片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その3

痛み

霧島の病院に入院していた方の中に、痛みを訴えていた方が多くいらっしゃいました。

ジンジンとか、キリキリとか色々な表現をされていました。

妻は痛みが全くなくて。

後でわかるのですが、単純に出血が多くて広範囲に神経がやられてしまったために、痛みを感じなかったのです。

痛みが出なかったのではなく、痛みを感じなかった。

軽度であればリハビリを開始して神経のバイパスが出来上がって、繋ぎ替えが起こります。

その際に繋ぎ間違えが発生して、神経過敏や感度高すぎ現象が起こるのです。その痛みを脳が記憶して、痛み信号に晒せれ続けると信号が来なくなってもリセット出来なくなる。最悪のスパイラル状態。

だから周りの人たちは痛みを訴えていた。

妻は繋ぎかえには程遠い距離と範囲の神経損傷があったため、その時は痛みが出なかっただけでした。

もちろん出血場所によっては痛みが残らないケースも沢山あります。

視床下部というところに出血がかかっていると、厄介な痛みが出やすくなるのです。

なんて偉そうに語っていますが、その時は全然知らなかった。

『ママは痛くなくてよかったね』なんて言ってました。

こんな状態なので、リハビリの効果が出ないんです。

毎日夕方になると自主練習までして頑張ったのですが、右手や指は一向に動く素振りを見せてくれませんでした。

痛みは霧島を退院して、川平先生の前の院長だった田中先生が週1回来てくださる大分県竹田市の大久保病院に通い始めてから1年ほど経ってからのことです。

原因不明の痛みを訴え出して、リハビリ出来ないくらい痛みが強くなって。

痛みは恐ろしい。何も出来なくなるし、何もする気が失せる。リハビリも何もかも。『どんな手段を使っても改善しなければ』そう思う。

この種の痛みは構造上『ロキソニン』『イヴプロフェン』といった周知の鎮痛剤が全く効かないんです。

テグレトール、トラムセット、リリカ、全く効果を示さないまま量が増えて薬漬けに。

リリカ(イメージ画像)

副作用は半端なくやってきて、目眩なんか半端なくて突然倒れ込む。目眩でですよ。

ある日、薬をやめることを決意。

効かないんだから副作用がなくなるだけ良いよ、って考えました。

リリカ400mgを相当長い期間服用してきたところから、一気に抜こうとしたわけで(先生に言えなくて〜絶対に真似しないでください。自己流は危険です)、テレビドラマで覚醒剤を抜く時みたいな幻覚は見るは、突然泣き出すわ、死にたくなったり。

