痛み〜脳卒中後疼痛

脳卒中後疼痛

脳卒中をはじめとする脳血管障害は、その高い発症率だけでなく、麻痺や記憶障害等の重い後遺症を誘発しやすい疾患であり、「寝たきり」になる疾患の第1位に位置する。脳卒中後の後遺症のひとつである脳卒中後疼痛     (CPSP)は、神経障害性疼痛に分類され、従来の薬物治療に対して難治性を示す。現状においては、いずれの薬剤も、完全な疼痛の寛解は困難であり、患者のquality of lifeを著しく低下させる。

日本緩和医療薬学雑誌 神戸学院大学薬学部臨床学研究室 原田慎一、中本賀寿夫、徳山尚吾著

同じ論文の一説には

〜CPSPの激しい痛みによる精神的な苦痛から、自殺傾向が強くなるという報告もなされている。〜  

※論文の句読点は , . が使用されますが、ブログ転載の際に、。に変更させていただきました。

ともあります。

一番近くにいる私でも、痛みの辛さを完全に共有することはできません。

だからこそ痛みは厄介なのです。

『現時点で治すことはできないんです』

患者に伝える方も辛いでしょうが、受け止める方は遥かに辛い。

痛みへの現代医学のアプローチは、現時点では間違っているとしか言いようがありません。

何故か?

抗鬱薬や抗てんかん薬まで処方している。

抗鬱薬でうつ病が治った話聞いたことありますか?

薬の乱発でたくさんの不幸が発生している。

なのに何故?

短期的に乗り越えるための副作用ならまだしも、続けなければならない薬の副作用が大きすぎる。

とりあえず痛みを取ろうと頑張ってくれているのは理解できる。

でも、アトピーに副腎皮質ホルモンを処方するのと同じ。

足りない物を外部から与えてしまったら、足りないものはもっと作り出せなくなるのに。

貧しい人にお金を与えるのではなく、教育を提供して持続可能な幸せを提供する。

みたいな考え方が必要だと思うんです。

そうなんです。SDGsとは真逆のアプローチをやっている。

慢性的な疾患には現代医学は無力なんです。

自殺の可能性が高いってわかっているのに『治せません』は酷ですよ。

髪振り乱して試す

片っ端から試した事をまとめます。

西洋薬は無力だったから書きません。

  • 漢方中心のペインクリニック
  • 漢方オンリーのペインクリニック
  • 煎じ漢方のペインクリニック
  • 『これは絶対に効く!!』といわれた複数のMLMのサプリ
  • とある新興宗教
  • とある健康集団〜宗教風
  • Oリングテストを使ったレメディ(ホメオパシー)
  • 気功
  • Reiki
  • 大阪大学、斉藤洋一教授の『難治性神経障害性疼痛に対する反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)』の治験
  • 脊髄刺激療法(SCS)
  • YNSA

漢方

漢方は基本、体を温める方向で進んでいきました。

『風呂に入っている間に痛みが和らぐ』事実を捉えて、四物湯をベースに無数の組み合わせが試されました。

副作用が少ないため、長期にわたってトライしましたが、残念ながら痛みを鎮めることはできず、漢方による痛み緩和を断念しました。

MLM、新興宗教

側から見ると滑稽ですが、藁をも掴む思いで試しました。

MLMに関しては、一人たりとも紹介せずに商品を試しました。

宗教は言わずもがなですが、Reikiという真っ当な民間療法がベースである事がわかり、成果はありました。

MLMの皆様はお金を稼ぐ目的で、宗教の皆様は救われたいという目的でメンバーになっていますから、どちらかというと後者の方が気持的には救われました。

でも効果なしでしたので、もちろんきっぱりと丁重に入信をお断りしました。

治験、脊髄刺激療法

斉藤教授の治験は断られました。

理由はシンプル。

微妙なニュアンスの表現ができない(失語症)ため、治験には向かない。

代わりに勧められた脊髄刺激療法にすがり、手術を受けましたが、痛みは和らぎませんでした。

電極は今も妻の体に中に居ます。

Reiki

てかざし療法と言われるやつです。

日本ではいくつかの新興宗教に利用されていますが、海外に渡って今も生き続けています。

これは本当に効果があります。

離れていても効果を実感できます。

妻が本当にきついときは、たっぷりとReikiに時間を費やして癒します。

ホメオパシー

残念ながら妻には全く効果がありませんでした。

鍼灸

痛み(脳卒中後疼痛)には残念ながら効きませんでした。

リラックス効果は抜群。

YNSA

脳の一部がダメージを受けると、さまざまなセンサが敏感になるようです。

眠っていた潜在的な感性が磨かれるメリットもあるけれど、辛さも半端ない。

低気圧に異常反応するようになってしまって、応急策と分かってっていながら酸素カプセルで一瞬でも良いから良くしてあげたい(低い気圧を上げてあげる)と新宿のサロンに通いはじめた時の事。

