2月15日は家内の誕生日でした。
仕事に追われてすぐにアップできず、今になってしまいました。
バレンタインデーの翌日なので忘れないのですが、我が家にとっては歴史みたいなものです。
12年前の1月17日にアメリカのオハイオ州で家内が倒れました。
重度の脳出血でした。
地元の病院では対処できず全米トップ100に数えられる病院に転送されましたが、意識不明になり4日間生死を彷徨いました。
初日は家族用の宿泊施設に空きがなく、ICUで付き添うことも許されず近隣のホテルで長男、長女と共に不安な夜を過ごしました。
大きな部屋でしたが、3人とも不安で同じベットで過ごしました。
翌日からは病院に併設させている宿舎に空きが出て移りました。
隣はヘリポートで次々と患者が運ばれてきて眠れませんでした。
宿舎から病室(ICU)に行く途中に教会があり、たくさんの家族が祈りを捧げていました。
また、教会を過ぎると玄関先に常に10台近い救急車が停まっていて、次々と患者が搬送されていました。
覚悟をする余裕さえなく、昼は簡易人工呼吸器(切開しないタイプ)に繋がれている家内に寄り添い、時間ギリギリまでICUにいて救急車の大群や教会で祈りを捧げる患者の家族を見て部屋に帰るだけでした。
意識が戻るまで4日間でしたが、それはそれは長く感じていました。
第二の人生12歳
右半身が完全に麻痺し、嚥下障害で水を飲むと咳き込み、失語症で言葉を完全に失った状態で病院を移ってすぐに誕生日を迎えました。
病院の職員や看護師達で家内の誕生日を祝ってくれたんです。
絶望の中の一瞬の明るい話題というか希望というか。
その頃撮った写真をPCに保存していたのですが、悲しいことにハードディスクがクラッシュしてデータも取り出せずに消え去ってしまいましたので、思い出の写真(消し去りたい部分でもありますが)が残っていないのです。
クラウドも無い時代でした。
この辺りのエピソードはは過去に詳しく触れましたので今日はここまで。
家内は生まれ変わって12歳になりました。
温泉にも行くし、少しだけですがお酒も飲むし、ゆっくりですが歩くこともできている。
作品を作る喜びも持っているし、何より家が買えるほどの医療費で家計が大ピンチになったのに、今はしっかりと暮らせている。
感謝しかありません。
家内も四捨五入すれば60歳です😄
もう少し生きて人生を楽しもうと思っております。
同じ日に、神経再生を研究していた娘の修士論文が通って卒業が確定しましたので、少しだけ良いワインを開けて祝いました。
絶望のどん底にいる方も多いと思いますが、生きていれば本当に楽しいことがありますよ。
何よりお金払わなくても苦労できて、経験者として親身になって人助けもできるようになれる。
人の痛みが心の底から理解できるようになるのですから悪いことばかりではありません。
私も何回も変なことを考えたりしましたけれど、生きててよかった!!!
神様の書かれたシナリオを一緒に楽しみましょうね。
感動的なエピローグが待っているかもしれませんよ。