拡大自殺

こんにちは、パッチングワーカーです。

ここスラバヤでもNHKの日本語放送を視聴できます。

今日のNews Watch 9で、昨年12月に大阪で発生した心療内科の放火自殺の特集をやっていました。

自分を取り巻くコミュニティに疎外感を感じて、憎しみを抱き、多数を道連れにして目立って自殺する事を拡大自殺と呼ぶのだそうです。

亡くなった院長の妹さんのインタビューで、院長がどれだけ一生懸命前向きに患者を救おうとしていたかの証拠になる遺品を紹介されていました。

並行して、加害者とされる人物の孤独についても取材していました。

精神的に追い詰められて仕事を失い、友人もなく(スマホには誰も登録されていなかったそうです)、助けてほしいと訴える勇気もなく、生活保護申請も却下されたのだそうです。

医師の言葉の中に

『こんな悪い事をすると友人に迷惑をかけるとか、家族に迷惑をかけるといった感情が静止力になる』

と。

5年前に生活保護の相談にのった方のインタビューでは

『心から助けてくれと言えない人だった』

そう仰っていました。

もっと親身になっていれば、と後悔していました。

私も孤独感の中で同じ感情が芽生えたことがあります

ドン引きされる事を覚悟して書きます。

アメリカで、日本で家が建つほどのお金を病院に支払って帰国したと。

仕事をたたんで帰国したのと、体も言葉も不自由な家内を置いて仕事を探すなんてできなかったし、技術者が働ける場所が片田舎にはないと思ってもいました。

口座のお金は流れるように無くなってゆきましたが、家内が倒れてから脳みそがフリーズして回復の兆しもなかったので対策も打てず。

誰もいない田舎の道を家内と2人でリハビリ散歩を繰り返していましたが、全く良いアイデアが生まれませんでした。

田舎ですから、

『障害を抱えた家族は恥ずかしいから外に出さない』

文化があったのもあって、家内以外の障がい者が道を歩いているのを見ませんでした。

そんなわけで疎外感を感じるようになりました。

お金もどんどん減っていって、生活保護すら意識するようになりました。

今考えれば、横浜にローン中とは言え不動産を所有していて生活保護もないですけど、

追い詰められていたんです。

自分から

『助けてほしい』

って言えなかったんです。

それで、逆恨みっていうか

『街ごと沈んでしまえばいいのに』

って思ったりしました。

だから

『助けてくれって声を出して言いなさい!!』

では、誰も救えないと思うのです。

この制度があれば、大阪の事件で加害者も被害者も作らないで済んだ唯一の方法は

『ベーシックインカム』

だと思います。

思い切って言わなくていい。

心が病んでいても食べていける。

治ったら頑張って働いて税金を納めて、世の中の役に立てばいい。

年金制度も要らなくなるし、

不景気で収入がなくなる恐怖がないから、購買意欲はばらつきにくい。

景気も安定するわけです。

皆様はどう思いますか?

今はそんな野暮な事思わないですけど、気持ちはわかります。

加害者に寄り添う意見もいいけれど、

被害者に寄り添う意見もいいけれど、

一気に両方無くせるのに!!

社会の仕組みをいつ誰が変えてくれるのでしょうか?

スラバヤ

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日はインドネシアは祝日でした。

仕事はさせていただいたのですが、疲れがピークに達していたのと買い出しをしたかったので午後2時に仕事を終えました。

ドライバーにお願いして、日本食材店のパパイヤに寄ってもらい軽く買い出しをして帰りました。

スラバヤのパパイヤもなかなかで、魚屋さんや肉屋さんが入っていて日本人好みのものを提供しています。

価格は日本とあまり変わらなく感じます。

調味料や納豆などの輸入食品は日本で買う3倍程度の価格ですが、こちらで仕入れる食材は頑張っていると思います。

新鮮刺身コーナー
魚丸ごと売ってます(IDRはざっくり100で割ると円での目安がわかります)

インドネシア産のビンタンビールも買えます。

周りの目を考えて、黒い袋に入れて見えないようにしてくれます。

おべんとうコーナーやベーカリーショップもありました。

スラバヤの幻想的な光景2選

こちらの空は東京やジャカルタとは比べ物にならないほど澄んでいて、そのためか雲や光の通り方が違うのです。

こちらは一昨日の夕方、ホテルに帰る途中に撮った光景です。

走る車から撮ったのでボケボケですがご了承ください。

それでもお見せしたい光景です。

なんじゃこれ?って思ってとっさにシャッターを押した一枚
視界が開けるのを狙って撮った一枚(それでもボケてます)

こちらは昨日の朝の光景です。

遠くの高層ビル群が蜃気楼のように浮いて見えませんか?

