中医学が語る「腎精」と髪の関係——髪は腎の花である

オフラインでクレーム(お願い)がありました。

こんな内容です。
中医学について知りたいのに、AGAとか変な方向にずれ始めている。
もっと麻痺へのアプローチについて知りたい、と。

このブログの目的をしっかりとお伝えできていないのが問題です。
ごめんなさい。

このブログを、道が塞がれた感じで困り果てた人の、医学辞典的なデータベースにしようと考えています。
長い道のりですが、疼痛と検索(あるいはAIに尋ねた場合)した時に、中医学的なアプローチについての答えも探す事が出来る為。

中医学への入り口とか大それたものではなく、メンタルを含む、さまざまな病気(特に現代病)と長く付き合っていると、現代医学の限界を感じることがあります。
今まではそこで諦めるしかなかった。
それか、私がやってきたような、なんでもいいから良くなりそうな方法ショッピングに走る。
でも、検索キーワードは同じだから、同じような結果しか出ない。
限界だと思ってしまう。

根本的に身体をあるべき姿に戻す時間なんてないから、手っ取り早く今の症状や不安から逃れたい。
そんな人向けの(怪しい)サイトが上位に鎮座する仕組みは、SEOの仕組みを考えれば当然なんです。

体質を変えなければ花粉症は改善されないのに、今の症状をすぐに緩和したい!!
そう考えますよね。
根本的な原因は、自然界に存在しない物質を微量ずつ体に入れ続けた結果の、過剰反応だとしたら。
別のブログで書いたジャムウティーに(多分意図的に)混ぜ込まれたステロイドを摂取すれば、短期的に(症状自体は)改善しても、根本的な免疫機能を司る肝臓や腎臓が攻撃されることになって悪化する。
これが中医学的な考え方です。
大勢に影響が無いほど日本の杉の本数が減ったとしても、別のアレルギーで苦しむだけ。
それが証拠に、幾つものアレルゲンを持っている人が増えている。

というわけで、神山先生の頭の中にあるデータベースから、考えうる限りの良くなる可能性を、症状別に書き溜めたいのです。
テーマを決めて、困っている人が多いものから書きまくります。

髪は腎の花(髪為腎之華)、血の余り(血之余)」——中医学の古典に記されたこの一文が、薄毛・抜け毛のすべてを語っています。

なぜ「腎」が髪を主るのか

中医学では五臓(肝・心・脾・肺・腎)がそれぞれ特定の組織・器官・感情と対応しています。髪を主るのは「腎」です。

腎は「先天の精」——生まれながらに持つ生命力の根本——を蓄える臓器です。この腎精が充実していれば、髪は豊かで艶やかです。腎精が不足すると、髪は細くなり、艶を失い、抜けやすくなります。

これは比喩ではなく、中医学の生理学の核心です。

腎精が消耗する原因

過労・睡眠不足の慢性化

ストレスの長期蓄積(恐れ・驚きは腎を傷る)

過度な性行為・房事過多(腎精を消耗する)

冷たい飲食の習慣(腎陽を傷つける)

加齢(腎精は自然に減少する)

「血の余り」——肝血との関係

髪が「血の余り」とも言われるのは、肝が血を蓄え、それを全身に送る機能を持つからです。肝血が充実していれば、余った血が髪を養います。

肝血が不足すると——

髪が細く・脆くなる

頭皮の乾燥・痒み

円形脱毛(ストレス+肝血虚の典型)

薄毛・抜け毛は「腎精の消耗」と「肝血の不足」が重なったときに起きやすい——中医学はこう理解します。育毛薬でDHTを操作することは、この根本に触れません。

腎精・肝血を補う食養生

腎精を補う食材

黒食材(黒豆・黒ごま・黒きくらげ・海苔)——腎の色は「黒」

くるみ——腎を補い脳髄を養う

山芋(山薬)——腎・脾を補う滋養強壮の代表

牡蠣・あさり——亜鉛が豊富で腎精の素材となる

クコの実(枸杞子)——肝腎を同時に補う

肝血を補う食材

レバー(週1〜2回)——肝血を補う代表食材

ほうれん草・春菊——肝血を養う緑の野菜

なつめ(大棗)——気血を補い、心を落ち着かせる

黒酢・酢——肝の疏泄を助け、血の巡りを改善

日常の養生で大切なこと

23時前に就寝(肝の養生時間:夜11時〜深夜3時)

恐れ・驚きの感情を溜め込まない(腎を傷つける)

足腰を冷やさない(腎は下半身・腰に宿る)

深呼吸・瞑想で腎気を落ち着かせる

これらは「髪のための養生」ではなく、「腎と肝のための養生」です。腎と肝が元気になれば、結果として髪も改善していきます。

薬で表面を操作するのではなく、根本を養う。それが中医学の髪への向き合い方です。

次回(第7回)は、肝と腎がなぜ「一対」として連動するのか——「肝腎同源(乙癸同源)」という中医学の深い理論を解説します。

諦めていた手が、動き始めた。 ——脳出血後遺症と薬酒、そして15年後に知った後悔

「川平法を何度やっても、ぴくりとも動かなかった」。あの日の絶望を、今でも忘れられません。妻が脳出血で倒れてから15年。私がこの記事を書いているのは、「知っていれば」という後悔を、誰かの「知っていてよかった」に変えたいからです。