家内がカプセルに入っている時間は1時間。

私はその間はやる事がないので、近くにある紀伊国屋書店で時間を潰します。

そこでこんな本を発見。

見るからに胡散臭い宗教勧誘のようなフレーズ。

何度も前を通り過ぎながら牽制。

気になりすぎて結局購入。

ダメ元だ、読んでみよう。

それがYNSAとの出会いです。

Yamamoto New Scalp Acupuncture

『山本式新頭皮鍼』

宮崎県にいらっしゃる山本敏勝先生が提唱した、頭皮に鍼を打つ療法。

特筆すべきはドイツやブラジル、アメリカ等14カ国で医療として導入されています。

ドイツ、ブラジルに至っては保険適用。

ハーバード大学医学部やケルン大学でも高く評価されています。

なのに日本では知名度なし。

今の本には書いていないのですが、当時の本にはYNSAを導入している鍼灸院などがリストになって記されていました。

中井という駅(西武新宿線、都営大江戸線)にある鍼灸院を発見。

すぐに電話。

妻の境遇を聞いて泣いてくれる女性経営者。

『半額にしてあげるから沢山来なさい』とまで言ってくれて甘えさせていただいています。

今は少し麻痺気味ですが、確実に効果が出る。

薬使わずに良くなられては◯◯業界は商売上がったり。

良くは思われないだろうな。

でも、頭に刺さった無数の鍼は圧巻です。

薬を使わない疼痛の寛解法。

ご存知の方ご連絡お願いいたします。

鋭意募集中です。

想い出のパワー〜バケーション

生産技術という職種は悲しいもので、工場が稼働している毎日毎日が勝負なだけでなく、正月連休、ゴールデンウイーク、夏休みといったまとまった休みは、ほぼ例外なく能力アップの工事や、新規設備の増設などで出勤になります。

休み明けには立ち上げ作業が忙しく、安定した頃には次の連休に向けた改造や増設の設計に着手、並行して日々の安定生産を受け持つ多忙な部署でした。

思い返すと(日本で働いていた頃は)連休に休んだ記憶が全くありません。

私の所属していたメディア部門がヨーロッパに工場を作ることになって、運よくたまたまそこにいた私もメンバーに選ばれました。

1990年のクリスマスは、ヨーロッパの工場に送る機械設備の国内最終立ち上げで、設備開発をする部署があった秋田に缶詰。

そのあとはアメリカジョージア州の工場向けに設計させてもらった設備の立ち上げでアメリカにしばらく出張と、結婚前なのに全く会えない日々が続きました。

赴任前の多忙な日々の合間を縫うようにして、1991年7月14日に博多中洲で結婚式を挙げ、新婚旅行でフィジーに8日間滞在して、余韻に浸る間もなく単身でルクセンブルグに向かいました。

カプリ島青の洞窟

赴任して暫く無我夢中の日々でしたが、生産計画自体も緩く、それなりにトラブルはありましたが何とかなっていました。

11月末に妻が合流してきて、30人いた赴任者(最後は8人)の家族全てが揃いました。

最初のクリスマス休暇は休む!!と当時の社長が決めてくれて、慌てて旅行社に予約に行ったほどでした。

当時はインターネットもなく、分厚いパンフレットからフラッグキャリアのLUXAIRが運営しているLUXAIR TOURSのまだ空きのあるツアーを物色しました。

欧州人はバケーション命ですから、夏休みのバケーションから帰るとすぐにクリスマスバケーションの予約を始めるので、11月に残っているツアーはそれなりのものしかありません。

卒業旅行で行って感動したカプリ島(イタリア)にアクセスしやすい、ソレントの素敵なホテルが空いていたので予約しました。

妻に見せてあげたかった。

Grand hotel Excelsior Vittoriaというホテルでした。

英語もままならない時期、フランス語などは皆無。

パンフレットにDemin pensionと書いてあって、旅行社の人に英語(風)で意味を聞いたら朝ごはん付きだそう(な気がした)。

そのつもりで予約!!

