激動の2ヶ月

大変ご無沙汰しております。

パッチングワーカーです。

2ヶ月ほど前、家内と鹿児島、大分を訪れました。

入院をしていた義父に会うことができる様になったからです。

仕方ないのかもしれませんが、3回以上ワクチン接種をしていなければ見舞いが出来ない決まりの病院でした。

直前にPCR検査をして、陰性証明書を提出してもダメだということでした。

義母は持病の関係でワクチンは打てていなかったし、家内は2回目を打った時の副反応が異常だったのと、疼痛が数倍になった経験があって3回目は打っていません。

待って待って、やっと病院がOKを出したのです。

入院先が鹿児島で、義父の家があるのは大分というイレギュラーな状況でしたが、これは病院の事情もあって触れないことにします。

私たちは、鹿児島に泊まりつつ義母を迎えに大分まで車を走らせて、また鹿児島の病院まで送り届ける予定でした。

義理の弟が先に鹿児島に来ていて、義母を大分に送り届けるのは彼の役割という手筈になっていました。

私はとても忙しい時期で、前日は山形で仕事があって帰れないので、朝一番の新幹線で家に帰って、家内を連れて羽田に向かうという強行スケジュールだったのを思い出しました。

義父は心臓の手術が控えていたのもあって会いに行く予定だったのですが、山形でお客様とお酒を飲んでいる時に義弟から電話があって、義父の危篤を知らされたのです。

東京に居たとしても最終には間に合わない時間でしたが、翌日の朝一番機には乗れたはずです。

『お前だけ先に行け!!』

これが普通ですが、家内は1人では空港にも行けません。

運命だと諦めるしかありませんでした。

翌日、病院に駆けつけたのですが、ICUにいて意識はない状態でした。

予定していた手術もキャンセルになりました。

義弟と家内を病院に置いて、私は義母を迎えに大分へトンボ帰り。

家内たちは急遽、鹿児島市内のホテルに滞在して、私は荷物のある垂水のフェアフィールドに1人滞在となったわけです。

義父は安定していて、私たちの滞在している約1週間の間には危機はきませんでした。

医師の説明によると、持ち直すかどうか解らないとのこと。

ミニ会議を開いて、とりあえず弟は2日後、私たちは翌日の飛行機で帰ることに。

ところがです、翌日の飛行機で羽田に着いた瞬間に永眠の知らせがありました。

そんな訳で、次の日の飛行機で福岡に飛び、義父が運ばれる大分に行くことになりました。


先日四十九日を終えることが出来まして、8月の初盆で一区切りということになります。

13年前、家内が倒れた時にすぐにアメリカまで飛んできてくれた義父達でしたが、今回は私たちが何回か往復する事となりました。

海外に住んでいる時から、親の死に目には会えない覚悟をしていましたが、現実を目の当たりにして、簡単に割り切れるものではありませんでした。

そんな訳で、仕事は忙しくしていましたが、ブログを書く気になれなかったというのが本当のところです。

会いたい人に会えなかった訳ですから、義父の最後は孤独だったと思います。

どうしてもキツそうな顔が頭の中に現れて、たくさんの後悔が溢れてきます。

でも、楽しかった思い出を埋もれさせるのも良くないと思い、納骨時にたくさんの写真を持参しました。

結婚してすぐに欧州に赴任した私達だったのですが、両方の両親を時間差で呼ぶことが出来ました。

JALのビジネスクラスで来てもらい、パリやスイスに連れて行くことが出来ました。

スイスではホテルに炊飯器を持ち込んで、おにぎりを作ってハイキングをしました。

ツアーでは絶対に味わえない経験をしてもらいました。

そこには嬉しそうな義父が写っています。

本当に幸せそうな表情が沢山あります。

板前だった義父が、ルクセンブルクの魚屋さんで目利きをしてくれました。

全部の魚が新鮮で素晴らしいと、目利きの仕方も教えてくれました。

私の魚の目利きは、ルクセンブルクで義父に教わったものです。

魚を下ろせるようになったのも、それから頑張って練習したからです。

目利きができなっかったので、魚屋の魚が刺身でたべられるのか?

