スラバヤ通りと鹿児島

ほーんとにご無沙汰しております。

パッチングワーカーです。

ホットな出来事は沢山あったのですが、筆無精というか書く気になれない日々でした。

1週間タイに出張に行って、すぐに家内を連れて沖縄に1週間、帰ってすぐに台湾とインドネシアに行ってました。

今は航空券が高くて、台湾ストップオーバーしてインドネシアに行っても、台湾とインドネシアを別々に行っても金額に大差ないんです。

意味不明の内容に思えるかもしれませんが、Covid-19以前は格安航空券(航空会社が販売している正規)であれば台湾に往復して成田(あるいは羽田)に帰ってインドネシアを往復した方が航空券代は安くついていたんです。

それくらい格安航空券は安くて(多分便数が多すぎで、空席が多過ぎたのだと思います)、ストップオーバー(途中下車みたいな感じです)なんて選択肢は取れなかったんです。

そこはどうでも良いことでした、失礼。

今日は鹿児島の事を書きたくて久々にワードプレスに向かっているのですが、以前スラバヤの火事の時だったと思いますが、スラバヤ通りはスラバヤには無いって事に複数名の方々の方に反応していただいたので少しだけ。

ジャカルタで、とある日系のお客様の工場に向かっていた時に丁度スラバヤ通りを横切ったのでシャッターを切った話です。

実は隣の車に邪魔されて(ドライバーに罪はありません)とんでもない写真になってしまったのですが、大学時代(ロングロングアゴー)のデニーズバイト仲間のユーミンファンクラブに向けてLINEしたくて撮ったのです。

屋台っぽい骨董屋さんが並ぶこの通りがスラバヤ通りです。

ジャカルタの東端にあります。

それだけのお話でした。

ユーミンファンにはちょっと興味深いかもしれません。

聖地ってやつです。

何故か鹿児島

実は今、訳あってぼっちで鹿児島県の垂水というところにいます。

旅行でもワーケーションでもなく、ましてや家内がここに居ない予定でもありませんでした。

その理由は後日書かせていただきますが、垂水って素敵なところですという事と、私達にとって鹿児島は深い意味のある土地だという事を書きたいと思っています。

結局のところ、昨日まではワーケーションをせざるを得ませんでした。

今日はあまりにも天気が良かったので、仕事を一時停止してドライブに出る事にしました。

車で1時間ほど走ったところにある、隼人という街にあるAZというスーパーマーケットを目指します。

広い〜〜〜い店内。最高のリハビリスペースでした。

13年前のオープン当時は、日本最大と言われていたスーパーマーケットです。

きゅうり一本から車まで売っています。

家内が半身麻痺になってアメリカから帰国して、最初に入院させていただいたのが鹿児島大学医学部附属病院霧島リハビリテーションセンターでした。

アメリカで調べたら、鹿児島大学の川平教授が提唱する川平法で麻痺が良くなる、という記事を見つけて国際電話で何度もお願いして入れていただいた病院です。

霧島温泉郷に位置していました(現在は閉院)

朝から夕方まで頑張ってリハビリをしても、土日が休みなので自主練するか外を歩くしかないんです。

ある時からは外出許可を貰えたので、山を降りてAZのこの平坦かつ長い通路を使ってリハビリしていました。

私は病院近隣(といっても山を降りたところ)のマンスリーアパートに滞在して毎日病院に通っていました。

懐かしさに浸りながらホテルに帰ろうと車を走らせるとこの標識(というか案内)

霧島音楽祭の会場です。

入院中に、病院の看護師さんたちから誘われて霧島国際音楽祭に行ったのを思い出しました。

あの時はなぜか假屋崎省吾さんが招かれていました。

名前を忘れたのですが、ものすごく有名なピアニストが演奏してくれて、娘が(ピアノを弾きます)鍵盤を模したトートバックを購入したらサインしてくれて良い思い出でした。

先行き不安な気持ちを打ち消すためにも、普段と違う事をしていました。

この時は夏休みで子供たちも一緒だったのを思い出しました。

正直、ミヤマコンセールの事をすっかり忘れていました。

懐かしさが込み上げて、みやまコンセールを目指します。

山の上の方です😃

今年も霧島国際音楽祭が開かれるようです

ここまで(もはや霧島温泉郷は目と鼻の先)来たのだから、病院があったところまで行こう!