南だから暖かいだろうと思って薄着。

たった9℃のソレントは地獄絵図^ ^

寒いルクセンブルグで飛行機に乗る前まで着ていた唯一の防寒服を毎日着ることに。

買えば良いじゃんって、ヨーロッパのクリスマス休暇は店が開いていないんですよ。

晩御飯を食べるところだって殆どやってない。

唯一開いていたRed Lionというpizzeriaに3日間も入り浸り。

4日目には流石にピザは????で諦めてホテルに帰ってきたら、コンシェルジュの人が何か言ってる。

『Why ◯△※◆◉^ – ^』

よーく聞いてみると、『なんでお前たちはホテルで飯食わんのか?』でした。

『そんなのこっちの勝手じゃん』って思っていると間髪入れず

『バンメシツイテマース』

そうなんです、Demi pensionは朝晩2食付きだったのです。

『食う食う!!』

『この格好でOK?』

なんで聞いたかというと、一張羅の防寒服ですから見窄らしい。

コンシェルジュさん、ちょっと考えてジャケットを貸してくれました。

妻にも。

それはそれは美味しいディナー。3日分損した気分で、でもホッとして夫婦水入らずで高級ディナーwith借り物のジャケットでした。

まだあって、毎日水中翼船に乗ってカプリ島へ行くも、青の洞窟はクローズ。

これも船乗りさんに4日目に思い切って聞いてみた。

『青の洞窟は冬の間はクローズさ』

散々なヨーロッパバケーションデビュー。

考え方

そのあとは能力不足から悲惨な日々でどこへも行けず。

早朝から夜遅くまで会社会社会社。

カミさんに申し訳なくて。

でも上手くいかなくて。

そんな私を尻目に、バケーションから帰ってきた欧州人エンジニア達。

一応私の部下(組織上ね)

帰ってきたそばから次のバケーションの話。

まだまだ日本男児のメンタリティーだったのでカチンときて言ってしまった。

『お前達はバケーションのために仕事してるのか!!』

何言ってんだこいつ?って感じで

『for family』

家族のために決まってんだろ!!

こうも言いました。

『日本人は仕事のために仕事してるの?』

『なんのため?』

答えられず。

『なんのためだろ?』自問自答。

良かった!!

これも追々書いていきますけど、コスタデルソル、シチリア島、ドミニカ共和国、モルディブ(3回)、シャルメルシェイク(紅海)、エルグーナ(紅海)、オーランド(ディズニーワールド)、グランドケイマン。

ヨーロッパ域内は車で沢山行きました。

『家族のために仕事する!!』って考え方を改めたから、沢山想い出を作れました。

思い出のパワーは強烈です。

障害を持ってからでも想い出作りはできます。

LCCにも乗れました。

おかげさまで思い出を重ねていけます。

皆様優しくて泣けてきます。本当にありがとう。

左手の法則〜家族総出の絆作戦

フレミング左手の法則?

左手の法則をネットで調べてみると、フレミング左手の法則が大手を振って主張しています。

文系の方々にはあまり馴染みがないか、遠い記憶の中に潜んでいるくらいだと思います。

どうやら迷路必勝法に『左手の法則』というのがあるようで、迷路の壁が入口と出口でしか切れていない場合のみ有効だと書かれています。

フレミング左手の法則も迷路必勝法も今日のテーマとは違います。

あしからず。

逃げ場のない法則

私の家族は右半身麻痺の妻と、5体満足な息子と娘。

10年前に妻が脳出血で倒れて、利き手だった右側が全滅になったため、左手を使う訓練を受けました。

不安になったのは、訓練をするOT(作業療法士)の先生が右利きで、自分では左をうまく使えない事。

せめて左利きの先生がいてくれればいいのに!!なんて思いながら付き添っていました。

自分でできないことを人に教えられるのか?

悶々としていました。

ある時名案が降りてきました。

善は急げ!!!!

子供達に『今日から我が家は右手禁止にしよう!!』と言いました。

必死に頑張る母親を見ていて、思うところがあったのだと思います。

全会一致で可決!!

利き手と違う側で箸を使ったことありますか?

利き手と違う側で字を書いたことありますか?

『あー、絶対無理!!』ってなったと思います。

ほとんどの方々が。

私もそうでしたからわかります。

普通なら、あっさり挫けて何も無かったかのように右手での生活に戻る事でしょう。

『左で箸を持つ意味ないし!!』なんて捨て台詞はいて。

でも、右半身麻痺の妻にとっては逃げ場がない。

左手が使えなければご飯も満足に食べられない。

アメリカでリハビリを始めた頃、嚥下障害がひどくて水を飲むと気管に入ってしまうから水にとろみをつけるんです。

美味しい水を思いっきりゴクゴク飲ませてあげたいって思った。

その時と同じ気持ち。

しっかり箸を使って美味しいもの自分で食べさせたい。

本人だって必死です。

そんな妻(母親)を横目で見て『ギブアップ』できる筈がありません。

だから我が家の『左手の法則』は『逃げ場のない法則』です。

逃げ場がなければやるしか選択肢がないから結局できる。

毎日12時間くらい練習して2ヶ月半くらいかな?

『左手の法則』=『逃げ場のない法則』=『1000時間の法則』

なんだあ、結局同じことだったわ〜。

メリット満載でした

結果はどうかって?