それすら解らなかったので、高いお金を出して日本料理屋に行っていました。

アメリカの病院で、ベッドに横たわった家内と写っている義父と義母の写真もあります。

家内が今生きているからこそ、懐かしく見ることができる写真です。

アメリカの病院で家内のドッグセラピーに付き添う義父と義母
東京に引っ越す前に石窯の前で記念撮影

家内の痛みに関しても、この2ヶ月の間に色々な出来事がありました。

あまり良い結果ではないのですが、次回書かせていただきます。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

アキラとあきら、そしてダ・イーサ

お久しぶりです、パッチングワーカーです。

仕事で9月8日から2週間以上台湾に行くのですが、別件で急遽台湾に行っていただく事(現地合流でアテンドします)になった方のビザの申請が超タイト。

書類は全て揃ったため、私が白金台にある台北駐日経済文化代表処(大使館みたいな所です) に並ぶ事にしました。

1日60組限定なので早朝から並ばないといけないため、始発電車より早く並ぶためにシェラトン都ホテル東京に来ています。

折角泊まるなら家内を連れて泊まろうと思い立ちました。

車でホテルまで来て、荷物を置いてタクシーで品川へ。

品川でアキラとあきらを鑑賞して、渋谷で買い物をして、タクシーで中目黒へ。

中目黒にある超有名ナポリピッツアの店ダ•イーサに行ってきました。

今日は小麦のチートデーにしました。

オフィシャルページから拝借
切り出し生ハム
マルゲリータ、ナストッピング
クワトロフロマッジョ
ランブルスコ

店の雰囲気はイタリアそのもので、ピッツアも生地を味わう本格派。

残念だったのは、1枚目と2枚目の時差を作ってほしいとお願いしたのですが、一緒に来てしまった事。

ナポリピッツアは5分間の命なので、最後はイマイチピッツアになってしまったのでした。

あれだけ激混みならば仕方ないですけどね。

ナポリっ子みたいに1人一枚平らげれば良い話ですから。

滅多にピッツェリアに行けない日本では、別の種類を分け合って食べたいんです。

ホテルに帰ってシェラトンクラブラウンジで一杯だけ泡をいただいて部屋に帰ってきました。

明日は長い1日になりそうなので、早く寝ることにします。

充実した1日でした。

おやすみなさい。

娘の引っ越しと家内の居候^ ^

※ アイキャッチ画像はイメージです

こんにちは、パッチングワーカーです。

引っ越しをしてあっという間の1ヶ月です。

光陰矢の如し!!

英語で

時間が飛んでいく!!

と表現されるのも納得です。

少しずつ問題を解決しながら、コツコツと快適な環境を作っています。

二人暮らしには広すぎる家ですが、リビングやキッチンは1階で風呂や寝室は2階なため移動を抑える事は難しい。

1日に何度も階段の昇り降りをしなければならない家内を心配していたのですが、

逆に逞しくスイスイ昇り降りができるようになりました。

住むだけでトレーニング!!

そんな家です😀

猛暑を前に空調もなんとか間に合って、数ヶ月待ちのガスコンロ(古いものでも問題なく使えます)とウッドデッキ(私の役目)、外壁の洗浄(私の役目)、オーニングの洗浄(私の役目)が整えばそれなりに住みやすい家になりそうな予感です。

娘のアパート

娘は埼玉の私の実家がやっているアパートに住み出しました。

1人用なのですがそれなりに広い(38平米)のです。

2階角部屋で風通しも良く、とても明るい部屋です。

最寄りの駅から徒歩で3分ほど。

途中にはモールがあって、大きな食品スーパー(ヤオコー)、ユニクロ、GU、その他衣料品数店、ダイソー、西松屋、サンマルクカフェ、銀だこ、はなまるうどんなどが入るフードコート、パスタ店や元気寿司、映画館まで入るモールなので、駅から3分で部屋に入るのは至難の業。