少しわかりにくいかも
望遠でもう一枚(フォトショップで合成してません)

なんか素敵な光景なのでした。

JWマリオットスラバヤ

今日チェックアウト(精算はなしですが)するこのホテル、

昨日明るいうちに帰ってきて、初めてしっかりと部屋を眺めました。

綺麗なホテルだわー、ちょっと感心。

スタッフも多くフレンドリー。

五つ星なので作業員風の風情でロビーを歩くのは辛いのですが、次来ることがあれば妻を連れてきたいと思わせるホテルです。

ウエスティン東京に内装が似てるかな。

クラシック調で重厚感があります。

ロビーもちょっとだけ写真を撮りました。

天井が高く素敵です。

今日は仕事が終わったらFour Pointsに戻ります。

隣のSOGOが火事になりました

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

今朝はFour Points by Sheratonに滞在していたのに、今はJW Marriott Surabayaにおります。

PM5時に汗だくで仕事を終え、ドライバーにホテルまで送ってもらっていました。

片道70分程の道のりです。

後10分ほどで着くあたりで、ドライバーが動画を見せてくれました。

ビルが燃えているやつ。

言葉が通じないので意味がわからずにいると、

翻訳ツールを使って説明してくれました。

お前たちのホテルが火事らしい。

『?』

確かに封鎖せれていて車は閉め出されて入れません。

そのうち情報が集まってきて

『SOGOが燃えている』

と訂正。

Ayo Teguhさんの投稿を拝借しております

800メートル先の車が入れなくなるところで降ろしてもらって歩きました。

ホテルは大丈夫は不安を抱えながら歩きます

ホテルへの危険は当面なさそうということで、荷物の準備だけは許可が下りました。

荷物をまとめて待機せよとのことでした。

待機中に部屋から撮った消化作業。

ハイテク消化作業

今朝、この窓からの朝日をアップしたばかりなのに。

一寸先は闇です。

ホテルの計らいで、系列のJW MarriottとSheratonに分かれて避難することになりました。

素敵なホテルですが、さすがに疲れました。

ホテル情報は追っていたします。

怪我人が出ていない事を祈ります。

スラバヤ通りの妹へ

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

スラバヤに居ますと申し上げて、そこが何処なのかピンとこない方が殆どだと思います。

インドネシアがどのあたりにあるのかも普通はわかりません。

私が前職で大分県に転勤が決まったときは、別府が大分県にあることすら知りませんでしたからね。

関西の方にとっては茨城県と栃木県の正確な場所、関東の人間にとっては和歌山県や兵庫県の正確な場所がわからないのと同じ、かな?。

ユーミン好きの私からすると

『スラバヤ通りの妹へ』

のスラバヤ?

って思いました。

でも、スラバヤ通りはジャカルタにありまして、骨董市が常時あるような場所。

私がルクセンブルグで住んでいた住所は

Rue du Etats Unis

直訳すればアメリカ通りです。

各地に銀座があるみたいなものですかね?

違うな。

『スラバヤ通りの妹へ』

は、1981年にリリースされた4曲しか入っていないアルバム

『水の中のASIAへ』

の中の1曲でした。

妹みたいね15のあなた

髪を束ねて前を歩いてくかごの鳩や

不思議な果物に埋もれそうな朝の市場

やせた年寄りは責めるように

私と日本に目をそむける

でも、”RASA…(RASA…)RASA SAYANG EH”

そのつぎを教えてよ

少しの英語だけがあなたとの

架け橋なら淋しいから

”RASA SAYANG EH”

松任谷由実 スラバヤ通りの妹へ

日本に占領されていた時代を物語っているとても深い詩なのです。

この歌はスラバヤの歌ではないけれど、

もしスラバヤって聞いたことがあるなまえだな?

と思ったのであれば、この曲かもしれませんよ。

私が若かった頃のユーミンはアフリカだったり、インドネシアだったり、香港、中国といった、

当時では考えられなかった土地をテーマに曲を書いています。

今でこそ馴染みのある場所かもしれないですが、

当時はなぜアフリカ?

なぜインドネシア?

なんて思っていました。

仕事でケニアに行った時に思いましたね。

ユーミンは俺の4半世紀先を行ってる!!

