45歳定年制に反対する人に対するひろゆきさんの発言について

こんにちは、パッチングワーカーです。

サンジャポでひろゆきさんが

「45歳定年制反対派は無能な人」

そんな挑発的な表現で自論を展開されていましたが内容は全く同感です。

私自信無能な部類なので少し抵抗を感じるし、色々と反論してしまいたくなりますが。

日本国憲法第25条で定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」 

これって様々な社会保障制度がポイントになっていると思うのですが、生活保護のハードルの高さは最低限度の生活を営む権利になっていない。

車を持っていたら認めないとか、持ち家があったらダメだとか言われる。

ひろゆきさんが言っているように(もう少し弱者に寄り添った表現をしてほしいですが)、ベーシックインカムならば財産とか収入に関係なく受け取れる訳ですから、役所側も受け取る側も楽になる訳です。

能力無いって解っているけれど、今の会社にしがみつくしか生きる方法が見つからないと思ってしまっている人にとって45歳定年なんて強烈ですよね。

例えば一人当たり10万円が毎月支給されて、足りない分はアルバイトで補填すれば生きて行けるのであれば気が楽になります。

4人家族なら40万円ですからね。

そもそも嫌がらせを受け続けてメンタルが壊れてしまいながら会社にしがみつく意味がなくなる。

ひろゆきさんを含めて、お金を稼ぐ能力が備わった人たち(もちろん人一倍努力をされている)からすれば「無能」の一言で片付けられるのかもしれませんが、

サンデル教授の

「実力も運のうち」

にあるように、努力すれば金持ちになれる境遇に生まれ育った運というものを受け入れなければいけない。

親の都合で義務教育の中学にも普通に通うことが許されない子供だっているし、大学の学費(交通費や生活費もかかる)が払えない家庭だってたくさんあります。

日本人ではなく貧しい国の子として生まれた人達と同じ土俵で勝負しようなんて考える人はいないと思いますが、国内にも大きな格差があって「運」が存在する訳です。

前世で徳を積んだ人が今の世の中で恵まれた才能を授かって生まれてきたと考えることは間違っていませんが、そうで無い人が「無能」と格付けさせる社会はおかしいと思うのです。

会社で才能を発揮して利益増大に貢献できる人はサラリーマンとして、類まれな運動能力に恵まれた人はプロスポーツ選手として、芸術の才能に恵まれた人は芸術家として所得税を、経営の才能に恵まれた人は起業して法人税を納める。

会社員として働く素養に恵まれなかった人は、何らかの形で社会貢献する(親の介護だって立派な社会貢献です)事で堂々とベーシックインカムで暮らせば良いと思うのです。

Covid-19の世界的流行で都心に住むメリットが薄れた今、地方(生まれ故郷等)に住んでICTを使ったり、地域でアルバイトをして足りない分を補ったりして暮らすのは人間らしい。

故郷でなくても地方であれば生活コストはかなり低いですから、最低限度以上の生活レベルが保てるのでは無いでしょうか?

会社内で成果を出せない人を「無能」という括りで排除するのではなく、その人に最も適した生き方を探すためにベーシックインカムがサポートしてあげる仕組みがあれば良いだけです。

以前障害を持った人の役割について書きました。

ぜひ読んでいただければ幸いです。

https://wordpress.com/post/keiken.blog/639

ベーシックインカムは

「人の心を洗う仕事」

をしている障害者の方々、

「家事全般を引き受けて家族を支える仕事」

をしている主婦の皆様への給料にもなるのです。

生活保護という施しではなくて、堂々と受け取れる収入です。

ベーシックインカムこそが45歳定年制実現の前提条件なのです。

私の体験

10年と少し前、妻がアメリカで倒れて病院のお世話になりました。

レベルの高い医療と看護師の方の素晴らしい対応で一命を取り留めました。

今でも感謝しています。

反面、手出し3000万円以上の医療費は我が家の財政を圧迫しました。

家内が半身麻痺で言葉が話せない形での退院となり、毎月の薬代は20万円近くでリハビリ代も同じくらいかかりました。

医療関係だけで毎月50万円以上が飛んでいく計算になり、また入院中の請求書が毎日のように届いていたこともあって頭がおかしくなりそうでした。

ヘリコプター代100万円、ICU部屋代(技術料や薬代は別)一日40万円、胃瘻のオペ代60万円、医師の技術料百万円、薬代1000万円以上、救急車10万円(麻痺してしまっていたので安く感じてしまいました)…。

こんな請求書が毎日届き、病院に詰めっぱなしだったため郵便を確認できていなかった事による支払い督促の電話。

家内にも子供達にも話すわけにはいきませんでした。

家内が飛行機に乗っても大丈夫だと医師からお許しが出たタイミングで帰国を決心しました。

1番の理由はスピーチセラピー(言語聴覚)という言葉を取り戻すリハビリが英語だったこと。

全く効果を感じることができなく、意思の疎通ができないことに将来の不安が募っていったのです。

2番目は鹿児島大学の川平教授(促通療法である川平法の提唱者)に直談判して入院させてもらえる目処が立ったこと。

3番目の理由は経済的問題。

高額の医療費を払い続ける自信がなかった。

手元に残ったお金を手に、家内の実家の近くに古民家を借りて住むべく帰国したのでした。

アメリカってありがたい国で、高額の医療費を払った人に一定の限度内で支払った所得税を払い戻してくれるのです。

結構稼いでいたので数百万円還付されました。

これと少し残った所持金で無職生活が始まったのです。

帰国してすぐに健康保険証が手に入りました。

帰国組なので前年度の収入はゼロ。

帰国して保険料を払い始めたばかりなのに、全ての医療費がアメリカにいたときの50分の1くらいになりました。

有り難くて本当に泣けました。

日本国民であることに感謝しました。

闘病記は過去ログをご覧ください。

実はわたし、家内が倒れてから脳がずっとフリーズしていました。

先読みをして的確な判断をすることが常だったビジネスマンだったのに、心が病んでしまってフリーズから回復できませんでした。

口座のお金がみるみる減っていく不安ってわかりますか?