早歩きで行けばスーパーマーケットのヤオコー入り口まで1分で行けます。

すぐ裏側には大きなスタバがあって、その先には巨大で緑豊かな公園がある素晴らしい環境です。

今週国内出張中なので娘に来てもらおうと考えていたのですが、家内が

「娘のところに泊まりたい!!」

と言い出しまして、今居候中です。

2階なので??でしたが、娘曰く

「全然問題ない!!」

そうです。

もともと行動的な家内ですから、

娘のテレワーク中に1人で散歩や買い物を楽しんでいるようです。

安心して仕事ができるので、助かっています。

自宅ツアー

みなさまこんにちは。

パッチングワーカーです。

昨日まで海外からお客様が来日していて、濃厚な日々を過ごしました。

車で多摩の温泉にもお連れできて喜んでくれました。

なぜ多摩かと言いますと、副社長様の肩にTattooが入っておりまして(海外ではかなり当たりまえですが、日本ではなかなか理解されないようです)東京から2時間以内でいける日帰り温泉でオフィシャルにTattooを受け入れているところがなかなか見つからなかったのです。

やっと見つけた奥多摩の【もえぎの湯】がどうやらOKのようだと言うことで電話。

『問題ないですよ〜』

とのことでここに決まったのでした。

https://www.okutamas.co.jp/moegi/

屋根裏

200Vの動力が開通して、全館空調と食洗機の稼働確認をしたところ、全館空調にエラー表示が出てしまいました。

まあ、20年近く経っていますからね。

そんな訳で機器が置いてある天井裏に潜入です。

中の蓋は15センチ厚みのある断熱材です。

外は29度と暑い日でしたが、エアコンなしで涼しい室内を支えてくれているのが天井裏と室内を完全に遮断してくれている断熱材のおかげ。

入口を例外にするとここから熱気が降りてきてしまうので、徹底して断熱しています。

この考え方は床下収納も同じ。

床下の冷気を遮断するために30センチ厚の断熱材が入っているのですが、収納ドアの裏側にも15センチの断熱蓋が備えられています。

天井裏はサウナ状態。

屋根裏を構成している木の香りが強く漂っていて、まるでサウナにいるようです。

物々しい全館空調ユニットの一部
Honeywellの文字が見えます

山武が米国ハネウエル社と共同事業を展開しているときの遺品です。

残念ながら私には問題解決できずサービスを呼ぶことにしました。

それにしても暑いです。

天井裏には海外に出発する際に持ち出せなかった品々が置いてあり(置いたのです)、ルクセンブルグを離れる時に貰った品々や絵画も。

シュナップスという蒸留酒は20年経った今でも飲めそうですが、栓が空いていないのに量が大幅に減っています。

夏場に蒸発してしまったのでしょう。

高価なものではありませんが思い出として飾っておくことにします。

カビも少し生えています

200V電源を使用する食洗機は20年近く経った今でも問題なく作動して、グラス類を信じられないくらい美しく仕上げてくれました。

買い替えを覚悟していたので、ちょっと感動。

色褪せたテラコッタ風タイルが時を感じさせます

家内がパティシエをしている時代にこだわったアイランドキッチン(の残骸)を少しだけ。

ガスコンロはボロボロなので発注しましたが5ヶ月待ちです
久しぶりに陽の光を浴びたツールたちです

私の書斎(長男の部屋だったところを使わせてもらいます)も明るくて仕事が捗ります。

風が心地よいです。

古いソファも捨てずに書斎に置きました

最後にリビングの照明とカーテンです。

探して探しまくった末に見つけた照明。

クリプトン球を使用していましたが全てLEDに交換。