常に誰かが近くにいる状態を切らさないようにしていました。

痛みの度合いを測定する画期的な測定器は存在しません。

だから無知な医師達に、痛みを抱える患者は傷つけられるのです。

流れ流れて、東京医大の有名な漢方医にかかった時のこと。

とりあえず痛みの強さを測定しようということで、擬似的痛み測定みたいなことをやったのです。

片手に電気を流して、電流を上げていきます。今の自分の痛みと同じくらいの辛さになったらボタンを押すといった簡易的なもの。

でも、痛みの強さを数字にしていただいたのは有難いことでした。

『我慢できない歯痛が、左半身全てにあって、24時間常にある状態』だそうです。

『男だったら我慢できない痛みの強さ』と表現されていました。

平成天皇の心臓バイパス手術を成功させた順天堂大学の天野篤教授が2014年に上梓された『熱く生きる』の最後に書かれていた一説が私の心を打ちました。

臨床医が最優先でやらなければいけないことは『患者の痛みを取除いてあげることだ』と。

不治の病かもしれないし、現代医学では対処できない難病かもしれない。でも、痛みをとってあげる最善の努力はできる。それが最優先だ。みたいな事だったと。

今、私の手元にこの本がないので少しニュアンスが違うかもしれませんが、内容は間違っていないと思います。

それ程痛みはQOLを低下させるのです。

片手で創作するということ

書きたいことが多すぎて、文章がどんどん出てきてしまうので、まだまだ続きます。

でも、長きにわたって痛みのために何もできない、何もしたくない状態が続いたため、自分の存在価値さえ見いだせないどん底の生活が続きました。

痛みの強さは今も同じですが、色々な面から希望が持てるようになってきて、何か大好きなこと、喜んでもらえることをしたい。

そう思えるようになったのです。

どんな物でも、誰かに喜んでもらえると自分の存在価値を見出せるのです。

痛みは常にありますが、好きな事に熱中している時間は忘れられる。

片手でも、痛くても、効率が悪くても作り続ける理由は、自己肯定そのものなのです。

自己肯定なんて一言で片付けたくないです。

片手しか使えないからこそ作り出せる何かを見つける旅でもあるのです。

『片手で創作するということ〜目覚めてからの試練』はもう少し続けさせてください。

痛みで心が潰れている頃、妻の誕生日に大好きなジャンポールチェボーさんにお願いしてサプライズケーキを作っていただきました。

六本木のジャンポールさんのスタジオ(今は下総中山)から大分の当時の住まいまで運びました。

驚きで顔がぐちゃぐちゃでした。

片手で創作するということ〜目覚めてからの試練その2

鹿児島大学霧島リハビリテーションセンター

大学病院は紹介状がないと原則受け入れてくれません。

風邪をひいても大学病院にかかられてしまっては、本当に大学病院を必要としている人に医療が行き渡らないからです。

アメリカの病院から日本の大学病院に紹介状を書いてもらうことはできません。

なので、最初は難色を示されました。

今迄の症状、治療内容、各種画像をもらって、それを持参する約束をして何とか外来での診察が許されました。

ただし、川平先生の診察を受けるに値するのかを判断する診察。

大分県の妻の実家近くに借りた古民家に子供達を置いて、車椅子を積んで霧島に向かいました。

朝早い診療だったので、霧島温泉に1泊。

この病気になってから高血圧になってしまって、薬を飲んでも150を超えることが多くて心配していましたが、一時的でも温泉に入ると血圧が120くらいに下がる。

本当に久しぶりに見た安心の数字でした。

豪華な食事が出されましたが、何を食べたのかはあまり覚えていません。

『何とか受け入れてほしい』そればかり考えていましたから。

霧島リハビリテーションセンター(2018年、本院に機能移転)

退院してみれば4ヶ月も入院させていただいていました。山を降りた鹿児島空港近くのマンスリーアパートを借りて通って、毎日朝から晩まで付き添いました。

作業療法、理学療法、言語聴覚士による言葉のリハビリ、視野欠損のリハビリ、磁気刺激治療法、装具審、自主トレーニング等々。

日本全国から作業療法士や理学療法士が学びにやってくる病院でした。

毎夕行われていた川平教授による講習会。休みの日にも病院に出てきて指導にあたられている。熱い先生なのです。高校時代ラグビーで花園に出たそうです。

私は子供達のいる大分県と行ったり来たりしながら、必死にやってました。無収入の不安に押しつぶされそうになりながらでした。

『なんとかなるさ』

まずは家内の事だけを考えるようにしていました。

頭フリーズによる失敗

ひとつ申し訳なかったエピソード。(まだアメリカにいる時の話)

時間が大きく遡ってしまいますが、家内のことばかり考えていてやっちまった失敗の話です。

倒れたのが1月17日で、リハビリ病院を退院したのが3月でした。その後自宅に戻ってPTの先生が来てくれてリハビリ。

私はというと、大きく穴を開けた仕事の繕いをしながら、日本でのリハビリや住まい探し、100枚以上あった請求書の処理。

救急車1,000ドル(約10万円)とか。装具代3,000ドル、最初にかかった病院(転院前の入院なし)代3,500ドルとか、

まあ、入院していた病院の詳細合計(値引き前450,000ドル)を見てしまっていたので麻痺状態でしたけど。

何はともあれ客観的にものを考えるなんぞは不可能状態。

子供達も傷つき苦しんでいたことは分かっていたけれど何もできずでした。

忘れもしない4月21日。

例によって支払いやら、薬の調達やら、室内リハビリやらで頭がいっぱいの夜に娘が急に泣き出しました。

堪えきれずに泣き出した感じ。

聞いてみると娘の誕生日。

すっかり忘れていて、娘も理解していたようなのですが悲しくなってしまったようで。

辛かったのは家族全員なのに、父親失格!!

