諦めていた手が、動き始めた。 ——脳出血後遺症と薬酒、そして15年後に知った後悔

「川平法を何度やっても、ぴくりとも動かなかった」。あの日の絶望を、今でも忘れられません。妻が脳出血で倒れてから15年。私がこの記事を書いているのは、「知っていれば」という後悔を、誰かの「知っていてよかった」に変えたいからです。

こんにちは、養生日和のTOMOです。

今回は、個人的な話をします。

アメリカに住んでいた頃に妻が脳出血で倒れたのは、15年以上前のことです。救急搬送、ICU、回復期リハビリ病院、帰国、鹿児島大学付属霧島リハビリテーションセンター、そして自宅介護——その一連の中で、私は「日本の仕組みはここまで想定していない」と何度も壁にぶつかりました。そして私自身も、鬱になりました。

15年間、いつの頃か妻の手が動くことを諦め、痛みの緩和に気持ちを切り替えて生きてきました。

その私が今、この記事を書いているのは——薬酒と火の療法に出会い、少しずつ、妻の体が動き始めているからです。

神山道元先生(中医学専門医・龍門派)から教わったこの療法が、後遺症で諦めている人、その家族に、届いてほしいと思います。

⚠️ 本記事は個人の体験と中医学の観点からの情報提供です。脳出血・脳梗塞の治療については必ず主治医にご相談ください。

あの日から、すべてが変わった

妻が倒れたのは、何の予兆もない普通の朝でした。

脳出血。左脳。右半身に麻痺が残りました。

救急病院での処置が終わると、次は回復期リハビリ病院へ。そこでも懸命にリハビリに取り組みました。「川平法」という、反復促通療法にも希望を託しました。

何度も、何度も。

でも、右手はぴくりとも動きませんでした。

医師から「これ以上の回復は難しい」と言われたとき、私の中で何かが折れました。それでも、妻の前では折れた顔を見せるわけにはいかなかった。

日本の仕組みは、ここまで想定していない

脳出血で家族が倒れるということは、「病人が出た」ということだけではありません。

家族の生活が、根底から変わるということです。

「見舞い」しか想定されていない

日本の制度は、家族の入院に対して「見舞いに行く」ことしか想定していません。

育児休業は制度として存在します。完全ではないにしても、「子育てのために仕事を離れる権利」は社会的に認められています。

では、家族が脳出血で倒れたとき、その回復に寄り添うために仕事を離れる権利は?

ありません。介護休業という制度はありますが、「介護」は認定を受けた要介護状態を前提とします。急性期・回復期の、最も重要な時期に、家族が寄り添うための制度的な保障は、ほぼ存在しません。

リハビリに付き合うためには、仕事を休まなければならない。でも休めば収入が減る。会社に居場所がなくなるかもしれない。

一緒に歩んできた家族をそこに置いて、仕事ができるのか。

できません。少なくとも、私にはできませんでした。

家主が倒れるとき

介護する側のメンタルケアも、ほぼ想定されていません。

私は、鬱になりました。

それは弱さではなく、当然の帰結でした。睡眠が削られ、先が見えず、自分の感情を後回しにし続けた結果です。でもその鬱を誰かが察知して、サポートしてくれる仕組みは、どこにもありませんでした。

家族が大病を患うということは、その家族を支える人間も同時に危機に瀕するということです。痛みを一緒に感じなければ、家族の結束は崩れてしまう。でも痛みを一緒に感じ続ければ、支える側も壊れていく。

この矛盾を、社会はまだ直視していません。

15年後に知った——薬酒と火の療法

妻の右手が動かなくなって15年が過ぎた頃、神山道元先生と出会いました。

先生は中医学専門医、龍門派の継承者です。先生に妻の状態を話したとき、こう言われました。

「関節にガスが溜まっているのです。そのガスを取り除けば、動く可能性があります」

15年間、誰もそんなことを言った医師はいませんでした。

薬酒とは何か

先生が処方されたのは、漢方生薬を白酒(中国の蒸留酒)に2週間漬け込んだ「薬酒」です。

神山先生が患者の状態に合わせて調合した生薬を、白酒に漬ける。その薬酒を内服することで、関節に溜まったガスを体内から解消していきます。

中医学では、気血の滞りが長期間続くと、関節や経絡に「濁り」が蓄積されると考えます。脳出血後の麻痺肢では、長年動かないことで、この滞りが深く固着している。薬酒はその固着を内側から解いていく働きをします。

火の療法とは何か

並行して行われるのが「火の療法」です。

動かない関節に、瞬間的に火を当てます。

するとーー

ぼっと、燃えるのです。

関節に溜まったガスが、実際に燃える。これを目にしたとき、15年間「動かないのが当然」と思っていたものが、実は「詰まっていた」だけだったのだと、初めて理解しました。

薬酒で内側から、火の療法で外側から——詰まりを取り除いていく。中医学の「通則不痛、痛則不通(通じれば痛まず、痛むのは通じていないから)」という原則そのものです。

今、起きていること

まだ途中です。劇的な変化ではありません。

でも、少しずつ、確実に変わり始めています。

痛みが和らいでいます。体の感覚が戻り始めています。

15年間諦めていた手が、動く可能性が、まだあるかもしれない。

「全てがつながっている」——先生のこの言葉が、今は深く響きます。手だけの問題ではなく、気血の滞り、関節のガス、内臓の状態、感情の歴史——すべてがつながっていた。

中医学を知っていれば——という後悔

発症から15年後に薬酒を知った。

この事実が意味することを、私はずっと考えています。

もし発症直後から、あるいは発症後1年以内に、この療法を知っていたら——関節のガスがまだ柔らかい段階で詰まりを取り除いていたら——どれだけ違う未来があったか。

もしかしたら、この時点では現代医学以外を信じなかったかもしれません。

後悔を書いても、時間は戻りません。

だから私は、この後悔を記録として残します。

中医学が見ていたもの

中医学は、脳出血後遺症を「気血の大きな滞り」として捉えます。

脳出血という「気血の暴走・崩壊」の後、体は防衛反応として患部を固めようとします。麻痺はその固まりの結果です。固まりを放置すれば、やがてガスが溜まり、血が届かなくなり、組織は深く眠り込んでいく。