入ってくるお金はゼロで、出ていくばかり。

家内の面倒をみなければいけないので働けないし、もともと働ける精神状態でも無い。

生活保護を受けるために持ち家を手放そうかとか、後ろ向きなことばかり考えていました。

追い討ちをかけるように、障害1種1級認定されたにも関わらず障害年金が払われない決定がなされました。

理由は簡単でアメリカで発症したから。

八方塞がりでフリーズした脳にもう一つロックがかかりました。

自信という自信は全て削ぎ落とされて、ダメな自分を責める感じでした。

今ですか?

今は沢山の出会いと皆様の暖かさのおかげでなんとか家族を支えています。

自信もそれなりに取り戻しました。

私が言いたいのは

「一時的に失った自信と病んでしまった心を取り戻すまでの期間、仕事をしなくても良いんだよ!!っていう安心感」

があれば回復も早いと思います。

これがベーシックインカムだと思うのです。

回復したらできる範囲で仕事をして税金を納める。

同じ境遇に悩む人達のために稼ぐのです。

「少し落ち着けば頑張れるけれど、今は頑張れないんです」

そんな人って多いと思います。

無能なのではなくて向いていないだけ。

無能なのではなくて役割が違うだけ。

無能なのではなくて、一時的に病んでいるだけ。

45歳定年制は大賛成だけど、まずは社会インフラの整備が先です!!

ひろゆきさん、悔しいけれどあなたのいうことに同調します。

言葉を選んでくれるともっとありがたいけれど、そうなってしまうとひろゆきさんではなくなってしまうから、私の言葉で通訳するとします。

通訳合ってますかね?

妻の革細工とコーヒーカップ

革細工

以前、妻が頑張って作ってくれたカメラケースをご紹介しました。

今回はミニチュアのカバンとアクセサリです。

片手で切っているので、切り口はお世辞にも綺麗とは言えませんが、随分と上達しました。

色付けまで自分でやり通して、全て妻の手製です。

アクセサリも面白い。

もちろん妻の手作りです。

アクセサリ付きのミニチュアバッグをキーホルダにして本物のカバンにぶら下げます。

リップスティックくらいは入りそうです。

色も素敵です。

作るのが本当に楽しそうです。

コーヒーカップ

今日もコロンビアブレンドを飲みました。

浅煎りの美味しいやつ。

CoccoCanさんに褒めていただいたカップの青。

ふと思い立って、別の柄のカップに注いでみました。

取手は限りなく白の薄ーいブルー。

4個全て柄が違うこのカップですが、これはボディの外側や内側の柄が素敵です。

300cc入るこのカップは、珈琲や紅茶をたくさん飲みたい時に使っています。

飾っておくべき素敵なカップですが、お皿もカップも使って初めて作者の意図がわかるというもの。

傷つけないように丁寧に使わせていただいております。

トマトマトマト

昨日も近くの公園に放電?に行ってきました。

陽の当たり方で全然違うのですが、梅は春を感じて咲き始めていますね。

公園でボーッとするのも悪くありません。

流石に妻が一人で公園にベンチで靴も靴下も脱いでボーッとしていたら変かも?

なので、できる限り一緒に行くことにします。

金曜日の夜に降った雨が少しだけ残っていましたが、陽も当たってとても気持ちよく過ごすことができました。

少し遠回りして帰ろうと妻が言うので、いつもと違う道から帰りました。

梅が綺麗なお宅があったので、写真を撮らせていただきました。

トマトパスタ

昼は何を食べようか?

妻はジェノベーゼが食べたいと言うのですが、私と娘はトマトの気分。

ジェノベーゼは年末に作り置きしたソースがあと少しあるので、これも年末に購入した業務用トマト缶(品質が高い業務用です)を開けてしましました。

ホールトマトなのでバーミックスでジュースにします。

これも年末に購入したイタリア産業務用パスタを茹でて、3分の1はジェノベーゼに、3分の2はトマトパスタにしたのでした。

並行調理が可能なので茹で時間込の総調理時間8分
玉ねぎと豚肉だけのシンプルパスタはたっぷりパルミジャーノでまろやか
こいつは作り置きソースを合えてパルミジャーノをかけただけ

インドカリー

週末なので息子が泊まりに来る日。

トマト缶を開けてしまったし、夜もパスタでは芸がない。

これも全て家にある材料で完結できる簡単本格(風)インドカリーを作ることにしました。

まずはインドカリールーを作ります。

玉ねぎのみじん切りを飴色になるまで炒めます。

ついでにニンニクと生姜をすりおろして水を加えておきます。

少し大きめのみじん切りで大丈夫。

結構雑なみじん切りです
混ざりが良くなるので水を少し加えておきます
使いやすいので私は中華鍋(かき混ぜながら強火です)

飴色になってきたら水溶きおろしニンニクとおろし生姜を加えます。

しっかり混ぜながら炒めますあ(かき混ぜながら強火続行)

トマトを加えて(4人前で400gくらいかな)かき混ぜ続けます。

かき混ぜ続ける

上澄みにほんのり油の膜ができたらスパイスを加えます。

今日のスパイスは

  1. チリパウダー
  2. コリアンダー
  3. ターメリック
  4. クミンシード
  5. パプリカパウダー
  6. 黒胡椒

です。

カイエンペッパーを入れると美味しいのですが、切らしていたので省略です。

型式張る必要はありません。

一味唐辛子を入れても美味しいですよ。

本格カレー粉は高価なのですが、自分でブレンドすれば安い安い!

