五月の下旬、ベランダに出ると、空気が少し粘っこくなったのを感じます。まだ梅雨入り前のはずなのに、朝起きると瞼が重く、足のふくらはぎがむくんだまま。歯ブラシをくわえながら鏡を見て、「あ、舌の縁にギザギザ(歯痕)がついている」と気づきました。
これは、私が「梅雨の前触れ」を毎年身体で受け取るときの、最初のサインです。今週は、その身体の声に耳を澄ませながら、脾(ひ)を整える養生を続けてみました。今日はその一週間を、日記のように書いてみたいと思います。
月曜の朝——「だるい」のはサボりではなかった
家内の介護をしていると、自分の体調の崩れは、つい後回しになります。月曜の朝、いつものように白湯を沸かしながら、ふと足が重いことに気づきました。階段の上り下りが、いつもより一拍遅い。
西洋医学の友人に話せば、「気圧の変化で自律神経が乱れているんですよ」と言われるでしょう。実際、低気圧の前は副交感神経が優位になり、血管が拡張して、頭痛やだるさが出やすい——そう説明されます。気象病、天気痛、という言葉も最近よく耳にします。
それは確かに、現代医学の正しい説明だと思います。けれど、毎年この時季、私が同じ身体の声を聞くのには、もう少し古くからの理屈があるはずだ——そう思うようになったのは、神山先生に出会ってからでした。
視点の転換——脾は湿を嫌う、という古い知恵
東洋医学では、梅雨前から夏にかけての季節を「長夏(ちょうか)」と呼び、五臓のうちの「脾」が最も影響を受けると考えます。脾は、現代でいう脾臓ではなく、もっと広い意味での「消化吸収のシステム」を指します。食べたもの・飲んだものから気血を作り出し、水分の代謝を司る——いわば身体の中の「炊事係」です。
この脾には、ひとつ大きな弱点があります。「湿を嫌う」のです。
湿邪(しつじゃ)——身体の外から、あるいは内側から溜まる余分な水分は、脾の働きを真っ先に鈍らせます。脾が弱ると、水を捌(さば)けなくなる。捌けないから、もっと湿が溜まる。この悪循環が、梅雨前のあのだるさ、むくみ、食欲不振、頭が霧の中にいるようなぼんやり感の正体だと、神山先生は教えてくれました。
舌の縁の歯痕は、舌がむくんで歯に押し付けられた痕。つまり、身体の中に水が溢れているサインです。私の月曜の朝の鏡は、確かに「脾が疲れています」と告げていたわけです。
私の一週間の養生——今日からできる、小さな三つ
今週、私が意識して続けてみたのは、特別なことではありません。けれど、続けてみると確かに、金曜の朝には足のむくみが軽くなっていました。三つだけ書いておきます。
ひとつ目、朝の白湯に、生姜を一片。冷えた身体に冷たい飲み物を流し込むと、脾は一気に縮こまります。白湯をすするだけでも違いますが、薄切りの生姜を一枚浮かべると、ほんのり辛味が立ち上がって、胃のあたりがじんわり温まるのが分かります。生姜は性が「温」で、脾胃を温める代表的な食材です。
ふたつ目、生もの・冷たいものを、今週はお休み。刺身もアイスコーヒーも美味しいのですが、湿邪のシーズンに脾を冷やすと、てきめんに身体が重くなります。代わりに、温かい味噌汁の具を増やしました。大根、人参、長芋、椎茸——根菜と芋類は、脾を補う「補気健脾」の食材です。
みっつ目、夜、ふくらはぎを下から上へさする。ベッドに入る前、足首から膝の裏まで、両手で五回ずつ。リンパマッサージとも違う、ただ「水を上に戻してあげる」つもりの、ゆっくりした手の動きです。翌朝のむくみが、明らかに違いました。
まとめ——「治す」のではなく、「先回りする」
土曜の今朝、もう一度鏡を見たら、舌の歯痕は少しだけ薄くなっていました。完全に消えたわけではありません。でも、それでいいのだと思います。
養生は、身体を「治す」ことではなく、季節の変わり目に「先回りして整える」こと。梅雨が来る前に、雨を受け止められるだけの脾を準備しておく——そう考えると、毎朝の白湯一杯にも、味噌汁の根菜一切れにも、意味が宿ってくる気がします。
来週は雨予報。けれど、もう少しだけ、自分の身体と仲良くなれそうな気がしています。
※本記事は東洋医学の考えに基づく養生の知恵を紹介するものであり、医療行為の代替を推奨するものではありません。症状がある方は必ず医療機関を受診してください。