西洋医学のリハビリは「動かす」ことで神経回路の再建を図ります。それは正しいアプローチです。でも「詰まりを取る」という視点は、そこにはありませんでした。

両方あれば——と思います。

倒れてしまった人へ、後遺症が残った人の家族へ

この記事を読んでいる方の中に、脳出血や脳梗塞の後遺症を抱えている方、その家族の方がいるかもしれません。

発症から日が浅い方は、今すぐ神山先生への相談を検討してください。詰まりが浅い段階での介入ほど、効果が出やすい。

発症から年数が経っている方も、諦めないでください。15年経っても、変化は起きています。

「もう遅い」と思わないでほしいのです。私がそう思っていたから。でも、遅くはなかった。

家族が大病を患うとき、社会に求めたいこと

最後に、制度の話を書かせてください。

これは個人の体験を超えた、社会への問いです。

家族の急性期・回復期に寄り添うための「家族介護休業」制度の拡充

これは見るデータが違っているだけです。チーム未来が訴えている「高額医療制度」変更への反対の根拠と似ています。医療費だけでなく、翌年以降(今年も入る)の収入が大幅に減るんです。家族を支えている大黒柱が病に倒れた場合の想定は大切ですが、大黒柱が看病しなければならない局面に立たされた時はどうなりますか?それまでは頑張って働いて、税金をたくさん納めてきたんです。深く深く、性善説での設計を望みます。

介護する側(ケアラー)のメンタルヘルスへの公的サポート

西洋医学と東洋医学が連携できる医療体制の整備

この件が難しいことは承知しています。リハビリ方法の作法というか、派閥みたいな壁があって認め合わないなんてことも存在しています。西洋医学とそれ以外も同様です。目線を患者に移せば、簡単にわかることが見えなくなっている。最近、すこしづつ政治に風穴が開き始めている。皆が諦めていたのにです。だから、諦めてはいけない。患者やその家族の目線に立ち返れば、全員が井戸から飛び出さなければいけないことは明白。戦うのではなく、それぞれの得意分野が違うだけ。そこが完璧になれば、金儲けしか考えていない、なんちゃって合法サードパーティが台頭できる余地が狭まります。

後遺症患者とその家族に、中医学・鍼灸などの選択肢を情報提供する仕組み

子育てに育児休業があるように、家族の大病に寄り添うための制度が必要です。

「見舞いに行く」ではなく「一緒に回復していく」ことを、社会が支える仕組みが必要です。

痛みを一緒に感じることが、家族の結束を守ります。その時間を社会が保障することが、長期的には社会全体のコストを下げることにもつながるはずです。

おわりに

妻が倒れた日から、私の人生は変わりました。

それは悲劇でした。でも同時に、私に多くのことを教えてくれた出来事でもありました。

中医学と出会い、神山先生と出会い、「全てがつながっている」という視点を得た今、あの日の経験を無駄にしたくないと強く思っています。

養生日和は「乗り越えられない試練はない」をテーマにしています。

15年越しの薬酒が、その言葉の証明になるかもしれない。

まだ途中です。でも、動き始めています。

後遺症で諦めているすべての人と、その家族へ。まだ、道はあるかもしれません。

神山道元先生への相談・薬酒についての詳細は、コメント欄からお問い合わせください。なお、薬酒の処方箋は診察を受けないと発行されませんので、ご了承ください。
このブログは法律遵守を心がけて制作しています。

── 養生日和 TOMO


Q1|脳出血の後遺症に薬酒は効きますか?

神山道元先生(中医学専門医・龍門派)によると、脳出血後遺症で麻痺が残る場合、長期間動かない関節にガスが溜まり、気血の滞りが固着することがあります。薬酒と火の療法によってこの滞りを取り除くことで、回復の可能性が生まれる場合があります。発症からの年数に関わらず、まず専門家への相談をお勧めします。

Q2|薬酒とはどういうものですか?

神山先生が患者の状態に合わせて調合した漢方生薬を、白酒(中国の蒸留酒)に約2週間漬け込んだものです。内服することで関節に溜まったガスを体内から解消し、気血の滞りを解いていく効果があるとされています。処方は個人の状態によって異なります。

Q3|脳出血の家族を介護している人が鬱になりやすいのはなぜですか?

睡眠の慢性的な不足、先の見えない状況への不安、自分の感情を後回しにし続けることによる肝の疏泄(気の流れ)の乱れが重なることで、気滞から鬱証へと発展しやすくなります。中医学では「痛みを共に感じること」が家族の養生でもあると考えますが、支える側のケアも同様に重要です。

Q4|日本の介護制度で、急性期・回復期の家族に寄り添える制度はありますか?