よく食べるのであれば常備しておきましょう。

ちなみに、クックドゥ(ハウス様ごめんなさい)等の中華調味料もかなり割高です。

豆板醤、甜麺醤、豆豉、花山椒も常備すると、本格中華もインド料理も安全安価なソウルフードに変身しますよ。

コリアンダー、ターメリック(ウコンです)、クミン、チリパウダー
パプリカパウダー
1種類ずつ入れては混ぜてのほうが混ざりやすいですが面倒なので一気に入れます

ここで初めて塩を加えます。

スパイスの辛味が立ちやすくなります。

混ぜ続けながら水分を飛ばしたら、手作りインドカリールーの出来上がりです。

小麦粉不使用で、油は玉ねぎを炒めた時の少量のオリーブオイルだけです。

あとは大きめにカットして塩胡椒したチキンもも肉を茹でます。

高温で煮ると白湯スープになります。

しっかり火が通ったらルーを入れて煮込みます。

艶が出るまで煮込みます

あとは盛り付けるだけ。

実は本当に簡単です。

ルー作りに15分、チキンを煮始めてから15分かかります。

ルーを作り置きしておけば15分で本格インドカリーができるのですよ。

それも超安く。

・インドの話

グジャラート州では豆のカレーがよく出てきます。

豆はベジタリアンの重要なタンパク源なのです。

グジャラート州(ガンジーの里)に行く機会が多いのですが、宗教は関係なくベジタリアンでノーアルコールが基本なので結構辛いです。

インドには年3回くらい行っていますが(コロナ前)、なかなか馴染めません。

カレーは美味しいですが、毎日で朝ごはんにまで出てくると固まります。

牛も食べないし、豚も食べません。

ピザハットもベジタリアンメニューとミートメニューが分かれていますが、ミートといってもチキンだけです。

和食レストランに連れて行ってもらったことがありますが、全てのメニューが辛くて大変でした。

現地の方曰く、辛くないと食べた気がしないのだそうです。

郷に入っては郷に従えですよね。

トマト味の野菜スープ

実は今朝もトマトでした。

トマト味の野菜スープを食べました。

昨日息子が買ってきてくれた美味しいバゲットと一緒に食べました。

スープを盛りつけた写真を取るのを忘れてしまいました。

トマト三昧の週末でした。

笑顔〜妻に癒やされる瞬間

脳卒中後疼痛を患う妻の調子が良くない。

パンを焼いたり、革細工に挑戦したり、がま口を作ったり、お手玉を作ったりと、できる限りの活動はしている。

しかし、痛みがかなり悪化しているようでかなり辛そうだ。

寝ている最中でも動かない右足をバタバタさせたり、唸ったりしている時はかなり辛い時なのだが、最近はほぼ毎日だ。

脚を摩ったり、頭に私の手を置いて自己流の手かざし療法(YNSAにヒントを得たもので、宗教のそれではありません)を施したり、小豆の入った袋を電子レンジで温めて脚に当てるくらいしか出来ないのが歯痒い。

妻の痛みについて書いているので、時間がありましたらぜひご覧ください。

https://keiken.blog/2020/12/19/痛み〜脳卒中後疼痛/

痛み対策に関しては考えられることはやり尽くした感があって、少なくとも薬を飲む事はやめていた。

痛み軽減の効果が感じられないのに、副作用が襲ってくるからだ。

痛み止めの最たるものであるトラムセットやリリカに関しては、人間に処方するべきものなのかさえ疑問に思うほどの副作用が発生する。

photo by HASTWORDS via pixabay

QOLのみを考えなければならない場合と、本当に短期の使用だと確信できる時に限った場合にのみ使うべきだ。

薬抜きをしたということは痛みの原因は全く取り除かれていないということだから、すなわち痛いのだ。

以前はお風呂に入っている間だけは痛みが和らぐ状態であったが、今はそうではないらしい。

お風呂に浸かっている時に症状が和らぐのであれば、漢方の『四物湯』が効くかもしれないということでしばらく飲んでいたが、残念ながら効果は得られなかった。

漢方薬だけで数十種類の組み合わせを試したと思うが、全て残念な結果に終わり諦めていた。

最近、あまりの痛さに耐えかねたのだろう。

『漢方を飲んでみる』と言い出して、かかりつけ医に処方してもらった。

四物湯は効かないとわかっていたので、『疎経活血湯』を処方してもらった。

これを服用してからずっと痛みがより強い。

もちろん直ぐに服用を止めているのだが、強くなった痛みがなかなか治らない。

贅沢を言わないから、痛みだけでもなんとかして欲しいと切に願うばかりだ。

photo by VSRao via pixabay

それでも主婦をやろうとする

そんな状態だから、できる限り寝ていた方が楽な筈だ。

魘されても、寝ている時には痛みは感じないだろう。

福祉会館に行く日でも、そうでない日でも、決まって6時45分に起きてくる。

リビングと廊下の床をハンディーモップで拭いて、ルンバのサポートをする。

ルンバは賢く、見た目は完全に綺麗にしてくれるのだが、拭き掃除をしないと靴下が汚れる。

だから妻が拭き掃除をする。

洗濯物は私が干すが、妻が取り込んできちんと畳んでおいてくれる。

私も娘も帰りが遅くなってしまうときは、風呂掃除やトイレ掃除もやっておいてくれる。

米も洗ってくれるし、根菜を切って煮物も作る。

強度の右身麻痺だし、痛みが常にあるわけだから(我慢するのが辛い歯痛が右半身に常時あると想像して欲しい)これらの作業も大変だ。

家族の一員として、しっかりと力を貸してくれる。

家族一番の頑張り屋だ。

笑顔

私はICT会社の役員であるが、エンジニアリング系会社の海外事業をお手伝いしていて、歩いて30分ほどのところにオフィスがあるので金曜日を除いて出勤する。

電車やバスを使わないと出社できない人達がテレワークをしやすいように、歩きや自転車で通える人は率先して出勤しているからだ。

妻の調子があまり良くないときは気持ちが重い。

娘が学校に出かける日は、独りぼっちになってしまうから余計心配だ。

口説いようだが、妻は右半身麻痺で強い痛みが常に同居している。

そんな私の気持ちを知っているのだろう。

私が出かけるときは決まって玄関に立つ私から見える場所まで出てきて、満面の笑みで送り出してくれる。

『行ってらっしゃーい』

妻の笑顔を見て、心配な気持ちが和らぐ。

仕事に集中して、さっさと帰ろうと心に決めるのである。

全て疼痛発症後の写真です

笑おう! ありがとうは大切!

