片手でお手玉作りました〜片麻痺の挑戦

昨日のブログで少しだけ報告しましたが、netdedussel様にご依頼をいただいたお手玉が完成しました。

making ofはマスクとほぼ同じなので、割愛してmaking of maskの動画をもう一度貼り付けさせていただきます。

片手で作るにあたって、少し作り方を工夫しています。

バスケットボールのようなパッチワークが理想なのでしょうが、残念ながらこの製法では片手で作ることができません。

手伝ったら本末転倒。

四角い生地のパッチワークで袋を作って、中身を入れて蓋をして、両サイドを括ってしまう製法です。

なるほど、これなら片手で最後まで作れそう。

私が言うのも何なのですが、生地の組み合わせのセンスが素敵でしょ。

私の机が擦りガラスなので、下から光を当てておしゃれに撮ってみました。

赤とピンク

水色と黄色

黒と黄色

水色と赤

黄色の柄違い

1セット(5個)

今日の晩御飯はあいちゃん農園のスティックセニョールとパスタを一緒に茹でで、バジルペーストと和えてパルミジャーノリッジャーノをたっぷりかけたジェノベーゼ風スパゲッティと荻窪で買ってきたパンドカンパーニュ。

我が家は全員、天然酵母のハードパンが大好きです。

よく手作りしますが今日のカンパーニュは手作りではありません。

悪しからず。

今年も残すところ後2日。

明日は息子を連れて実家の大掃除と墓参りに行ってきます。

JAL319便 羽田-福岡線

我が家にボーイング787の小さなプラモデルが飾ってあります。

子供が飛行機に乗るとCAさんが持ってきてくれるアレです。

これも我が家の宝物なのです。

汚れがこびりついていて、メラミンスポンジで擦ればあっさり綺麗になるのですが、それはできません。

文字まで消えてしまうからです。

東京-福岡線常連客

私はというと、月曜日から金曜日までは東京でエンジニアリング系の会社の海外事業のお手伝いをし、週末は息子に任せていたピザの店をサポートする生活をしていました。

月曜の早朝に家を出てバスで福岡空港に向かい、羽田行きに乗ってモノレールとJRを乗り継いで高円寺へ向かいます。

ウイークデイは会社が用意してくれた単身用のアパートで暮らし、金曜日の最終便(20時20分羽田発)で福岡に飛んで最終バスで家に帰る生活でした。

家に着くのは金曜日の24時近く。

翌朝早起きして混み合う土曜日のランチの仕込み、切れ目のないランチタイム、高い確率でランチのお客様が飲み出して長居(ありがたいことです)、店を閉めずに夜の仕込みをしながらお客様のお相手。

夜は夜で飲酒率ほぼ100%の盛り上がりで『お前も飲め!!』状態。

日曜日のランチもほぼ同じ状態ですが、夜は比較的穏やかなので、息子に任せて休息を取り、月曜日は早起きをする生活。

ヨーロッパに住んでいる頃から、会社がANAを使っていた事もあってかなり青い方(青いのはANA,赤いのはJALです)派でした。

アメリカにいるときも、その前に月に日米2往復していたときもANAでした。

スターアライアンスのヘビークライアントだったわけです。

でも、私の事を誘ってくれたこの会社の社長様が盛和塾の塾生だったため、用意されるチケットはJALに決まっていました。

盛和塾をご存知でしょうか?

2019年に解散したこの塾は、京セラ創始者の稲盛和夫氏が若手経営者に経営哲学を伝える目的で設立されました。

2010年1月19日にグループ全体で2兆3221億円の負債額を計上して倒産した日本航空グループを託されて、2012年9月には東京証券取引所に再上場するというスピード再建を成し遂げた中心的な人物です。