現状では、急性期・回復期に家族が継続的に寄り添うための制度的保障はほぼありません。介護休業制度は要介護認定を前提とするため、最も重要な発症直後の時期にはカバーされないことが多い状況です。制度の拡充が社会的課題として残っています。

これまで読んでくださった皆さんへ

このブログを続けて読んでくださってきた方には、まず一つだけお礼を申し上げたいのです。

正直に言うと、ここに書いてきたことは、楽しい話や役に立つ話ばかりではありませんでした。
むしろ、苦しかった時期のこと、答えが出ないまま抱え込んでいた迷い、そういうものを文字にすることで、なんとか形にしてきたような場所でした。

それを読んで、コメントをくださったり、黙って読み続けてくださったりした皆さんが、私にとってはずっと支えでした。
大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っています。

今日は、これからこのブログをどう書いていきたいか、少しお話しさせてください。
方向転換のお知らせではなく、むしろこれまで書いてきたことの、続きのつもりです。

振り返ると、私はずっと『中断』を書いていた

改めてこのブログの記事を見返してみて、気づいたことがあります。

私はずっと、「中断」の話を書いていたのです。

ルクセンブルクに赴任したとき、私のTOEICは420点でした。
自分なりには「結構できる」と思い込んでいた半人前エンジニアが、ゼロベースで700名規模の工場を立ち上げる仕事にいきなり放り込まれた。
採用から準備、生産開始、24時間3交代の稼働まで、一気に進んでいくプロジェクトです。
順調なわけがない。
能力も中途半端、言葉もできない、相手も日本人ではない。
それでも、後ろには誰も控えていない——助けてくれる上司も、代わってくれる同僚もいない。
この「後ろに誰もいない恐怖」は、一度味わうと人を変えます。
アホでも、一人前になるのです。

結婚したばかりで連れて行った家内は、トラブル続きで家に帰ってこない夫を、ひたすら待ちぼうけでした。
当時は気づいていなかったけれど、その時点ですでに、私は家族の時間にたくさんの「中断」を作っていたのだと、今ならわかります。

それでも、言葉を覚え、仕事を覚え、たくさんの経営者と知り合って、そうするうちに、少しずつ考え方が変わっていきました。
技術者一辺倒だった自分は、石頭で、お客様の顔も見えていなかった。
凝り固まった、アホな自信で自分を守っていただけでした。
縁があって、事業の全体が見られるプロジェクトに入れてもらえたのは、大きな転機でした。
時間をかけて、ようやく全体を見る目が出来上がっていった。
バケーションという休み方の大切さも、日本にいたら理解できなかったと思います。

海外で長く働いて、ようやく日本に戻ってきたとき、帰ってきたはずなのに、居場所がうまく掴めない感覚がありました。
本社の会議に入っても、自分だけ別のゲームをしていたような違和感がある。
海外で身についた意思決定のスピードや、ダイバーシティを前提にした物の見方は、日本の組織の中では必ずしも歓迎されません。
それは分かっていたつもりでしたが、実際に直面してみると、予想以上に消耗するものでした。

妻の病気

そのあとに、妻の病気がありました。

このことは、このブログに何度も書いてきたので、今日は少しだけ。

アメリカに住んでいたある日、妻が倒れて、助からないかもしれない、という状況になりました。
何が起きているのかも、すぐには理解できませんでした。
最初にかかった病院では手の施しようがないと言われて、超巨大な病院に運ばれました。
受付で「お金持ってる?」と聞かれて、「なんとかするから!!」としか答えられなかった。
そんな場面でした。

妻は命はつなぎました。
けれど、右半身の麻痺、失語症、視野欠損が残りました。
そして、脳卒中のあとに残る強烈な痛み——。
この痛みに、一時的にでも効く薬がなかなか見つからない。
私たち夫婦は、その痛みの手がかりを探し続けて、もう15年になります。
今日も、その途中です。

無職の期間

アメリカの病院で、考えられないほどの金額を払いました。

金がない、仕事もない、働きに出ることもできない——妻のそばを離れられないから。
自分ひとりで稼ぐ方法を、そもそも私は知らないんだ、という事実に初めてぶつかった時期でした。
神様が助けてくれるかな、と思考が飛ぶような瞬間さえありました。

はっきり書きますが、お金が入ってこなくて、貯金だけが減っていく、いつ無くなるのかという恐怖と戦う状態というのは、思考停止しか楽になる手段がないんですよ。
あれは経験しないと分からない感覚です。

それでも、日々は続きます。

『空白』が私に残してくれたもの

ここが、今日いちばん書きたかったことです。

中断というのは、世の中的にはマイナスです。
履歴書の「空白期間」は、どう埋めるかを問われるもの。
仕事から離れた時期は、なるべく早く「普通」に戻すべきもの。
それが、日本の社会の、静かだけれど強い前提になっています。

でも、私は今、違うことを思っています。

家族の誰かが大病やメンタルダウンの時に、迷わずに仕事から離れる。
そのことで、キャリアがマイナスになるどころか、プラスになる——そういう生き方が、もっと普通にあっていいはずです。

「あの時しか気づけなかったことが、ひとつあった」——そういうロマンチックな書き方を、私はしたくありません。

正直に言えば、そういう一点突破の気づきは、私にはなかったからです。

あるのは、「こうなったから気づけたことが、数えきれないほど積み重なっている」という、もっと地味で、もっと揺るぎのない事実です。

その中で一番大きいのは、人の痛みがわかるようになったことです。

これは、仕事を続けていたら、たぶん一生身につかなかった感覚です。
それを知らないまま生きていたら、ルクセンブルクで出会った経営者たちの言葉も、半分しか聞こえていなかったかもしれない。そう思います。

