妻は私のことをパパと呼びます。
一緒に散歩しているときに、妻がポロッと一言。
私の不安(悩み)のなかで、一番答えが出にくい課題をズバリ。
何気に私の不安感が露呈するのが怖くて、話し合いができなかったポイントです。
脳はしっかりしていて、言葉が完全でないこと、右半身が麻痺していること、そして痛みです。
考えますよ、それは。
妻は私の心の中を覗いたのかもしれません。

心配で仕方がない
久坂部 羊さんの『老乱』をお読みになりましたか?
あまり詳しく書くと読むのが怖くなってしまうかもしれないので、本当に触りだけ。
認知症を患う父、幸造と、近くに住んで介護する息子夫婦の物語です。
作者の久坂部羊さんは、在宅医療を経験してきた医師でもあるので、とても生々しく描かれています。
健常者には考えられないトラブルの数々、例えば火の不始末や徘徊、入居した介護施設で発生する事件、そして金銭的な事。
また、家族の立場からだけではなく、本人の心の動きを日記という形で紹介していて、不安な気持ちが伝わってくるのです。
私の両親は健在で、父が90歳、母が88歳になり、身体的には衰えが目立つようになっていますが、頭は比較的しっかりしています。
ですから幸造さんとは違うのですが、色々と考えさせられるリアルなストーリーを紹介したくなったのです。
在宅介護のサービスも受けながら、毎週末になると片道75分かけて実家に出向き身の回りの世話をさせてもらっています。
私の妹も時間が許す限り、駆けつけてくれています。
両親が認知症でなくて胸を撫で下ろす一方、妻は認知症であれば身も心も楽になれるのかも?などと考えたりします。
決して認知症を持つご家族の大変さを理解していないのではなくて、肉体的にも精神的にも受け止めなければいけない妻が楽になる方法はないか?を模索した際の、一瞬の迷いからの思いなのです。ごめんなさい。
意識がしっかりしているからこそ、できる限りの愛情を注げるし、返してくれるわけですから、そんな事を望むはずもないのですが、妻の辛そうな姿を見ると、一瞬ほろっと考えたりすることがあるのです。
老乱にこんな場面が出てきます。
新聞とかテレビはええかっこ言うてるだけよ。寝たきりやったらこける心配もないし、こっちのペースで介護できるから、ええことずくめよ。介護の世界には、『寝たきり天国』ていう言葉もあるんよ。地獄を見た者にしか天国は見えへんよね。
引用 老乱 (久坂部 羊)
介護する側からすると、寝たきりにしておけば事故も起こらないし、四六時中付き添っていなくていいから楽だよって言っている。
綺麗事を言えば、筋肉の衰えを遅らせるために歩かせて、少しでも運動させれば良いのだけれど、転んでしまうし何するか分からないから気が抜けない。
だから寝たきりになっってくれという鬼の叫び。
介護される側も人間だってわかっているのに、こんな発想になってしまうくらい追い込まれるという事実。
我が家の場合、通常であれば妻が働いている私に代わって実家を訪れて、私の両親の面倒を見るのが一般的(実の娘の方が気持ち的には楽ですが)なのですが、妻も要介護者。
仕事に出る時は妻のことが心配、実家に帰って両親の世話をしているときも残してきた妻の心配をするのです。
両親だって、私の家族の事情を熟知しているから遠慮がちになってしまうのです。
介護の不安がある人もない人も、知識を広げる目的でも良いので、読んでみてください。
転ばぬ先の杖としても大切なテーマだと思います。
老乱👇

障害を持つ家族を隠す文化
NHKのハートネットをご存知でしょうか?
「親は障害のある兄にかかりきりで、孤独だった。兄なんかいなくなってしまえ、と考えてしまい、そのたびに罪の意識にさいなまれる」「結婚して何年も経ってから、夫は発達障害だと分かり、戸惑っている」「統合失調症の母のことを、誰にも知られたくない…」など、ハートネットTVには、障害のある当事者だけでなく、その家族からも様々な「声」が寄せられています。
障害者本人の陰に隠れ、こうした家族の抱える問題が取り上げられることはほとんどありませんでした。そのため、社会の理解は進んでいるとはいえません。障害者本人だけではなく、家族も孤立しないような状況を作っていくには、どういった支援が必要なのかを考えるため、家族の誰かに障害がある人たちが抱える悩みや思いをお寄せいただきました。
ハートネット
NHKのサイトに飛びます👇
障害を持つ本人だけでなく家族が馬鹿にされたり、いじめにあったり。
保身のために障害を持つ家族を庇うことができずに深く傷ついたり。
たくさんの経験談が寄せられていて、
『頑張らなければ!!』
という勇気をもらいます。
反面、一番近いところにいる誰かが立ち上がって行動しない限り、愚痴こぼしや経験を伝えるだけの場と化してしまう危機を感じます。
大多数の健常者から見れば、対岸の火事であることは仕方のない事実なのです。
妻がアメリカで倒れて、妻に実家のある大分県に帰ったことは書きました。
4ヶ月後に鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターを退院して、通所リハビリになりました。
毎日妻と二人で2キロメートルの距離を歩きました。
田舎なのもありますが、人が全然歩いていないし、同じような境遇の人に全く合わない。
不思議な気持ちで毎日散歩していました。
後で驚いたのですが、障害を持った家族を家から出さない文化が根強く残っていたのです。
『恥ずかしいから隠す!!』
そうはっきり言われたこともあります。
家から出さないということは、歩かないということ。
望まなくても、寝たきりになりますよね。
後になって
『実はあなたたちが歩いているのを遠くから見ていた』
なんて応援のメッセージをもらったりしました。
不思議なもので、夫婦でリハビリを兼ねて散歩する人たちが増えました。
『恥ずかしくないんだ!!』
って思ったのでしょう。
書いてあるのは家庭と地域で認知症に向き合おうとか、かかりつけ医が支えになるとか、そんな隔靴掻痒のことばかりで、役に立ちそうな情報は何もなかった。
引用 老乱 (久坂部 羊)
書いてある通り、こんな考え方の地域で、どうやって介護に取り組むのだろうか?
古臭い、人格を無視した考え方に、心からショックを受けた出来事でした。
私が先に死んだら
同じような不安を抱えている人は沢山いると思うのですが、身近にいらっしゃいますか?
この問題は簡単ではありません。
先に死ぬわけにはいかない。
これは本音ですが、神様に与えられた寿命ですからどう転ぶかわかりません。
天涯孤独になってしまう人もいらっしゃると思います。
私たちには子供が二人います。
私の心配など、甘っちょろい部類なのかもしれません。
でも、親とすれば子供のこれからの人生の足枷にはなりたくない。
妻が倒れた時から、子供たちは普通の子供と違う苦しみを味わってきたのです。
2017年3月に歌手のかまやつひろしさんが膵臓癌のため亡くなりました。
78歳でした。
私が注目したのは、奥様も長い闘病の末にかまやつさんが亡くなる数日前にお亡くなりになられていたこと。
理想的なご夫婦の最後だと思いました。
私たちにとってはまだ早すぎる話。
たくさん勉強して、沢山の方と知り合って、正解に近い答えを出すのです。
『俺が先に死んでも、お前には薔薇色の人生が待っているから心配するな!!』
そう言える何かを探りたいと思っています。