言うまでもないと思います。

この会社にお世話になると決めた時から、ANAの上級会員の椅子を捨てて、1からコツコツとJALのマイルを積み上げることになったのです。

2014年正月

アメリカから帰って大分に住み、必死になって家族で生きてきた軌跡は書いてきた通りです。

👇

https://keiken.blog/2020/12/01/看護師の偉大さについて/

https://keiken.blog/2020/12/10/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-2/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-3/

https://keiken.blog/2020/12/14/左手の法則〜家族総出の絆作戦/

家内の実家は大分ですが、私の実家は埼玉にあります。

やっと落ち着いてきたし、2014年の正月に家族全員で埼玉の実家に帰ろうと決めました。

JALにお願いして、福岡空港での車椅子でのハンドリング、羽田に着いてからのハンドリング、帰りも同じ、羽田空港から実家までのタクシーの予約等、万全に準備して久しぶりの家族旅行?を決行したのでした。

足元の広いクラスJ を予約して、行きも帰りも窓側2席ずつ最前列で予約しました。

搭乗時は一番最初に、降機時は一番最後になります。

行きも帰りもCAさんが気を遣ってくださり、とても快適に過ごすことができました。

忘れもしない帰りの便。

1月3日の羽田発福岡行きJAL319便。

福岡に着いて乗客全員が降りた後、担当のCAさんがプレゼントしてくれたもの。

それが乗務員全員のサインを纏ったこのボーイング787でした。

早く回復できるように祈っていると、全員の名前が。

どんな高価な物よりも心に響く贈り物でした。

家内の名前を調べ、フライトの合間に書いてくださったのでしょう。

感極まってお礼の言葉が出ず、お辞儀だけのお礼となってしまいました。

日本航空の皆様のホスピタリティに触れ、大ファンになりました。

今は大変な時だと思います。

頑張って欲しいなんて野暮なことは言いません。

目一杯頑張っていると思います。

神様は見ていらっしゃいます。

会社としては誰の首も切らないと決めているそうです。

再建の時に『整理解雇を経験し、残った全員は意地でも雇用し続けるために給料を安く抑える』と従業員に理解してもらって頑張ってきたのに、ここで解雇などしたら嘘をついた事になると。

アメリカ流の経営が一般的になって、経営が傾くと整理解雇する会社が増えています。

従業員全員を家族として雇用する日本流の経営を守り抜いて欲しいと思います。

日本のホスピタリティ、日本航空のホスピタリティは不滅です。

JAL319便とこのプラモデルは私たち家族の宝物です。

大切にします。

CAの千葉様、機長の秦様、319便のクルーの皆様、本当にありがとう!!

今日の出来事

ベタな題名でごめんなさい。

冬休みの1日目ということで、ゆる〜い時間を過ごしております。

傷んでしまったみかんでジュースを作り、

佐賀吉野ヶ里のあいちゃん農園からイタリア野菜が届き、

年末用に気仙沼からのお取り寄せおまかせ魚盛り合わせが届き、

こちらは三枚おろし希望にチェックを入れてしまったようで、瞬間冷凍できるもの以外は断腸の思いで😄本日の食卓に登ります。

鯖は瞬冷で正月に焼き鯖押し寿司に、ヒラメも瞬冷で正月に握りにしようと思います。

アナゴは煮て握りに、マグロはもちろんですね。

今日はカレイの唐揚げと生牡蠣のポン酢和えで日本酒を飲むことにします。

リラックス!!

トロけそうです。

使い切っていなかった前回のあいちゃん農園野菜でカレーを作り、

皆様のブログを読み漁っております。

netdedussel様にご依頼いただいたお手玉も完成しました。

カレイの唐揚げと生牡蠣

カレイを唐揚げにして自家製ポン酢で食しました。

生牡蠣は小葱と大根おろし、自家製ポン酢です。

家内の好きな手羽先の素揚げと名古屋風来坊風手羽先。

ビールと日本酒をいただきました。

ゆるい1日で内容がなくてごめんなさい。

家内と娘は福山雅治のオンラインライブを観ています。

平和な1日です。

最前線で緊張感の中の皆様、ごめんなさい。

ゆるい1日でリラックスさせていただいております。

明日は気合を入れて大掃除!!!

トイレの神様

歌って、聴いていた頃の記憶が甦りませんか?