師を探す旅

妻の痛みに、どうにか手がかりを見つけたい。
その一心で、私はずっと動き続けてきました。

ドクターショッピング(もちろん現代医学だけでなく)の中で、大学病院にも3か所行きました。

大阪大学病院では、痛みを和らげる目的で電極を埋め込みました。
残念ながら、効果は得られませんでした。
東京医科大学病院のペインクリニックでは、痛みの大きさが尋常でないことが測定で分かりました。
それでも、良くなる方向に進む道はなかなか見えません。
電極を抜去してくださった執刀医の先生が、横浜市大から来られていて、そちらのペインクリニックを紹介してくださいました。
1年待って、ようやく診察を受けた初日に、「治らないよ!」と言われました。
骨粗鬆症の検査をはじめ、痛みとは関係のない、患者の痛みは二の次の、病院経営の匂いがプンプンする勧めには疲れました。

ありとあらゆる方法を試しても、辿り着かない。
諦めそうになるのですが、諦められるわけがない。
そういう日々の中では、いつでもどこでもアンテナを張っている——そういう状態がずっと続いていました。

ある日、YouTubeのおすすめに、一人の先生が現れました。

色彩療法の阿久沢先生です。

すぐに電話をして、水戸まで車で行きました。
泊まりがけで。
先生はたくさんの手技をお持ちで、話を伺っているうちに、長く張っていたアンテナが、ようやく何かを捉えた——そういう感覚がありました。
効いた/効かない、という話ではありません。
ただ、「ここは通うべき場所だ」と身体が知った、と言ったら近いかもしれません。

そして阿久沢先生から、こう言っていただきました。
「体力が追いつかないね。漢方の助けも要るよ」。
そう言って、もうお一人の先生を紹介してくださいました。

それが、神山道元先生でした。

これから書いていきたいこと

ここからは、ゆっくり、一本ずつ書いていきます。

養生というのは、病気を治す方法ではありません。
神山先生ご自身、そうはっきりおっしゃいます。
医療の代わりではなく、医療と並んで、自分の体と日々を整えていく——そういう「稽古」の話です。

それが、50代の妻にとって、思いのほかしっくり来ました。
なぜかは、これから一本一本の記事で、具体的に書いていきます。

このブログには、これから「養生日和」という軸を加えていきます。

神山道元先生から教わっていること、阿久沢先生から教わっていること、そして私と家族が実際に日々実践してきて、少しずつ気づいてきたことを、難しくせず、毎日の具体の中で書いていきます。
呼吸、食事、睡眠、季節の変わり目の過ごし方。
そういう話です。

一つだけお断りしておきたいことがあります。

これらは医療のお話ではありません。
体調の不安があるときは、必ず医師にご相談ください。
私が書くのはあくまで、「もう一つの見方」としての養生です。
医療と並んで、自分の日々を整える稽古のこと。

でも、これまでの記事も消しません

方向を変えるからといって、これまで書いてきた記事を消すつもりはありません。

あの時期の苦しさや迷いは、今の私から見ると「起点」だったのだと分かります。
でも、苦しんでいたその瞬間には、それが起点になるなんて、まったく見えていませんでした。

だから、残しておきたいのです。
今まさに「中断」のただ中にいて、このブログを見つけてくださった方が、もしいらしたら、その方に読んでいただきたい。
「このあと、ちゃんと続きがありますよ」と、私自身の記録で伝えたいからです。

