SDGs 持続可能な開発目標

私たちにできること

いきなり堅そうな題名でごめんなさい。

仕事柄(非公表^_^)この言葉に触れる機会が多くて、かなり深く意識していたところ、最近TBSが局を挙げて力を入れ出したので少しだけ触れてみたいと思います。

持続可能と言われてもピンと来ないですよね。

例えばですけれど、日本のゴミ事情はかなり優れていて、財力のある地方自治体ならば超高温で焼成できる窯を持っています。超高温で焼くと、ダイオキシンが出ないので地球に優しい!!めでたしめでたし。とはならないんです。

燃やしてしまったらそこで終わりです。森林から作られた紙だって、石油から作られたプラスチックだってそこで終わり。海に流れ着く捨てられたペットボトルが大問題ですが、跡形もなく燃やしてしまえば解決できるかといえばSDGsは違うと言っています。

あくまでも持続可能であること。

ポテチの袋は何でできているかご存知ですか?PETにアルミを重ねて、ポリエチレンを張り合わせるんです。空気からも光からも守ることができる優れものなのですが、簡単にリサイクルできない。

ヨーロッパではモノポリマーという方針〜ポリプロピレン系のフィルムに印刷をしてポリプロピレンを貼り合わせる〜で、リサイクルをやりやすくする。全体の90%以上が同じ系統の樹脂であればリサイクルが可能だそう。

ビッグマックの箱、わかりますか?昔は発泡プラスチックでできた入れ物でしたが、今は紙の箱。小さいハンバーガーはグラシン紙にポリエチレンを張り合わせたもので包んでいます。

でもこれが大問題なんです。紙もポリエチレンもリサイクルするためには分離しなければできません。結局高温で燃やしてしまう、なんてことが結構起こっている。SDGsじゃないです。

フィリピン共和国のロドリゴ・ドゥテルテ大統領が昨年施工した法律が先進的。紙に張り合わせたポリエチレンを認めない!!

今年の11月からファストフードのプラスチックだけでなく、ポリエチレンを張り合わせた紙の器にも1個当たり11円くらいの課税を課しています。消費者が払う義務がある。

各社が必死に代替品への変更を急いでいます。アジアでは最も厳しい。ゴミの山のイメージを払拭したいのでしょうね。

強い指導者の元でなければ出来ないですよ。中国なんかも1党支配だからできる事多いです。

日本は忖度天国なのでこの手の改革は遅れます。

本当の意味でのSDGs

三科公考さんが書かれた『儲かるSDGs』に書いてあった物語。題名はエグいですけど内容は素晴らしいんです。

阪神淡路大震災時に焼け野原になった場所で、400円から500円くらいで売られているような弁当を5000円で売っていた肉屋さんがあったのだそうです。

本当に困っているからたくさんの人が買っていくわけです。

ただしこの肉屋さん、3ヶ月後には店を閉じたそうです。

品薄が解消されてきて皆の心に余裕ができてきた頃、この肉屋さんを相手にしなくなったそうです。

人の弱みや苦しみにつけ込んだ商売はやってはいけない。

すごいメッセージですよね。SDGsにはこんな意味合いもあるのです。

安く満足するにはパスタもイタリアンも寿司さえも自分で作るしかない

山あり谷ありの人生を歩んでいると、それはそれは様々な経験をすることになります。

ジャンルも多岐にわたっています。理由は簡単で、望んで経験するというよりは必要に迫られて経験する方が圧倒的に多いからです。

学生の頃、小僧寿しで握りや巻き寿司を作るバイトをしていました。やりたかったわけではなく、時間の融通がつくバイトがこれしかなかったから。

でも、ご飯炊きから酢合わせに至るまでのシャリ作りの全て、握り、太巻、細巻などの巻きも出来るようになりました。だから何だ?って感じなんだけれど、こいつが役に立つ日がやってくるんです。

時期は被っていないけれど、デニーズのキッチンでもバイトやってて、包丁さばきとか卵料理が上手くなった。ソースの味付けなんかはしないけれど、綺麗に盛り付けるコツとかセンスは磨かれるのです。

1000時間の法則がハマるのですよ。趣味で週末にやる程度だと、なかなかレベルが上がらないし、嫌になってしまうと思うのですが、バイト代稼ぐために1日平均4時間くらい働くわけだから、一年に200日働けば800時間でしょ。あっという間に1000時間になってしまう。気がつけば体が覚えてる。

20代後半でヨーロッパに赴任になった。パリとかフランクフルトじゃなくてルクセンブルグ。

今は日本人が住みやすくなっているけれど、1991年に住み出した頃は日本料理店は2軒だったかな?