そう思いました。

残念ながら侵入禁止。

隣の温泉から写真だけ撮らせていただきました。

人影はありません。

今は市内の本院に統合されているようです。

この写真を撮っている場所は、カジロが湯という立ち寄り湯の駐車場です。

当時は気が張っていたのですが、でも身も心も疲れ果てることはしばしばありました。

そんな時は元気な顔して病院を出て、この温泉に浸かってから帰っていました。

今回は390円で入れましたが、当時いくらだったのかは思い出すことができず。

アメリカで、ん千万円の支払いを病院にして帰国して、この頃は無職でしたから本当にお金がなくて。

街に出て吉野家で牛丼を食べる勇気もなかった事を思い出しました。

そんな訳でここで温泉に浸かるのも、たまの贅沢だったのです。

今なら笑えるエピソードがありまして、初めてこの温泉に入ったあとに薬指の純銀製の結婚指輪が真っ黒に変色!

びっくりしてゴシゴ拭いても洗っても戻らずじまい。

強い硫黄成分のカジロが湯に染められてしまったのでした。

家内になかなか言い出せなかったなあ😃

AZへ2時間半程度の外出のつもりでしたが、思い出に浸りながら半日ドライブになりました。

当時の不安や必死な気持ち、子供達に申し訳ない気持ち、家内を元に戻してあげたい気持ち、なんかが強烈に蘇ってきました。

お金もなくて、先行きも真っ暗で、無心でというか何もアイデアが出ないまま病院とアパートを行き来していた現実。

川平先生が私達家族を、病院の隣にある丸尾の滝の上流部に連れて行ってくださって、川遊びをした事。

そこで先生が滑って危うく滝の下に落ちそうになった事。

近隣のミヤマコンセールで霧島国際音楽祭を鑑賞した事。

温泉で指輪が真っ黒に染まった事。

夏休みに子供たちが鹿児島のアパートに来ても、お金がなくて大したものも食べさせてあげられなかった事。

病院の休憩時間に、談話室でコーヒーを入れて家内とげたんはをよく食べた事。

結構忘れていたんだな。

げたんは

思い出に浸る気持ちになれたって事なんですが、人って忘れる生物ですね(わたしだけ?)

あれから13年ってことは、13年あれば人生最大の危機も懐かしく思える様になるってことです。

今きつい人、人生最大の危機に遭遇している人、◯んでしまいたい人。

軽々しい言葉はかけられませんが、経験から申し上げます。

時間が経てば頑張れる機会がやってくるし、脳も動き出します。

今はじっとしている事をお勧めします。

不安が沢山頭をよぎるし、気が狂いそうになるけれど、今は何もしない方が良いです。

必ず潮目が変わる時が来ます。

それまで待つ。

準備をして待つ。

潮目が変わったら頑張るのです。

なんとかなります。

経験者が保証します。

というわけで(youtuberの決まり文句)私がなぜかいる垂水を紹介します。

チタン修行目的ではありません(結果そうなってます)

美しい街です。

温泉と漁業の街だと思います。

カンパチと鰤が美味しいです。

養殖が盛んだそうです。

垂水には2つの道の駅があります。

道の駅たるみず、道の駅たるみずはまひらです。

たるみずには温泉施設があって足湯も併設されています。

現金オンリーですのでご注意ください。

たるみずはまひらは新しい道の駅です。

フェアフィールドバイマリオットが併設されています。

敷地外ですがホテルAZ(スーパーのAZとは違います)もあります。

こちらはPaypayやクレカが使えます。

4泊しましたが、これから家内の待つ大分県に移動します。

4時間のドライブです。

道の駅たるみずの足湯(桜島ビュー)
道の駅たるみずはまひらにあるフェアフィールドバイマリオットからの眺め
鰤、かんぱち炙り丼(道の駅たるみずはまひら)
持ち帰りカンパチ丼(道の駅たるみずはまひら)
オープンしたてのフェアフィールドバイマリオットたるみず