急いで娘を連れて近くのモールに行き、ほしい服を沢山買ったのでした。

何かの縁でしょうか?

霧島リハビリテーションセンターに関しては、3つ不思議な事がありました。

偶然ではないと思いますが。

ひとつ目は、家内の従兄弟はすごく腕の良い美容師で、六本木でバリバリやっていた人なのですが、鹿児島の女性と結婚が決まって、その方の実家で暮らしていると聞いていました。

なんと、私が借りていたマンスリーアパートの目と鼻の先。

鹿児島って広いのに、こんなに近くだったなんて。

空港近くのホテルで結婚式が執り行われた時、病院の許可をもらって外出して祝福に駆けつけました。

六本木でバリバリの美容師でしたから、この町では有名だったようで、病院の看護師の方や、言語聴覚士の先生と奥様も常連様でした。

家内の髪を切りに病院まで来てくれて。

こんな近くに引き寄せられてきたんだと、驚きました。

ふたつ目は、脳卒中後疼痛(この話も沢山あるので書く予定です)に悩まされて、ドクターショッピングや、漢方医、怪しい宗教や、次からつぎへとやってくるMLMの紹介、整体、痛みを中和する電極挿入、YNSA(頭に打つ鍼)、気功etc。

少しでも良くなる方法を求めて探しまくっていたのですが、YNSAと気功は相性が良くて長く通っています。

YNSAに関してはそれ専用に書きたいと思っています。

気功の先生は目が見えません。

ある方の紹介を受けて通っていました。

目が見えなくなってから自分の力に気づいたそうなのですが、行く宛もなく日本中を彷徨って、何気なくたどり着いて気功の技を取得した場所が霧島だとおっしゃるのです。

その場所を調べてみると、霧島リハビリテーションセンターのすぐそば。

私が病院からアパートに帰る途中に買い物をしていた小さな雑貨屋さん(一応スーパーと書いてあった)の裏。

何じゃそれ?って感じでした。

引き寄せられてるでしょ。

3つ目はつい1年前のこと。

時は流れあれから10年近く経ってしまって。

私が通っていたジムにパワープレートが導入されました。

何が良いんだかいまいち分からない。ただのバイブレーションマシン?

ある日、時間ができたのでジムに行くと、『2時間後にパワープレートの担当者がプレゼンにきますよ』って教えてくれて、何気に家内に良いのではと思った私は『会員ではないですが、家内に聞かせたい』というと、快くOKしてくれました。

