『パパが先に死んじゃったら私どうしたらいいのかな?』〜妻の重い一言

妻は私のことをパパと呼びます。

一緒に散歩しているときに、妻がポロッと一言。

私の不安(悩み)のなかで、一番答えが出にくい課題をズバリ。

何気に私の不安感が露呈するのが怖くて、話し合いができなかったポイントです。

脳はしっかりしていて、言葉が完全でないこと、右半身が麻痺していること、そして痛みです。

考えますよ、それは。

妻は私の心の中を覗いたのかもしれません。

心配で仕方がない

久坂部 羊さんの『老乱』をお読みになりましたか?

あまり詳しく書くと読むのが怖くなってしまうかもしれないので、本当に触りだけ。

認知症を患う父、幸造と、近くに住んで介護する息子夫婦の物語です。

作者の久坂部羊さんは、在宅医療を経験してきた医師でもあるので、とても生々しく描かれています。

健常者には考えられないトラブルの数々、例えば火の不始末や徘徊、入居した介護施設で発生する事件、そして金銭的な事。

また、家族の立場からだけではなく、本人の心の動きを日記という形で紹介していて、不安な気持ちが伝わってくるのです。

私の両親は健在で、父が90歳、母が88歳になり、身体的には衰えが目立つようになっていますが、頭は比較的しっかりしています。

ですから幸造さんとは違うのですが、色々と考えさせられるリアルなストーリーを紹介したくなったのです。

在宅介護のサービスも受けながら、毎週末になると片道75分かけて実家に出向き身の回りの世話をさせてもらっています。

私の妹も時間が許す限り、駆けつけてくれています。

両親が認知症でなくて胸を撫で下ろす一方、妻は認知症であれば身も心も楽になれるのかも?などと考えたりします。

決して認知症を持つご家族の大変さを理解していないのではなくて、肉体的にも精神的にも受け止めなければいけない妻が楽になる方法はないか?を模索した際の、一瞬の迷いからの思いなのです。ごめんなさい。

意識がしっかりしているからこそ、できる限りの愛情を注げるし、返してくれるわけですから、そんな事を望むはずもないのですが、妻の辛そうな姿を見ると、一瞬ほろっと考えたりすることがあるのです。

老乱にこんな場面が出てきます。

新聞とかテレビはええかっこ言うてるだけよ。寝たきりやったらこける心配もないし、こっちのペースで介護できるから、ええことずくめよ。介護の世界には、『寝たきり天国』ていう言葉もあるんよ。地獄を見た者にしか天国は見えへんよね。

引用 老乱 (久坂部 羊

介護する側からすると、寝たきりにしておけば事故も起こらないし、四六時中付き添っていなくていいから楽だよって言っている。

綺麗事を言えば、筋肉の衰えを遅らせるために歩かせて、少しでも運動させれば良いのだけれど、転んでしまうし何するか分からないから気が抜けない。

だから寝たきりになっってくれという鬼の叫び。

介護される側も人間だってわかっているのに、こんな発想になってしまうくらい追い込まれるという事実。

我が家の場合、通常であれば妻が働いている私に代わって実家を訪れて、私の両親の面倒を見るのが一般的(実の娘の方が気持ち的には楽ですが)なのですが、妻も要介護者。

仕事に出る時は妻のことが心配、実家に帰って両親の世話をしているときも残してきた妻の心配をするのです。

両親だって、私の家族の事情を熟知しているから遠慮がちになってしまうのです。

介護の不安がある人もない人も、知識を広げる目的でも良いので、読んでみてください。

転ばぬ先の杖としても大切なテーマだと思います。

老乱👇

障害を持つ家族を隠す文化

NHKのハートネットをご存知でしょうか?

「親は障害のある兄にかかりきりで、孤独だった。兄なんかいなくなってしまえ、と考えてしまい、そのたびに罪の意識にさいなまれる」「結婚して何年も経ってから、夫は発達障害だと分かり、戸惑っている」「統合失調症の母のことを、誰にも知られたくない…」など、ハートネットTVには、障害のある当事者だけでなく、その家族からも様々な「声」が寄せられています。

障害者本人の陰に隠れ、こうした家族の抱える問題が取り上げられることはほとんどありませんでした。そのため、社会の理解は進んでいるとはいえません。障害者本人だけではなく、家族も孤立しないような状況を作っていくには、どういった支援が必要なのかを考えるため、家族の誰かに障害がある人たちが抱える悩みや思いをお寄せいただきました。