私は高校生の頃(遥か昔)からユーミンが好きです。

同級生から、ユーミンブランドパート2というアルバムを借りて、カセットテープにダビングしたのが始まり。

後にレコードかCD全てを手に入れますけど、高校生の時ってお金持ってないですからね。

ダビングなんです。

ラスト曲の『翳りゆく部屋』に衝撃を受けて、ユーミンの世界に吸い込まれていきました。

次に手にしたアルバムは流線型80。

『埠頭を渡る風』にゾッコン。

その頃リリースされたのが『Surf and snow』というアルバムでした。

コンサートツアーの埼玉公演(当時は埼玉でコンサートといえば埼玉会館でした)のチケットを手に入れて行ったのを覚えています。

お客様は9割くらい女性で、後ろの方には空席がありました。

公演自体は当時からド派手で、水がそこら中から噴き出るような演出でした。

大学生になる頃には全てのアルバムを制覇していました。

コンサートは必ず行っていました。

チケットは頑張れば取れた感じでした。

社会人になった頃からチケットは全くと言って良いほど取れなくなってしまいました。

ASATSUに勤めていた友人に分けてもらった事もあったのですが、殆ど諦めていました。

1987年のダイアモンドダストが消えぬまに、に入っていた『Sweet Dreams』『霧雨で見えない』が三菱ミラージュのCMソングに採用されました。

コンサートも三菱自動車プレゼンツだったので、三菱ミラージュを購入してチケットを貰った思い出もあります。

アルバムを聴くと、リリースされた時代の思い出が鮮明に蘇ってきます。

涙が止まらなくなってしまう曲

植村花菜さんの『トイレの神様』を覚えていますか?

2010年日本レコード大賞、優秀作品賞、作詞賞を受賞した曲です。

NHK紅白歌合戦にも出場されています。

2010年1月17日、妻がアメリカのオハイオ州で脳出血によって倒れました。

昏睡状態、重度の麻痺、失語症、巨額の医療費、リハビリ、失意の帰国、無職、4ヶ月の鹿児島大学霧島リハビリテーションセンター入院、子供たちは常に留守番…。

2010年の冬休みに、家族付き合いしていた横浜のご家族が子供達を招待してくれました。

12月25日から31日まで。

福岡空港まで車で送って、子供達2人で飛行機で羽田に。

子供達にとって(私にとっても)激動の1年で、我慢ばかりさせていたので、素敵な息抜きになったと思います。

お友達の家のすぐ近くが、自分たちの家(貸し出していました)ですから、彼らにとっては庭のようなところ。

友達も沢山います。

招待していただいたのは、本当に素敵なはからいでした。

私はというと、4ヶ月の鹿児島大学霧島リハビリテーションセンターでのリハビリで大きな効果が出ず(歩きは早くなりました)、無職でお金の重圧ものしかかっていて精神状態が不安定な時期でした。

👇こちらに書いています。よろしかったら覗いていってください

https://wordpress.com/view/keiken.blog

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努めて明るく振る舞っていましたが、子供たちは感じていたと思います。

つまらない心配をかけていました。

楽しかった横浜での滞在を終えて、12月31日にそのご家族に羽田空港まで送ってもらい、子供達は飛行機に乗って福岡へ。

私と家内は車で福岡空港に迎えに行きます。

雪が降りそうだったので、妻を家に置いて出かけようとしましたが、一緒に行くと言ってききませんでした。

福岡空港に着く頃(17時頃だったと思います)には、福岡にも雪が降り始めました。

空港で子供達の到着を待っている間にも、雪は降り続きました。

飛行機の到着も遅れて、出会えたのは19時近く。

大好きな牧のうどんで『年越しうどん』食べていく計画もやめて、帰路につきました。

通常なら高速を使って70分あれば家につけます。

この日は結局高速道路閉鎖。

雪の積もった下道を、ノーマルタイヤで恐る恐る。

車の中で子供たちの横浜での楽しかった思い出話を聞きながら、紅白を諦めてゆっくり帰ったのでした。

何時間もかけて家に着いて、テレビをつけました。

その時流れてきたのが、紅白歌合戦での『トイレの神様』でした。

この歌に特別な想いがあるというより、その時の気持ちが思い出される。

  子供達に申し訳ない。

  お金がどんどんなくなってしまって生きていけるのか?