全員左手でご飯食べてます。

違和感なく。

『まあ、全員左利きなんて珍しいねー』なんてよく言われます。

大リーグボール養成ギブス(古くてごめんなさい)なんて必要なくて、妻の存在が左手使い養成ギブスでした。

人間、逃げ場が無くなれば何でも出來るようになるんですね。

逃げ場がないからできるまでやる。

できるようになるに決まってる。

自信に繋がりました。

左でも右でも箸をもったり字を書いたりするメリットは

  • スペースに余裕のある方側の手でゆったり食事ができる
  • 左右自由自在にハサミが使える(持ち替えて)
  • 右手でスマホ持って左手でご飯食べられる(子供達は真似しないでね)
  • 両手を満遍なく使えるので手が疲れにくい

そして特筆すべきは

  • 記憶力が良くなった

です。

なんで?

右脳と左脳

ご説明します。

この効果を狙って左手使いになったわけではありません。

でも、明らかに変わりました。

右脳派と左脳派。

聞いた事ありますよね。

基本的には右脳が強いか?左脳が強いかという事なのだそうです。

人間の基本は右脳での行動です。

悲しい時は泣いて、楽しければ笑う。

左脳が発達すると知的な思考が出来るようになります。

文字を覚えるのは右脳。

意味を理解するのは左脳。

本を読んで情景が浮かぶ人は右脳が強い。
何事も簡潔にまとめる事が出来る人は左脳が強い。
右脳左脳を交互に使う事ができれば、両方が手に入るというわけです。

体と脳は左右入れ替わっているので、右手をよく使っていると左脳が刺激されます。

そう、意味を理解する方です。

左手を使うようになったら右脳が刺激され出したんですね。

記憶力がかなり良くなった。

12桁の免許番号や16桁のクレジットカード番号はあっさり覚えられる。

数字を見ながらPCに入力するときに、数回に分けて入力していたのに、今は全桁を一気に入力できる。

左手で箸を使ってみてください。

ボケ防止に効果あると思いますよ。

絆作戦

結局絆作戦は上手くいきました。

でも、励まされたのは妻の方ではなくて、我々家族。

応援していた方でした。

全員左手で食事をしているのを見ると、ちょっとだけ誇らしい気持ちになります。

こいつらやるな!!

「100日間コンビニ弁当生活」を読んで蘇った想い出続編

3日間も苦しい経験を書いてしまったので、今日は口直し。

以前書いた「100日間コンビニ弁当生活」を読んで蘇った想い出で書き残したことを少しだけ。

前回の投稿にご興味がおありの方はこちらです👇

https://keiken.blog/2020/12/06/「100日間コンビニ弁当生活」を読んで蘇った想い/

家内が脳出血で倒れてから、高血圧との戦いでした。薬でコントロールしきれないのです。

減塩を心がけていても、不意打ちを喰らうように170とかに上がってしまう。

脳出血の原因が不明で、動脈硬化も全くないのは入院中の検査でわかってはいましたが、再出血が脳裏を何度もよぎるほど恐ろしかった。

マメに血圧を測って、食べたものと血圧を時間軸で管理して。

だんだんわかってきたのは塩。添加物。

◯食主義者とか健康オタクでは全くないのですが、これらの経験を踏まえて問題があった食べ物を避ける生活をしているうちに、食生活が変わってしまいました。

それまで血圧とは無縁の生活だったので、塩分について真剣に考えたことがありませんでした。

色々と疑いの目を向けて調べて(体験しながら)いきました。

コンビニで売られている食べ物も随分と変わってきました。

健康を意識したものが少しづつ増えてきました。

『減塩』という文字も見慣れてきました。

不思議なのですが、減塩と書いてあるものを、しっかりと塩分量をコントロールして食べても血圧が跳ね上がるものが相当数ある。

何故?

精製塩と天然塩についてよく議論されますが、下記のサイトのように医師がしっかり天然塩なら血圧は上がらないは嘘!!と断言されている方も多くいらっしゃいます。

これから書く内容は、適切な塩分量を守っての話です。そこ大切。

色々試すうちにはっきり解ったことは、『海水から作られた天然塩を適正量摂った後に血圧が跳ね上がることはない』ということ。

岩塩では血圧が上がってしまったことがあります(毎回ではありません)。

岩塩は海塩と比べるとミネラルの量が少ないからかもしれませんが、正直よく解りません。

『海水から作られた天然塩』なら血圧を跳ね上げにくいならば、それを使うしかないでしょ。というわけです。

うちは8年近く『シチリア島の塩田の海塩』を使っています。

気取っているわけではなくて、ピザ屋をやっているときに使っていて、自分達も体調が良かった(もちろんすごく美味しい)から使い続けています。

国産にも良い塩は沢山あると思います。

塩だけなら簡単にわかりますが、料理や製品に使われている塩の種類はわかりません。

わざとらしく『国産塩』なんて原材料名に記載している商品も沢山あります。

具体名は書きませんが、コンビニの食材はほぼ例外なく精製塩だと思います。ほぼ例外なく血圧が反応しましたから。

違っていたら教えてください。お詫びと修正をさせていただきます。

何故、精製塩を使うのか?