一緒に歩いてくれる人へ

これから書いていく養生日和の記事は、読むだけでも何かが残る、そういうものにしたいと思っています。

神山先生・阿久沢先生の教えを、もう少し体系立てて学んでみたい、という方向けの学びの場も、時期を見てご案内します。

タイミングを見つけて、神山道元先生について、もう少しきちんと書きます。


※本記事は学習・教育目的の内容です。医療行為ではありません。健康上のご不安は医師にご相談ください。


神山先生の貴重な教えをデータベースにして、いつでも身体の不安を訴えることができるAIアプリを開発しています。

初AIRBNBで沖縄

大変ご無沙汰しております。

パッチングワーカーです。

今インドネシアにいます。

いつも泊まっているALOFTホテルの飲料水が、こんな小さなボトル2本になっていました。

エリート特典で4本貰えていたのに改悪だ!!って思いました。

なんとこれ、各階にリフィルステーションが設けられて、誰でも必要なだけ飲料水が使えるようになったのです。

自分でボトル持ってこい!!と書いてあって、

ボトル売ってるぞ!!とも書いてある。

SDGs(商売)ですね。

でも、確実にペットボトル廃棄が減るので環境にはありがたいです。

半年前のHILTON瀬底島リゾート滞在記もアップしていないくらい怠けているのですが、今回はあまりにも素晴らしかったので情報共有の意味も込めて、ご報告します。

HILTONオナーズのダイアモンド会員になった、というつまらない理由で、前回HILTON瀬底島リゾートに泊まりました。

このリゾートは曰く付きで、過去に2度も計画が頓挫している場所。

2度目の挑戦時(瀬底ビーチリゾート)は、半分以上建物が出来上がってしまっていたのに倒産するという不運に見舞われたリゾートなんです。

こちらの情報は彩遊記フォトブログさんの記事でどうぞ。

https://blog.goo.ne.jp/saiyu-ki_2007/e/3851b21ef8af1eadb3fa016199c138f3

瀬底ビーチリゾートが倒産して解雇した150名の中に、今では超有名編集者である、箕輪厚介さんが入っていた事実は有名な話(ご自分でお話しされてます)。

森トラストが、残骸の撤去も含めて土地買収をして作ったのが、HILTON瀬底島リゾートです。

町民憩いの場だった瀬底ビーチが、ヒルトンに独り占めされています。

HILTON瀬底リゾートのベランダから瀬底ビーチを望む写真です。

HILTON瀬底リゾートのベランダから瀬底ビーチを望む

美しい島の、美しいビーチを独占する形で立っているコンクリートの塊に違和感を覚えたのでした。

ただ、沖縄北部の美しい海を教えてくれたのがHILTON瀬底リゾートであることも事実。

本島唯一のカツオ漁が行われている本部町ならではの新鮮な魚、きしもと食堂をはじめとした沖縄そば激戦区でもある、沖縄北部の魅力に魅せられたのでした。

HILTONから車で少し走ったところにある具志堅ビーチ。

誰もいませんでした。

マリオットやヒルトン、ハイアット系のホテルに1週間以上のステイはキツイなあ。

毎日の豪華な朝食、ホテルで食べる高価な夕食か、あるいはタクシーで近くの居酒屋に行って、またタクシーで帰る毎日。

ビーチはプライベートなのに、部屋を出てエレベータに乗って、降りてから10分も歩く(家内が足が悪いからです)なんてつまらなすぎる。

HILTONにステイして大満足だったのは、24時間聴こえる波の音と素晴らしいオーシャンビュー!!

自炊は苦ではない私。

帰るや否や、AIRBNBでマッチする物件を根こそぎリサーチしまくったのでした。

そして決めたのが屋我地島

那覇空港からレンタカーを借りて、高速道路を使って2時間弱の場所。

恩納村でいいじゃん!!

観光客で溢れかえった恩納村ではなくて、人が少ないところにステイしたい。

でも、ありました。

1日あたりのコストは、ヒルトン瀬底の一番安い部屋の40%安い感じです。

多分ですが、70平方メートルくらいで、ジャグジー付きです。

ドラム式の洗濯乾燥機完備(洗剤も完備)ですから、洗濯し放題。

コインランドリーがあっても、煩わしくないですか? 旅先での洗濯って。

洗濯や乾燥が終わって放置したら、迷惑かけるから時間に自由が効かないし、洗濯物持ってホテル内を移動するの面倒!!

屋我地島では車の運転と料理はマスト!!

徒歩圏内にはコンビニも居酒屋もございません。

まずは部屋からの景色をご覧ください。

家内でもビーチまで階段降りて徒歩2分、私なら20秒です。

24時間の波の音は勿論ですが、鉄筋コンクリート造の建物のおかげで、窓を閉めれば無音です。

勿体なくて窓閉めたくなくなります。

周りには数件の物件があるだけで、ゲストは欧米人です。

ビーチで軽く会話するくらいでプライベート感満載。

1週間以上の(それも連休でない時)バケーションなんぞ、日本人の眼中にはないからでしょう。

私たちもヨーロッパに住む事がなければ、1箇所滞在型のバケーションがメンタルに与える好影響に気づく事は無かったと思います。

もっと、気づいてしまったのは、パスポート取って、長いフライトを我慢する必要なんてないという事。

沖縄最強!!!!!

ホント、本島でも大満足 (オヤジギャグ)

お隣は朝ドラでも有名な古宇利島です。

古宇利島に渡る古宇利大橋からの眺め

古宇利大橋

宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋の眺めに似ています。

伊良部大橋

観光客が来る古宇利島は少し華やかで、お土産屋さんや飲食などもあります。

屋我地島にも僅かながらショップがあります。

私たちが伺ったのはカランというお店。

カフェ兼小物ショップ。

古民家を改装したであろうカフェです。

家内が食べた蜂蜜パフェは、島で養蜂をしている方から仕入れていて、この店のデッキにも蜂が飼われています。

蜂、見えますか?

グルテンNGの家内ですが、沖縄そばは諦めない。

前回行った沖縄そば屋さんは

EIBUN

EIBUN(那覇)

本部そば

豚骨が使われているのですがあっさり

きしもと食堂

かんすいを使わない木杯そば

なかむら蕎麦

このアーサ蕎麦が絶品です

でした。

好みの問題なので参考にはしないで欲しいのですが、私たちは文句なく、なかむら蕎麦のアーサ蕎麦がダントツNo.1です。

深い出汁、麺の喉越し(わざと喉越しを邪魔する手揉み麺が最高)、アーサの磯の香り、そして唯一完食しても喉が乾かない。

そんなわけで今回は、

なかむら蕎麦2回

前回と変わった事。

800円が1000円に値上げされていました。

行列が絶えない店は、値上げが鉄則。

値上げして、価格だけに魅せられた客をふるい落とし、また客が増えたら値上げする。

同じ利益なら労力が減った方が良い。

値上げするとメディアが騒ぐけれど、そんな考えだから日本だけ物価が安いんですよ。

店が儲かれば、人件費(給料)も上がる。

そこを政治家の方は頑張っていただきたいです。

なかむら蕎麦は経営安泰だと思います。

本当にうまい!!!!!

躊躇なく飲み干せます(喉が乾かない)

きしもと食堂

こちらは道に迷い込んだら、きしもと食堂(支店)があった感じです。

安定の美味しさ。

喉越しを楽しむ蕎麦ではありません。

自家製麺沖縄そば 海と麦と

こちらはYoutubeで知りました。

本部町だし行ってみよう!!