ケニアの出張はインドネシアから急きょ行ったので、

『スラバヤ通りの妹へ』

と、

『アフリカへ生きたい』

の2曲を同時に追いかけた旅になったのでした。

懐かしいなあとスラバヤで思うのでした。

スティーブ・ジョブスが一般人の10年以上先を見ていて理解されなかったように、

ユーミンの理解不能な凄さを実感したのを覚えています。

人より先に外を見ることの大切さ、

日本を外から見る重要さ、

井の中の蛙になってはいけませんよ、

それらを肝に銘じて、私も生きてゆきたいのです。

全然足りないですけど😂

スラバヤの朝日をご覧いただきたいと思います。

スカイラークがご馳走だった時代

こんにちは、パッチンングワーカーです。

インドネシアに来るといつも思うこと。

一般的なランチ代は120円くらい。

月給は4万円くらい。

大卒の給与ですよ。

でも、50円出せば飲める珈琲を380円出してまでスタバで飲む。

ホテルのディナーは5,000円以上するのに家族や恋人同士で食べに来ている。

月給4万円だから5,000円のディナーとか日本では2万円以上の計算ですよ。

『なんでだろう?』って。

でもね、私がまだ高校生だった頃スカイラークが街にできた事を思い出したんです。

今じゃただのファミレス(スカイラークブランドが無くなってます)ですけど、あの頃の私たち(若い世代の方には本当に御免なさいです)にとってはご馳走でした。

ナイフとフォークでご飯を食べるなんて夢のまた夢でした。

ライスの食べ方が分からなくて手をつけなかった事もあったくらいです。

外国に憧れて、洋食に憧れたあの頃が懐かしいです。

父はエンジニアでしたが、家は決して裕福ではなかった。

たまの外食はラーメンか蕎麦だった。

年に数回寿司屋で食事したけれど、何を食べたいなんて子供心に言えなかった。

そんな文化の中にできたスカイラークのハンバーグは憧れの的だったんです。

今のインドネシアの人々はそんなフェーズなんだろうと思ったら、私のむかしむかしを思い出したのです。

アテンションプリーズで飛行機に憧れて、羽田でパンナムのジャンボ(ボーイング747)を見て、商店街の年末の福引の1等賞がハワイ旅行(1人198,000円相当)で、カラーテレビも同じくらいしてました。

まさか自分が英語を話すとか、欧米に住むなんて想像すらできなかった時代。

高校の時にロータリー交換留学生の資格を得たけれど、とても親には言えなかった。

留学も医学部もうちには無理だとわかっていました。

私の人生は壮絶すぎて誰にも真似させたくないけれど、留学しなかったけれどヨーロッパにもアメリカにも住めたし英語も話せるから『諦めなければ願いは叶うよ!』と言いたい。

第一希望の公立高校の受験に受かった時に、父が寿司を腹一杯食べさせてくれたことは今でも覚えています。

回転寿司なんかなかった時代の話ですからね。

『俺は学歴がなくて苦労したからお前は大学に行け』って、口癖でした。

今でも大したことは出来ていないけれど、最後まで感謝の気持ちを忘れずに面倒を見させてもらいたいと思っています。

美味しいものを食べさせてもらった想い出って絶対に忘れないものなんですよね。

インドネシアでセンチメンタルな気持ちになっているおじさんなのでした。

珈琲もおしゃれ

話は違うんですけど、今泊まっているFour Points by Sheraton Surabayaの朝食で出していただけるコーヒーがおしゃれで美味しいんです。

『これ絶対にコーヒーに合うよ!!』

って言ってクロワッサン生地のワッフルバナナソース掛けを出してくれました。

本当に美味しくてびっくりです。

朝食もバラエティ豊富で美味しいし、とてもエンターテイメントな感じです。

追い追いレポートしますね。

なんたってここに15泊しますからね。

写真撮るのが恥ずかしいんですよ。

仕事で来ているおじさんですからね。

Bonvoyプラチナを満喫

以前、tabisurueiyoushiさんとのやりとりで、日本はエリートを量産しすぎというお話をしました。

tabisurueiyoushiさん、許可を得ずにごめんなさい。

ラウンジも混み混みだし、アップグレードもままならないことが多い。

ここインドネシアでは違うぞという経験を続けてしましたので緊急投稿です。

シェラトンジャカルタガンダリアシティでは、洗練されたラウンジやジムでのひとときが素敵でした。

もちろんがら空きで、ラウンジの方々とお話しするのも楽しいのです。

昨日はLe Meridien Jakarataのラウンジで満喫させていただきましたし、エグゼクティブスイートにしっかりアップグレードしていただいた事は昨日のブログに書かせていただきました。