その後なんちゃって和食はできたけれど、なんちゃってです。

和の食材屋さんは当時はなかったので、月一の配達か、200km先のブリュッセルか300km先のデュッセルドルフまで買い出しです。

価格は日本の3倍くらい。西友で3パック入り68円で売っているおかめ納豆が300円くらいでした。お酒なんかも選べなくて、日本食に飢えていました。

先ず工夫したのは、現地素材で作る和食。

米はスペインで美味しい日本米を作っている会社があったから、それは普通に買える。【みのり】だったと思います。

日本から引っ越し荷物で持ってきたホームベーカリーで食パンを焼いて、粗挽きのパン粉を作る。

ポークは普通に買えるし、生食は不安だけれど卵も買える。玉ねぎも買えるわけです。醤油はローカルのスーパーでキッコーマンが買える。砂糖はもちろん。

日本から持ってきた貴重な味醂、鰹節を使ってカツ丼を作るんです。

同じ要領で親子丼も作れる。

ルクセンブルグ中央駅の近くの魚屋さんの魚が新鮮だとわかると、見立てや捌き方を勉強して、魚を下ろせるようになって(3枚おろしなんてやってくれないです)レパートリーは広がる広がる。

初めの頃は鯛なんかバラバラ事件でしたよー。

ここまでは皆できるんですけど、寿司はね😃

1000時間の法則。やり方教えるけど簡単じゃない!!

一月に1回くらいのペースで寿司パーティーやってました。

割り勘で魚買ってね。奥様達はスイーツや副菜を作ってくれたり、仕事しないお父さん達はお酒持ってきてくれて。

独自の鮨酢の配合が定まってきて、本当に美味しかったんです。

マグロなんか地中海で取れたやつを冷凍しないで空輸してくる。美味いに決まってます。トロはもちろんだけど、赤みが美味い。

初めはどのあたりが大トロで、どのあたりが中トロなんだかわからなくて。勉強しましたよ。魚屋さんに覚えてもらってたな。

鯖なんかノルウエーで取れたやつが冷凍で日本に輸出されるんだけど、生で下りてくるからシメサバも超美味いです。

パスタは、ルクセンブルグから仕事でイタリアのボローニャに頻繁に行くようになって、パスタの旨さにハマりました。

乾麺が殆どなくて、本当美味しい生パスタ。シチリア島は逆に乾麺が主流でした。蕎麦文化とうどん文化みたいな感じかな?

ここでパスタ打ちを覚えて、パスタにもハマりました。イタリアンをイタリアで学んだエンジニアです😃

強力粉は水や卵に合わせて30分もすれば馴染んでくれる。蕎麦とは比べもにならないくらい簡単なんです。今でも思い立って40分後にはパスタが出来上がっていることが多いです。それくらい簡単。

近いうちに作り方書き下ろします。

これらの経験が重なり合って私の人生が複雑になっていくのですが、このブログは『安くてうまい料理を作る』『経験から学ぶ事』『経験の仕方』『続け方』などをテーマにして書きますね。

おじさんが作るお弁当

障害を持った嫁は、区の障害福祉会館へ通っています。

娘は大学院生で、毎日2時間半をかけて通っています。なんと神経再生が研究テーマ。母親の病気の影響をかなり受けています。親としては自慢ですが、苦しそうです。

自分の分も含めて、3人分のお弁当を作ります。

冷凍食品は基本使いません。

理由は簡単です。

  • 安全な食材を使わないと嫁の疼痛が悪化するから
  • 野菜は安心なもの、基本は吉野ヶ里あいちゃん農園の有機野菜
  • 本物の味噌、醤油で腸活(これも疼痛管理)
  • 彩(ミネラルたっぷりの塩とオリーブオイルで栄養価も色合いも満足)
  • 卵料理は手作りが一番(今日はゆで卵ですけどね)

それに自然栽培の玄米ブレンドご飯。基本は白米と1対1。

嫁の疼痛は本当に難しい病気。でも悪いものを体に入れるとテキメンに悪くなる。

今や我が家は全員、白米や精白パンを食べるとすぐに眠くなる。わかりやすいです。

最近の作品

ポーク生姜焼き(隠れてますけど)

鳥もも肉の味噌漬け焼き

パプリカ肉詰め

筑前煮は鰹節でとった出し汁に本味醂、小豆島産の薄口醤油のみ。ミネラル塩(シシリア島産)で色合いは美しい。

鶏肉は味噌と醤油と味醂だけで漬け込んでロースターで焼くだけ。

かぼちゃとブロッコリーは海塩とオリーブオイルをかけてチン!!