担当の方は一生懸命パワープレートの良さをアピールしてくれて、沢山の医療関係者の推薦もあるのですと。家内に沢山体験させてくれて。

下記はアフェリエイトではありません。効果を実感したから載せています。

先生ごとにパンフが作られていて、何とその中に川平先生がいらっしゃいました。

渋谷で川平先端リハラボというパーソナルリハビリみたいなことをされていました。

早速予約をして、川平先生にお会いしてきました。ギリギリコロナ前の出来事です。

今我が家にパワープレートがあります。

ピンポイントで目の前に現るんです。

色々な偶然が。

偶然ではないと思ってますが。

まだまだ創作に行きつかないですが、今日のところはこの辺でおしまいにいたします。その3に続きます。

昨日と同じ動画をアップさせていただきます。

【その場凌ぎ】と【とどめを刺す】の決定的な違い

どんなことにも当てはまる。

法則でもなんでもない当たり前。

恒久策と応急策の違い。

なのに若い頃はこれがわからないんですよ。

少なくとも私は出来なくて苦しみました。

何か問題が起こると「十分に気をつけるよう徹底いたしました」っていうあれ。

気をつけていなかったから起こったのではないのです。

問題の素を事前に潰さなかったから大問題になってしまっただけで、現場が気をつけてもまた起こるんです。

当たり前です。問題の真の原因がそこに居続ける限り、また起こります。

人生でも、仕事でも、人間関係でも、病院でも、勉強でも、家事でも、何でもかんでも同じです。多分。

苦い経験

生産機械設計とか生産技術の仕事をそれなりに(いまいちだったかな)やっていました。

ある時その会社がヨーロッパに工場を作ることになりました。

今では1兆円企業です。

ドイツに小規模なカセットテープの後工程(組立、包装、出荷)はあったのですが、ルクセンブルグに完全な生産工場を作ることになったのです。

カセットテープと、VHSビデオテープの工場でした。

プロジェクトに入って、結果的に結婚して赴任しました。

700名以上が働く大きな工場を一気に作りました。

聞こえはとてもいいけれど、日本からやってくるメンバー以外は全て未経験者ってことですよ。それは大変な日常でした。

月400万巻くらいのVHSを生産できる工場でしたが、なかなか安定生産にはなれませんでした。

チェーンの緩みとかネジの緩みとか、ベテランになったら当たり前のこともわからず、発生する問題をとりあえず治して生産する毎日でした。

来る日もくる日も同じような問題でトラブル発生。

ネジが緩んで問題が発生するなら、緩まないようにすればいいんです。

振動があるならそれをなくして、万が一緩む環境になっても緩まないようにすればいい。

ネジロックで固定したり、回り止めのピンを打ったり。

ユニットが振動で動いてしまうのなら、振動を抑制してから動かないようにテーパピンを2箇所打つ。

動かなくなるし、メンテナンスなんかで外してもあっという間に元の位置に戻せる。

当たり前のこと。でも知らなかったし、ゆっくり考えることもできなかった。

恥ずかしい過去です。

乗り越えた先

安定して生産できるようになったら、次は増産です。

1.2秒に1個出来上がる組み立てラインを、0.9秒に1個組み立て上がるラインに改造する。

最大加速度を0.5g以下に抑えながら工夫して安定化させる。

F=maだから、軽量化と加速度を下げてやれば負荷が減る。その理論を応用して改造する。

楽しかった。苦しんで学んで良かった、そう思いました。

最後は月540万巻まで生産できるまでになって、作り続けました。

その後はMDプロジェクト。

こんな私に任せていただいた。嬉しくて。

全ての生産機械をヨーロッパで調達することになって、忙しく楽しく働いて。

そのころは「その場凌ぎするなよ!!」なんて偉そうに言ってました。

右のMDはヨーロッパ限定モデル。

左は、日本に帰るときにチームのみんなが作ってくれたオリジナルMD。

自分たちで作ったスクリーン印刷機で家内と私の姿を印刷してくれた宝物。

振り返るとびっくり。カセットテープもVHSもMDも無くなっている。

でも、【その場凌ぎ】を絶対にしないで【とどめを刺す】ことの大切さを学んだ。

私のもう一つの宝。

ゾッとした

当時のヨーロッパ社の社長、日本での肩書きは部長だったSさん。

ヨーロッパの成功を受けてトントン拍子で出世して、親会社の社長に。

日経新聞に大きく取り上げられた時の記事。

「毎日工場を視察するけれど生産できていない。運ぶ荷物がないトラックの数をみてゾッとした」って書いていた。

ごめんなさい。私の仕業です。

相手の顔が見える作業

なんだかわかりにくい題目でごめんなさい。

仕事、家事も含めて何かを生み出すこと。

お金だけではなくて、満足とか、生活の質とか、感謝とか、やる気だったり。

私は個人でやっているレストランがいいなと思っているのですが、その理由は作り手と食べ手がお互いに顔を見ることができるから。

大学生の時デニーズでアルバイトをしていました。キッチンで。

ハンバーグを焼いたり盛りつけたり、オムレツを作ったり、フライドポテトを揚げたり。今はなき志木店(埼玉県)でしたが、チームの雰囲気が良くて楽しくて仕方がなかったのを覚えています。