今日からはFourPoints Surabaya なので、朝食無料サービスくらいしか正直期待していませんでした。

なんと言っても7,000円程度のリーズナブルなビジネスホテルですから、それだけでも満足なのです。

キャンペーン中のため1泊を2泊として数えてくれる。

それだけでもありがたいサービスなのです。

でも、チェックインしてびっくりでした。

エグゼクティブスイートにアップグレード。

ウエルカムスイーツがテーブルに置かれ、スタイリッシュな角部屋は一人で泊まるには素敵すぎです。

tabisurueiyoushiさん、やはりエリートメンバーとはこうでなくてはいけませんよね。

明日からの過酷な作業も頑張れるというものです。

外国人入国時のPCR検査廃止

こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日からインドネシアに来ています。

4月5日から入国時のPCR検査が廃止になって、着陸から空港を出るまで1時間かからなくなりました。

ほぼ以前の状態に戻った感じです。

スラバヤに向かうのですが、乗り継ぎに間に合わない可能性がある事を見込んでジャカルタに1泊しましたが次回からはその必要がなくなりそうです。

今回は以前隔離で使用したLe Meridien Jakartaに泊まっています。

空港ではホテルピックアップを頼んでおいたのですが、税関を出るまでの時間が短すぎて迎えが来ていませんでした。

すぐにホテルに電話をして、ピックアップ担当者からWhats Upが届きます。

『今いる場所を特定したいのであなたの顔入りで写真を送ってくれ!!』

との内容です。

今時の確認方法ですよね。

ICTの力に脱帽です。

こんな感じの写真を送りました。

5分以内で無事落ちあうことができました。

Le Meridien

このホテルは隔離の時に投稿したホテルです。

Marriott Bonvoyプログラムのホテルの中でも、プラチナであれば確実にスイートルームにアップグレードしてくれるホテルです。

スイートナイトアワードという確約プログラムを使う必要はありません。

ホスピタリティも完璧なホテル。

ラウンジはロビーにオープンな感じで設置されていて生演奏も楽しめます。

これから始まる地獄の日々?の前に、ゆったりとした気分にさせてくれます。

詳細はBonvoy系ブローガーの報告で確認してください。

私が通していただいたエグゼクティブスイートのリビングの写真と、大好きなillyのエスプレッソが用意されたコーヒーマシンの写真をアップします。

さて、スラバヤに向かいますか!!

想い出迷子

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日遅くまで頑張って、90%程度までの箱詰めを終わらせることができました。

残りは4月末までの生活で最低限必要なものです。

私は星的に天馬と言って同じ場所に留まらない人生を歩むそうなのですが、本当にその通りになっています。

東京で生まれて、2歳で埼玉に引っ越しました。

地元の幼稚園、小学校、中学校までは周りと同じコピペ人生。

高校は地元ではなく浦和に通い、東京の大学に行きました。

大学を卒業するまでは、父が家を建て替えた時に仮住まいに引っ越しをしただけで全く同じ場所で暮らしました。

転校の辛さを味わったことがありませんでした。

就職をしてから人生が変わり始めます。

この会社は一部上場で日本橋に本社があることから、

『通える!!』

などという浅はかな考えも選択の理由です。

有名な会社でしたしね、あまり深くは考えていませんでした。

『残業が少ないと良いな』

なんて、今時の若いもんの発想!やってました。

でも実はこの会社、仕事大好き集団でした😂

そこから天馬としての星が暴れ出しました。

研修で秋田、仮配属で秋田、配属で長野、使えないと思われて(たぶん)大分、縁あってヨーロッパ(行く前に結婚、現地で長男と長女を授かる)、帰国して千葉、退社して横浜、仕事でアメリカ、妻が倒れて大分(無職)、お世話になっている会社の社長に誘っていただいて東京(今の住処)、そして横浜に戻る、わけです。

懐かしくて進まない

そんなわけで思い出だけは濃厚!!

引っ越しをしていると、ダンボール箱から出していないアルバム以外のあちらこちらから懐かしい写真が顔を出します。

その度に手が止まって懐かしむ感じです。

思い出迷子ってやつです。

人の家族写真ほどつまらないものはないですが、やたらと移動していることを感じていただけるとありがたいです。

イタリア、スイス、モルディブ、ケイマン(カリブ海)、シャルメルシェイク(紅海)、エルグーナ(紅海)。

ここにはありませんが、ディズニーワールド(フロリダ)、ディズニーランドパリ(フランス)、コスタデルソル(スペイン)等の写真が出てきました。

4月1日からは娘も社会人。

なんとか親の役目を果たすことができました。

チューブに繋がれた意識のない妻の横で、子供たちと共に祈ったあの日。

一人で育て上げる自信がなくて本当に不安でした。

妻は一命をとりとめてくれて、想像を絶する大変さながらも家族全員生きてこられたことに心から感謝しながら、しばらく停滞していた時期を取り戻すべく人生フライトが大きな音を立てながら再上昇を始めています。

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