消し忘れても財布に優しくなりました。

カーテンは家内のこだわりが詰まったローラシュレイ。

生地を買って家内がカーテンにしつらえました。

20年経ってもまだ使えるなんて不思議です。

天井に接するリボンタイプの壁紙もカーテンと同じ柄のローラアシュレイ。

コストを切り詰めるために自分達で施工したものです。

少しずつ手直しをして住みやすくしていこうと思っています。

ウッドデッキはまだ作っていませんが、我慢できなくて七輪バーベキューをしました。

写真撮り忘れて焼きおにぎりだけです。

忘れていた味でした〜美味です

HILTON東京エグゼクティブラウンジ

お久しぶりです。

パッチングワーカーです。

週初めから北米とシンガポールのお客さまを迎えております。

以前少し触れたNAIS上場企業のVP(副社長様)とアジアパシフィックの統括部長様。

本社の裏山が雪山の会社です。

信頼している占い師様が

『パッチングワーカーさんが雪山をバックに仕事している姿が見えます』

と仰った会社の方々です。

VP曰く、

『来年本社(ソルトレイクシティ)に招待して、その後にナパ(カリフォルニア)のワイナリーでパーティーをするぞ!!』

だそうです。

『私の家族は?』

って聞いたら

『Sure!!』

だって。

また占いが当たりそうです。

P社、Y社、B社、T社等の企業を訪問した合間に、築地の場外で美味しいオーセンティックなお寿司をご馳走したり、焼き鳥を食べに行ったり、

日本のカレーが食べたいというので今日のランチは神田でカレーを食べました。

今晩は彼らが招待してくれるとのことで楽しみにしていたのですが、

店を聞いてビックリ!!!

神戸牛焼肉店でした。

行った事ないです〜😀

ホント楽しみです。

NASDAC上場企業のVPともなると凄いもので、お泊まりのホテルはHILTON東京。

そういえば以前apple社の方をお迎えした時は、六本木のグランドハイアットにお泊まりでした。

アメリカの会社って従業員を大切にしてますよね。

午後のB社役員とのミーティングが早く終わったので、お二人にホテルで休むようにお伝えしたら

『お前はどうするんだ?』

って言うので、

『その辺のカフェで仕事しているから心配するな』

って伝えたら、ホテルのエグゼクティブフロアのラウンジに通してくれました。

マリオットグループとは違う雰囲気でこれもまた素敵です。

外国人が多いです。

アウェイのホテルラウンジでブログを書いてみたくなって、

内容のない記事をアップさせていただきます。

あと少しで神戸牛焼肉だー😂

頑張ってアテンドして良かったなー

子どもみたいですわ。

引越完了しました

こんにちはパッチングワーカーです。

ゴールデンウイークを如何お過ごしでしょうか?

我が家は引越後の整理と片付け、掃除などに追われております。

車が来るのもまだまだ先で、

駅前のレンタカーもゴールデンウイークで軽まで全て貸出中。

今までお世話になってきたカーシェアはここにはありません。

車がなくては生活できないエリアですから、必要な時だけ車を使うライフスタイルはここにはないのです。

そんなわけでモーター付き自転車と歩きだけが頼りなのです。

幸い複数のネットスーパーの配達エリア(アマゾン、東急ストア、イオン、セブンアンドアイ)なので、早速お世話になっています。

4月24日(日)にインドネシアから帰国して、27日(水)には引越だったのでそれはハードでした。

ホテルの隣が火事になった後に同行者が重度の脱水症状で入院するというハプニングもあって、帰国まで気を抜けずに緊張状態でした。

同行者にとって初めての海外!!