『パパが先に死んじゃったら私どうしたらいいのかな?』〜妻の重い一言

妻は私のことをパパと呼びます。

一緒に散歩しているときに、妻がポロッと一言。

私の不安(悩み)のなかで、一番答えが出にくい課題をズバリ。

何気に私の不安感が露呈するのが怖くて、話し合いができなかったポイントです。

脳はしっかりしていて、言葉が完全でないこと、右半身が麻痺していること、そして痛みです。

考えますよ、それは。

妻は私の心の中を覗いたのかもしれません。

心配で仕方がない

久坂部 羊さんの『老乱』をお読みになりましたか?

あまり詳しく書くと読むのが怖くなってしまうかもしれないので、本当に触りだけ。

認知症を患う父、幸造と、近くに住んで介護する息子夫婦の物語です。

作者の久坂部羊さんは、在宅医療を経験してきた医師でもあるので、とても生々しく描かれています。

健常者には考えられないトラブルの数々、例えば火の不始末や徘徊、入居した介護施設で発生する事件、そして金銭的な事。

また、家族の立場からだけではなく、本人の心の動きを日記という形で紹介していて、不安な気持ちが伝わってくるのです。

私の両親は健在で、父が90歳、母が88歳になり、身体的には衰えが目立つようになっていますが、頭は比較的しっかりしています。

ですから幸造さんとは違うのですが、色々と考えさせられるリアルなストーリーを紹介したくなったのです。

在宅介護のサービスも受けながら、毎週末になると片道75分かけて実家に出向き身の回りの世話をさせてもらっています。

私の妹も時間が許す限り、駆けつけてくれています。

両親が認知症でなくて胸を撫で下ろす一方、妻は認知症であれば身も心も楽になれるのかも?などと考えたりします。

決して認知症を持つご家族の大変さを理解していないのではなくて、肉体的にも精神的にも受け止めなければいけない妻が楽になる方法はないか?を模索した際の、一瞬の迷いからの思いなのです。ごめんなさい。

意識がしっかりしているからこそ、できる限りの愛情を注げるし、返してくれるわけですから、そんな事を望むはずもないのですが、妻の辛そうな姿を見ると、一瞬ほろっと考えたりすることがあるのです。

老乱にこんな場面が出てきます。

新聞とかテレビはええかっこ言うてるだけよ。寝たきりやったらこける心配もないし、こっちのペースで介護できるから、ええことずくめよ。介護の世界には、『寝たきり天国』ていう言葉もあるんよ。地獄を見た者にしか天国は見えへんよね。

引用 老乱 (久坂部 羊

介護する側からすると、寝たきりにしておけば事故も起こらないし、四六時中付き添っていなくていいから楽だよって言っている。

綺麗事を言えば、筋肉の衰えを遅らせるために歩かせて、少しでも運動させれば良いのだけれど、転んでしまうし何するか分からないから気が抜けない。

だから寝たきりになっってくれという鬼の叫び。

介護される側も人間だってわかっているのに、こんな発想になってしまうくらい追い込まれるという事実。

我が家の場合、通常であれば妻が働いている私に代わって実家を訪れて、私の両親の面倒を見るのが一般的(実の娘の方が気持ち的には楽ですが)なのですが、妻も要介護者。

仕事に出る時は妻のことが心配、実家に帰って両親の世話をしているときも残してきた妻の心配をするのです。

両親だって、私の家族の事情を熟知しているから遠慮がちになってしまうのです。

介護の不安がある人もない人も、知識を広げる目的でも良いので、読んでみてください。

転ばぬ先の杖としても大切なテーマだと思います。

老乱👇

障害を持つ家族を隠す文化

NHKのハートネットをご存知でしょうか?

「親は障害のある兄にかかりきりで、孤独だった。兄なんかいなくなってしまえ、と考えてしまい、そのたびに罪の意識にさいなまれる」「結婚して何年も経ってから、夫は発達障害だと分かり、戸惑っている」「統合失調症の母のことを、誰にも知られたくない…」など、ハートネットTVには、障害のある当事者だけでなく、その家族からも様々な「声」が寄せられています。

障害者本人の陰に隠れ、こうした家族の抱える問題が取り上げられることはほとんどありませんでした。そのため、社会の理解は進んでいるとはいえません。障害者本人だけではなく、家族も孤立しないような状況を作っていくには、どういった支援が必要なのかを考えるため、家族の誰かに障害がある人たちが抱える悩みや思いをお寄せいただきました。

ハートネット

NHKのサイトに飛びます👇

障害を持つ本人だけでなく家族が馬鹿にされたり、いじめにあったり。

保身のために障害を持つ家族を庇うことができずに深く傷ついたり。

たくさんの経験談が寄せられていて、

『頑張らなければ!!』

という勇気をもらいます。

反面、一番近いところにいる誰かが立ち上がって行動しない限り、愚痴こぼしや経験を伝えるだけの場と化してしまう危機を感じます。

大多数の健常者から見れば、対岸の火事であることは仕方のない事実なのです。

妻がアメリカで倒れて、妻に実家のある大分県に帰ったことは書きました。

4ヶ月後に鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターを退院して、通所リハビリになりました。

毎日妻と二人で2キロメートルの距離を歩きました。

田舎なのもありますが、人が全然歩いていないし、同じような境遇の人に全く合わない。

不思議な気持ちで毎日散歩していました。

後で驚いたのですが、障害を持った家族を家から出さない文化が根強く残っていたのです。

『恥ずかしいから隠す!!』

そうはっきり言われたこともあります。

家から出さないということは、歩かないということ。

望まなくても、寝たきりになりますよね。

後になって

『実はあなたたちが歩いているのを遠くから見ていた』

なんて応援のメッセージをもらったりしました。

不思議なもので、夫婦でリハビリを兼ねて散歩する人たちが増えました。

『恥ずかしくないんだ!!』

って思ったのでしょう。

書いてあるのは家庭と地域で認知症に向き合おうとか、かかりつけ医が支えになるとか、そんな隔靴掻痒のことばかりで、役に立ちそうな情報は何もなかった。

引用 老乱 (久坂部 羊

書いてある通り、こんな考え方の地域で、どうやって介護に取り組むのだろうか?