でも、お客様の顔を見たことがありません。満足している顔、不満足の顔、クレームを受けるのもMD(ミスデニーズ=ウエイトレス)の仕事です。

キッチンは報告を受けることがあっても、お客様に直接会うことがありません。

システムができていて素晴らしい環境です。味もバッチリです。

でも顔が見えないんです。

家事

家事って、お客様の顔を見ることができるホテルみたいなものです。

綺麗に清掃された風呂に浸かって喜ぶ家族を見て満足できる。

美味しいと喜んでくれる顔を見て、「次は何を作ろうかな?」って思う。

パリッとアイロンで仕上げたワイシャツで出かけるご主人を見送って満足する。

綺麗にベッドメイクされた寝床で安らぐご家族を見て幸せに浸る。

美味しいって言ってくれる事のために、とびきり美味しいコーヒーを淹れる。

風呂上がりの満足のために、ふわふわのタオルを用意する。

ワインを美味しく飲んでもらうために、美味しいおつまみを用意する。

トイレも綺麗に、食器も綺麗に、部屋の香りも、洗濯物の匂いも全て喜ぶ顔を見たいから。

違いますか?

顔が見えるということ

私の話で恐縮ですが、料理するときは家族の喜ぶ顔を想像しながら作ります。

いい顔をして食べてくれると、それだけで幸せな気持ちになります。

家内が病に倒れて九州(家内の実家の近く)で無職リハビリサポーターを経て、ナポリピッツアの店をやっていた時の話です。

4日間も生地を熟成させて作るピッツアは成形がとてもしにくいのですが、400℃の石窯の中で弾けるように膨らみ、何とも言えない芳醇な香りを放ちます。

オーバーナイト法と言われている方法で一晩寝かせるのが一般的ですが、息子が冷蔵庫の奥に生地を忘れていたのがきっかけで掴んだ4日間低温熟成生地。

外側はサクッと、中はモッチモチと表現されるナポリピッツアですが、生地が放つ香りはあまり話題になりません。

4日間超低温熟成させた生地は、小麦粉、塩、酵母、水だけが原料とはとても思えない芳香。引き算料理の最たるもの。

でも、田舎町のこじんまりとした店でしたから、最初は期待しないで来店するお客様がほとんど。

石窯の前で、明らかに期待していないであろうお客様の顔をそーっと覗きます。

美味しい顔とかではなく驚きの顔!!!!

ガッツポーズです。

顔が見えること。

やりがい、幸せ。

そして感謝

一人で来店して、店に足りないところをさりげなく指摘していただいていたお客様がいらっしゃました。

本当に店のことを考えて言ってくださっているのがわかって、言われたことはすぐに実行していました。

ピッツアの味だけは指摘されたことがありませんでした。

お互いに顔が見えている、とてもいい関係でした。

ある時、タクシーに乗って来店されてタクシーの運転手さんにもピッツアを振る舞われていました。

「ちょっと体壊してね。病院抜け出して食べにきたよ」

病院からは約20キロメートル。わざわざ食べにきてくれました。

そのうち忙しさに紛れて、そのお客様がいらっしゃらなくなった事を気にしなくなっていました。

ある日、女性3人組のお客様が来店されました。

見るからに3世代。

3名ともマルゲリータをご注文になったので、3種類を別々に頼まれてシェアされたらどうか?とお勧めしました。

最年長のお母様が「主人がここのマルゲリータが大好物だったので」と仰いました。

癌で亡くなられていました。

悲しみとともに、感謝の気持ちが湧いて来ました。

いろいろと考えてくださっていたし、味には満足していただいていた。

本当にありがたかった。顔が見えていて良かったと。

お供えいただきたいとマルゲリータをお持ち帰りいただきました。

はい、感謝です!!