初海外で火事と入院の両方体験するなんて持ってますよね🙃

出張に出る前に

『パッチングワーカーさんは大丈夫なんですが、同行者さんは方角が悪すぎるので注意が必要です。

できれば7月まではこの方角に行かないのが良いのですが…』

信頼する占い師の方に言われていたのです。

火事を経験して

『これか?』

って思ったのですが、それだけではありませんでした。

そんな訳で史上最も疲れた海外出張となったわけです。

とはいえ、無事に予定通り日本に帰ってくることができましたから感謝です。

引っ越し前日は、家族全員(息子も合流)がお気に入りの吉祥寺GGさんでナポリピッツアを食べながら送別会をしました。

元ピッツア職人として、ここのナポリピッツアはおすすめです。

生地の熟成香は本物です。

ピッツァのお店って客単価が上がりにくいので回転させないと大変なんです。

なので、短時間で沢山食べて沢山飲んできました。

ブレない美味しさです。

遠くなってしまってしばらく来れません。

ご馳走様でした。

白と赤を開けました

さようなら&ただいま

大分から東京に家族で引っ越してきて7年でした。

家具が全て運び出されるとそれなりに広いスペースで暮らしていたことに驚きました。

キッチンからリビングを見た景色
主寝室でした

綺麗に掃除をして管理人さまにご挨拶をして、7年間お世話になったマンションにさよならを言いました。

車で約1時間の距離にある私たちの家。

14年ぶりの我が家。

築20年なんですけど借主さまが丁寧に使っていてくださったようで、それなりに綺麗です。

14年ぶりの玄関〜懐かしい
子供達の声が聞こえるFlex room (26歳と24歳になってしまいました😄)
ダイニングとキッチン(20年前の家には見えないでしょ)
近くからの眺め(心地よい風が流れます)

綺麗な空気と素晴らしい気の流れで、家内の調子が良くなることを願っています。

坂ばかりの地形なので心配していましたが、結構器用に上り下りができていて安心しました。

戻ってきてよかった!!

そう思えるのです。

拡大自殺

こんにちは、パッチングワーカーです。

ここスラバヤでもNHKの日本語放送を視聴できます。

今日のNews Watch 9で、昨年12月に大阪で発生した心療内科の放火自殺の特集をやっていました。

自分を取り巻くコミュニティに疎外感を感じて、憎しみを抱き、多数を道連れにして目立って自殺する事を拡大自殺と呼ぶのだそうです。

亡くなった院長の妹さんのインタビューで、院長がどれだけ一生懸命前向きに患者を救おうとしていたかの証拠になる遺品を紹介されていました。

並行して、加害者とされる人物の孤独についても取材していました。

精神的に追い詰められて仕事を失い、友人もなく(スマホには誰も登録されていなかったそうです)、助けてほしいと訴える勇気もなく、生活保護申請も却下されたのだそうです。