超単純な理由からです。比較にならないほどコストが違うからです。

真っ当な塩田海塩ならばそれだけで美味しいのに、コストが高い。

だから精製塩にグルタミン酸ナトリウムなどを混ぜて旨味(風)を足し算します。

原材料には『アミノ酸』『うま味調味料』などと書かれていたりします。

グルタミン酸ナトリウム自体は安全と言われていますが、それを言ってしまうと精製塩だって安全です。食べたら死ぬわけではないですから。

鰹節や昆布から直接摂る方が安心安全です。長い時間かけて証明されていますからね。

舌の精度

8年も塩田で作った塩を食べていると、舌が正直に変化していきます。

精製塩を食べると、舌を刺すようなピリピリ感を感じます。

最近流行している◯◯ソルト、鯛風味のお塩、◯◯塩などは、ほぼ例外なく精製塩が使われています。

不思議なのは十分に発酵・熟成された味噌や醤油は舌がピリピリしません。

精製塩を使用していないか、十分な発酵が何かを変化させるのか?

十分な発酵と書いたのは、有名どころ(どこでも手に入るアレです)の味噌や醤油は舌を刺すのです。

簡単に飲める練りタイプのインスタント味噌汁も同じです。

コンビニ弁当

多分です。

コンビニ弁当に使われている調味料も精製塩が使われているものが多いのではないでしょうか?

適切な量を食べている限りは問題ないのでしょうが、毎日食べ続ければそれだけで塩分量が過多になってしまう。

味が濃いめですから。精製塩が沢山体に入ってきて、排塩が間に合わない。

カリウム、カルシウム、マグネシウムが排塩には有効で、野菜、いも、海藻、豆、豆腐、牛乳、のり、胡麻、アーモンドなど。

コンビニ弁当だけを食べていれば、これらは自動的に不足するわけです。

『消費者の体調を壊す目的』でコンビニ弁当が作られている筈がありません。

要するに食べ方の問題だと思います。

食品リテラシー

『うちの子が肥満になったのはマクドナルドが高カロリーの食品を販売したから』と訴えたアメリカ人の母親がいたという逸話は有名ですが、あまり笑えないかもしれません。

我々日本人も食品に関するリテラシーが不足しているのだと思います。

『価格破壊』『流通革命』の裏には、沢山の現実が存在します。

同じものを安く売ったら利益が減ります。利益を減らさないように努力します。行き過ぎも存在します。

世界中のもの、日本中のものが食べられる時代です。流通革命のおかげです。反面、ポストハーベストの問題は深刻です。

ブラジル産のチキン、中国産の鰻、チリ産のサーモン等々、どれも大量生産するために抗生物質が多量に使用されています。

狭いエリアで最大の生産量を確保するために、病気を発生させない目的で使われる薬物。

ストレス軽減ではなく、力技で病気を封じ込める。

その安い製品が輸入されて、濃い味付けによって誤魔化され、流通する。

これらを食べ続けるとさまざまな体調不良に見舞われる。

そして、食中毒などと違って直接的な原因がわからない。

私たちにできることは、

  • できる限り顔の見える生産者から買うこと。
  • 異常に安い食品に飛びつかない
  • 香料を含めて、自然でない味を判別する舌を作る

少し前に『相手の顔が見える作業』を書きましたが、結局信頼関係が大切なんですね。

https://wordpress.com/post/keiken.blog/414

流通距離が長くなって、生産者から消費者が、消費者から生産者が見えなくなっている。

消費者の製品を見抜く目も弱体化している。

生協までもが産地偽装に手を染める(ほんの一部です)

だから顔の見える生産者から買う!!

ICT時代だからこそできる方法があるんですね。

あいちゃん農園いいですよ

これも満足しているのであいちゃん農園へのエールです。

アフィリエイトではありません。

http://www.yoshinogariyasai.com/company.html

今日のランチはあいちゃん農園野菜の和風パスタでした。

全粒粉パスタと自家製ポン酢、すりごま、ごま油、オリーブオイルで味付けて、千切り山芋と千切り大根で食感のあそびごごろプラス。

豪快に海苔と削り節とかいわれ大根(高円寺の八百屋さんで1パック10円でした。生産者さんごめんなさい)を乗せて。パスタは2人前で100グラム。あとは全部野菜。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その3

痛み

霧島の病院に入院していた方の中に、痛みを訴えていた方が多くいらっしゃいました。

ジンジンとか、キリキリとか色々な表現をされていました。

妻は痛みが全くなくて。

後でわかるのですが、単純に出血が多くて広範囲に神経がやられてしまったために、痛みを感じなかったのです。

痛みが出なかったのではなく、痛みを感じなかった。

軽度であればリハビリを開始して神経のバイパスが出来上がって、繋ぎ替えが起こります。

その際に繋ぎ間違えが発生して、神経過敏や感度高すぎ現象が起こるのです。その痛みを脳が記憶して、痛み信号に晒せれ続けると信号が来なくなってもリセット出来なくなる。最悪のスパイラル状態。