  横浜の家のローンはどうしようか?

  妻はこのまま良くならないのだろうか?

  自分がやれる仕事なんかない

  両親に申し訳ない

こんな気持ちがぐるぐると頭の中を回っていました。

こんな形で年を越すなんて、1年前には考えもつかなかった。

今でもこの曲を聞くと、切なくなって涙が止まらなくなります。

だから、せめて私の経験を書いて、同じような気持ちの人を元気付けたいのです。

『なーんだ、大した事ないじゃん』

そう思えるように。

皆様は、聴くと涙が出てしまう曲ってお持ちですか?

ひかりもの2種

昨日はテレワークだったので、インドネシアのお客様から依頼されている見積もりを作りました。

金額が大きいので仕様書だけでも20ページ、図面もそれなりです。

集中すれば一日あればできるのですが、teamsを通じてさまざまな依頼が飛び込んできて中断続出。

それでも、デスクワークの効率はテレワークのおかげで格段に上がっています。

海外のお客様とのZoomやTeamsでの会議も当たり前になってきていて、体は楽になってきています。

楽天の三木谷社長がおっしゃっていましたが、結局のところ移動期間がない代わりに会議がたくさん入って、コロナ前より仕事してると。

あとは温もりやふれあいをICTでどう運ぶかでしょうね。

クリスマスなのに寿司

昨日は魚が充実しているスーパーで大きな鯖と鯵を見つけたので、サクッとおろしてお寿司に。

我が家はいつからかクリスマスを祝う感じがなくなって、ツリーも飾らなくなってしまいました。

年末に豊洲市場.comに沢山魚を注文していて、美味しいお寿司を作ろうと張り切っているので、軽ーく練習試合みたいな感じです。

鯖はおろしたあと、塩〆をしっかりやってから酢で〆るので1時間はかかってしまいます。

鯵は簡単、旬ではないですがそれなりに脂が乗っています。

軽く塩で〆たら、酢水で洗い落とすだけ。

Making ofはお正月にアップしようと思います。

豪華なので。

昨日はサクッと作ってしまいました。

ここまで新鮮だと、赤ワインでも全然臭みが引き出されないです。

酢と赤ワインは相性が良いんです。

日本酒の方が合うけれど、それはそれで楽しめますよ。

なーんて、イヴに飲みきれなかった赤ワインですけどね。

内容が薄いのですが今朝はここまで。

仕事納めに行かなければ。

行ってまいります。

オムライス弁当と手作りケーキ

今日の外出は娘だけ。

昨日ワイン飲んでしまって少し気合が入らないです。

というわけで、よく使う手口。

オムライス弁当。

10分で作ります。

家内と娘が手作りしてくれたカトル・カール・オ・ポムという林檎のケーキもつけます。

手抜きスペシャル!!!!

How to cook

そんな大袈裟では無いのですが、一通り。

冷蔵庫にあった、鳥もも肉、玉ねぎ、茄子をオリーブオイルで炒めます。

茄子?

オリーブオイルで炒めるとトロトロに化けてくれるので入れちゃいます。

たまたま冷蔵庫にあったからね。

当たり前ですが塩胡椒

火が通ったらご飯を投入

しっかり混ぜながら炒めます。

フライ返しが簡単ですが、できなくても根気よく混ぜます。

しっかり炒まったらマヨネーズ少々とケチャップを投入。

ごめんなさい、ジャンクです。

焦がさないように混ぜ炒め。

ここまでで5分くらいです。

器に移し替えます。

フライパンがもう一つあるのであれば放置!!

卵2個、牛乳少々、塩、胡椒

オムレツの場合はよく混ぜ合わせて、油を敷いて熱したフライパンに投入。

すぐにかき混ぜます。そしてかき混ぜ続ける。

箸と箸の間隔がポイント。

この状態がご飯投入のタイミング

ご飯投入。

弁当箱に納めるので入れすぎに注意!!