3食分で240円!!

安い、健康、簡単の3拍子。

外食に行き辛くなるんですよ。自然なものを食べていると、味もコストも満足してしまうから。

茹でガエルの法則

この法則は日本そのものに適用できる法則です。

実際は違うらしいけれど、ぬるま湯に入れたカエルはゆっくりとお湯の温度を上げていっても気がつかない。そんな法則です。

とっくに世界のトップに君臨する技術王国ではなくなっているのに、いつまでも上から目線で諸外国を見ている勘違い国「ニッポン」

その昔、安かろう悪かろうの代名詞だった「Made in Japan」を、高品質の代名詞に変えた人々には見えている事実。その次の世代(私たち)には見えない事実。

生まれながらにして世界1の国の子供になった輩には、今の世界の変化には気が付けない。

2代目社長が会社を駄目にすると言われているのと同じ理由。

この法則の最も大切なポイントは「気がつけるか?」だから、要するに生まれた環境が悪いわけではなくて、今いる世界の外の景色を見ようと行動できるか否か?

行動できないですよ。

なぜかって?

類は友を呼ぶ(波動の法則)だからですよ。同じ波動の者たちが寄ってくるから、今がおかしいって気がつかないんです。

子供が産まれた時、子供の指を数えて「よかったー」って喜んだ私。

失意のどん底にいたお母さんやお父さんがいたかもしれないのに、気がつかなかった。

最愛の家族が1種1級の障害持ちになるまで、5体満足でない人やその家族の痛みや気持ちが見えなかった。

お金にばかり気を取られて愛に気がつけない、大きな家に憧れてお互いの心の遠さに気がつかない、稼ぐことに夢中になって愛する人の本当の望みが見えない、詐欺を働いて大金を手にして奪われた人の痛みに気がつけない。

全部ある意味茹でガエル。

反省はつきません。

如何ですか?あなたは気づけていますか?

Clker氏の作品

ドローチャーの法則

この法則をご存知でしょうか?

「良いやつは梲が上がらない」という意味の法則です。少し悲しい現実ですが事実だと思います。人生の目的によりますけど。

先に断っておきますが、誰が正しくて、誰が正しくないなんてことを唱えるつもりはありません。私の経験を飾らずにお話しします。

家内がアメリカで重度の脳出血で倒れて、言語聴覚が英語だったり、とても耐えられない医療費だったり、何だかわからないけれどアメリカに居てはいけないと感じて、帰国を決意したんですね。

家内の実家が九州だったから、九州でリハビリの先生を探そうと思って、鹿児島大学の川平教授を探し出しました。

それなりにメディアにも出ている有名な先生で、何とか潜り込もうをとアメリカから病院(鹿児島大学附属霧島リハビリテーションセンター)に何回も電話をかけてお願いしました。

4ヶ月入院してリハビリさせていただいたのですが、色々なドラマを見ました。

近くにマンスリーマンションを借りて毎日付き添いました。

比較的高齢の方が多いのですが、働き盛りの男性や、まだ若い女性もそれなりにいらっしゃいました。

脳卒中だけではなく、ALSなどの病気の方も入院していました。

うちよりも少し後に入院してきた若い女性がいました。やはり重度の脳出血で半身麻痺でした。おそらく30歳代前半。

まだまだ快方には程遠い状態でしたが、なんと離婚されたのです。ご主人のご両親の強い希望だったそうです。

人様の考え方や決断に意義を唱えるつもりはございません。

結婚によって背負うべき事なんて重いのですが、神父様がおっしゃっていた

病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
夫として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?

っていう言葉、何気に噛み締める事なく

「誓います!!」

なんて言いましたよね。

あの女性は今幸せかな?

あのご主人は今幸せかな?

って思うことがあります。大きな決断だったと思います。

幸せでいてほしいな。

引き寄せの法則

「引き寄せの法則」はご存知でしょうか?何もスピリチュアル的な話をするつもりはありません。

世の中というより、宇宙の全てが波動で成り立っていて、同じような波動同士が引き合うというシンプルな法則です。法則と言うより成り立ちです。

根本的に波動の話を信じる事ができない人にとっては、引き寄せの法則自体が「怪しい」訳です。

私も宗教とかスピリチュアルとかの話は得意なわけではないのですが、最愛の人が死にそうになったり、近くにいた友人が向こうの人になってしまったりと、なかなか現実を受け入れられない事が続いたとき、藁をもすがる思いで本を読み漁ったものです。