だから周りの人たちは痛みを訴えていた。

妻は繋ぎかえには程遠い距離と範囲の神経損傷があったため、その時は痛みが出なかっただけでした。

もちろん出血場所によっては痛みが残らないケースも沢山あります。

視床下部というところに出血がかかっていると、厄介な痛みが出やすくなるのです。

なんて偉そうに語っていますが、その時は全然知らなかった。

『ママは痛くなくてよかったね』なんて言ってました。

こんな状態なので、リハビリの効果が出ないんです。

毎日夕方になると自主練習までして頑張ったのですが、右手や指は一向に動く素振りを見せてくれませんでした。

痛みは霧島を退院して、川平先生の前の院長だった田中先生が週1回来てくださる大分県竹田市の大久保病院に通い始めてから1年ほど経ってからのことです。

原因不明の痛みを訴え出して、リハビリ出来ないくらい痛みが強くなって。

痛みは恐ろしい。何も出来なくなるし、何もする気が失せる。リハビリも何もかも。『どんな手段を使っても改善しなければ』そう思う。

この種の痛みは構造上『ロキソニン』『イヴプロフェン』といった周知の鎮痛剤が全く効かないんです。

テグレトール、トラムセット、リリカ、全く効果を示さないまま量が増えて薬漬けに。

リリカ(イメージ画像)

副作用は半端なくやってきて、目眩なんか半端なくて突然倒れ込む。目眩でですよ。

ある日、薬をやめることを決意。

効かないんだから副作用がなくなるだけ良いよ、って考えました。

リリカ400mgを相当長い期間服用してきたところから、一気に抜こうとしたわけで(先生に言えなくて〜絶対に真似しないでください。自己流は危険です)、テレビドラマで覚醒剤を抜く時みたいな幻覚は見るは、突然泣き出すわ、死にたくなったり。