ハートネット

NHKのサイトに飛びます👇

障害を持つ本人だけでなく家族が馬鹿にされたり、いじめにあったり。

保身のために障害を持つ家族を庇うことができずに深く傷ついたり。

たくさんの経験談が寄せられていて、

『頑張らなければ!!』

という勇気をもらいます。

反面、一番近いところにいる誰かが立ち上がって行動しない限り、愚痴こぼしや経験を伝えるだけの場と化してしまう危機を感じます。

大多数の健常者から見れば、対岸の火事であることは仕方のない事実なのです。

妻がアメリカで倒れて、妻に実家のある大分県に帰ったことは書きました。

4ヶ月後に鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターを退院して、通所リハビリになりました。

毎日妻と二人で2キロメートルの距離を歩きました。

田舎なのもありますが、人が全然歩いていないし、同じような境遇の人に全く合わない。

不思議な気持ちで毎日散歩していました。

後で驚いたのですが、障害を持った家族を家から出さない文化が根強く残っていたのです。

『恥ずかしいから隠す!!』

そうはっきり言われたこともあります。

家から出さないということは、歩かないということ。

望まなくても、寝たきりになりますよね。

後になって

『実はあなたたちが歩いているのを遠くから見ていた』

なんて応援のメッセージをもらったりしました。

不思議なもので、夫婦でリハビリを兼ねて散歩する人たちが増えました。

『恥ずかしくないんだ!!』

って思ったのでしょう。

書いてあるのは家庭と地域で認知症に向き合おうとか、かかりつけ医が支えになるとか、そんな隔靴掻痒のことばかりで、役に立ちそうな情報は何もなかった。

引用 老乱 (久坂部 羊

書いてある通り、こんな考え方の地域で、どうやって介護に取り組むのだろうか?

古臭い、人格を無視した考え方に、心からショックを受けた出来事でした。

私が先に死んだら

同じような不安を抱えている人は沢山いると思うのですが、身近にいらっしゃいますか?

この問題は簡単ではありません。

先に死ぬわけにはいかない。

これは本音ですが、神様に与えられた寿命ですからどう転ぶかわかりません。

天涯孤独になってしまう人もいらっしゃると思います。

私たちには子供が二人います。

私の心配など、甘っちょろい部類なのかもしれません。

でも、親とすれば子供のこれからの人生の足枷にはなりたくない。

妻が倒れた時から、子供たちは普通の子供と違う苦しみを味わってきたのです。

2017年3月に歌手のかまやつひろしさんが膵臓癌のため亡くなりました。

78歳でした。

私が注目したのは、奥様も長い闘病の末にかまやつさんが亡くなる数日前にお亡くなりになられていたこと。

理想的なご夫婦の最後だと思いました。

私たちにとってはまだ早すぎる話。

たくさん勉強して、沢山の方と知り合って、正解に近い答えを出すのです。

『俺が先に死んでも、お前には薔薇色の人生が待っているから心配するな!!』

そう言える何かを探りたいと思っています。

役に立つということ〜続 片手で創作するということ

安心、笑顔

『片手で創作するということ〜目覚めてからの試練』

その1からその3まで執筆して、流石にマイナスオーラ全開を感じ取った読者の皆様が離れていく状況を想像して、しばらく話題のベクトルを変更していました。

お正月が近かったしね😄

お読みでない方はぜひご覧ください。👇

お伝えしたいことがねじ曲がって伝わってしまうのが一番残念なことなので、勇気を振り絞ってその先を執筆させていただければと思います。

このブログを書き始めてひと月半、50投稿しか書いていないのに偉そうなことは言えないのですが、投稿目的は『笑顔』『安心』に尽きます。

政治家の言葉みたいに信用できない綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが、壁にぶつかって身動きが取れない心のフリーズ状態の方(含未来)に脱出の糸口を提供できれば本望のページです。

・なんだ、大したことないじゃん

・そう考えれば良いわけね

・悩んで損したなー

悩める人(これからそうなるかもしれない方)が、私たちの壮絶な体験を通して安心できる環境を届けたいのです。

そのためには、私たちが経験してきた事実を知っていただくことが必要な訳です。

経験していない、にわか仕込みの知識を披露しても重みがないでしょ。

『私たちはこんなに不幸なんです!!』

『全然悩まずにあっさり立ち直りました!!』

そんなメッセージを発信する気は全くありません。

悩んで、ドツボに嵌って、もがき苦しんで、やっとこさ抜け出した経験を盛らずにお伝えしていきたいのです。

皆様が直面している壁が、私達が乗り越えた壁より低ければ低いほど安心しますよね。

そうやって笑顔になってほしいのです。

幸せと不安

人間が幸せを感じる瞬間って

・美味しいものを食べるとき

・美しい景色に身を置いたとき

・大好きな音楽を(できれば生で)聴いているとき

・自分の存在価値が認められたとき

・頼られたとき

・etc

『喜こびを与えること』

『五感で感じる至福』

を遥かに超える幸せをもたらしてくれる

パッチングワーカー 2021年🙃

私のブログ、料理の記事も多いんです。

食べて幸せ、美味しそうに食べてくれて幸せだからです。

反面、不安な瞬間って(幸せの反対は不安ではありませんが)

・時間の自由がきかない

・お金の自由がきかない

・今を生きるのが精一杯で将来が見えない

・想定外の悪いことが起きた

・想定外の悪いことが起きたらどうしようかと思う

・自分は不幸だとか運が悪いと感じる

『不安の原因は思考を変えれば解決できる』

パッチングワーカー 2021年🙃

結局のところ、因数分解すれば解決できる事の組み合わせなのに、難しく考えて悩んでいるだけなのだから.

