スカイラークがご馳走だった時代

こんにちは、パッチンングワーカーです。

インドネシアに来るといつも思うこと。

一般的なランチ代は120円くらい。

月給は4万円くらい。

大卒の給与ですよ。

でも、50円出せば飲める珈琲を380円出してまでスタバで飲む。

ホテルのディナーは5,000円以上するのに家族や恋人同士で食べに来ている。

月給4万円だから5,000円のディナーとか日本では2万円以上の計算ですよ。

『なんでだろう?』って。

でもね、私がまだ高校生だった頃スカイラークが街にできた事を思い出したんです。

今じゃただのファミレス(スカイラークブランドが無くなってます)ですけど、あの頃の私たち(若い世代の方には本当に御免なさいです)にとってはご馳走でした。

ナイフとフォークでご飯を食べるなんて夢のまた夢でした。

ライスの食べ方が分からなくて手をつけなかった事もあったくらいです。

外国に憧れて、洋食に憧れたあの頃が懐かしいです。

父はエンジニアでしたが、家は決して裕福ではなかった。

たまの外食はラーメンか蕎麦だった。

年に数回寿司屋で食事したけれど、何を食べたいなんて子供心に言えなかった。

そんな文化の中にできたスカイラークのハンバーグは憧れの的だったんです。

今のインドネシアの人々はそんなフェーズなんだろうと思ったら、私のむかしむかしを思い出したのです。

アテンションプリーズで飛行機に憧れて、羽田でパンナムのジャンボ(ボーイング747)を見て、商店街の年末の福引の1等賞がハワイ旅行(1人198,000円相当)で、カラーテレビも同じくらいしてました。

まさか自分が英語を話すとか、欧米に住むなんて想像すらできなかった時代。

高校の時にロータリー交換留学生の資格を得たけれど、とても親には言えなかった。

留学も医学部もうちには無理だとわかっていました。

私の人生は壮絶すぎて誰にも真似させたくないけれど、留学しなかったけれどヨーロッパにもアメリカにも住めたし英語も話せるから『諦めなければ願いは叶うよ!』と言いたい。

第一希望の公立高校の受験に受かった時に、父が寿司を腹一杯食べさせてくれたことは今でも覚えています。

回転寿司なんかなかった時代の話ですからね。

『俺は学歴がなくて苦労したからお前は大学に行け』って、口癖でした。

今でも大したことは出来ていないけれど、最後まで感謝の気持ちを忘れずに面倒を見させてもらいたいと思っています。

美味しいものを食べさせてもらった想い出って絶対に忘れないものなんですよね。

インドネシアでセンチメンタルな気持ちになっているおじさんなのでした。

珈琲もおしゃれ

話は違うんですけど、今泊まっているFour Points by Sheraton Surabayaの朝食で出していただけるコーヒーがおしゃれで美味しいんです。

『これ絶対にコーヒーに合うよ!!』

って言ってクロワッサン生地のワッフルバナナソース掛けを出してくれました。

本当に美味しくてびっくりです。

朝食もバラエティ豊富で美味しいし、とてもエンターテイメントな感じです。

追い追いレポートしますね。

なんたってここに15泊しますからね。

写真撮るのが恥ずかしいんですよ。

仕事で来ているおじさんですからね。

スカイラークがご馳走だった時代” への6件のフィードバック

追加

  1. 父は戦前の東京生まれ東京育ちで、幼児だったので記憶があるかどうか聞いたことがないので(父が語ったこともないので)、東京大空襲を知っている人です。4歳で父親を亡くし、奨学金で大学へ行き、海外勤務をした人です。

    東京生まれ東京育ちということは、当時は今以上に大学へ進学するアドバンテージはあったかもしれませんが、4人兄弟で片親で育てられて大学へ進むのは大変なことだったと思います。

    かなり状況は違いますが、この記事を読ませていただいて、就職一年目に丸の内で待ち合わせをして、仕事帰りに東京・銀座でお酒を飲んだことを思い出しました。
    素敵な思い出話、ありがとうございます!!

    そして、、、このコーヒーカップも素敵。欲しいw

    いいね: 1人

    1. CoccoCanさん、いつもありがとうございます。
      親子って…最後はやっぱり親子なんですよね。
      でも、丸の内で待ち合わせして銀座でお酒を飲むなんてカッコ良すぎます。
      私なんか、銀座に出入りできるようになったのって最近ですよ。
      父とは池袋で飲んだ思い出が多いかな。
      庶民的でしょ。
      娘と飲むのは家内と共に阿佐ヶ谷です😀

      このコーヒーグラス? 買おうと思ってます。
      大好きです。

      いいね: 1人

  2. アテンションプリーズ!あれを見ていた子供たちはみんなパイロットかスチュワーデスになりたいと思ってましたよね。まだまだ外国や外国の文化が遠い世界のものだったので、いろんなものに強い憧れがありましたねー。
    私もスチュワーデスに憧れていました。でも背が低いとスチュワーデスにはなれないということで、そんなの差別だ!とか思ってましたけど、今や、飛行機に乗ると、荷物扉を閉めて回っているCAの方々を見ながら、やっぱりある程度背が高くないとダメだなぁと、毎回思います。

    いいね: 1人

    1. 実は私、パイロットを目指しておりました。
      一緒だなんて大変失礼ですが、気持ちわかります。
      アテンションプリーズは見ていましたが、私がハマったのは桜木健一さんが主役の虹のエアポート🌈。ほとんどの人は知らないかと思います。
      いてもたってもいられなくなって、池袋のホウリンドウ書店(漢字忘れました。既に無いです)に操縦の本を買いに行った思い出が^_^
      その時は中学生でしたがのちに航空大学校を2回も受験しました。
      どちらもダメでした。
      華やかな世界観を抱いていたので終わったなと^_^
      人が休んでいる時に働く職業だなんて考えもしなかった。
      今ではラインパイロットにならなくて良かったと思っています。
      沢山の方々とご家族を不幸のどん底へ落とすところでした。
      いい加減なパイロットになって、適当に墜落させていただろうと、自分を納得するさせております。
      あの頃を思い出しました。
      ありがとう😊

      いいね: 1人

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