古臭い、人格を無視した考え方に、心からショックを受けた出来事でした。

私が先に死んだら

同じような不安を抱えている人は沢山いると思うのですが、身近にいらっしゃいますか?

この問題は簡単ではありません。

先に死ぬわけにはいかない。

これは本音ですが、神様に与えられた寿命ですからどう転ぶかわかりません。

天涯孤独になってしまう人もいらっしゃると思います。

私たちには子供が二人います。

私の心配など、甘っちょろい部類なのかもしれません。

でも、親とすれば子供のこれからの人生の足枷にはなりたくない。

妻が倒れた時から、子供たちは普通の子供と違う苦しみを味わってきたのです。

2017年3月に歌手のかまやつひろしさんが膵臓癌のため亡くなりました。

78歳でした。

私が注目したのは、奥様も長い闘病の末にかまやつさんが亡くなる数日前にお亡くなりになられていたこと。

理想的なご夫婦の最後だと思いました。

私たちにとってはまだ早すぎる話。

たくさん勉強して、沢山の方と知り合って、正解に近い答えを出すのです。

『俺が先に死んでも、お前には薔薇色の人生が待っているから心配するな!!』

そう言える何かを探りたいと思っています。

タイミングは重要〜早すぎると最悪!

 恋はタイミング

急にマインドセットなんて言い出すから、皆様ドン引きの様子です。

ごめんなさい。

でも、私たちの思いを実現する為に、本気で考えている事実と、実現できる経験や能力、人脈なんかをわかっていただきたい。

皆様のお力をお借りしたいのです。

『タイミングは重要!!』

そんなことはわかっている!!

でも、本当にわかっていますか?

下記の話、似たような経験を持った人は多いのでは?

 私はA子ちゃんが好きで仕方がない。
 覚悟を決めて告白をします。
 返事はNO。
 『お友達としてしか考えていない』
 大失恋です。
 2年後、私には別に好きな子ができて、想いが届いてお付き合いを始めています。
 A子ちゃんが私に告白をしてきます。
 そうなんです。
 相思相愛なんです。
 タイミング以外は。
 結局二人は縁がなかった。
 別々の人生を歩むのです。
 好きだった事実。
 告白された事実を胸に秘めたまま。 

再会

2003年、私は友人と二人でICTの会社を起こしました。

私はヨーロッパから帰国して、既に独立していました。

社長を引き受けたその友人は、副社長として率いていた会社を1999年に開設された東証マザーズに上場させた人物。

何故、ただの機械系エンジニアでしかなかった私が、こんな人物を知っていたのか?

遡ること時は1987年。

テクニカルセンターで戦力外通告を受けた(たぶん)私は、大分県にあった工場に生産技術職として赴任しました。

一方友人は、高専を卒業してこの企業に入社して、たたき上げで生産技術にのし上がっていました。

私と同い年。

大学出たというだけで生産技術をやっている私と、力を認められてのし上がってきた彼との差は歴然でした。

私が国内出張すら一人でさせてもらえない頃、彼はアトランタの工場に出張するほどの差。

それでも、グリスで真っ黒になって、二人一緒に生産設備の前で改善や改造を繰り返して経験を積んでいったのです。

2度目のアメリカ出張から帰った彼は、興奮を抑えられない様子で私に小さな箱を見せてくれました。

macintosh plus

昔のMACです。

NECが最初の98ノートを発売した頃でした。

カーソルで文字を選択して書類を作るのが一般的で、マウスはほとんど使わない時代。

凡人の私にはmacintosh plusの素晴らしさに気づくことが出来ませんでした。

翌年、キヤノン販売がmacintoshの正規ディーラーになることが発表されると、あっさりと会社を辞めてキヤノン販売に転職したのです。

一部上場企業を辞めるなんて、当時の私の選択肢にはありませんでした。

macintoshのクラブを通じて活躍していた彼は、サンリオがハーモニーランドを作る際に、システムの構築をするチームの要としてヘッドハンティングされました。

私はというと、欧州に設立する現地法人の立ち上げメンバーとして欧州事業部に移籍します。

各々の人生を歩み、時は2002年。

彼の会社が東証マザーズに上場を果たします。

既に独立していた私は、お祝いに駆けつけました。

それが再会!!

早すぎたタイミング

それから約一年。

二人が注目していた世界がありました。

Second Life

ご存知でしょうか?

Second Life Logo.svg
Second Life(セカンドライフ)は、3DCGで構成されたインターネット上に存在する仮想世界メタバース)である。
ユーザーは現実の世界とは異なる生活を送ることができる。運営は、アメリカサンフランシスコに本社を置く
リンデンラボ(Linden Lab) 社が行っている。
公式サイトでは、「ユーザーによって創られた、インターネット最大の3D仮想世界」、「出会う人がみんな実在の
人物のように見え、訪ねる場所はすべて、あなたとまったく同じような人によって構築されている 3 次元の世界」
と紹介されている。 
〜 wikipedia.orgより引用 〜

インターネットに仮想空間があって、別世界が広がっていました。

土地を買って建物を建てて、世界中の人たちとバーチャルでコミュニケーションを取る。

可能性しかない。

そう考えた二人は会社を設立します。

時代の最先端に躍り出た感じで、雑誌やテレビに取り上げられて一躍有名に。

気持ちの中では株式公開が頭をチラリ。

ベンチャーキャピタルも声をかけてきました。

アバターという言葉はこの時代に生まれたもの。

でもそこまで。

思った程セカンドライフ人口が伸びず、一過性の流行りと化したのでした。

この技術が爆発的に認知されたのは、ポケモンGO。

そうなんです。

10年以上も早すぎたんです。

ネット環境がお粗末すぎた当時は、3Dは重すぎて楽しめなかった。

ハイパーネットの板倉雄一郎さんをご存知でしょうか?

