人の心を洗う仕事
障害を持った人は、生産性の点から考えると端っこに追いやられる存在かもしれません。
でも、違った見方ができると思うのです。
というか、これが本質だと思います。
周りの人の心を洗う仕事をしているのだと。
体が不自由で歩くのが遅い人の後ろを歩いてイライラする若者。
一部の人は露骨に無理やり追い抜いていきます。
もしその人が交通事故に遭って大きな障害が残ってしまったら。
心も病んでしまったら。
その時やっと気づくのでしょうか?
人は愚かな生き物です。
自分でも嫌になります。
経験しないとわからない事だらけで、いくら言われたって感じない。
でも、困っている人を少しでも助けてあげたいと思ったら、勇気を出して声をかけてみる。
余計なお世話かもしれないけれど、助かるかもしれない。
誰かを助けて喜んでもらったことが、自分の心を少しだけ洗うのです。
洗われた心は、困っている人たちがもっと気になるようになってくる。
障害を持った人たちは、辛い境遇を引き受けてまで人の心を洗う為にこの世に生きているのだと言うこと。
大変な仕事だと思いませんか?
その人達がいてくれるおかげで、私達は自分だけでなく人の苦しみがわかるようになれるのですよ。
少しだけ立ち止まって、少しだけ勇気を出して。
困っている人に声をかけてあげてください。
喜んでくれると思います。
それが彼らの仕事なんです。
あなたの心を洗うために存在してくれているのです。

芸術と同じかな。
辻井伸行さんや野田あすかさんの出す音色って、心に刺さってきますよね。
自然と涙が出る美しい音色。
音で心を洗う仕事をしています。
音や作品で人の心を洗う人もいれば、存在や真心で人の心を洗う人もいる。
賢明さに心を打たれたり、ひたむきさに心を打たれたり、優しさに心を打たれたり、人それぞれ。
パラスポーツ選手だって、画家だって、書家だって、音楽家だって信じられない感動を与えてくれる。
神様がこの世に送り込んでいるのです。
芸術家に形を変えて。
そして、全ての障害を持つ人たちが人の心を洗う芸術家なんです。
妻にはいつも心を洗ってもらっています。

人には皆役割があるんです
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺された事件は忘れることができません。
『生産性のない重度障害者は生きている価値がないから殺してあげる』そんなニュアンスで植松聖(さとし)被告は19人を殺害したのです。
『生産性』それだけ考えれば殺害された19人は価値がないのかもしれません。
ご家族は重い障害を抱えた家族を抱えて大変だったと思います。
でも、生きてくれているだけで幸せを感じることが出来たでしょうし、お世話を通じて学ぶことも心が洗われることも多々あったと思います。
神様はそんな単純な世界を創造していません。
パレートの法則(80:20の法則)でも明らかです。
お金を生み出せる人だけがこの世にいる世界を想像してください。
世の中には利息を取る側と、取られる側があるっていうけれど、全員が取る側になったらどうなる?
2003年の読売巨人軍。
金に物を言わせて清原和博、江藤智、ペタジーニに加えて、かつて他球団で4番を打った5人を集めました。
投手以外は全員4番。
その発想に似ています。
4番以外はチームに不要!!
でも、こんなに凄い選手を集めたドリームチームは優勝できなかったのです。
その時の監督は現監督の原さん。
任期を全う出来ずに堀内監督にバトンタッチとなりました。
ホームランバッターしか不要なら、イチローさえも用無しですわ。
神様の意思に反してるわけです。
忘れないでください。
障害を持ってこの世に生きていてくれる人々の仕事は『私たちの心を洗うこと』

