の勇気に脱帽です。
        現代の癌治療の様に、間違ったベクトルを正そうとすると既得権益者や先行者のプライドに触れて筋の通らない抵抗があって大変ですよね。
        『それでも地球は回っている』
        言うは易し行うは難し。
        発見の偉業と声を上げる勇気にダブル尊敬です。

        いいね: 1人

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