医師の言葉の中に

『こんな悪い事をすると友人に迷惑をかけるとか、家族に迷惑をかけるといった感情が静止力になる』

と。

5年前に生活保護の相談にのった方のインタビューでは

『心から助けてくれと言えない人だった』

そう仰っていました。

もっと親身になっていれば、と後悔していました。

私も孤独感の中で同じ感情が芽生えたことがあります

ドン引きされる事を覚悟して書きます。

アメリカで、日本で家が建つほどのお金を病院に支払って帰国したと。

仕事をたたんで帰国したのと、体も言葉も不自由な家内を置いて仕事を探すなんてできなかったし、技術者が働ける場所が片田舎にはないと思ってもいました。

口座のお金は流れるように無くなってゆきましたが、家内が倒れてから脳みそがフリーズして回復の兆しもなかったので対策も打てず。

誰もいない田舎の道を家内と2人でリハビリ散歩を繰り返していましたが、全く良いアイデアが生まれませんでした。

田舎ですから、

『障害を抱えた家族は恥ずかしいから外に出さない』

文化があったのもあって、家内以外の障がい者が道を歩いているのを見ませんでした。

そんなわけで疎外感を感じるようになりました。

お金もどんどん減っていって、生活保護すら意識するようになりました。

今考えれば、横浜にローン中とは言え不動産を所有していて生活保護もないですけど、

追い詰められていたんです。

自分から

『助けてほしい』

って言えなかったんです。

それで、逆恨みっていうか

『街ごと沈んでしまえばいいのに』

って思ったりしました。

だから

『助けてくれって声を出して言いなさい!!』

では、誰も救えないと思うのです。

この制度があれば、大阪の事件で加害者も被害者も作らないで済んだ唯一の方法は

『ベーシックインカム』

だと思います。

思い切って言わなくていい。

心が病んでいても食べていける。

治ったら頑張って働いて税金を納めて、世の中の役に立てばいい。

年金制度も要らなくなるし、

不景気で収入がなくなる恐怖がないから、購買意欲はばらつきにくい。

景気も安定するわけです。

皆様はどう思いますか?

今はそんな野暮な事思わないですけど、気持ちはわかります。

加害者に寄り添う意見もいいけれど、

被害者に寄り添う意見もいいけれど、

一気に両方無くせるのに!!

社会の仕組みをいつ誰が変えてくれるのでしょうか?

隣のSOGOが火事になりました

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

今朝はFour Points by Sheratonに滞在していたのに、今はJW Marriott Surabayaにおります。

PM5時に汗だくで仕事を終え、ドライバーにホテルまで送ってもらっていました。

片道70分程の道のりです。

後10分ほどで着くあたりで、ドライバーが動画を見せてくれました。

ビルが燃えているやつ。

言葉が通じないので意味がわからずにいると、

翻訳ツールを使って説明してくれました。

お前たちのホテルが火事らしい。

『?』

確かに封鎖せれていて車は閉め出されて入れません。

そのうち情報が集まってきて

『SOGOが燃えている』

と訂正。

Ayo Teguhさんの投稿を拝借しております

800メートル先の車が入れなくなるところで降ろしてもらって歩きました。

ホテルは大丈夫は不安を抱えながら歩きます

ホテルへの危険は当面なさそうということで、荷物の準備だけは許可が下りました。

荷物をまとめて待機せよとのことでした。

待機中に部屋から撮った消化作業。

ハイテク消化作業

今朝、この窓からの朝日をアップしたばかりなのに。

一寸先は闇です。

ホテルの計らいで、系列のJW MarriottとSheratonに分かれて避難することになりました。

素敵なホテルですが、さすがに疲れました。

ホテル情報は追っていたします。

怪我人が出ていない事を祈ります。

スラバヤ通りの妹へ

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

スラバヤに居ますと申し上げて、そこが何処なのかピンとこない方が殆どだと思います。

インドネシアがどのあたりにあるのかも普通はわかりません。

私が前職で大分県に転勤が決まったときは、別府が大分県にあることすら知りませんでしたからね。

関西の方にとっては茨城県と栃木県の正確な場所、関東の人間にとっては和歌山県や兵庫県の正確な場所がわからないのと同じ、かな?。

ユーミン好きの私からすると

『スラバヤ通りの妹へ』

のスラバヤ?

って思いました。

でも、スラバヤ通りはジャカルタにありまして、骨董市が常時あるような場所。

私がルクセンブルグで住んでいた住所は

Rue du Etats Unis

直訳すればアメリカ通りです。

各地に銀座があるみたいなものですかね?

違うな。

『スラバヤ通りの妹へ』

は、1981年にリリースされた4曲しか入っていないアルバム

『水の中のASIAへ』

の中の1曲でした。

妹みたいね15のあなた

髪を束ねて前を歩いてくかごの鳩や

不思議な果物に埋もれそうな朝の市場

やせた年寄りは責めるように

私と日本に目をそむける

でも、”RASA…(RASA…)RASA SAYANG EH”

そのつぎを教えてよ

少しの英語だけがあなたとの

架け橋なら淋しいから

”RASA SAYANG EH”

松任谷由実 スラバヤ通りの妹へ

日本に占領されていた時代を物語っているとても深い詩なのです。

この歌はスラバヤの歌ではないけれど、

もしスラバヤって聞いたことがあるなまえだな?