ふわっと包みます

弁当箱に盛り付けてオムレツの上部を切ります。

トロトロ感演出

あとはいつもの手口。

デミグラス風ソースをかけて、彩り野菜を飾ります。

ケーキを添えて、いってらっしゃい!!

鯛出汁巻き卵と唐揚げ

クリスマスイヴ

我が家にとってはクリスマスは特別な日ではないですが、今日はバランスというより豪華に。

ターキーは日本では高価なので、結局のところ唐揚げになってしまいます。

B級グルメを詰めると、どうしても茶色い弁当になってしまうので苦労します。

無理矢理彩りを足した、アンバランス弁当です。

鯛出汁巻き卵

魚をおろすと沢山中骨が出ます。

身のついた中骨は最高の出汁が出ます。

昨日は真鯛もおろしたので、出汁を取っておきました。

真昆布で取った出汁と合わせて、薄口醤油と海塩、味醂、蜂蜜を混ぜて溶いた卵とそこそこ混ぜ合わせて(しっかり混ぜません)焼いていきます。

魚臭さが出ないように小ネギを入れて少し高めの温度でふっくら焼き上げます。

邪道かもしれませんが、高温で焼くと美しさで見劣りしますが、ふっくら仕上がります。

唐揚げ

我が家の唐揚げは中津唐揚げ仕込み。

醤油、海塩、味醂、酒、にんにく、生姜たっぷり、ごま油、味噌少々でタレを作り、適当な大きさに切った鳥もも肉を最低一晩漬け込みます。

醤油と塩は控えめで大丈夫。

一晩漬け込むことで味はしっかり染み込みます。

本味醂と酒の効果で、肉が柔らかくジューシーに変身してくれます。

我が家の唐揚げは漬け込んだチキンの水分を切って、片栗粉と米粉を混ぜ合わせたものを薄く纏わせます。

こんな感じ👇

肉じゃが

これはおまけ。

昨晩の鍋の出汁が美味しくて、残った出汁を取っておいたので肉じゃがにしました。

茶色の嵐でございます。

無理矢理彩り野菜

はい、無理矢理。

並行作業

今日は大変です。

小鍋で肉じゃが、圧力鍋でご飯、唐揚げを揚げて、コーヒー入れるのまで並行作業でした。

バランス風アンバランス弁当

飲食店の苦悩その2

芳醇な香りの秘密

今ピッツアの味で悩んでいる方にお教えします。

引き算の料理は簡単ではありませんが、掴んでしまえば強みになります。

発酵、熟成した生地は発酵バターのような芳醇な香りを放ち、嘘みたいに軽い。

アメリカンピザを思い出してください。

これはこれで美味しいですが、まったくの別物。

足し算の料理です。

発酵を促すためと、足りない発酵による甘みを補う砂糖。

これは反則技で、小麦粉の一部が発酵して化けるのに、砂糖が発酵している。

足りない味を砂糖やバターで補う。

複雑極まりない味になるわけない。

砂糖の甘味、バターの香り(足してるからね)。

そして重い。

小麦粉、酵母、塩、水のみを使用したナポリピッツアの生地は、複雑な香りと味、そして軽さが特徴です。

400℃の釜に入れた瞬間から生地が弾けてポツポツと焦げができる。

生きている、熟成が進んだ生地の証拠。

秘密は『発酵終了後、1℃で4日間湿度に気をつけながら保存』

息子が冷蔵庫の奥に忘れた生地に、熟成という変化が生まれたのです。

冷蔵庫に忘れた生地

👇

https://keiken.blog/2020/12/22/%e9%a3%b2%e9%a3%9f%e5%ba%97%e3%81%ae%e8%8b%a6%e6%82%a9/