ご存知ないかたは、ぜひググッてみてください。

同じ感じです。

ちなみにこの会社、今もしっかり存在しています。

経験は神

この会社の現在は、LMSのリーディングカンパニー。

Learning Management System

教育のサポートシステムです。

大学の授業をいつでも受けられて、ゼミのメンバーでコミュニティーを作って教え合って、レポートを評価し合って、他の大学と繋がって、ビデオシステムで受けた授業はどこで一度止めたか?どこまで受けたのか?テスト成績の分析や、レポート内容の分析…

AIを活用して次世代の教育を提供する。

3Dでバーチャルのキャンパスを構築してリアルに近づける。

セカンドライフで培った技術がフルに活用できる。

過去の経験は、新しい経験を後押ししてくれる

パッチングワーカー🙃

日本の私学では最高峰のW大学を始め、最高学府のT大学、T工業大学、M大学….T理科大学やM学院大学なんかも手がけさせて頂いています。

近頃は地方の国立や私立でも導入が加速。

コロナで補助金が出ているのです。

今年なんて、2月に決定して3月末までに納品なんていう、無茶な補助金まで登場。

お役所は、今期の予算でなんとかしたいのでしょうね。

にわか業者には絶対にできない。

勉強している時間も与えられないから、実績のある会社に頼らざるを得ないんです。

国内だけにとどまっている気はさらさら無いのですが、今は特需だから頑張るしかない。

それでもICTのメリットを国内だけで享受するなんてガラパゴス。

世界中の大学と提携して、世界中のアプリ会社と連携しています。

セカンドライフでは早すぎて地獄を味わいましたが、諦めなかった事で別世界が広がりました。

それでも、リアル授業に拘る日本の学校と官庁。

諸外国から大きく離されていた環境が、コロナで一変しました。

競うようにLMSの導入が続いています。

タイミングは重要〜早すぎると最悪

でも、諦めなければ最先端

パッチングワーカー🙃

LMSを障害者の世界にも応用しようと考えています。

VRという言葉。

今でこそ沢山の人々が知っています。

セカンドライフはVRの魁。

Zoomでは伝わらない臨場感は別格。

見ていてください。

LMSとVRを障害者の世界に応用します。

私たちの経験が、必ずや役に立つと信じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

役に立つということ〜続 片手で創作するということ

安心、笑顔

『片手で創作するということ〜目覚めてからの試練』

その1からその3まで執筆して、流石にマイナスオーラ全開を感じ取った読者の皆様が離れていく状況を想像して、しばらく話題のベクトルを変更していました。

お正月が近かったしね😄

お読みでない方はぜひご覧ください。👇

お伝えしたいことがねじ曲がって伝わってしまうのが一番残念なことなので、勇気を振り絞ってその先を執筆させていただければと思います。

このブログを書き始めてひと月半、50投稿しか書いていないのに偉そうなことは言えないのですが、投稿目的は『笑顔』『安心』に尽きます。

政治家の言葉みたいに信用できない綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが、壁にぶつかって身動きが取れない心のフリーズ状態の方(含未来)に脱出の糸口を提供できれば本望のページです。

・なんだ、大したことないじゃん

・そう考えれば良いわけね

・悩んで損したなー

悩める人(これからそうなるかもしれない方)が、私たちの壮絶な体験を通して安心できる環境を届けたいのです。

そのためには、私たちが経験してきた事実を知っていただくことが必要な訳です。

経験していない、にわか仕込みの知識を披露しても重みがないでしょ。

『私たちはこんなに不幸なんです!!』

『全然悩まずにあっさり立ち直りました!!』

そんなメッセージを発信する気は全くありません。

悩んで、ドツボに嵌って、もがき苦しんで、やっとこさ抜け出した経験を盛らずにお伝えしていきたいのです。

皆様が直面している壁が、私達が乗り越えた壁より低ければ低いほど安心しますよね。

そうやって笑顔になってほしいのです。

幸せと不安

人間が幸せを感じる瞬間って

・美味しいものを食べるとき

・美しい景色に身を置いたとき

・大好きな音楽を(できれば生で)聴いているとき

・自分の存在価値が認められたとき

・頼られたとき

・etc

『喜こびを与えること』

『五感で感じる至福』

を遥かに超える幸せをもたらしてくれる

パッチングワーカー 2021年🙃

私のブログ、料理の記事も多いんです。

食べて幸せ、美味しそうに食べてくれて幸せだからです。

反面、不安な瞬間って(幸せの反対は不安ではありませんが)

・時間の自由がきかない

・お金の自由がきかない

・今を生きるのが精一杯で将来が見えない

・想定外の悪いことが起きた

・想定外の悪いことが起きたらどうしようかと思う

・自分は不幸だとか運が悪いと感じる

『不安の原因は思考を変えれば解決できる』

パッチングワーカー 2021年🙃

結局のところ、因数分解すれば解決できる事の組み合わせなのに、難しく考えて悩んでいるだけなのだから.

不安  =  問題A × 問題B  × 問題C × 問題D × 問題E × 問題F

問題をできるだけ因数分解して原因を特定して一つ一つ解決していけば、残ったとしても小さな問題が幾つかあるだけになるのです。

片手で創作するということ

妻は福祉会館で沢山の作品が売れて幸せ、私はたとえ少数の方々でも、ブログを読んでいただいて幸せなのです。

私は5体満足ですから何でも出来て当たり前です。

妻は片手でやらなければならない。

強い痛みも抱えている。

やらない!!という選択肢があるのに、それを選ばない。

何故かって?

喜んでもらえるからです。

自分の服を作るのは、着ている姿を見て褒めてもらえるから。

もっと素敵な作品を作る技術を高める為でもあるみたいです。

でもそれだけではない。

好奇心が旺盛で、障害を抱えてしまっても好奇心は衰えないばかりか強くなっている。

nikonikomaisonさん、takamayugeさんに刺激を受けて、東京に引っ越してからはやっていなかった天然酵母パン作りを再開すると決めたようです。

発酵器と天然酵母を作るためのヨーグルトメーカーの掃除と準備を命ぜられました😋

準備完了!!