と思ったのであれば、この曲かもしれませんよ。

私が若かった頃のユーミンはアフリカだったり、インドネシアだったり、香港、中国といった、

当時では考えられなかった土地をテーマに曲を書いています。

今でこそ馴染みのある場所かもしれないですが、

当時はなぜアフリカ?

なぜインドネシア?

なんて思っていました。

仕事でケニアに行った時に思いましたね。

ユーミンは俺の4半世紀先を行ってる!!

ケニアの出張はインドネシアから急きょ行ったので、

『スラバヤ通りの妹へ』

と、

『アフリカへ生きたい』

の2曲を同時に追いかけた旅になったのでした。

懐かしいなあとスラバヤで思うのでした。

スティーブ・ジョブスが一般人の10年以上先を見ていて理解されなかったように、

ユーミンの理解不能な凄さを実感したのを覚えています。

人より先に外を見ることの大切さ、

日本を外から見る重要さ、

井の中の蛙になってはいけませんよ、

それらを肝に銘じて、私も生きてゆきたいのです。

全然足りないですけど😂

スラバヤの朝日をご覧いただきたいと思います。

想い出迷子

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日遅くまで頑張って、90%程度までの箱詰めを終わらせることができました。

残りは4月末までの生活で最低限必要なものです。

私は星的に天馬と言って同じ場所に留まらない人生を歩むそうなのですが、本当にその通りになっています。

東京で生まれて、2歳で埼玉に引っ越しました。

地元の幼稚園、小学校、中学校までは周りと同じコピペ人生。

高校は地元ではなく浦和に通い、東京の大学に行きました。

大学を卒業するまでは、父が家を建て替えた時に仮住まいに引っ越しをしただけで全く同じ場所で暮らしました。

転校の辛さを味わったことがありませんでした。

就職をしてから人生が変わり始めます。

この会社は一部上場で日本橋に本社があることから、

『通える!!』

などという浅はかな考えも選択の理由です。

有名な会社でしたしね、あまり深くは考えていませんでした。

『残業が少ないと良いな』

なんて、今時の若いもんの発想!やってました。

でも実はこの会社、仕事大好き集団でした😂

そこから天馬としての星が暴れ出しました。

研修で秋田、仮配属で秋田、配属で長野、使えないと思われて(たぶん)大分、縁あってヨーロッパ(行く前に結婚、現地で長男と長女を授かる)、帰国して千葉、退社して横浜、仕事でアメリカ、妻が倒れて大分(無職)、お世話になっている会社の社長に誘っていただいて東京(今の住処)、そして横浜に戻る、わけです。

懐かしくて進まない

そんなわけで思い出だけは濃厚!!

引っ越しをしていると、ダンボール箱から出していないアルバム以外のあちらこちらから懐かしい写真が顔を出します。

その度に手が止まって懐かしむ感じです。

思い出迷子ってやつです。

人の家族写真ほどつまらないものはないですが、やたらと移動していることを感じていただけるとありがたいです。

イタリア、スイス、モルディブ、ケイマン(カリブ海)、シャルメルシェイク(紅海)、エルグーナ(紅海)。

ここにはありませんが、ディズニーワールド(フロリダ)、ディズニーランドパリ(フランス)、コスタデルソル(スペイン)等の写真が出てきました。

4月1日からは娘も社会人。

なんとか親の役目を果たすことができました。

チューブに繋がれた意識のない妻の横で、子供たちと共に祈ったあの日。

一人で育て上げる自信がなくて本当に不安でした。

妻は一命をとりとめてくれて、想像を絶する大変さながらも家族全員生きてこられたことに心から感謝しながら、しばらく停滞していた時期を取り戻すべく人生フライトが大きな音を立てながら再上昇を始めています。

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