45歳定年制に反対する人に対するひろゆきさんの発言について

こんにちは、パッチングワーカーです。

サンジャポでひろゆきさんが

「45歳定年制反対派は無能な人」

そんな挑発的な表現で自論を展開されていましたが内容は全く同感です。

私自信無能な部類なので少し抵抗を感じるし、色々と反論してしまいたくなりますが。

日本国憲法第25条で定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」 

これって様々な社会保障制度がポイントになっていると思うのですが、生活保護のハードルの高さは最低限度の生活を営む権利になっていない。

車を持っていたら認めないとか、持ち家があったらダメだとか言われる。

ひろゆきさんが言っているように(もう少し弱者に寄り添った表現をしてほしいですが)、ベーシックインカムならば財産とか収入に関係なく受け取れる訳ですから、役所側も受け取る側も楽になる訳です。

能力無いって解っているけれど、今の会社にしがみつくしか生きる方法が見つからないと思ってしまっている人にとって45歳定年なんて強烈ですよね。

例えば一人当たり10万円が毎月支給されて、足りない分はアルバイトで補填すれば生きて行けるのであれば気が楽になります。

4人家族なら40万円ですからね。

そもそも嫌がらせを受け続けてメンタルが壊れてしまいながら会社にしがみつく意味がなくなる。

ひろゆきさんを含めて、お金を稼ぐ能力が備わった人たち(もちろん人一倍努力をされている)からすれば「無能」の一言で片付けられるのかもしれませんが、

サンデル教授の

「実力も運のうち」

にあるように、努力すれば金持ちになれる境遇に生まれ育った運というものを受け入れなければいけない。

親の都合で義務教育の中学にも普通に通うことが許されない子供だっているし、大学の学費(交通費や生活費もかかる)が払えない家庭だってたくさんあります。

日本人ではなく貧しい国の子として生まれた人達と同じ土俵で勝負しようなんて考える人はいないと思いますが、国内にも大きな格差があって「運」が存在する訳です。

前世で徳を積んだ人が今の世の中で恵まれた才能を授かって生まれてきたと考えることは間違っていませんが、そうで無い人が「無能」と格付けさせる社会はおかしいと思うのです。

会社で才能を発揮して利益増大に貢献できる人はサラリーマンとして、類まれな運動能力に恵まれた人はプロスポーツ選手として、芸術の才能に恵まれた人は芸術家として所得税を、経営の才能に恵まれた人は起業して法人税を納める。

会社員として働く素養に恵まれなかった人は、何らかの形で社会貢献する(親の介護だって立派な社会貢献です)事で堂々とベーシックインカムで暮らせば良いと思うのです。

Covid-19の世界的流行で都心に住むメリットが薄れた今、地方(生まれ故郷等)に住んでICTを使ったり、地域でアルバイトをして足りない分を補ったりして暮らすのは人間らしい。

故郷でなくても地方であれば生活コストはかなり低いですから、最低限度以上の生活レベルが保てるのでは無いでしょうか?

会社内で成果を出せない人を「無能」という括りで排除するのではなく、その人に最も適した生き方を探すためにベーシックインカムがサポートしてあげる仕組みがあれば良いだけです。

以前障害を持った人の役割について書きました。

ぜひ読んでいただければ幸いです。

https://wordpress.com/post/keiken.blog/639

ベーシックインカムは

「人の心を洗う仕事」

をしている障害者の方々、

「家事全般を引き受けて家族を支える仕事」

をしている主婦の皆様への給料にもなるのです。

生活保護という施しではなくて、堂々と受け取れる収入です。

ベーシックインカムこそが45歳定年制実現の前提条件なのです。

私の体験

10年と少し前、妻がアメリカで倒れて病院のお世話になりました。

レベルの高い医療と看護師の方の素晴らしい対応で一命を取り留めました。

今でも感謝しています。

反面、手出し3000万円以上の医療費は我が家の財政を圧迫しました。

家内が半身麻痺で言葉が話せない形での退院となり、毎月の薬代は20万円近くでリハビリ代も同じくらいかかりました。

医療関係だけで毎月50万円以上が飛んでいく計算になり、また入院中の請求書が毎日のように届いていたこともあって頭がおかしくなりそうでした。

ヘリコプター代100万円、ICU部屋代(技術料や薬代は別)一日40万円、胃瘻のオペ代60万円、医師の技術料百万円、薬代1000万円以上、救急車10万円(麻痺してしまっていたので安く感じてしまいました)…。