不安  =  問題A × 問題B  × 問題C × 問題D × 問題E × 問題F

問題をできるだけ因数分解して原因を特定して一つ一つ解決していけば、残ったとしても小さな問題が幾つかあるだけになるのです。

片手で創作するということ

妻は福祉会館で沢山の作品が売れて幸せ、私はたとえ少数の方々でも、ブログを読んでいただいて幸せなのです。

私は5体満足ですから何でも出来て当たり前です。

妻は片手でやらなければならない。

強い痛みも抱えている。

やらない!!という選択肢があるのに、それを選ばない。

何故かって?

喜んでもらえるからです。

自分の服を作るのは、着ている姿を見て褒めてもらえるから。

もっと素敵な作品を作る技術を高める為でもあるみたいです。

でもそれだけではない。

好奇心が旺盛で、障害を抱えてしまっても好奇心は衰えないばかりか強くなっている。

nikonikomaisonさん、takamayugeさんに刺激を受けて、東京に引っ越してからはやっていなかった天然酵母パン作りを再開すると決めたようです。

発酵器と天然酵母を作るためのヨーグルトメーカーの掃除と準備を命ぜられました😋

準備完了!!

明日届くオーガニックレーズンで天然酵母作り始動です。

日曜日の昼、妻はミシンに向かって自分の服を作っています。

部屋着にするパンツだそうです。

ポケットなんかもきっちりと仕上げている。

今抱いている野望(後ろ指刺されそう)は、世界中の活発な障害者と繋がること。

心と作品と価値観が繋がること。

障害者が普通に受け入れられる世界というか、特別ではない世界になれば良いなあ。

障害者が作ったから同情で買ってもらう作品ではなく、障害者ならではのセンスや工夫を認められる日を夢見て、世界的なグループを形成したいのです。

障害を持ってしまって沈んでいる人や、その家族に希望の光を届けたいです。

今は障害者という位置付け。

でも、近未来は個性という位置付けを目指します。

どうやって自立するか?

多種多様な自立の仕方を、世界中の仲間と考えたいのです。

大袈裟?

出来ますよ。

足りないものは仲間が助けてくれる。

そんなグループを作りますよ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

大きなノッポの古時計みたいなテーブル

新年あけましておめでとうございます。

今年の抱負とか予想については、沢山の先輩ブロガーの方々が書かれる事と思います。

そのあたりはお任せして、相変わらず私達家族の宝物について書かせていただきます。

今日は正真正銘物理的な物質です。

コロナで激変している世の中ですが、ライフスタイルが変わっても良いものは良い。

そう思えるお品です。

フランスはアルザス地方の工房が作ったテーブルとベンチ。

大塚家具も含めて、同じものに出会った事がありません。生産数が少ないのでしょう。

そのお品に思い出が詰まっています。

歴史

歴史というほど古いものではありませんが、我が家にとっては古株。

すでに25年。

1991年に結婚してルクセンブルグに赴任

1992年にシーズーのQちゃんを迎えて

1994年に長男誕生

1996年にこのテーブルを購入

1997年に長女誕生

2001年に横浜に引っ越し。Qちゃんもテーブルも同伴

2003年に横浜に家を購入。Qちゃんもテーブルも同伴

2004年娘の小学校入学式の日にQちゃんの旅立ち

2006年単身でアメリカに

2008年家族全員アメリカに引っ越し。テーブルも同伴

2010年家内が脳出血で半身麻痺になり、妻の生まれ故郷の大分県に引っ越し。テープルも同伴

2005年東京に引っ越し。テーブルも同伴。今に至る。

想い出が宝物

我が家にはたくさんの想い出があります。

思い出したくない事も沢山ありましたが、今の自分達を作ってくれた経験だと思っています。

息子が生まれて、妻が毎日息子をベビーカーに乗せて、Qちゃんと一緒にルクセンブルグ中央駅の周辺を散歩していました。

その時に見つけて気に入ったテープルとベンチ。

住んでいたアパートは広くなかったし、ベンチ2つと椅子3脚も合わせて買うと80万円位だったから、手に入れるなんて選択肢はありませんでした。

ある日妻は私を連れて実物を見せる為に家具屋さんに。

家具屋さんといってもセレクトした家具が10点くらいしか置いていない小さなお店。

正直に申し上げると一目惚れ。

その日から手に入れる為に何をしなければならないかのシミュレーション開始。

何はともあれテーブル積み立て。目標は特になし。

一年後に2つのきっかけがありました。

  • 妻のお腹に娘を授かって、広いところに引っ越す機会がやってきた事
  • 家具屋さんが閉店する事になった事

でした。

それから、長男繋がりで仲良くしてくださっていた第一勧業銀行(現みずほ銀行)のTさんから、その家具屋さんの娘さんがルクセンブルグの第一勧業銀行に勤めているので価格交渉してくれるとの知らせ。