常に誰かが近くにいる状態を切らさないようにしていました。

痛みの度合いを測定する画期的な測定器は存在しません。

だから無知な医師達に、痛みを抱える患者は傷つけられるのです。

流れ流れて、東京医大の有名な漢方医にかかった時のこと。

とりあえず痛みの強さを測定しようということで、擬似的痛み測定みたいなことをやったのです。

片手に電気を流して、電流を上げていきます。今の自分の痛みと同じくらいの辛さになったらボタンを押すといった簡易的なもの。

でも、痛みの強さを数字にしていただいたのは有難いことでした。

『我慢できない歯痛が、左半身全てにあって、24時間常にある状態』だそうです。

『男だったら我慢できない痛みの強さ』と表現されていました。

平成天皇の心臓バイパス手術を成功させた順天堂大学の天野篤教授が2014年に上梓された『熱く生きる』の最後に書かれていた一説が私の心を打ちました。

臨床医が最優先でやらなければいけないことは『患者の痛みを取除いてあげることだ』と。

不治の病かもしれないし、現代医学では対処できない難病かもしれない。でも、痛みをとってあげる最善の努力はできる。それが最優先だ。みたいな事だったと。

今、私の手元にこの本がないので少しニュアンスが違うかもしれませんが、内容は間違っていないと思います。

それ程痛みはQOLを低下させるのです。

片手で創作するということ

書きたいことが多すぎて、文章がどんどん出てきてしまうので、まだまだ続きます。

でも、長きにわたって痛みのために何もできない、何もしたくない状態が続いたため、自分の存在価値さえ見いだせないどん底の生活が続きました。

痛みの強さは今も同じですが、色々な面から希望が持てるようになってきて、何か大好きなこと、喜んでもらえることをしたい。

そう思えるようになったのです。

どんな物でも、誰かに喜んでもらえると自分の存在価値を見出せるのです。

痛みは常にありますが、好きな事に熱中している時間は忘れられる。

片手でも、痛くても、効率が悪くても作り続ける理由は、自己肯定そのものなのです。

自己肯定なんて一言で片付けたくないです。

片手しか使えないからこそ作り出せる何かを見つける旅でもあるのです。

『片手で創作するということ〜目覚めてからの試練』はもう少し続けさせてください。

痛みで心が潰れている頃、妻の誕生日に大好きなジャンポールチェボーさんにお願いしてサプライズケーキを作っていただきました。

六本木のジャンポールさんのスタジオ(今は下総中山)から大分の当時の住まいまで運びました。

驚きで顔がぐちゃぐちゃでした。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その2

鹿児島大学霧島リハビリテーションセンター

大学病院は紹介状がないと原則受け入れてくれません。

風邪をひいても大学病院にかかられてしまっては、本当に大学病院を必要としている人に医療が行き渡らないからです。

アメリカの病院から日本の大学病院に紹介状を書いてもらうことはできません。

なので、最初は難色を示されました。

今迄の症状、治療内容、各種画像をもらって、それを持参する約束をして何とか外来での診察が許されました。

ただし、川平先生の診察を受けるに値するのかを判断する診察。

大分県の妻の実家近くに借りた古民家に子供達を置いて、車椅子を積んで霧島に向かいました。

朝早い診療だったので、霧島温泉に1泊。

この病気になってから高血圧になってしまって、薬を飲んでも150を超えることが多くて心配していましたが、一時的でも温泉に入ると血圧が120くらいに下がる。

本当に久しぶりに見た安心の数字でした。

豪華な食事が出されましたが、何を食べたのかはあまり覚えていません。

『何とか受け入れてほしい』そればかり考えていましたから。

霧島リハビリテーションセンター(2018年、本院に機能移転)

退院してみれば4ヶ月も入院させていただいていました。山を降りた鹿児島空港近くのマンスリーアパートを借りて通って、毎日朝から晩まで付き添いました。

作業療法、理学療法、言語聴覚士による言葉のリハビリ、視野欠損のリハビリ、磁気刺激治療法、装具審、自主トレーニング等々。

日本全国から作業療法士や理学療法士が学びにやってくる病院でした。

毎夕行われていた川平教授による講習会。休みの日にも病院に出てきて指導にあたられている。熱い先生なのです。高校時代ラグビーで花園に出たそうです。

私は子供達のいる大分県と行ったり来たりしながら、必死にやってました。無収入の不安に押しつぶされそうになりながらでした。

『なんとかなるさ』

まずは家内の事だけを考えるようにしていました。

頭フリーズによる失敗

ひとつ申し訳なかったエピソード。(まだアメリカにいる時の話)

時間が大きく遡ってしまいますが、家内のことばかり考えていてやっちまった失敗の話です。

倒れたのが1月17日で、リハビリ病院を退院したのが3月でした。その後自宅に戻ってPTの先生が来てくれてリハビリ。

私はというと、大きく穴を開けた仕事の繕いをしながら、日本でのリハビリや住まい探し、100枚以上あった請求書の処理。

救急車1,000ドル(約10万円)とか。装具代3,000ドル、最初にかかった病院(転院前の入院なし)代3,500ドルとか、

まあ、入院していた病院の詳細合計(値引き前450,000ドル)を見てしまっていたので麻痺状態でしたけど。

何はともあれ客観的にものを考えるなんぞは不可能状態。

子供達も傷つき苦しんでいたことは分かっていたけれど何もできずでした。

忘れもしない4月21日。

例によって支払いやら、薬の調達やら、室内リハビリやらで頭がいっぱいの夜に娘が急に泣き出しました。

堪えきれずに泣き出した感じ。

聞いてみると娘の誕生日。

すっかり忘れていて、娘も理解していたようなのですが悲しくなってしまったようで。

辛かったのは家族全員なのに、父親失格!!

急いで娘を連れて近くのモールに行き、ほしい服を沢山買ったのでした。

何かの縁でしょうか?

霧島リハビリテーションセンターに関しては、3つ不思議な事がありました。

偶然ではないと思いますが。

ひとつ目は、家内の従兄弟はすごく腕の良い美容師で、六本木でバリバリやっていた人なのですが、鹿児島の女性と結婚が決まって、その方の実家で暮らしていると聞いていました。

なんと、私が借りていたマンスリーアパートの目と鼻の先。

鹿児島って広いのに、こんなに近くだったなんて。

空港近くのホテルで結婚式が執り行われた時、病院の許可をもらって外出して祝福に駆けつけました。

六本木でバリバリの美容師でしたから、この町では有名だったようで、病院の看護師の方や、言語聴覚士の先生と奥様も常連様でした。

家内の髪を切りに病院まで来てくれて。

こんな近くに引き寄せられてきたんだと、驚きました。

ふたつ目は、脳卒中後疼痛(この話も沢山あるので書く予定です)に悩まされて、ドクターショッピングや、漢方医、怪しい宗教や、次からつぎへとやってくるMLMの紹介、整体、痛みを中和する電極挿入、YNSA(頭に打つ鍼)、気功etc。

少しでも良くなる方法を求めて探しまくっていたのですが、YNSAと気功は相性が良くて長く通っています。

YNSAに関してはそれ専用に書きたいと思っています。

気功の先生は目が見えません。

ある方の紹介を受けて通っていました。

目が見えなくなってから自分の力に気づいたそうなのですが、行く宛もなく日本中を彷徨って、何気なくたどり着いて気功の技を取得した場所が霧島だとおっしゃるのです。

その場所を調べてみると、霧島リハビリテーションセンターのすぐそば。

私が病院からアパートに帰る途中に買い物をしていた小さな雑貨屋さん(一応スーパーと書いてあった)の裏。

何じゃそれ?って感じでした。

引き寄せられてるでしょ。

3つ目はつい1年前のこと。

時は流れあれから10年近く経ってしまって。

私が通っていたジムにパワープレートが導入されました。

何が良いんだかいまいち分からない。ただのバイブレーションマシン?