こんな請求書が毎日届き、病院に詰めっぱなしだったため郵便を確認できていなかった事による支払い督促の電話。

家内にも子供達にも話すわけにはいきませんでした。

家内が飛行機に乗っても大丈夫だと医師からお許しが出たタイミングで帰国を決心しました。

1番の理由はスピーチセラピー(言語聴覚)という言葉を取り戻すリハビリが英語だったこと。

全く効果を感じることができなく、意思の疎通ができないことに将来の不安が募っていったのです。

2番目は鹿児島大学の川平教授(促通療法である川平法の提唱者)に直談判して入院させてもらえる目処が立ったこと。

3番目の理由は経済的問題。

高額の医療費を払い続ける自信がなかった。

手元に残ったお金を手に、家内の実家の近くに古民家を借りて住むべく帰国したのでした。

アメリカってありがたい国で、高額の医療費を払った人に一定の限度内で支払った所得税を払い戻してくれるのです。

結構稼いでいたので数百万円還付されました。

これと少し残った所持金で無職生活が始まったのです。

帰国してすぐに健康保険証が手に入りました。

帰国組なので前年度の収入はゼロ。

帰国して保険料を払い始めたばかりなのに、全ての医療費がアメリカにいたときの50分の1くらいになりました。

有り難くて本当に泣けました。

日本国民であることに感謝しました。

闘病記は過去ログをご覧ください。

実はわたし、家内が倒れてから脳がずっとフリーズしていました。

先読みをして的確な判断をすることが常だったビジネスマンだったのに、心が病んでしまってフリーズから回復できませんでした。

口座のお金がみるみる減っていく不安ってわかりますか?

入ってくるお金はゼロで、出ていくばかり。

家内の面倒をみなければいけないので働けないし、もともと働ける精神状態でも無い。

生活保護を受けるために持ち家を手放そうかとか、後ろ向きなことばかり考えていました。

追い討ちをかけるように、障害1種1級認定されたにも関わらず障害年金が払われない決定がなされました。

理由は簡単でアメリカで発症したから。

八方塞がりでフリーズした脳にもう一つロックがかかりました。

自信という自信は全て削ぎ落とされて、ダメな自分を責める感じでした。

今ですか?

今は沢山の出会いと皆様の暖かさのおかげでなんとか家族を支えています。

自信もそれなりに取り戻しました。

私が言いたいのは

「一時的に失った自信と病んでしまった心を取り戻すまでの期間、仕事をしなくても良いんだよ!!っていう安心感」

があれば回復も早いと思います。

これがベーシックインカムだと思うのです。

回復したらできる範囲で仕事をして税金を納める。

同じ境遇に悩む人達のために稼ぐのです。

「少し落ち着けば頑張れるけれど、今は頑張れないんです」

そんな人って多いと思います。

無能なのではなくて向いていないだけ。

無能なのではなくて役割が違うだけ。

無能なのではなくて、一時的に病んでいるだけ。

45歳定年制は大賛成だけど、まずは社会インフラの整備が先です!!

ひろゆきさん、悔しいけれどあなたのいうことに同調します。

言葉を選んでくれるともっとありがたいけれど、そうなってしまうとひろゆきさんではなくなってしまうから、私の言葉で通訳するとします。

通訳合ってますかね?