ただし、やっぱりスピリチュアルで有名な人の話をそのまま受け入れる心の準備はできておらず、信じる事ができる人を必死で探したのです。

そこで出会った書籍が「人は死なない」でした。

著者は当時の現役東大医学部教授であった矢作直樹氏。

人が亡くなっても宇宙から居なくなるわけではないと信じたい心に、とてもありがたい本だったわけです。

でも、矢作先生は向こうの世界を見たわけではないんですね。ただ、いろいろな体験をされたのと、イタコのような方を通じて亡くなられたお母様に会う事ができた事で人は死ななないと確信を持たれています。

イタコのような方に乗り移ったお母様の話し方や癖で、間違いなくお母様だと確信されたそうです。

矢作直樹氏の本(題名は忘れてしまいました)にあった、アニータ・ムアジャーニさんの話を聞いて、私も波動に行き着くのです。

ご存知ない方のためにアニータ・ムアジャーニさんの話をさせていただきます。彼女は若くして末期癌で亡くなりそうになります。

死ぬ直前に、周りの人が見えたそうです。例えば自分のところに向かって飛行機に乗っている兄の姿や、別室で自分の病状について話している医師や看護師の言葉、近くで悲しんでいる夫の姿も鮮明に見えたのだそうです。

向こうの世界に行ったときには、先に旅立っていたお父様が現れて、「お前はまだこちらに来る時ではない」と言ったそうです。

ただ彼女は「もう戻りたくない」と思っていたそうです。癌に犯された肉体は苦痛しかなく、病と戦う気力も失っていたからだそうです。

ただし、その世界に身を委ねていると、自分が何故癌に犯されたのか?どうしたら癌から生還できるのか?が手に取るように解ったそうです。

そして彼女は戻ってきたのです。

何故、この嘘のような信じられない話が有名なのかというと、彼女が亡くなるまでの医学的データが全て保存されている事と、生還後の彼女の肉体はものすごい勢いで回復し、全ての腫瘍が消えていった医学的証拠が残されているのです。

その彼女が波動について触れていて、引き寄せの法則についても当たり前のように説いてくれています。

私のブログはスピリチュアルを目的とはしていません。あくまでも、苦しみの中にいる人々の心の支えになる事実を伝えたいのです。

そこをご理解ください。

自己紹介

皆様初めまして。パッチングワーカーと申します。ツギハギだらけの人生を歩んでいるので、パッチワークから名前をとりました。

将来に不安を感じていたり、お金に押し潰されそうだったり、大きな(そう感じる)壁にぶつかっていたり、頭がフリーズして何も考えることができなかったり、仕事が嫌で仕方がなかったり、仕事を辞めたいのにその先が怖くて踏み出さなかったり、何はともあれ今の人生が順調でないように感じている人のために書き下ろしたいと思っています。

そんな余計なお世話をなぜ私がするのでしょうか?私の今までの人生を少しだけ紹介させてください。詳しくはブログに書いてゆきます。

  • サラリーマン家庭に生まれ育ち、一般的に普通とされてきたレールに乗って人生を歩んできました。
  • 例えば、違和感も抱かずに塾に通い、公立のそれなりの高校に入学し、その後は勉強をしなかったけれど理系の大学に入学して、技術者枠で東証1部上場の優良企業に入社しました。
  • 決して優秀な部類ではなかったけれど、地方の工場に配属になってそれなりに楽しく仕事をしていました。
  • 30歳少し前に、働いていた会社が欧州に工場進出することになったことに伴ってメンバーに選ばれ、第一陣として欧州転勤が決まりました。
  • 転勤に合わせて結婚しました。
  • 決して優秀な部類でなかったことと、第一陣(工場には経験者がいない)であったことからクラクラするほど上手く行かずに苦労しました。
  • 家に帰れず、嫁さんには大変な思いをさせました。何せ、異国の地で知り合いもいない、言葉(フランス語)もろくに使えない(当時は)環境で一人ぼっちにさせたのですから。
  • 石の上にも三年と言う言葉があるように、3年も死ぬ気で頑張っていると何とかなってきて仕事が楽しくて仕方がない状態になりました。
  • 欧州初や世界初といわれる技術導入にも参加して、楽しく10年が過ぎました。
  • 2人の子供にも恵まれました。二人とも現地で出産しました。
  • 10年のうち後半5年はプロジェクトに参加して、現地の経営者たちと知り合う機会が増え、密に交流することが増えました。
  • 「大企業に入りなさい!!」といわれて育った私は、その時の環境に満足していたのですが、成功している経営者たちと交流して助言を貰うようになってから「独立」を意識するようになりました。
  • 10年後に40歳で帰国して、技術コンサルタントとして独立します。
  • その後大きな仕事が舞い込み、家族と共にアメリカに移住しましたが、移住してたった2年後に家内が重度の脳出血で倒れ4日間の昏睡状態になります。
  • 命はとりとめましたが、重度の右半身麻痺、重度の失語症、嚥下障害、視野欠損が後遺症として残りました。
  • 椅子に座っていられないほどの重度麻痺とコミュニケーションが取れないほどの失語症に意気消沈しました。
  • 病院に請求された医療費負担(3000万円以上)と、毎月必要になる薬代(約12万円)、リハビリ代(約30万円)、そして辛い家内を家に置いて働かなければならないジレンマに身も心もボロボロになりました。
  • 家族会議を開き、仕事を辞めて日本に帰国することに決めました。