主婦の偉大さについて〜イメージと現実

ルーティーン

朝早く起きて、自分だけの時間を作ります。

暖房を入れて、湯沸かし器をセットして、洗濯機を回して、PCの電源を入れます。

家内と娘と自分の分の弁当の仕込み、特に付け合わせの野菜をレンチンして手作りかんたん酢とブラックペッパーをかけて冷蔵庫に。

お湯が沸いたらゆっくりとコーヒーを淹れます。これは自分の分です。

1時間半ほど自分のやりたいことをして、とっくに終わっている洗濯物を干します。

弁当のメインディッシュ(例えば味噌漬けにしておいたチキン)をロースターに放り込んで焦がさないようにゆっくり焼きます。

寝る前に作っておいた出汁巻き卵、付け合わせの野菜たち、焼き上がったメインを切って3つの弁当箱に詰めていきます。

彩を意識して美しく。下の画像はすでにアップ済みのものです。あしからず。

掃除は家内が頑張ってやってくれますが、幸いバリアフリーの住まいなので毎朝10時からルンバくんが綺麗にしてくれています。

昼は仕事に出ていますし、娘は大学院、家内は迎えの車に乗って福祉会館に出かけています。

福祉会館から帰った家内が洗濯物を取り込んで、アイロンもかけてくれます。

これが本当に助かります。

会社帰りに買い物をしながら今晩のおかずを組み立てます。

佐賀吉野ヶ里のあいちゃん農園さんから送っていただいている有機野菜があるので、足りないものを補完する感じ。

風呂の掃除は家内が頑張ってくれます。半身麻痺ですよ。嫁、凄いんです。

娘は何もしないの?朝6時半に家を出て2時間半かけて大学に。帰ってくるのは早くて20時半なのです。母親の病気に影響されて「神経再生」を研究してます。そっちに集中してほしいのです。週末はしっかり手伝ってくれますが、今は土日も学校に行ってます。コロナでテレワークが重なって出来なかった実験が多数!!大変そうです。

社会人になる前に通学で鬱になりそう。

娘が20時過ぎくらいに帰れる日はできるだけ3人でご飯を食べます。息子が一緒に住んでいたときは4人で食べていたから3人でも寂しいです。

食器の片付けは娘がやってくれて、家内のマッサージも娘がやってくれます。

私は甘えて、少し自分の作業をします。

主婦業

主婦業は多彩です。

  • 弁当作り            30分
  • 朝ごはん作り          15分
  • 洗濯物干し           15分
  • 掃除              30分   
  • 風呂洗い            15分
  • 食器洗い            15分
  • 洗濯物取り込み         15分
  • 洗濯物たたみ          15分   
  • 洗濯物収納           10分
  • アイロン掛け           20分   
  • 裁縫等             15分
  • 晩御飯作り           30分
  • 買い物             30分
  • お金の管理           15分

        ここまでで   4時間30分  

  • 子供がいるのであれば学校関係  60分
  • 送り迎え等           60分
  • 働いているなら通勤・仕事    沢山

どうでしょうか?

弁当作り、ご飯作りはプロのコックさんと同じ仕事。

洗濯物関係はクリーニング屋さんと同じ仕事。

その他だって家事。家事代行の金額、高いですよ。

一番言いたいのは「家事ってマイスターの仕事」だってことです。

慣れないお父さんが高いレベルでできる仕事ではありません。プロの仕事なんです。

私が考えつく仕事だけでも5時間近く。

仕事しているお母さんや、子育て中のお母さんなら、完全にオーバーフローを起こしている。

最大の問題は「お父さんは、主婦業は簡単だと思っていること」

今からでも遅くありません。まずは感謝しましょう。

Officeもろくに使いこなせないおじさんが、クリエイターの仕事を低く見ているのと似ているかな。自分のしていることが一番大変だと思う間違いですよ。

家事ってお父さんには出来ない仕事ばかりですよ。

信じられないならやってみてください。

部下に言っているように

「詰めが甘い!!」って言われること間違いなしです。

餅は餅屋。リスペクト!!!