閉店の在庫処分とお友達価格と言う事で、結構な割引をして頂き無事制約。

新しいアパートは3階だったので、引っ越しの日に新しいアパートに配達してもらって、引っ越し業者のリフトで無事納品になったのでした。

それから四半世紀。

私達家族の歴史をしっかりと見続けてくれている、頼もしい相棒なのです。

テーブルとベンチの色が違うのは、テーブルの表面だけ鉋がけしてステインを塗り直してもらったから。

家具職人さんから『裏面の落書きは残した方が良いですよ!!』っていう提案から表面だけにしました。

この後迎える幾多の試練など知る筈もなく良い笑顔でしょ。

今まで何とか家族で力を合わせてやってきました。

10年後のブログでは、コロナ危機が歴史に刻み込まれている事でしょう。

乗り超えた過去として。

今年はどんな歴史を重ねる事でしょうか?

皆様にとって素敵な一年になりますように!!

38度4分〜新型コロナ対応

今朝は一人暮らしをする息子と待ち合わせて、私の実家に行ってご先祖の墓参りと大掃除をやる予定でした。

そう、予定でした。

私はいつものように5時に起きて自分のこと、特にイラレの勉強をしていました。

7時には息子から『問題なく起きてます!!』のメッセージ。

コーヒーを淹れて、昨日買ったパンドカンパーニュを少しだけ焼いて食べようと、クレジットカードのポイントで貰ったバルミューダのオーブントースターに入れたその時に娘が起きてきました。

身を削って大学院で研究をしている娘ですから、普段なら休みの日は死んだように眠って起きてきません。

家内が少しでも良い睡眠が得られるようにと、私と妻のベッドはREGALIAのかなり良いベッドなのですが、昨晩は寝心地を譲って私は娘のベッドで寝たのでした。

生活は決して楽ではありませんが、家内が少しでも快適に暮らせるように、そこだけは無理をしてでもお金を使います。

脱線しましたが、娘が開口一番

『ごめん』

『熱が出た』

昨夜から調子が悪くて寝付けず、吐き気と関節痛、頭痛で眠れなかったと。

熱を測ると38度4分。

『あらら』

まずやること

まず息子に電話。

『悪いけど今日は中止にするから家で待機な』

『こっちにも来るなよ』

そして実家に電話して訳を話して今日は行けないことを伝えます。

そして東京都発熱相談センターに電話。

参考までに電話番号は

03-5320-4592

です。

こちらも一番忙しいタイミングでの相談に恐縮。

それでもさすがプロです。

一つ一つ症状を聞いてくれて、住所を聞いてくれて、今日診察してくれる病院のリストから近い順に3箇所の電話番号を教えてもらいました。

『東京都発熱相談センター』からの紹介だと伝えるよう教わって電話を切りました。


写真素材 pro.foto

実は私、2年半前に中国出張から帰ってすぐに『原因不明の肺炎』になって、かかりつけ医の紹介で阿佐ケ谷駅近くの河北総合病院にお世話になっていました。

症状はというと、新型コロナ肺炎と全くと言って良いほど同じです。

CT画像は真っ白だし、効く薬がなかったし、何回も酸素吸入をしないと座ってさえもいられなかった。

普通に生活できるようになるまで1ヶ月以上かかりました。

完治と書かないのは、今でも治っていないところがあるからです。

タクシーを使うと運転手さんに申し訳ないので、カーシェアを使って(借りた時も返した時も徹底除菌)指定された11時に娘を河北総合病院に連れて行きました。

救急入口に設置されたテントで待機して、一通りの診察とCT撮影。

もし新型コロナなら、昨日一緒に寝た家内も、私も濃厚接触。

14日間の自主隔離のイメージをしていました。

幸い正月用に食料は万全。

米も沢山届いていたし、食べるものは何とかなると考えました。

娘のポカリスエット(水さえも戻していたので)を息子に玄関先まで届けてもらおうか、等と考えを巡らせていました。

私が両親の元に行く前でよかったと胸を撫で下ろしたのでした。

父が4年前に心臓バイパス術と弁置換術を受けているので、既往症持ち。

墓参りに連れて行けなかったけど、そんな事より危ないところだったと。

ほっ。

結果

結果からすると、全く問題のないCT画像と鼻水が出ている症状が決めてで、コロナではないのでPCRを受けるまでもない!!

