JAL319便 羽田-福岡線

我が家にボーイング787の小さなプラモデルが飾ってあります。

子供が飛行機に乗るとCAさんが持ってきてくれるアレです。

これも我が家の宝物なのです。

汚れがこびりついていて、メラミンスポンジで擦ればあっさり綺麗になるのですが、それはできません。

文字まで消えてしまうからです。

東京-福岡線常連客

私はというと、月曜日から金曜日までは東京でエンジニアリング系の会社の海外事業のお手伝いをし、週末は息子に任せていたピザの店をサポートする生活をしていました。

月曜の早朝に家を出てバスで福岡空港に向かい、羽田行きに乗ってモノレールとJRを乗り継いで高円寺へ向かいます。

ウイークデイは会社が用意してくれた単身用のアパートで暮らし、金曜日の最終便(20時20分羽田発)で福岡に飛んで最終バスで家に帰る生活でした。

家に着くのは金曜日の24時近く。

翌朝早起きして混み合う土曜日のランチの仕込み、切れ目のないランチタイム、高い確率でランチのお客様が飲み出して長居(ありがたいことです)、店を閉めずに夜の仕込みをしながらお客様のお相手。

夜は夜で飲酒率ほぼ100%の盛り上がりで『お前も飲め!!』状態。

日曜日のランチもほぼ同じ状態ですが、夜は比較的穏やかなので、息子に任せて休息を取り、月曜日は早起きをする生活。

ヨーロッパに住んでいる頃から、会社がANAを使っていた事もあってかなり青い方(青いのはANA,赤いのはJALです)派でした。

アメリカにいるときも、その前に月に日米2往復していたときもANAでした。

スターアライアンスのヘビークライアントだったわけです。

でも、私の事を誘ってくれたこの会社の社長様が盛和塾の塾生だったため、用意されるチケットはJALに決まっていました。

盛和塾をご存知でしょうか?

2019年に解散したこの塾は、京セラ創始者の稲盛和夫氏が若手経営者に経営哲学を伝える目的で設立されました。

2010年1月19日にグループ全体で2兆3221億円の負債額を計上して倒産した日本航空グループを託されて、2012年9月には東京証券取引所に再上場するというスピード再建を成し遂げた中心的な人物です。

言うまでもないと思います。

この会社にお世話になると決めた時から、ANAの上級会員の椅子を捨てて、1からコツコツとJALのマイルを積み上げることになったのです。

2014年正月

アメリカから帰って大分に住み、必死になって家族で生きてきた軌跡は書いてきた通りです。

👇

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https://keiken.blog/2020/12/10/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-2/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-3/

https://keiken.blog/2020/12/14/左手の法則〜家族総出の絆作戦/

家内の実家は大分ですが、私の実家は埼玉にあります。

やっと落ち着いてきたし、2014年の正月に家族全員で埼玉の実家に帰ろうと決めました。

JALにお願いして、福岡空港での車椅子でのハンドリング、羽田に着いてからのハンドリング、帰りも同じ、羽田空港から実家までのタクシーの予約等、万全に準備して久しぶりの家族旅行?を決行したのでした。

足元の広いクラスJ を予約して、行きも帰りも窓側2席ずつ最前列で予約しました。

搭乗時は一番最初に、降機時は一番最後になります。

行きも帰りもCAさんが気を遣ってくださり、とても快適に過ごすことができました。

忘れもしない帰りの便。

1月3日の羽田発福岡行きJAL319便。

福岡に着いて乗客全員が降りた後、担当のCAさんがプレゼントしてくれたもの。

それが乗務員全員のサインを纏ったこのボーイング787でした。

早く回復できるように祈っていると、全員の名前が。

どんな高価な物よりも心に響く贈り物でした。

家内の名前を調べ、フライトの合間に書いてくださったのでしょう。

感極まってお礼の言葉が出ず、お辞儀だけのお礼となってしまいました。

日本航空の皆様のホスピタリティに触れ、大ファンになりました。

今は大変な時だと思います。

頑張って欲しいなんて野暮なことは言いません。

目一杯頑張っていると思います。

神様は見ていらっしゃいます。

会社としては誰の首も切らないと決めているそうです。

再建の時に『整理解雇を経験し、残った全員は意地でも雇用し続けるために給料を安く抑える』と従業員に理解してもらって頑張ってきたのに、ここで解雇などしたら嘘をついた事になると。

アメリカ流の経営が一般的になって、経営が傾くと整理解雇する会社が増えています。

従業員全員を家族として雇用する日本流の経営を守り抜いて欲しいと思います。

日本のホスピタリティ、日本航空のホスピタリティは不滅です。

JAL319便とこのプラモデルは私たち家族の宝物です。

大切にします。

CAの千葉様、機長の秦様、319便のクルーの皆様、本当にありがとう!!