家内が片手で作ってくれたカメラケース

ほんと、宝物です。

ひとりで片手で一生懸命に。

嬉しくて投稿します。

脳出血で倒れて10年が経ちました。

頑張っているのだけれど右手が動きません。

それでもめげずにこんながま口を作れるようになったと思ったら、それだけでは満足できず革細工に挑戦です。

それだけでした。

愛情風手抜き20分弁当

昨日はキツくて何も準備しないで寝てしまった。今朝は早く出かけないといけないし、家内たちの弁当もきちんと作りたいし。

ということで、時短弁当。

生姜焼き風和風ハンバーグ。

これを20分で作ります。

電子レンジを多用します。色合いの秘密はミネラルたっぷりの塩とオリーブオイル。

まず付け合わせにする野菜を適当に切って丼に入れます。

ミネラル塩(我が家はシチリア島の海塩を使っています)とオリーブオイルを少々かけてラップ。600ワットで5分レンジにかけます。

レンジが上がったらブラックペッパー少々と酢、はちみつで軽く味付け。今の野菜は味が濃いからなくても十分美味しい。

玉ねぎのみじん切りとごぼうの削ぎ切り適量にミネラル塩を少しかけて600ワット2分でレンジに。

豚挽肉(たまたまあったから)と片栗粉少々、卵、塩胡椒、レンチンしたごぼうと玉ねぎを入れてしっかり混ぜ合わせます。

ここまでで約10分です。

生姜焼きのタレは、玉葱をすりおろしたもの、生姜をすりおろしたもの、味醂、醤油、晩ごはんならニンニクをすりおろしたものを混ぜ合わせます。分量は感覚なので、時間がある時計っておきます。

よくかき混ぜたハンバーグの種を成形してフライパンで焼きます。片面は中火でふたをして4分、裏返して蓋を取って3分、ソースを入れて強火で1分で出来上がりです。

あとは盛り付けるだけ。レンチン野菜にブマチトマトを加えて色合いを整えて、出来上がり。

何故冷凍食品を使わないかって?

原材料を見てください。それと化学調味料、塩(塩化ナトリウム)も良くない。

ミネラルたっぷりの塩を食べつけると、塩化ナトリウムは舌に刺さる感じです。家内の疼痛に良いと思って始めた自然に近い食材使用でしたが、今では舌が正直に感じ取ってしまうようになりました。

我が家は1:1で玄米と白米を混ぜて、圧力鍋で炊いています。流石に玄米は水に1時間は漬け置きしないと美味しくないけれど、炊くのはたった8分なので圧力鍋は手放せません。

圧力鍋で炊いたご飯を食べ出すと、電気釜には戻れないです。甘くふっくら炊きあがりますよ。お試しください。

看護師の偉大さについて

記憶を辿る

書こうと決めて自分の経験を紐解いていくと、辛かった記憶に対して無意識に蓋をしていた事が手に取るようにわかります。

記憶を呼び出すためにMindNoteというアプリを使って、断片的な情報を整理していきます。

蓋を開けてしまうと、その当時の生々しい記憶が蘇って、その場に戻ったように当時の思考に感情移入してしまいます。

10年前の1月に家内がアメリカの田舎町で脳出血を発症したのですが、発症時の記憶ではなくICUでの記憶を辿ります。

病院で診断された時の話や、桁違いの医療費請求、子供達と寄り添いながら祈った事、家内に任せっきりで何もわからなかったこと、義父、義母の緊急渡米に際してのパスポート緊急発行、私の母に手伝いに来てもらったこと、心優しいアメリカ人の家内の友達の話など、溢れるように思い出されます。

今日はICUでの出来事(の一部)です。

ICUには2週間入っていたので、この話題だけでも何本も書けてしまうほどのエピソードがあります。

家内を救ってくれた看護師のお話をさせてください。

昏睡状態

近くの病院では手に負えなくて、トレドという街の大きな病院に到着したときには、既に家内の意識はありませんでした。

お金を持っているのか聞かれたのは覚えています。無いって言ったら放り出されそうで怖くて、yesって答えました。

かなり危ない状態で、意識は無くなったままの状態がしばらく続くか、最悪の事も覚悟が必要だと言われました。

220くらいに上がった血圧をコントロールする措置が取られ、説明された理由は理解できませんでした(語学力の問題で説明の内容ではありません)が手術はできないと言われました。