美味しいピッツアは成形しにくい。

ここポイント。

発酵の後に低温熟成させてください。

絶対に足し算の生地では作れない複雑な香りと軽さの生地ができます。

ブラウンスイス

流行っていない店でしたが、頻繁に来ていただいていたご家族がいらっしゃいました。

ワイン好きで、ピッツアは塩とオリーブオイルだけの素焼き。

でも、高価なものばかり頼んでくださる。

ある日その中のお一人がこうおっしゃいました。

『うちのミルクでチーズ作ってよ。ミルクはタダでいくらでもあげるから』

意味がわかりませんでしたが、どうやら牧場を経営されているようでした。

向こうは泥酔😄

こっちは素面。

お帰りになられたあと(深夜1時)片付けを終えて、いただいた名刺の牧場を検索。

年商130億円、日本で3番目の売り上げを誇る牧場。

5500頭の牛。

豊後牛の肥育も手がけている。

???????

眠れなかった。

明るくなったのを待って電話。

『昨日仰ったこと覚えてます?』

そう聞きました。

『あたりまえだよ。遊びに来ないか?』

店のある街にこんなに大きな牧場があるなんて知りませんでした。

日本に400頭しかいない牛『ブラウンスイス種』

リッチなミルクはモッツァレラチーズ、プリン、マスカルポーネチーズ、ジェラートなどに大変身。

素材がどんどんオリジナルに入れ替わり、店の商品も変貌を遂げていきました。

外国人受け入れ

ここまで大きな会社になると、海外との付き合いも半端ではありません。

オーストラリアから牛を買い、アメリカ、スペイン、ベトナムから牧草を買う。

アメリカとベトナムに会社を持ち、人が頻繁に行き来する。

気がつけば、店は外国人の溜まり場状態。

社長さまが

『こんな田舎町に英語を話せる家族がいたとは驚きだ!!』

って言ってから、どんどん送り込んでくれるように。

金に糸目をつけないから店も繁盛。

釣られるように一般のお客様も見える。

いつの間にか、九州全域、山口県から食べに来ていただけるようになりました。

ある日は田舎道に真っ赤なフェラーリが爆音を轟かせて来店。

福岡からのお客様で、次からは泊まりでご来店いただけるように。

『お前のところの料理はワイン抜きではきつい』

経営者のお客様が多かったのも特徴でした。

苦悩その2

店は流行り始めると家にいる時間が短くなります。

妻のリハビリが疎かになってくる。

体もキツくなってくる。

睡眠時間を削るようになっていきました。

続く

いとよりの味噌焼き

昨日は大きなフィルムコーティングのテストがあって、家に着いたのは9時半くらい。

疲れていたのに、頼んでおいた『豊洲市場.com』からお任せ魚詰め合わせが届いていました。

だるかったけれど、いなだ、真鰯、イトヨリなど5種類をさばきました。

真鰯はそのまま刺身ですぐにペロリ。

夜10時過ぎていたのに、3人の胃袋にあっさり治りました。

いなだはボリュームがあるので、正月用に瞬間冷凍。

いとよりはコンパクトだったので味噌漬けにしました。

今日の弁当に納めます。

今日は全員出かけるので3人分の弁当を作りました。

メニューはこちら。

Making ofを撮影する余裕がなかったのでいきなり完成版です。

それでは行ってきます。

飲食店の苦悩その1

万事休す

あと2ヶ月で資金ショートする。

ナポリピッツアの店が軌道に乗らず、そこまで追い詰められていました。

個人事業主ですから、資金ショートの意味するところは明らかです。

『家族をどうやって養おう』

『妻はどうなってしまうのか?』

不安が増幅して、気が狂いそうになります。

コロナ禍にあって、こんな思いの飲食店経営者が無数にいると思うと心が痛みます。

努力の範疇を超えています。

だからこそ、努力できるところまで引っ張ってあげてほしい。

市場が自由でいられない今だけは、政治が頭とお金を使って欲しいと思います。

帰国

アメリカの医療機関に数千万円の支払いをしました。

現金では足りず、売れる限りの有価証券を手放して、最悪家を売るか担保にして借金するしかない。

追い込まれながら、何とか支払うことができました。

借金はしなくて済みましたが、日本に帰って無職で暮らすには心細い金額でした。

帰国後いろいろな手続きに入りました。

妻の保険金支払い請求。

これには驚きました。

日本に住んでれば、健康保険に守られて、医療保険の支払い金額はお釣りがくるほど手厚く支払われます(加入内容によります)