ある日、時間ができたのでジムに行くと、『2時間後にパワープレートの担当者がプレゼンにきますよ』って教えてくれて、何気に家内に良いのではと思った私は『会員ではないですが、家内に聞かせたい』というと、快くOKしてくれました。

担当の方は一生懸命パワープレートの良さをアピールしてくれて、沢山の医療関係者の推薦もあるのですと。家内に沢山体験させてくれて。

下記はアフェリエイトではありません。効果を実感したから載せています。

先生ごとにパンフが作られていて、何とその中に川平先生がいらっしゃいました。

渋谷で川平先端リハラボというパーソナルリハビリみたいなことをされていました。

早速予約をして、川平先生にお会いしてきました。ギリギリコロナ前の出来事です。

今我が家にパワープレートがあります。

ピンポイントで目の前に現るんです。

色々な偶然が。

偶然ではないと思ってますが。

まだまだ創作に行きつかないですが、今日のところはこの辺でおしまいにいたします。その3に続きます。

昨日と同じ動画をアップさせていただきます。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その1

目が覚めた後

オハイオ州トレド、セントヴィンセント病院。

死を覚悟するほどの長い昏睡状態から覚めた妻は、ICUを出て一般病棟に移って安定を待ちました。

どんなリハビリをするべきなのか、病院側の準備が始まりました。

失語症で言葉が全く出てこなくなっていたのと、私の言うことも全く理解できない状態でした。

系列のリハビリ系病院から派遣されてきた理学療法士(PT)が、寝たきりの妻をベッドの上に座らせようとしました。

右半身が完全に麻痺していたので体を支えることができず、崩れるように右側に倒れ込んでしまいました。

妻の目から大粒の涙。

不安な気持ちを悟られまいと努めて笑顔で接していた私も、耐えきれずに一緒に泣いてしまいました。

辛さを言葉にすら出来ない妻に感情移入して、大人気なく泣きました。

入院中の日々

病院に併設された家族用アパートメントに子供達と滞在して、毎日毎日妻の元に通ったのでした。

隣にヘリポートがあって、毎日毎日ヘリで患者が運ばれてくる。

ヘリの音を聞くたびに、運ばれてくる患者の家族の気持ちを思って、心がザワザワと揺れる。

アパートメントから病室に渡る長い廊下の横に教会がある。

入院患者の回復を祈る家族がいる。

その先に救命があって、5台以上の救急車が常に止まっていたり、患者を降ろしていたりする。

その先には入院している子供達のための学校があって、一瞬ほっこりする。

そして妻の待つ病室へ。

運ばれてから3週間で退院して、系列のリハビリ施設のある病院に転院。

車椅子にも乗れず、ストレッチャーに乗せられて病院の救急車で移動。

私の頭はずっとフリーズ状態だった気がします。

一変した人生

転院したリハビリ病院で1ヶ月の入院を経て、在宅リハビリに。

車椅子に乗っての退院でした。少しだけ回復。

失った言葉は数パーセント回復。

嚥下障害がひどくて水にとろみをつけないと飲めなかったのも克服。

入院中につけた胃ろうは外されないまま、大量の薬と共に自宅回復へ。

何もかも辛かったけれど、言語聴覚(ST)が英語で行われる事は痛々しくて見ていられなかった。

後遺症で日本語さえも全て吹っ飛んでいたのだから、英語やフランス語が出る筈もなく時間だけが過ぎる感じ。

遠隔での指導などまだまだの時代。

八方塞がりの状態は自分達で何とかするしかなかったのです。

フリーズしていた頭が少しずつ溶け出して、日本でのリハビリを強く意識して調査開始。

家内の生まれ故郷が九州なので、九州で良い病院がないか?

その頃少しだけメディアに登場していた鹿児島大学の川平教授が提唱する【川平法】という脳卒中からのリハビリ。

何度も電話をして取り次いでもらって、「入院できるか保証できないけれど、診察を受けに来なさい」っておっしゃっていただいて。

家族会議(妻は何を喋っているのか理解できなかったから実質3人で)で以下を決定。

  • パパはアメリカでの仕事を諦める
  • 日本でどうやって食べて行くか不安だけど今はママ最優先
  • ママの実家の近くに部屋を借りよう
  • 長男は日本で言う高校1年、娘は中学1年で充実していたけれど日本に転校
  • 鹿児島大学附属霧島リハビリテーションセンターに入院させてもらう(目標)

こんな感じで、家族で力を合わせてママ優先の人生を選択したのでした。

医療費が凄ーく高くて、ん千万円。手出しがね。残り僅かな所持金を手に帰国をしたのでした。

今日はここまでにしておきます。弁当作らないと。

マスクの製作風景〜片手でゆっくり作ります

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