という診断結果でした。

長時間作業プラス往復5時間の通学で緊張のしっぱなしだったのが、いきなり連休なので緊張の糸が切れたのでしょう。

私もよく、プロジェクトの成功が見えた頃に熱を出したものです。

親子ですわ。

プロジェクトが完了したらではなく、成功が見えた頃というのが情けない事実であります。

休みの診察で8,800円が上乗せされて1万4400円でした。

痛い出費だけれど、休日返上で頑張っていただいている医療従事者の方の労いに使われるのであれば本望です。

こんなタイミングでお手を煩わせてしまって申し訳ない気持ちでした。

We are very sorry to disturb your team!!

そして、感謝感謝。

明日こそ墓参りに行ってきます。

片手でお手玉作りました〜片麻痺の挑戦

昨日のブログで少しだけ報告しましたが、netdedussel様にご依頼をいただいたお手玉が完成しました。

making ofはマスクとほぼ同じなので、割愛してmaking of maskの動画をもう一度貼り付けさせていただきます。

片手で作るにあたって、少し作り方を工夫しています。

バスケットボールのようなパッチワークが理想なのでしょうが、残念ながらこの製法では片手で作ることができません。

手伝ったら本末転倒。

四角い生地のパッチワークで袋を作って、中身を入れて蓋をして、両サイドを括ってしまう製法です。

なるほど、これなら片手で最後まで作れそう。

私が言うのも何なのですが、生地の組み合わせのセンスが素敵でしょ。

私の机が擦りガラスなので、下から光を当てておしゃれに撮ってみました。

赤とピンク

水色と黄色

黒と黄色

水色と赤

黄色の柄違い

1セット(5個)

今日の晩御飯はあいちゃん農園のスティックセニョールとパスタを一緒に茹でで、バジルペーストと和えてパルミジャーノリッジャーノをたっぷりかけたジェノベーゼ風スパゲッティと荻窪で買ってきたパンドカンパーニュ。

我が家は全員、天然酵母のハードパンが大好きです。

よく手作りしますが今日のカンパーニュは手作りではありません。

悪しからず。

今年も残すところ後2日。

明日は息子を連れて実家の大掃除と墓参りに行ってきます。

JAL319便 羽田-福岡線

我が家にボーイング787の小さなプラモデルが飾ってあります。

子供が飛行機に乗るとCAさんが持ってきてくれるアレです。

これも我が家の宝物なのです。

汚れがこびりついていて、メラミンスポンジで擦ればあっさり綺麗になるのですが、それはできません。

文字まで消えてしまうからです。

東京-福岡線常連客

私はというと、月曜日から金曜日までは東京でエンジニアリング系の会社の海外事業のお手伝いをし、週末は息子に任せていたピザの店をサポートする生活をしていました。

月曜の早朝に家を出てバスで福岡空港に向かい、羽田行きに乗ってモノレールとJRを乗り継いで高円寺へ向かいます。

ウイークデイは会社が用意してくれた単身用のアパートで暮らし、金曜日の最終便(20時20分羽田発)で福岡に飛んで最終バスで家に帰る生活でした。

家に着くのは金曜日の24時近く。

翌朝早起きして混み合う土曜日のランチの仕込み、切れ目のないランチタイム、高い確率でランチのお客様が飲み出して長居(ありがたいことです)、店を閉めずに夜の仕込みをしながらお客様のお相手。

夜は夜で飲酒率ほぼ100%の盛り上がりで『お前も飲め!!』状態。

日曜日のランチもほぼ同じ状態ですが、夜は比較的穏やかなので、息子に任せて休息を取り、月曜日は早起きをする生活。

ヨーロッパに住んでいる頃から、会社がANAを使っていた事もあってかなり青い方(青いのはANA,赤いのはJALです)派でした。

アメリカにいるときも、その前に月に日米2往復していたときもANAでした。

スターアライアンスのヘビークライアントだったわけです。

でも、私の事を誘ってくれたこの会社の社長様が盛和塾の塾生だったため、用意されるチケットはJALに決まっていました。

盛和塾をご存知でしょうか?

2019年に解散したこの塾は、京セラ創始者の稲盛和夫氏が若手経営者に経営哲学を伝える目的で設立されました。

2010年1月19日にグループ全体で2兆3221億円の負債額を計上して倒産した日本航空グループを託されて、2012年9月には東京証券取引所に再上場するというスピード再建を成し遂げた中心的な人物です。

言うまでもないと思います。

この会社にお世話になると決めた時から、ANAの上級会員の椅子を捨てて、1からコツコツとJALのマイルを積み上げることになったのです。

2014年正月

アメリカから帰って大分に住み、必死になって家族で生きてきた軌跡は書いてきた通りです。

👇

https://keiken.blog/2020/12/01/看護師の偉大さについて/

https://keiken.blog/2020/12/10/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-2/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-3/

https://keiken.blog/2020/12/14/左手の法則〜家族総出の絆作戦/

家内の実家は大分ですが、私の実家は埼玉にあります。

やっと落ち着いてきたし、2014年の正月に家族全員で埼玉の実家に帰ろうと決めました。

JALにお願いして、福岡空港での車椅子でのハンドリング、羽田に着いてからのハンドリング、帰りも同じ、羽田空港から実家までのタクシーの予約等、万全に準備して久しぶりの家族旅行?を決行したのでした。