医療費が桁違いのアメリカで支払った金額に対して、手元に入ってきた医療保険の支払額は焼け石に水でした。

アメリカで、気が遠くなる金額の支払いを続けていた時、USD1000(約10万円)の救急車代金が端金に思えた。

あの時の感覚に引き戻されました。

家族の渡米に際して、駐在は長くないと踏んでいたので、合法的に年金支払いを休止していました。

したがって障害年金も全く支給されず。

1種1級障害ですから、頂けない金額は大きい。

当てが一つずつ外れて行きました。

家内が倒れてから、家内の心配とお金の心配が途切れる事なく押し寄せていました。

人生終わったと決めつけていて、妻には笑顔でリハビリをサポートして、一人では死にたくて仕方がない、メンタルが不安定な時期でもありました。

子供達が居なかったら、私はあってはならない事をしでかしていたかもしれません。

出店

経済的に少しずつ首が絞まりながら、毎日が過ぎていきました。

収入ゼロなので所持金が減っていく。

ただでさえ辛い家内に、我慢させる事も辛い。

家庭教師、肉体労働、道路清掃、交通整理等、働く術を探りましたが、田舎町ですからそんなに仕事はありません。

子供達の学校にもお金がかかるし、家内はまだまだ1人でいられる状態ではない。

家内の親父さんが営んでいた居酒屋の古い店舗が遊んでいました。

考えて考えて、フリーズした頭で考えて、店内改装をしてナポリピッツァの店を始めることに。

お世話になっていたイタリアの会社の社長さんが石窯を送ってくれる事になり、いよいよ逃げられない状況に追い込まれました。

営業開始

石窯で焼けばどんなピザでも美味しいだろう。

本当に浅はかでした。

ピザ屋なのにピザに自信がありません。

ランチではイタリアで覚えた手打ちパスタが少し出て、ピッツァは全く。

夜は殆どお客様が来ません。

お酒を飲んでいただきたいのに、田舎町ですから運転して来るしかない。

お客様は来なくても、窯を温めておかなければならず、薪代はかさみます。

仕込んだ生地も捨てる事が多く、どんどん縮小。

この町に石窯を備えたピザ屋はないから、絶対に流行ると思ったけど、ニーズがないから店がないだけ。

店の改装費用でもっと目減りした少ない資金が、時限爆弾のように減っていく。

ピザ屋なのにピザが美味くない。

まずいとは言わないけれど、感動はしない。

ナポリで食べて感動したあのピッツアには程遠い代物でした。

奇跡その1

生地の配合を変えたり、粉を変えたり、酵母を変えたり、考えられることは全て試したと思います。

自分が満足できないのに、お客様が満足する筈がありません。

香ばしくて軽い、足し算では出せない特別な香り。

一気に食べ切ってしまう程の美味しさ。

自家農園で育てているバジル、プーリア州のトマト、こだわりのモッツアレラチーズ、そして自慢(になる筈)の生地。

モッツアレラチーズと生地を極めるため、寝る間も惜しんで研究しました。

しかし、捨てる生地が増えるだけ。

焦りました。

勿体無いから昼も夜もピザ。

ある日、冷蔵庫の奥に忘れられた生地がありました。

息子が忘れたもの。

『こんなの出せないから食うぞ』

そう言って成形に入りました。

元気が無い成形しにくい生地です。

なんとか形にして400℃の窯の中に。

一瞬でわかりました。

元気よく弾けて、一気に良い香りが立ち上ります。

『これだ!!!』

軽くて香ばしい生地。

焼き上がって口に入れた瞬間、出会えないと諦めかけていたナポリで食べたあの味でした。

雑誌掲載(広告ではありません)、テレビ取材をきっかけにお客様が増え始めました。

店の窮地は脱することができました。

それから起こる数々の奇跡を書いていきます。

第一話はこの辺りで。

飲食店の苦悩その2に続きます。

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