「とくダネ!」降板・小倉の弱音で見えた ネット上での老害批判を気にする時代に

昨日、Yahooニュースを通じて読んだAERA dot.のこの記事がとても印象的だったので、お伝えしたいと思います。

私自身、まだまだ現役のつもりだった自分を見つめ直す良いきっかけでもありました。

小倉さんの心境が書かれています。

小倉は「次の世代の人にキャスターのポジションを譲りたい」と述べた後、このように語った。 「病気してから、ネット情報とか見るようになっちゃったんですね。そうするとやっぱりね、『老害じゃないか』とかね、『ボケてんじゃないか』とか、そういう言葉きついもんなんですよ。で、お年寄りの政治家見ると、ああ、やっぱり年取るとダメかな、なんていう。少しずつ思うようになりました。そんなこともあって、私はそろそろいいのかな、っていう」

AERA .dot

価値観の違い〜古い教育制度のメリット

私はこの記事を読む少し前に、makkumakkuwanwanさんとのコメントのやり取りで、教育者の老害について触れていたのです。

makkumammkuwanwanさんは(想像でしかありませんが)個性的なお子様を守るために、小学校や教育委員会と交渉して、その難しさを実感された方。

私の方が勝手に同じ波長を感じてフォーローさせていただいたのが始まりです。

教育委員会は、いじめ問題で超保守的な態度を取り続けます。

隠蔽を繰り返して組織が浄化されない。

何故丸見えなのに、堂々と保身を繰り返すのか?

疑問というより、憤りすらおぼえていました。

でも理由はある。

AERA dot.のこの記事はこうも書いています。

ネット上ではSNSなどを中心に高齢者に対する怒りと恨みの声が渦巻いている。そこでは「老害」という言葉がよく使われる。他人に害を及ぼす老人を指す言葉だ。  ネット上で老人批判が流行っている理由は、彼らが若者や現役世代にとって共通の敵だからだ。今の高齢者は、若い頃に右肩上がりの高度経済成長を経験しており、その後はバブル期を迎え、明るく華やかな時代を生きてきた。  一方、今の40代以下の世代は、好景気を知らず、不景気が延々と続く中で育ってきた。そんな若者や現役世代にとっては、いい時代を過ごしてきた高齢者たちは、下の世代と価値観がずれている上に、のうのうと既得権益を貪っている許しがたい存在に見えてくる。

AERA.dot.

『確かに!!』

初めはそう思いました。

生きてきた背景が違うから、価値観が違う。

右肩上がりの時代に育った方々の教育は、中間層を強固にするための教育制度で、個性を持った子供は嫌われました。

『出る杭は打たれる』

うまく交わって、先生の言うことをよく聞く(フリでもいい)子供が良い子だと言われていました。

この教育がもたらした大きな成果は

分厚い中間層の確立

でしょう。

私の属していたものづくりの世界では、諸外国に比べて生産現場のオペレータクラスの層が厚いのです。

計算能力、理解力にすぐれ、与えられた仕事を完璧にこなす人が多いのです。

だから、日本の製造業は世界一になることができた。

うまく立ち回る中間管理職なんかも日本のお家芸。

トップに立ってサクサク決めて責任取る人が少ないのもこの世代の傾向。

菅総理も同じタイプですよね。(サクサク決めないほうね😄)

海外で生産技術の仕事をして驚いたのは、オペレータのレベルの低さでした。

  • 同じ言葉が理解できない
  • 計算能力が低い
  • 約束を守らない
  • 責任感が弱い

多少設備の能力が劣っていても、オペレータが優秀なので高い生産性と品質が保たれていたのです。

全員中間層!!