脳出血にかかった身内や知り合いがいなかったこともあって、知識が全くなくて困りました。

スマホの時代ではなかったので、情報も取れずでした。

今思うと、目の前で愛する家族が生死を彷徨っている時に、冷静に病気について調べる精神状態ではなかったのは確かです。スマホを持っていても調査出来なかったと思います。

既に通算12年以上と海外生活は長かったのですが、この時ほど海外に住んでいることを後悔したことはありませんでした。

海外移住の話なんかが話題になりますが、いつかネガティブなことも知らせたいと思っています。良い話ばかり聞いて実行して後悔するのはよくないと思うから。

話を戻します。

昏睡状態は4日間続き、5日目の朝の出来事でした。

1日に1回だけ顔を出す担当のお医者さんが病状説明の中で『簡易人工呼吸器だと口から感染リスクが高まってしまうし、まだ暫く今の状態は続くので今日中に喉に穴を開けてきちんとした人工呼吸器を装着すべきだ』と。

頼み込んでICUに居させてもらって、できる限り長い時間家内に付き添っていたので、素人ながら快方に向かっていることを感じていました。もちろん昏睡状態のままでしたが。

その日は金曜日だったので、週末に急変でもされたら厄介だから急いだのかもしれません(私の主観です)。

『週末に何かあっても文句言いません。だから喉に穴を開けるのは月曜まで待ってください』そう言いました。

喉に穴を開けて助かった人が、後々塞がるまで辛い思いをすることは知っていました。自分にとって大きな賭けでしたが、1日に1回しか生身の家内を見ていない先生より、ずっと近くにいる自分の方が正しいとも感じていました。具体的には何のアイデアも無かったのですが…。

医師はこう言いました。

『わかりました。でも2、3日でよくなる事はないよ』

看護師の英断

担当の看護師がその日の夕方にやってきて、『今日から呼吸器を外すトライアルをするわよ。先生の許可は取ったから大丈夫!!』

私と医師の会話を聞いて、応援しようと思ってくれたそうです。看護師は医師と違って、患者密着なので、私と同じ感覚を持っていたそうです。

まずは鼻に通された管をゆっくりと抜く作業をします。

別の看護師がモニターを注意深く確認します。アメリカでは、看護師に与えられた権限が大きいので、常に判断をしていきます。頼り甲斐があります。

管を抜き終わる寸前に、大量の鼻血が湧き出るように流れ落ちました。驚くほど大量で、とんでもない事になりそうな不安な気持ちでした。

ところが、家内が苦しそうに目を開けたのです。

昏睡状態から抜け出したのです。

脳内に大量に溜まった血が行き場を求めていたところ、鼻の粘膜が切れて流れ出たようでした。

家内の意識は朦朧としていましたが、間違いなく意識が戻ったのです。

その後、沢山の辛い現実に遭遇していきますが、今日のテーマは看護師の偉大さ。

常に患者と家族の近くで力強く見守ってくれているのは看護師です。家内は看護師の英断に救われました。

医療従事者の方々ありがとう

コロナ禍で医療従事者の方々は戦っておられます。医師が脚光を浴びますし、それは正しい姿なのだと思います。

でも、看護師ももっと注目されるべきだと思います。

知りもしないで要らん事は言えませんが、アメリカでは看護師に権限が沢山与えられている代わりに、給料も高いです。

学卒でなければ看護師にはなれないし、ステイタスもある仕事です。

家内が入院していた時に感じたのですが、看護師には残業がありません。手厚いシフトが組まれて、与えられた時間に精一杯仕事をして次のシフトに渡す。

ミスが許されない仕事だから、疲れを繰り越さない。

判断が要求される仕事だから、疲れを繰り越さない。

コロナ禍では違うかもしれません。間違っていたらごめんなさい。

家内の近くで眠らない私に『先は長いわよ。眠らないと頑張れないよ』と言ってサンドイッチを差し入れてくれた看護師の優しい笑顔を忘れません。

先生、セラピストのみなさま、そして看護師の皆様。本当にありがとう。感謝しています。

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