想い出のパワー〜バケーション

生産技術という職種は悲しいもので、工場が稼働している毎日毎日が勝負なだけでなく、正月連休、ゴールデンウイーク、夏休みといったまとまった休みは、ほぼ例外なく能力アップの工事や、新規設備の増設などで出勤になります。

休み明けには立ち上げ作業が忙しく、安定した頃には次の連休に向けた改造や増設の設計に着手、並行して日々の安定生産を受け持つ多忙な部署でした。

思い返すと(日本で働いていた頃は)連休に休んだ記憶が全くありません。

私の所属していたメディア部門がヨーロッパに工場を作ることになって、運よくたまたまそこにいた私もメンバーに選ばれました。

1990年のクリスマスは、ヨーロッパの工場に送る機械設備の国内最終立ち上げで、設備開発をする部署があった秋田に缶詰。

そのあとはアメリカジョージア州の工場向けに設計させてもらった設備の立ち上げでアメリカにしばらく出張と、結婚前なのに全く会えない日々が続きました。

赴任前の多忙な日々の合間を縫うようにして、1991年7月14日に博多中洲で結婚式を挙げ、新婚旅行でフィジーに8日間滞在して、余韻に浸る間もなく単身でルクセンブルグに向かいました。

カプリ島青の洞窟

赴任して暫く無我夢中の日々でしたが、生産計画自体も緩く、それなりにトラブルはありましたが何とかなっていました。

11月末に妻が合流してきて、30人いた赴任者(最後は8人)の家族全てが揃いました。

最初のクリスマス休暇は休む!!と当時の社長が決めてくれて、慌てて旅行社に予約に行ったほどでした。

当時はインターネットもなく、分厚いパンフレットからフラッグキャリアのLUXAIRが運営しているLUXAIR TOURSのまだ空きのあるツアーを物色しました。

欧州人はバケーション命ですから、夏休みのバケーションから帰るとすぐにクリスマスバケーションの予約を始めるので、11月に残っているツアーはそれなりのものしかありません。

卒業旅行で行って感動したカプリ島(イタリア)にアクセスしやすい、ソレントの素敵なホテルが空いていたので予約しました。

妻に見せてあげたかった。

Grand hotel Excelsior Vittoriaというホテルでした。

英語もままならない時期、フランス語などは皆無。

パンフレットにDemin pensionと書いてあって、旅行社の人に英語(風)で意味を聞いたら朝ごはん付きだそう(な気がした)。

そのつもりで予約!!

南だから暖かいだろうと思って薄着。

たった9℃のソレントは地獄絵図^ ^

寒いルクセンブルグで飛行機に乗る前まで着ていた唯一の防寒服を毎日着ることに。

買えば良いじゃんって、ヨーロッパのクリスマス休暇は店が開いていないんですよ。

晩御飯を食べるところだって殆どやってない。

唯一開いていたRed Lionというpizzeriaに3日間も入り浸り。

4日目には流石にピザは????で諦めてホテルに帰ってきたら、コンシェルジュの人が何か言ってる。

『Why ◯△※◆◉^ – ^』

よーく聞いてみると、『なんでお前たちはホテルで飯食わんのか?』でした。

『そんなのこっちの勝手じゃん』って思っていると間髪入れず

『バンメシツイテマース』

そうなんです、Demi pensionは朝晩2食付きだったのです。

『食う食う!!』

『この格好でOK?』

なんで聞いたかというと、一張羅の防寒服ですから見窄らしい。

コンシェルジュさん、ちょっと考えてジャケットを貸してくれました。

妻にも。

それはそれは美味しいディナー。3日分損した気分で、でもホッとして夫婦水入らずで高級ディナーwith借り物のジャケットでした。

まだあって、毎日水中翼船に乗ってカプリ島へ行くも、青の洞窟はクローズ。

これも船乗りさんに4日目に思い切って聞いてみた。

『青の洞窟は冬の間はクローズさ』

散々なヨーロッパバケーションデビュー。

考え方

そのあとは能力不足から悲惨な日々でどこへも行けず。

早朝から夜遅くまで会社会社会社。

カミさんに申し訳なくて。

でも上手くいかなくて。

そんな私を尻目に、バケーションから帰ってきた欧州人エンジニア達。

一応私の部下(組織上ね)

帰ってきたそばから次のバケーションの話。

まだまだ日本男児のメンタリティーだったのでカチンときて言ってしまった。

『お前達はバケーションのために仕事してるのか!!』

何言ってんだこいつ?って感じで

『for family』

家族のために決まってんだろ!!

こうも言いました。

『日本人は仕事のために仕事してるの?』

『なんのため?』

答えられず。

『なんのためだろ?』自問自答。

良かった!!

これも追々書いていきますけど、コスタデルソル、シチリア島、ドミニカ共和国、モルディブ(3回)、シャルメルシェイク(紅海)、エルグーナ(紅海)、オーランド(ディズニーワールド)、グランドケイマン。

ヨーロッパ域内は車で沢山行きました。

『家族のために仕事する!!』って考え方を改めたから、沢山想い出を作れました。

思い出のパワーは強烈です。

障害を持ってからでも想い出作りはできます。

LCCにも乗れました。

おかげさまで思い出を重ねていけます。

皆様優しくて泣けてきます。本当にありがとう。

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