スープの味はEIBUNに似ています。

かつお節ご飯なんかも置いていて、鰹節出しに拘っていそうですが、スープからの鰹節の香りは控えめ。

ブレンドしているみたいです。

一口目のインパクトがある代わりに喉が渇くタイプ。

晩餐は目の前の海がおつまみ。

天ぷら買ってきたり、刺身買ってきたりで、泡盛を楽しみました。

こだわりはスパイスや天然出汁を持参した事。

ミルが一つあって、スパイスを付け替えて使うタイプのキャンプ用品です。

これには魚粉や昆布粉、天然野菜出汁、カレー系スパイスなどを入れています。

絶対に作りたかったのは

島豆腐で作った麻婆豆腐です。

そのために花山椒をホールで持参して、直前に挽いて使いました。

ベランダでね、波の音聞きながら楽しむんです。

ホテルの高級レストランより美味しく感じるのです。

はした無いのですけど、誰も見てないからこんな感じです。

下の料理(茶色ばかりで恥ずかしいです)は、島の天ぷら(グルクン)、島豆腐の厚揚げ島イカ(せいいか)のシマニンニク炒め物。

アグー豚のソテーもありますね。

新鮮な朝獲れ鰹は毎日
カツオの街本部町

前のビーチも美しいのですが、砂浜なので魚が少ないです。

瀬底大橋にほど近いポイント『ゴリラチョップ』

ここはダイバーもスノーケラーも沢山いるポイントです。

欧米人も沢山です。

ビーチエントリーもできて5分も泳げば珊瑚礁が広がるエリア。

美しかったあ〜。

辺野古が遠くないので気になりますが、できるうちに楽しみましょう!!

家内を引いてのスノーケルは結構大変だけど、喜びを共有できるので楽しいです。

こんな感じの7泊8日でした。

毎日雨予報でしたが、毎日晴れてました😃

沖縄バリアフリースノーケリング

こんにちは、パッチングワーカーです。

6月の沖縄旅行記の2回目です。

絶好の天気に恵まれて行った青の洞窟です。

コロナ前にも一度青の洞窟を訪れています。

平日の午前の一本目を狙って行ってきました。

『日光の入り方が一番美しい時間』

『那覇や北のホテルに宿泊している人たちは時間的に2本目を狙ってくるので空いている』

スノーケリングなのでスキューバダイバーがたくさんいると、レギュレータから放出されたバブルで美しさが台無しになってしまうのです。

特に体験ダイバーは思い通りに水中を泳げないので、砂を巻き上げたりして透明度も台無しになります。

一度スキューバの魅力を知ってしまうと魚目線で泳ぎたくなってしまうのですが、今回は3年近いブランクがあるのでもう一度スノーケリングから出直します。

JBDA(日本バリアフリーダイビング協会)の指導員資格を持ったインストラクターにガイドをしていただきます。

コロナ前にバリアフリースノーケリングを経験したのと同じショップにお願いしました。

宜野湾市のオーシャンゲートさんです。

ハンディキャップになってしまうと、考え方が保守的になりがちです。

周りの(五体満足な)人たちは、優しさのあまり腫れ物に触るような接し方をしがちです。

それが辛いけれど、かと言って自由に動き回ることができません。

でも、水中は比較的自由に動き回ることができて幸せです。

『次はスキューバで潜りたい!!』

家内が自ら強く希望しました。

そんな訳で10月にも予約を入れてきました。

青の洞窟

青の洞窟といえばイタリアのカプリ島にある超有名な洞窟のこと。

これが本家なのは言うまでもありません。

Grotta Azzurraと呼ばれるこの洞窟は半径1メートルもないような狭い入り口からボートで出入りする洞窟です。

この小さな入り口から差し込む太陽光が反射して真っ青に輝く奇跡が青の洞窟の正体なのです。

“Grotta Azzurra” カプリ島

1985年8月に卒業旅行で訪れて魅了されました。

出発直前に日航ジャンボ機が墜落したのを鮮明に覚えています。

エジプト、ギリシャ、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、オランダ、イギリス、フランスと1ヶ月を費やして楽しんで、最後に訪れたのがイタリアでした。

ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマなどを訪れたのですが、ローマ発の『ナポリポンペイ1日観光ツアー』に参加するはずが手違いで予約されておらず、泣く泣く空いていた『ナポリカプリ1日観光ツアー』に乗り込んだのでした。

英語力も怪しい若かりし頃、ツアーの後をついていくのが精一杯でした。

目的さえわからずに小さなボートに乗せられて、岩肌にぶつかりそうな怖い思いをして入った暗い洞窟の中で

『????』

と思ったのを覚えています。

船頭が指差す方向を振り返るとそこには、美しい真っ青な水面が広がっていたのでした。

感動のあまり言葉が出ないのです。

ダイビングなんて選択肢になかった時代でしたから、

『2度と見ることができない景色』

だと思っていました。

後にヨーロッパに住むなんて想像もしていませんでしたからね。

25歳(34年前です)の時にダイビングをやろうと決心してサイパンに行きました。

『彼女が水着に着替えたら』

という映画が発表される前でしたから、ダイビング人口は本当に少なくて何もかもが高価でした。

Cカードを取ることと、機材を買い揃える目的で日本よりはるかに安いサイパンに行ったのでした。

サイパンのグロット Pinterest Mikaさんより拝借

グロットと呼ばれるダイビングポイントは、外海に水中でつながっている内陸の池のようなところです。

水中30メートルあたりの外海につながるトンネルから差し込む光が、グロット内部を幻想的に照らします。

ダイバーになればこんな世界を見ることができるのだと感動したのです。

カプリ島の青の洞窟はダイバーでなくても行ける場所。

でも日本人はなかなかカプリ島まで行けませんよね。

サイパンのグロットはスキューバダイビングでなければ見ることができません。

沖縄本島恩納村にある青の洞窟はスノーケリングでも見ることができるのです。

眞栄田岬が風を遮ってくれるので波も穏やかなため、バリアフリースノーケリングにはぴったりの場所なのです。

長い前置きはこれくらいにして、沖縄の青の洞窟をお楽しみください。

天気も良くて期待できます
これはコロナ前の写真(寒そうでしょ)
海に入って機材の再チェックを行います

小笠原諸島・福徳岡ノ場の海底火山噴火に由来するとみられる軽石がまだいました
中に入っても軽石がたくさんいます
皆でフィンを使ってゆっくりとした水流を作って軽石を追い出します
記念撮影です
最後はお決まりの餌付けタイム

この時は全員のスノーケルの排水弁に軽石が引っかかって海水が入りまくってしまいました。

経験がない人だとパニックになってしまうかもしれません。

皆様も軽石をなめないでくださいね。

リタイアしたらJBDA(日本バリアフリーダイビング協会)の資格を取りたいと思いました。

今日はこんな感じで終わります。

続・創作意欲

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

憂鬱な確定申告もなんとか終わらせることができました。

皆様はいかがですか?