明日届くオーガニックレーズンで天然酵母作り始動です。

日曜日の昼、妻はミシンに向かって自分の服を作っています。

部屋着にするパンツだそうです。

ポケットなんかもきっちりと仕上げている。

今抱いている野望(後ろ指刺されそう)は、世界中の活発な障害者と繋がること。

心と作品と価値観が繋がること。

障害者が普通に受け入れられる世界というか、特別ではない世界になれば良いなあ。

障害者が作ったから同情で買ってもらう作品ではなく、障害者ならではのセンスや工夫を認められる日を夢見て、世界的なグループを形成したいのです。

障害を持ってしまって沈んでいる人や、その家族に希望の光を届けたいです。

今は障害者という位置付け。

でも、近未来は個性という位置付けを目指します。

どうやって自立するか?

多種多様な自立の仕方を、世界中の仲間と考えたいのです。

大袈裟?

出来ますよ。

足りないものは仲間が助けてくれる。

そんなグループを作りますよ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

片手でお手玉作りました〜片麻痺の挑戦

昨日のブログで少しだけ報告しましたが、netdedussel様にご依頼をいただいたお手玉が完成しました。

making ofはマスクとほぼ同じなので、割愛してmaking of maskの動画をもう一度貼り付けさせていただきます。

片手で作るにあたって、少し作り方を工夫しています。

バスケットボールのようなパッチワークが理想なのでしょうが、残念ながらこの製法では片手で作ることができません。

手伝ったら本末転倒。

四角い生地のパッチワークで袋を作って、中身を入れて蓋をして、両サイドを括ってしまう製法です。

なるほど、これなら片手で最後まで作れそう。

私が言うのも何なのですが、生地の組み合わせのセンスが素敵でしょ。

私の机が擦りガラスなので、下から光を当てておしゃれに撮ってみました。

赤とピンク

水色と黄色

黒と黄色

水色と赤

黄色の柄違い

1セット(5個)

今日の晩御飯はあいちゃん農園のスティックセニョールとパスタを一緒に茹でで、バジルペーストと和えてパルミジャーノリッジャーノをたっぷりかけたジェノベーゼ風スパゲッティと荻窪で買ってきたパンドカンパーニュ。

我が家は全員、天然酵母のハードパンが大好きです。

よく手作りしますが今日のカンパーニュは手作りではありません。

悪しからず。

今年も残すところ後2日。

明日は息子を連れて実家の大掃除と墓参りに行ってきます。

JAL319便 羽田-福岡線

我が家にボーイング787の小さなプラモデルが飾ってあります。

子供が飛行機に乗るとCAさんが持ってきてくれるアレです。

これも我が家の宝物なのです。

汚れがこびりついていて、メラミンスポンジで擦ればあっさり綺麗になるのですが、それはできません。

文字まで消えてしまうからです。

東京-福岡線常連客

私はというと、月曜日から金曜日までは東京でエンジニアリング系の会社の海外事業のお手伝いをし、週末は息子に任せていたピザの店をサポートする生活をしていました。

月曜の早朝に家を出てバスで福岡空港に向かい、羽田行きに乗ってモノレールとJRを乗り継いで高円寺へ向かいます。

ウイークデイは会社が用意してくれた単身用のアパートで暮らし、金曜日の最終便(20時20分羽田発)で福岡に飛んで最終バスで家に帰る生活でした。

家に着くのは金曜日の24時近く。

翌朝早起きして混み合う土曜日のランチの仕込み、切れ目のないランチタイム、高い確率でランチのお客様が飲み出して長居(ありがたいことです)、店を閉めずに夜の仕込みをしながらお客様のお相手。

夜は夜で飲酒率ほぼ100%の盛り上がりで『お前も飲め!!』状態。

日曜日のランチもほぼ同じ状態ですが、夜は比較的穏やかなので、息子に任せて休息を取り、月曜日は早起きをする生活。

ヨーロッパに住んでいる頃から、会社がANAを使っていた事もあってかなり青い方(青いのはANA,赤いのはJALです)派でした。

アメリカにいるときも、その前に月に日米2往復していたときもANAでした。

スターアライアンスのヘビークライアントだったわけです。

でも、私の事を誘ってくれたこの会社の社長様が盛和塾の塾生だったため、用意されるチケットはJALに決まっていました。

盛和塾をご存知でしょうか?

2019年に解散したこの塾は、京セラ創始者の稲盛和夫氏が若手経営者に経営哲学を伝える目的で設立されました。

2010年1月19日にグループ全体で2兆3221億円の負債額を計上して倒産した日本航空グループを託されて、2012年9月には東京証券取引所に再上場するというスピード再建を成し遂げた中心的な人物です。

言うまでもないと思います。

この会社にお世話になると決めた時から、ANAの上級会員の椅子を捨てて、1からコツコツとJALのマイルを積み上げることになったのです。

2014年正月

アメリカから帰って大分に住み、必死になって家族で生きてきた軌跡は書いてきた通りです。

👇

https://keiken.blog/2020/12/01/看護師の偉大さについて/

https://keiken.blog/2020/12/10/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-2/

https://keiken.blog/2020/12/11/片手で創作するということ〜目覚めてからの試練-3/

https://keiken.blog/2020/12/14/左手の法則〜家族総出の絆作戦/

家内の実家は大分ですが、私の実家は埼玉にあります。

やっと落ち着いてきたし、2014年の正月に家族全員で埼玉の実家に帰ろうと決めました。

JALにお願いして、福岡空港での車椅子でのハンドリング、羽田に着いてからのハンドリング、帰りも同じ、羽田空港から実家までのタクシーの予約等、万全に準備して久しぶりの家族旅行?を決行したのでした。

足元の広いクラスJ を予約して、行きも帰りも窓側2席ずつ最前列で予約しました。

搭乗時は一番最初に、降機時は一番最後になります。

行きも帰りもCAさんが気を遣ってくださり、とても快適に過ごすことができました。

忘れもしない帰りの便。

1月3日の羽田発福岡行きJAL319便。

福岡に着いて乗客全員が降りた後、担当のCAさんがプレゼントしてくれたもの。

それが乗務員全員のサインを纏ったこのボーイング787でした。

早く回復できるように祈っていると、全員の名前が。

どんな高価な物よりも心に響く贈り物でした。

家内の名前を調べ、フライトの合間に書いてくださったのでしょう。

感極まってお礼の言葉が出ず、お辞儀だけのお礼となってしまいました。

日本航空の皆様のホスピタリティに触れ、大ファンになりました。

今は大変な時だと思います。

頑張って欲しいなんて野暮なことは言いません。

目一杯頑張っていると思います。

神様は見ていらっしゃいます。

会社としては誰の首も切らないと決めているそうです。

再建の時に『整理解雇を経験し、残った全員は意地でも雇用し続けるために給料を安く抑える』と従業員に理解してもらって頑張ってきたのに、ここで解雇などしたら嘘をついた事になると。