ここから先をブログに描いてゆきたいと思っています。

死にたいと思ったこと?何度もありますよ。

でも大丈夫です、今ここにいるのですから、生きることが楽しくなる何かを提供できるかもしれませんよ。

料理

何故料理?

料理が好きだから。ここではテーマを決めて料理ブログを展開します。

  • 心豊かになれるのに、お財布に超優しい料理。
  • 30分で作れるのにお店の味
  • イタリアン、和食、中華とバラエティ豊かなラインナップ

欧州に10年暮らした経験があるのですが、そこはパリやデュッセルドルフのように日本人が住みやすい場所ではありませんでした。焼き鳥も寿司も食べられない。

焼き鳥食べるために、200km離れたブリュッセルに来るまで行く生活。お酒も飲みたいから泊まりで行くこともありました。

板前の義父が遊びにきたときに魚屋に行って言いました。「ここの魚新鮮だよ」って。魚の見立てもできなかったので、魚も食べてなかった。切り身で売ってないから、焼き魚さえも作れなかった。

思い出したわけですよ。学生時代に小僧寿しで握りのバイトやってたことと、デニーズでキッチンやってた事を。

魚の見立てと降ろし方を覚えれば寿司が作れる。

みたいな感じで、一時帰国の時に魚の降ろし方の本(当時はインターネットもない時代でしたからね)と寿司一式(寿司桶、巻き簾、刺身包丁、出刃包丁、和皿)なんかを買い込んできて頑張ったんです。

七輪を買い込んでチャコールを起こして焼き鳥も作れるようになりました。

うまい塩はたくさんあるし、醤油は普通に買えたからタレも作れる。

なんでも作れるんんだって気がついて…。

これも1000時間の法則。

だから我が家はすごーく美味しいもの食べてるけれど、超リーズナブルなんです。そんな極意を描いてゆきます。

1000時間の法則について

1000時間の法則を信じますか?どんな事でも1000時間集中してしっかり経験すれば、入門レベルから脱することができるという法則です。

私がこの法則を強く意識したのは語学でした。

中学生の頃から英語は大好きで得意科目でした。教科書を丸暗記(暗唱)していれば、テストで100点取るのは簡単でした。でもこれは自由に英語を操るのとはかけ離れていました。

高校を卒業するあたりから教科書の暗唱が大変になって、例え暗唱できていても難しい学問としての文法が嫌いになってしまって、100点を取ることができなくなりました。

大学に入っても社会人になっても英語を操る憧れは常に持っていて、リンガフォンやアルクのヒアリングマラソンをやっては挫折していました。

今考えると、1000時間集中していなかったのは間違いありません。

欧州の工場勤務になって、そこは10ヵ国以上の多国籍チームだったので共通言語は英語でした。

技術者としての仕事もままならない中、必死に英語の勉強をしましたがノイローゼになるくらい苦労しました。ただ、英語が飛び交う中での仕事ですから、1日12時間以上は英語漬け状態。赴任してから4ヶ月程経ったあたりで、ある日突然皆の言っていることが理解できるようになりました。

よく言いますよね。「ある日突然!!」って。本当ですよ。

結局、1000時間集中出来ずに(普通できないですよね)挫折を繰り返していただけなのだと思います。1日12時間で4ヶ月目ならば、1000時間超えているのですよ。

その後1ヶ月も経たないうちに、言いたい事が口をついて出てくるようになりました。

そうなると面白くなって、勉強するのが苦痛ではなくなるんです。

1000時間の法則を知っていれば、あとどのくらい頑張ればそこそこになるってわかるわけです。挫折もしにくい。

私の場合、語学も、料理も、仕事も、何もかもこの法則に則っています。

1000時間の法則について、ブログで触れてゆきたいです。

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