2024年1月6日(土)午前5時55分電話が鳴った。
母の携帯から。
顔を洗っていたので出ることができず、
折り返しをしようとスマホを持ったと同時に、
また着信があった.
正月に元気な姿を見たばかりだったのだが、
92歳になる父が弱っているので、少し嫌な予感がしつつ電話に出る。
いきなり背景からサイレンの音が響く中で、
知らない男性の声が聞こえてきた。
『親父に何かあった』
咄嗟にそう思った。
『◯◯消防署の◯◯と申します。
パッチングワーカー様でしょうか?
お母様が階段から落ちて、複雑骨折をされて運んでいます。
意識はしっかりされていますが、骨が皮膚の外に飛び出しています。
◯◯病院に運んでいます。』
もたらされた想定外の情報に動揺しながら、慌てて服を着替え、
妻を家に置いたまま車に飛び乗った。
足が震えていた。
横浜にある私の自宅から、指定された病院まで2時間強かかる。
車の中からハンズフリーフォンを使って、
妹に連絡を取る。
実家には、介護の必要な父1人になってしまっているので、
私は病院、妹は実家と、手分けして対応する依頼をするためだ。
13年前に、アメリカで家内が倒れた時を思いだしながら運転する。
圏央道に入ると、レーダークルーズコントロールを115km/時にセットして巡航する。
感心できるものではないが、
囚われた場合でも免停を逃れられるギリギリの速度。
遅延した航空機が、安全を害さないギリギリの速度でキャッチアップを図る様なもの。
勝手に言い訳を考える。
1時間ほどすると、運ばれた病院から電話があった。
痛み止めを入れてMRIを撮ったが、損傷度合いが激しすぎてリスクが高い。
埼玉医科大学国際医療センターに転院させてから緊急手術をする方針なので、
国際医療センターに向かってほしいとの依頼だった。
埼玉医科大学国際医療センターは埼玉県でも有数の、高度救命救急を担う病院だ。
父が心筋梗塞で倒れ、3本のバイパスと、2箇所の弁置換術を受けた病院だ。
当時は、現東京女子医大心臓外科教授の新浪博士さんが、埼玉医科大学国際医療センター心臓外科教授をされていた。
素晴らしい手技の持ち主で、
12時間かかった手術の翌日には、ベッドから起き上がって歩くことができた。
昭和天皇の心臓手術を担当された順天堂大学の天野篤教授の右腕として、同大学心臓外科助教授を務めていた方だ。
現サントリー社長である、新浪剛史氏の弟であることは有名だ。
そんなわけで、私の中ではこの病院への信頼度はMAXだ。
転院と聞いて、逆に安心した。
予定より2つ手前のインターで高速を降りて、埼玉医科大学国際医療センターへと向かう。
ERに運ばれていて、早速医師の説明を受ける。
最初に運ばれた病院で撮影した3DのMRI画像が、深刻さを瞬時に理解させる。
ヒビの入った部分を入れると4箇所が損傷を受けており、
親指に繋がる骨は、手首の位置から外に飛び出していた。
皮膚の壊死を覚悟する様に言われ、
手術前から、1ヶ月以上の入院を告げられた。
手術室に母が入ると、専用の携帯電話を渡されて、病院から外に出ない様に言われる。
父の時は携帯ブザーだった気がするが、
父の手術中に心配MAXだった母が、今は向こう側にいる。
3時間弱ののちに電話が鳴った。
Covit-19の影響で、面会は許されていないが、
10分間だけ、特別に話をさせてもらった。
自分の事ではなく、置いてきた父の心配ばかりしている。
妹が付き添っていること、
特別一時預かりの施設を、ケアマネさんが探してくれた事を伝える。
しきりに謝る母に、
『良い機会だから、ゆっくり休んだほうが良いよ』
そう伝えた。
埼玉医大国際医療センターHPより