さっさとやってしまう派ですか?

ギリギリまで重い腰が上がらない派ですか?

何はともあれ納税は義務ですから、やるしかないです。

やっと解放された(仕事からは解放されていませんが…)ので、溜め込んだブログを少しずつご紹介させていただきます。

今日はとっくに完成していた妻の作品をご紹介します。

ゴソゴソとパッチワークを始めたと思ったらバッグになりました。

もちろん片手作品で誰も手伝っておりません。

ってか、手伝える腕を持っておりません…あしからず。

文章はここまでにして、ぜひご覧いただきたいです。

片手が不自由な家内目線から使いやすいバッグを作ったのだそうです。

障がい者=地味、お年寄り=地味

こんなイメージは勝手に作られたものですから、ヨーロッパみたいに皆がおしゃれできるといいですよね。

自己満足のお披露目でした😄

絶望から12年が経ちました

2月15日は家内の誕生日でした。

仕事に追われてすぐにアップできず、今になってしまいました。

バレンタインデーの翌日なので忘れないのですが、我が家にとっては歴史みたいなものです。

12年前の1月17日にアメリカのオハイオ州で家内が倒れました。

重度の脳出血でした。

地元の病院では対処できず全米トップ100に数えられる病院に転送されましたが、意識不明になり4日間生死を彷徨いました。

初日は家族用の宿泊施設に空きがなく、ICUで付き添うことも許されず近隣のホテルで長男、長女と共に不安な夜を過ごしました。

大きな部屋でしたが、3人とも不安で同じベットで過ごしました。

翌日からは病院に併設させている宿舎に空きが出て移りました。

隣はヘリポートで次々と患者が運ばれてきて眠れませんでした。

宿舎から病室(ICU)に行く途中に教会があり、たくさんの家族が祈りを捧げていました。

また、教会を過ぎると玄関先に常に10台近い救急車が停まっていて、次々と患者が搬送されていました。

覚悟をする余裕さえなく、昼は簡易人工呼吸器(切開しないタイプ)に繋がれている家内に寄り添い、時間ギリギリまでICUにいて救急車の大群や教会で祈りを捧げる患者の家族を見て部屋に帰るだけでした。

意識が戻るまで4日間でしたが、それはそれは長く感じていました。

第二の人生12歳

右半身が完全に麻痺し、嚥下障害で水を飲むと咳き込み、失語症で言葉を完全に失った状態で病院を移ってすぐに誕生日を迎えました。

病院の職員や看護師達で家内の誕生日を祝ってくれたんです。

絶望の中の一瞬の明るい話題というか希望というか。

その頃撮った写真をPCに保存していたのですが、悲しいことにハードディスクがクラッシュしてデータも取り出せずに消え去ってしまいましたので、思い出の写真(消し去りたい部分でもありますが)が残っていないのです。

クラウドも無い時代でした。

この辺りのエピソードはは過去に詳しく触れましたので今日はここまで。

家内は生まれ変わって12歳になりました。

温泉にも行くし、少しだけですがお酒も飲むし、ゆっくりですが歩くこともできている。

作品を作る喜びも持っているし、何より家が買えるほどの医療費で家計が大ピンチになったのに、今はしっかりと暮らせている。

感謝しかありません。

家内も四捨五入すれば60歳です😄

もう少し生きて人生を楽しもうと思っております。

同じ日に、神経再生を研究していた娘の修士論文が通って卒業が確定しましたので、少しだけ良いワインを開けて祝いました。

絶望のどん底にいる方も多いと思いますが、生きていれば本当に楽しいことがありますよ。

何よりお金払わなくても苦労できて、経験者として親身になって人助けもできるようになれる。

人の痛みが心の底から理解できるようになるのですから悪いことばかりではありません。

私も何回も変なことを考えたりしましたけれど、生きててよかった!!!

神様の書かれたシナリオを一緒に楽しみましょうね。

感動的なエピローグが待っているかもしれませんよ。

創作意欲

皆様お久しぶりです。

パッチングワーカーです。

2度目の自主隔離中の身でありますが、10日間の隔離が7日に減免されましてあと3日で自由になります。

前回の自主隔離の時は気にしていませんでしたが、隔離アプリにしっかり書いてある。

「(やむを得ず)外出するときは公共交通機関は使わないでください」

だそうです。

コンビニにも寄らないし、人とも接することがない散歩なら良いでしょう!!

ってなわけで、間違っても人と会話するとか近くですれ違う事が無いように注意して早朝散歩で健康管理です。

寒いけれど気持ちが良いボッチ散歩なのです。

こんな感じで美しい景色を楽しんでおります

あとは料理を作ることですかね、楽しみは。

出張中はホテル飯か外食ですから、料理好きには辛いのです。

サクッと牡蠣のパスタ(緑豆のパスタを使ってノー小麦ですよ)

牡蠣出汁満載のスープパスタ

寿司を握ったりとかね。

豊洲市場ドットコムからのお取り寄せネタです

焙煎したてのコーヒーを淹れて新鮮な膨らみに感動したりもしております。

新鮮の極みでしょ

創作意欲

家内が福祉会館でプチ展示をやらせていただいた話を書きましたが、それなりに売れた。

場所柄人なんて滅多に来ないのに、それなりに売れた。

本人は創作意欲は湧き湧きです!!