アメリカ流の経営が一般的になって、経営が傾くと整理解雇する会社が増えています。

従業員全員を家族として雇用する日本流の経営を守り抜いて欲しいと思います。

日本のホスピタリティ、日本航空のホスピタリティは不滅です。

JAL319便とこのプラモデルは私たち家族の宝物です。

大切にします。

CAの千葉様、機長の秦様、319便のクルーの皆様、本当にありがとう!!

飲食店の苦悩その1

万事休す

あと2ヶ月で資金ショートする。

ナポリピッツアの店が軌道に乗らず、そこまで追い詰められていました。

個人事業主ですから、資金ショートの意味するところは明らかです。

『家族をどうやって養おう』

『妻はどうなってしまうのか?』

不安が増幅して、気が狂いそうになります。

コロナ禍にあって、こんな思いの飲食店経営者が無数にいると思うと心が痛みます。

努力の範疇を超えています。

だからこそ、努力できるところまで引っ張ってあげてほしい。

市場が自由でいられない今だけは、政治が頭とお金を使って欲しいと思います。

帰国

アメリカの医療機関に数千万円の支払いをしました。

現金では足りず、売れる限りの有価証券を手放して、最悪家を売るか担保にして借金するしかない。

追い込まれながら、何とか支払うことができました。

借金はしなくて済みましたが、日本に帰って無職で暮らすには心細い金額でした。

帰国後いろいろな手続きに入りました。

妻の保険金支払い請求。

これには驚きました。

日本に住んでれば、健康保険に守られて、医療保険の支払い金額はお釣りがくるほど手厚く支払われます(加入内容によります)

医療費が桁違いのアメリカで支払った金額に対して、手元に入ってきた医療保険の支払額は焼け石に水でした。

アメリカで、気が遠くなる金額の支払いを続けていた時、USD1000(約10万円)の救急車代金が端金に思えた。

あの時の感覚に引き戻されました。

家族の渡米に際して、駐在は長くないと踏んでいたので、合法的に年金支払いを休止していました。

したがって障害年金も全く支給されず。

1種1級障害ですから、頂けない金額は大きい。

当てが一つずつ外れて行きました。

家内が倒れてから、家内の心配とお金の心配が途切れる事なく押し寄せていました。

人生終わったと決めつけていて、妻には笑顔でリハビリをサポートして、一人では死にたくて仕方がない、メンタルが不安定な時期でもありました。

子供達が居なかったら、私はあってはならない事をしでかしていたかもしれません。

出店

経済的に少しずつ首が絞まりながら、毎日が過ぎていきました。

収入ゼロなので所持金が減っていく。

ただでさえ辛い家内に、我慢させる事も辛い。

家庭教師、肉体労働、道路清掃、交通整理等、働く術を探りましたが、田舎町ですからそんなに仕事はありません。

子供達の学校にもお金がかかるし、家内はまだまだ1人でいられる状態ではない。

家内の親父さんが営んでいた居酒屋の古い店舗が遊んでいました。

考えて考えて、フリーズした頭で考えて、店内改装をしてナポリピッツァの店を始めることに。

お世話になっていたイタリアの会社の社長さんが石窯を送ってくれる事になり、いよいよ逃げられない状況に追い込まれました。

営業開始

石窯で焼けばどんなピザでも美味しいだろう。

本当に浅はかでした。

ピザ屋なのにピザに自信がありません。

ランチではイタリアで覚えた手打ちパスタが少し出て、ピッツァは全く。

夜は殆どお客様が来ません。

お酒を飲んでいただきたいのに、田舎町ですから運転して来るしかない。

お客様は来なくても、窯を温めておかなければならず、薪代はかさみます。

仕込んだ生地も捨てる事が多く、どんどん縮小。

この町に石窯を備えたピザ屋はないから、絶対に流行ると思ったけど、ニーズがないから店がないだけ。

店の改装費用でもっと目減りした少ない資金が、時限爆弾のように減っていく。

ピザ屋なのにピザが美味くない。

まずいとは言わないけれど、感動はしない。

ナポリで食べて感動したあのピッツアには程遠い代物でした。

奇跡その1

生地の配合を変えたり、粉を変えたり、酵母を変えたり、考えられることは全て試したと思います。

自分が満足できないのに、お客様が満足する筈がありません。

香ばしくて軽い、足し算では出せない特別な香り。

一気に食べ切ってしまう程の美味しさ。

自家農園で育てているバジル、プーリア州のトマト、こだわりのモッツアレラチーズ、そして自慢(になる筈)の生地。

モッツアレラチーズと生地を極めるため、寝る間も惜しんで研究しました。

しかし、捨てる生地が増えるだけ。

焦りました。

勿体無いから昼も夜もピザ。

ある日、冷蔵庫の奥に忘れられた生地がありました。

息子が忘れたもの。

『こんなの出せないから食うぞ』

そう言って成形に入りました。

元気が無い成形しにくい生地です。

なんとか形にして400℃の窯の中に。

一瞬でわかりました。

元気よく弾けて、一気に良い香りが立ち上ります。

『これだ!!!』

軽くて香ばしい生地。

焼き上がって口に入れた瞬間、出会えないと諦めかけていたナポリで食べたあの味でした。

雑誌掲載(広告ではありません)、テレビ取材をきっかけにお客様が増え始めました。

店の窮地は脱することができました。

それから起こる数々の奇跡を書いていきます。

第一話はこの辺りで。

飲食店の苦悩その2に続きます。

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