足元の広いクラスJ を予約して、行きも帰りも窓側2席ずつ最前列で予約しました。

搭乗時は一番最初に、降機時は一番最後になります。

行きも帰りもCAさんが気を遣ってくださり、とても快適に過ごすことができました。

忘れもしない帰りの便。

1月3日の羽田発福岡行きJAL319便。

福岡に着いて乗客全員が降りた後、担当のCAさんがプレゼントしてくれたもの。

それが乗務員全員のサインを纏ったこのボーイング787でした。

早く回復できるように祈っていると、全員の名前が。

どんな高価な物よりも心に響く贈り物でした。

家内の名前を調べ、フライトの合間に書いてくださったのでしょう。

感極まってお礼の言葉が出ず、お辞儀だけのお礼となってしまいました。

日本航空の皆様のホスピタリティに触れ、大ファンになりました。

今は大変な時だと思います。

頑張って欲しいなんて野暮なことは言いません。

目一杯頑張っていると思います。

神様は見ていらっしゃいます。

会社としては誰の首も切らないと決めているそうです。

再建の時に『整理解雇を経験し、残った全員は意地でも雇用し続けるために給料を安く抑える』と従業員に理解してもらって頑張ってきたのに、ここで解雇などしたら嘘をついた事になると。

アメリカ流の経営が一般的になって、経営が傾くと整理解雇する会社が増えています。

従業員全員を家族として雇用する日本流の経営を守り抜いて欲しいと思います。

日本のホスピタリティ、日本航空のホスピタリティは不滅です。

JAL319便とこのプラモデルは私たち家族の宝物です。

大切にします。

CAの千葉様、機長の秦様、319便のクルーの皆様、本当にありがとう!!

今日の出来事

ベタな題名でごめんなさい。

冬休みの1日目ということで、ゆる〜い時間を過ごしております。

傷んでしまったみかんでジュースを作り、

佐賀吉野ヶ里のあいちゃん農園からイタリア野菜が届き、

年末用に気仙沼からのお取り寄せおまかせ魚盛り合わせが届き、

こちらは三枚おろし希望にチェックを入れてしまったようで、瞬間冷凍できるもの以外は断腸の思いで😄本日の食卓に登ります。

鯖は瞬冷で正月に焼き鯖押し寿司に、ヒラメも瞬冷で正月に握りにしようと思います。

アナゴは煮て握りに、マグロはもちろんですね。

今日はカレイの唐揚げと生牡蠣のポン酢和えで日本酒を飲むことにします。

リラックス!!

トロけそうです。

使い切っていなかった前回のあいちゃん農園野菜でカレーを作り、

皆様のブログを読み漁っております。

netdedussel様にご依頼いただいたお手玉も完成しました。

カレイの唐揚げと生牡蠣

カレイを唐揚げにして自家製ポン酢で食しました。

生牡蠣は小葱と大根おろし、自家製ポン酢です。

家内の好きな手羽先の素揚げと名古屋風来坊風手羽先。

ビールと日本酒をいただきました。

ゆるい1日で内容がなくてごめんなさい。

家内と娘は福山雅治のオンラインライブを観ています。

平和な1日です。

最前線で緊張感の中の皆様、ごめんなさい。

ゆるい1日でリラックスさせていただいております。

明日は気合を入れて大掃除!!!

トイレの神様

歌って、聴いていた頃の記憶が甦りませんか?

私は高校生の頃(遥か昔)からユーミンが好きです。

同級生から、ユーミンブランドパート2というアルバムを借りて、カセットテープにダビングしたのが始まり。

後にレコードかCD全てを手に入れますけど、高校生の時ってお金持ってないですからね。

ダビングなんです。

ラスト曲の『翳りゆく部屋』に衝撃を受けて、ユーミンの世界に吸い込まれていきました。

次に手にしたアルバムは流線型80。

『埠頭を渡る風』にゾッコン。

その頃リリースされたのが『Surf and snow』というアルバムでした。

コンサートツアーの埼玉公演(当時は埼玉でコンサートといえば埼玉会館でした)のチケットを手に入れて行ったのを覚えています。

お客様は9割くらい女性で、後ろの方には空席がありました。

公演自体は当時からド派手で、水がそこら中から噴き出るような演出でした。

大学生になる頃には全てのアルバムを制覇していました。

コンサートは必ず行っていました。

チケットは頑張れば取れた感じでした。

社会人になった頃からチケットは全くと言って良いほど取れなくなってしまいました。

ASATSUに勤めていた友人に分けてもらった事もあったのですが、殆ど諦めていました。

1987年のダイアモンドダストが消えぬまに、に入っていた『Sweet Dreams』『霧雨で見えない』が三菱ミラージュのCMソングに採用されました。

コンサートも三菱自動車プレゼンツだったので、三菱ミラージュを購入してチケットを貰った思い出もあります。

アルバムを聴くと、リリースされた時代の思い出が鮮明に蘇ってきます。

涙が止まらなくなってしまう曲

植村花菜さんの『トイレの神様』を覚えていますか?