無くなってしまったがま口の制作や

パッチワークで洋梨の何かを作り始めております。

結構でかい!!

取り止めもなく内容のないブログでごめんなさい。

何気ない隔離生活を切り取ってみました。

そうだ!!どこかの作品展を探してみよう!!

家内のプチ作品展

お久しぶりです。

パッチングワーカーです。

隔離が開けてインドネシアで仕事をしています。

今日はインドネシア情報ではなく、オミクロン情報でもありません。

家内の作品が中野区の生涯福祉センターの1階ロビーに展示されているお話です。

【片手でできるもん】シリーズ〜即興命名でした

何回も話題にしているので諄いかもしれませんが、家内が左手だけで作り上げた作品達です。

絶対に手伝わせない正真正銘の片手作品です。

最近は革細工にハマっておりまして、私へのプレゼントも作ってくれました。

既に福祉会館には任意で通っているのですが、素敵なお話をいただいて二つ返事でOKしたようです。

やりがいにつながりますよね。

お世辞でも褒めてもらえると嬉しいものです。

両手を使っても私には作れません。

ヨーロッパに住み始めた時の家内の猛烈なフランス語の勉強のように、みるみる上達してゆく姿を見るのがとても楽しみです。

ほんとすごいでしょ😃

いつもアホみたいな自慢に付き合わせてごめんなさい。

今日はここまでにします。

コメントいただけたら嬉しいです。

全て伝えます。

参った!!

皆様こんにちは!

パッチングワーカーです。

娘の大学院での研究が行き詰まっていて、メンタルがやばいなーってしばらく感じていました。

メチャクチャ当たる占い師様が以前

『お嬢様は周りに支えてくれる人がたくさん群がってくる星にいるから、しっかり感謝出来る気持ちさえ忘れなければ素晴らしい結果を残せますよ』

そう仰った後に

『でも、近い将来頑張り過ぎて潰れそうになるから支えてあげてくださいね』

そう言われていました。

家内も娘の言動に違和感を感じ取っていて

『パパ、何とかしてあげられないかしら?』

そう懇願されました。

親バカになるわけにはいきませんし、親がでしゃばって教授にお願いするのも得策ではない。

木曜日、おそーく帰った娘と少し話し合いました。

若い頃あるあるですが

  1. 研究が行き詰まって出口が見えない
  2. 自分の能力が低過ぎて解決策が見つからない
  3. 自分が休んでしまうと技術員さん(アシスタント)に迷惑かけるからできない
  4. ぶっちゃけどうして良いのかわからない
  5. 教授には怖くて言えない

みたいな感じでした。

それはそれはやばいメンタルが丸出しでしたから、周りも不快にさせてしまっているだろうなって感じです。

朝起きてきても笑顔がないし、放っておいたら電車に飛び込んでしまう勢いです。

涙のトリガーがちょー低くて、危険信号です。

経験あります… 沢山😂

幾つかだけ父親としてではなく、人生の先輩としてアドバイス

  1. 何はともあれ立ち止まって考える環境を捻出する(ドツボに嵌っても進んじゃうんですよね、若い頃って)
  2. 技術員さんに相談して1週間くらい休める環境を作る
  3. 教授に勇気を振り絞って伝えて、心療内科を受診する
  4. 前向きになれるために、とりあえず研究を忘れる

そんな感じです。

技術員さんが優しくて解決。

高いハードルだと思っていた教授(神経再生ではめっちゃくちゃ有名な方です)に相談。

LINEで背中を押しました〜。

教授の言葉です。

  • 実は私(教授)もメンタルがやばくて心療内科受信したばかり
  • 早く心療内科受診しなさい
  • 実験は全て技術員さんに任せて休みなさい
  • どうしても君(娘)が来なければならない局面が来たら、その実験は放り出して良いよ!!

人生の先輩で、研究が行き詰まったらどんな精神状態に追い込まれるか?なんて百も承知なんですね。

昨日は家族3人で美味しいお酒を飲みに行っちゃいました。

美味しいお店にお金落とさなきゃ!!

という号令の元?、久々に明るい娘と、安堵した妻と美味しいお酒を飲みました。

あの革細工私向けでした

妻が作っていて私がブログにアップした作りかけの財布、私への誕生日プレゼントでした。

私のアメリカ時代のニックネームである『TOM』が型押しされていてかっちょいい!!

嬉しいことが2つあった1日でした。

自慢の家内です😂

すごくないですか?

お久しぶりです。

パッチングワーカーです。

修善寺温泉の効果も薄れて、家内は痛みと戦っています。

また行こうと思っていますが、今日の話は別の薬の話。

『大好きな事!!』

です。

裁縫が好きで片手で頑張って作っていましたが、ミシンがイマイチで非力。

買っちゃえー!

ってことでJUKIの素人用ハイエンドミシンを買いました。

器用に作るでしょ。

左手だけで作っているんです。

マジ凄いです。

尊敬です。

以前家内が頑張って作ってくれたカメラケースのことを記事にしました。

今回は財布です。

まだ作成途中ですが確実にレベルアップしました。

表向きはぱっと見完成品ですが、裏返すと工事中🙃

片手ですよ、片手。

今のところ、裁縫と革細工が一番の痛み止めなんです。

早く治療法を見つけなくてはいけないんですけど。

WordPress.com Blog.

ページ先頭へ ↑