日本の発展を支えた原動力でした。

価値観の違い〜古い教育制度のデメリット

教育委員会の方々。

定年後に教育委員会の教育相談に、元校長教頭が入るのだそうです。

個性を嫌ってきた時代に育った人たちが、個性を尊重できるはずがありません。

経験の差というより、価値観の違いが不幸を招いている。

長老の教育者個人の問題というよりは、適材適所の真逆を行っていること。

昔は教育相談なんて飾りで良かったかもしれません。

今はそうではありません。

いじめられている子を、いじめてくる多数の子達から守ってあげれれるのは大人だけなのです。

昔のいじめは、いじめられる方が人数が多い

今のいじめは、大人数でたった一人を追いつめる

ijime-jp.org

この違いは致命的です。

だからいじめを甘く見て、時には子供を自殺まで追い込んでしまう。

ICTがない時代は、多少まずいことがあっても隠し通せた

パッチングワーカー🙃

原因を徹底調査せず、差し障りのない落とし所で逃げ切る戦法。

昔はそんな感じだったと思います。

無力な人達は居座り、原因を潰さないから問題は再発する。

バレバレなのに隠蔽を繰り返すのは単純な理由からだと思うのです。

デメリットの現実とは、

ビルゲイツ、スティーブ・ジョブス、マイクザッカーバーグ、ジェフペゾス、イーロンマスク、ピーターティールなどの天才が生まれにくい社会だったこと。

世界を牽引する彼らの大多数はADHD。

日本はこの個性を病気と捉え、北米は個性と捉えます。

結果は明らかです。

反面、レジのお姉様は計算が苦手だったり、機械のオペレータは何をしでかすかわからない。

中間層構築を軽んじた教育の産物が刻米に存在することも確かです。

全員が天才ではないし、全員が中間層でもない。

やはり個性が重んじられる世界が最適なのだと思います。

今は孫正義、三木谷浩史、柳井正、藤田晋、堀江貴文(敬称略)などが名を連ねます。

堀江貴文さんなんかは出る杭として撃たれてしまった過去がありますが、是非素晴らしい日本を作っていただきたいですね。

老害について〜構造の問題

小倉さんがネットを見て、ご自分の立場に気がついたことは凄いと思います。

テレビが視聴率を稼がないと成り立たないビジネスモデル(すでに時代遅れですが)である以上、より万人受けする番組にしないといけないですからね。

でも、批判覚悟で少しだけ言わせていただきたいのです。

老害って、今だけを切り取って見たらの話ですよね。

だって、私たちの前とその前の世代が頑張ってくれたから、日本は敗戦国なのに先進国として君臨できるのですよね。

世界一を誇った船舶、白物家電、エレクトロニクス、携帯だって今となっては過去のものですが、¥の信用度を見てもまだまだ先進国です。

頑張って留学したければ行ける時代だし(私は裕福な家庭ではなかったから諦めました)、生活必需品ではない高価なものも頑張れば買えます。

仕事でアジア諸国によく行く(コロナ前)のですが、それはそれは貧富の差が激しくて痛々しいくらいです。

教育だって受けられない人が多い国だってある。

老害が発生する最大の原因は、構造の問題だと思います。

優秀なご老人には代表権のないしっかりと優遇されたポストを作り、本流の組織には例外のない定年を作る。

定年は時代と共に変更されてもいけれど、少しづつ少しづつ。

政治家だって教育者だって同じ。

古き良き時代にだって参考にできる良いものはたくさんあります。

今だけを切り取ってしまう事が最善な(価値観の)世の中になってしまうと、コツコツと基礎を積み重ねた人達は報われない『いいとこ取り』の世界になってしまう。

若い世代が今だけを見て暴走しそうになったら、愛情を持って静止してくれる長老も必要なのではないでしょうか?

尊重と尊敬の念は忘れてはいけないと思います。

頭が硬くて融通が効かなくなる前に、小倉さんのように引退することも大切ですけどね。

あと少しだけ

私は、どうやったら家内を守れるかを自問自答しながら生きていて、こんな訳分からないようなブログも書いています。

求めていること、やらなければならないことは、

皆が生きやすい社会に近づきたい

です。

政治家でもないし、何の力もありません。

全員の悩みを知っているわけでもありません。

だから、自分の悩み、心配事を発信して仲間を集めたい。

少なくとも、私たちと同じような心配事を持つ仲間同士で解決方法を探り、生きやすい社会に向かって奔走したい。

心配事は無数にあるし、たとえ少数派のものでも決して蔑ろにしてはいけないと思います。

だから沢山のグループがあっていい。

自分なりの考えもあって、経験をたくさん発信したいと思っています。

一番はスイミーのように大勢の力で何かを成し遂げるトリガーになれれば幸せだと。

ブログを書きたくて始めたけれど、皆様のブログを読むことがどれだけ勉強になるかを知りました。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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