2010年日本レコード大賞、優秀作品賞、作詞賞を受賞した曲です。

NHK紅白歌合戦にも出場されています。

2010年1月17日、妻がアメリカのオハイオ州で脳出血によって倒れました。

昏睡状態、重度の麻痺、失語症、巨額の医療費、リハビリ、失意の帰国、無職、4ヶ月の鹿児島大学霧島リハビリテーションセンター入院、子供たちは常に留守番…。

2010年の冬休みに、家族付き合いしていた横浜のご家族が子供達を招待してくれました。

12月25日から31日まで。

福岡空港まで車で送って、子供達2人で飛行機で羽田に。

子供達にとって(私にとっても)激動の1年で、我慢ばかりさせていたので、素敵な息抜きになったと思います。

お友達の家のすぐ近くが、自分たちの家(貸し出していました)ですから、彼らにとっては庭のようなところ。

友達も沢山います。

招待していただいたのは、本当に素敵なはからいでした。

私はというと、4ヶ月の鹿児島大学霧島リハビリテーションセンターでのリハビリで大きな効果が出ず(歩きは早くなりました)、無職でお金の重圧ものしかかっていて精神状態が不安定な時期でした。

👇こちらに書いています。よろしかったら覗いていってください

https://wordpress.com/view/keiken.blog

https://wordpress.com/view/keiken.blog

https://wordpress.com/view/keiken.blog

努めて明るく振る舞っていましたが、子供たちは感じていたと思います。

つまらない心配をかけていました。

楽しかった横浜での滞在を終えて、12月31日にそのご家族に羽田空港まで送ってもらい、子供達は飛行機に乗って福岡へ。

私と家内は車で福岡空港に迎えに行きます。

雪が降りそうだったので、妻を家に置いて出かけようとしましたが、一緒に行くと言ってききませんでした。

福岡空港に着く頃(17時頃だったと思います)には、福岡にも雪が降り始めました。

空港で子供達の到着を待っている間にも、雪は降り続きました。

飛行機の到着も遅れて、出会えたのは19時近く。

大好きな牧のうどんで『年越しうどん』食べていく計画もやめて、帰路につきました。

通常なら高速を使って70分あれば家につけます。

この日は結局高速道路閉鎖。

雪の積もった下道を、ノーマルタイヤで恐る恐る。

車の中で子供たちの横浜での楽しかった思い出話を聞きながら、紅白を諦めてゆっくり帰ったのでした。

何時間もかけて家に着いて、テレビをつけました。

その時流れてきたのが、紅白歌合戦での『トイレの神様』でした。

この歌に特別な想いがあるというより、その時の気持ちが思い出される。

  子供達に申し訳ない。

  お金がどんどんなくなってしまって生きていけるのか?

  横浜の家のローンはどうしようか?

  妻はこのまま良くならないのだろうか?

  自分がやれる仕事なんかない

  両親に申し訳ない

こんな気持ちがぐるぐると頭の中を回っていました。

こんな形で年を越すなんて、1年前には考えもつかなかった。

今でもこの曲を聞くと、切なくなって涙が止まらなくなります。

だから、せめて私の経験を書いて、同じような気持ちの人を元気付けたいのです。

『なーんだ、大した事ないじゃん』

そう思えるように。

皆様は、聴くと涙が出てしまう曲ってお持ちですか?

鯛出汁巻き卵と唐揚げ

クリスマスイヴ

我が家にとってはクリスマスは特別な日ではないですが、今日はバランスというより豪華に。

ターキーは日本では高価なので、結局のところ唐揚げになってしまいます。

B級グルメを詰めると、どうしても茶色い弁当になってしまうので苦労します。

無理矢理彩りを足した、アンバランス弁当です。

鯛出汁巻き卵

魚をおろすと沢山中骨が出ます。

身のついた中骨は最高の出汁が出ます。

昨日は真鯛もおろしたので、出汁を取っておきました。

真昆布で取った出汁と合わせて、薄口醤油と海塩、味醂、蜂蜜を混ぜて溶いた卵とそこそこ混ぜ合わせて(しっかり混ぜません)焼いていきます。

魚臭さが出ないように小ネギを入れて少し高めの温度でふっくら焼き上げます。

邪道かもしれませんが、高温で焼くと美しさで見劣りしますが、ふっくら仕上がります。

唐揚げ

我が家の唐揚げは中津唐揚げ仕込み。

醤油、海塩、味醂、酒、にんにく、生姜たっぷり、ごま油、味噌少々でタレを作り、適当な大きさに切った鳥もも肉を最低一晩漬け込みます。

醤油と塩は控えめで大丈夫。

一晩漬け込むことで味はしっかり染み込みます。

本味醂と酒の効果で、肉が柔らかくジューシーに変身してくれます。

我が家の唐揚げは漬け込んだチキンの水分を切って、片栗粉と米粉を混ぜ合わせたものを薄く纏わせます。

こんな感じ👇

肉じゃが

これはおまけ。

昨晩の鍋の出汁が美味しくて、残った出汁を取っておいたので肉じゃがにしました。

茶色の嵐でございます。

無理矢理彩り野菜

はい、無理矢理。

並行作業

今日は大変です。

小鍋で肉じゃが、圧力鍋でご飯、唐揚げを揚げて、コーヒー入れるのまで並行作業でした。

バランス風アンバランス弁当

飲食店の苦悩その2

芳醇な香りの秘密

今ピッツアの味で悩んでいる方にお教えします。

引き算の料理は簡単ではありませんが、掴んでしまえば強みになります。

発酵、熟成した生地は発酵バターのような芳醇な香りを放ち、嘘みたいに軽い。

アメリカンピザを思い出してください。

これはこれで美味しいですが、まったくの別物。

足し算の料理です。

発酵を促すためと、足りない発酵による甘みを補う砂糖。

これは反則技で、小麦粉の一部が発酵して化けるのに、砂糖が発酵している。

足りない味を砂糖やバターで補う。

複雑極まりない味になるわけない。

砂糖の甘味、バターの香り(足してるからね)。

そして重い。

小麦粉、酵母、塩、水のみを使用したナポリピッツアの生地は、複雑な香りと味、そして軽さが特徴です。

400℃の釜に入れた瞬間から生地が弾けてポツポツと焦げができる。

生きている、熟成が進んだ生地の証拠。

秘密は『発酵終了後、1℃で4日間湿度に気をつけながら保存』

息子が冷蔵庫の奥に忘れた生地に、熟成という変化が生まれたのです。

冷蔵庫に忘れた生地

👇

https://keiken.blog/2020/12/22/%e9%a3%b2%e9%a3%9f%e5%ba%97%e3%81%ae%e8%8b%a6%e6%82%a9/

美味しいピッツアは成形しにくい。

ここポイント。

発酵の後に低温熟成させてください。

絶対に足し算の生地では作れない複雑な香りと軽さの生地ができます。

ブラウンスイス

流行っていない店でしたが、頻繁に来ていただいていたご家族がいらっしゃいました。

ワイン好きで、ピッツアは塩とオリーブオイルだけの素焼き。

でも、高価なものばかり頼んでくださる。

ある日その中のお一人がこうおっしゃいました。

『うちのミルクでチーズ作ってよ。ミルクはタダでいくらでもあげるから』

意味がわかりませんでしたが、どうやら牧場を経営されているようでした。

向こうは泥酔😄

こっちは素面。

お帰りになられたあと(深夜1時)片付けを終えて、いただいた名刺の牧場を検索。

年商130億円、日本で3番目の売り上げを誇る牧場。

5500頭の牛。

豊後牛の肥育も手がけている。

???????

眠れなかった。

明るくなったのを待って電話。

『昨日仰ったこと覚えてます?』

そう聞きました。

『あたりまえだよ。遊びに来ないか?』

店のある街にこんなに大きな牧場があるなんて知りませんでした。

日本に400頭しかいない牛『ブラウンスイス種』

リッチなミルクはモッツァレラチーズ、プリン、マスカルポーネチーズ、ジェラートなどに大変身。

素材がどんどんオリジナルに入れ替わり、店の商品も変貌を遂げていきました。

外国人受け入れ

ここまで大きな会社になると、海外との付き合いも半端ではありません。

オーストラリアから牛を買い、アメリカ、スペイン、ベトナムから牧草を買う。

アメリカとベトナムに会社を持ち、人が頻繁に行き来する。

気がつけば、店は外国人の溜まり場状態。

社長さまが

『こんな田舎町に英語を話せる家族がいたとは驚きだ!!』

って言ってから、どんどん送り込んでくれるように。

金に糸目をつけないから店も繁盛。

釣られるように一般のお客様も見える。

いつの間にか、九州全域、山口県から食べに来ていただけるようになりました。

ある日は田舎道に真っ赤なフェラーリが爆音を轟かせて来店。

福岡からのお客様で、次からは泊まりでご来店いただけるように。

『お前のところの料理はワイン抜きではきつい』

経営者のお客様が多かったのも特徴でした。

苦悩その2

店は流行り始めると家にいる時間が短くなります。

妻のリハビリが疎かになってくる。

体もキツくなってくる。

睡眠時間を削るようになっていきました。

続く

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