こんにちは、養生日和のTOMOです。

今回は、個人的な話をします。

アメリカに住んでいた頃に妻が脳出血で倒れたのは、15年以上前のことです。救急搬送、ICU、回復期リハビリ病院、帰国、鹿児島大学付属霧島リハビリテーションセンター、そして自宅介護——その一連の中で、私は「日本の仕組みはここまで想定していない」と何度も壁にぶつかりました。そして私自身も、鬱になりました。

15年間、いつの頃か妻の手が動くことを諦め、痛みの緩和に気持ちを切り替えて生きてきました。

その私が今、この記事を書いているのは——薬酒と火の療法に出会い、少しずつ、妻の体が動き始めているからです。

神山道元先生(中医学専門医・龍門派)から教わったこの療法が、後遺症で諦めている人、その家族に、届いてほしいと思います。

⚠️ 本記事は個人の体験と中医学の観点からの情報提供です。脳出血・脳梗塞の治療については必ず主治医にご相談ください。

あの日から、すべてが変わった

妻が倒れたのは、何の予兆もない普通の朝でした。

脳出血。左脳。右半身に麻痺が残りました。

救急病院での処置が終わると、次は回復期リハビリ病院へ。そこでも懸命にリハビリに取り組みました。「川平法」という、反復促通療法にも希望を託しました。

何度も、何度も。

でも、右手はぴくりとも動きませんでした。

医師から「これ以上の回復は難しい」と言われたとき、私の中で何かが折れました。それでも、妻の前では折れた顔を見せるわけにはいかなかった。

日本の仕組みは、ここまで想定していない

脳出血で家族が倒れるということは、「病人が出た」ということだけではありません。

家族の生活が、根底から変わるということです。

「見舞い」しか想定されていない

日本の制度は、家族の入院に対して「見舞いに行く」ことしか想定していません。

育児休業は制度として存在します。完全ではないにしても、「子育てのために仕事を離れる権利」は社会的に認められています。

では、家族が脳出血で倒れたとき、その回復に寄り添うために仕事を離れる権利は?

ありません。介護休業という制度はありますが、「介護」は認定を受けた要介護状態を前提とします。急性期・回復期の、最も重要な時期に、家族が寄り添うための制度的な保障は、ほぼ存在しません。

リハビリに付き合うためには、仕事を休まなければならない。でも休めば収入が減る。会社に居場所がなくなるかもしれない。

一緒に歩んできた家族をそこに置いて、仕事ができるのか。

できません。少なくとも、私にはできませんでした。

家主が倒れるとき

介護する側のメンタルケアも、ほぼ想定されていません。

私は、鬱になりました。

それは弱さではなく、当然の帰結でした。睡眠が削られ、先が見えず、自分の感情を後回しにし続けた結果です。でもその鬱を誰かが察知して、サポートしてくれる仕組みは、どこにもありませんでした。

家族が大病を患うということは、その家族を支える人間も同時に危機に瀕するということです。痛みを一緒に感じなければ、家族の結束は崩れてしまう。でも痛みを一緒に感じ続ければ、支える側も壊れていく。

この矛盾を、社会はまだ直視していません。

15年後に知った——薬酒と火の療法

妻の右手が動かなくなって15年が過ぎた頃、神山道元先生と出会いました。

先生は中医学専門医、龍門派の継承者です。先生に妻の状態を話したとき、こう言われました。

「関節にガスが溜まっているのです。そのガスを取り除けば、動く可能性があります」

15年間、誰もそんなことを言った医師はいませんでした。

薬酒とは何か

先生が処方されたのは、漢方生薬を白酒(中国の蒸留酒)に2週間漬け込んだ「薬酒」です。

神山先生が患者の状態に合わせて調合した生薬を、白酒に漬ける。その薬酒を内服することで、関節に溜まったガスを体内から解消していきます。

中医学では、気血の滞りが長期間続くと、関節や経絡に「濁り」が蓄積されると考えます。脳出血後の麻痺肢では、長年動かないことで、この滞りが深く固着している。薬酒はその固着を内側から解いていく働きをします。

火の療法とは何か

並行して行われるのが「火の療法」です。

動かない関節に、瞬間的に火を当てます。

するとーー

ぼっと、燃えるのです。

関節に溜まったガスが、実際に燃える。これを目にしたとき、15年間「動かないのが当然」と思っていたものが、実は「詰まっていた」だけだったのだと、初めて理解しました。

薬酒で内側から、火の療法で外側から——詰まりを取り除いていく。中医学の「通則不痛、痛則不通(通じれば痛まず、痛むのは通じていないから)」という原則そのものです。

今、起きていること

まだ途中です。劇的な変化ではありません。

でも、少しずつ、確実に変わり始めています。

痛みが和らいでいます。体の感覚が戻り始めています。

15年間諦めていた手が、動く可能性が、まだあるかもしれない。

「全てがつながっている」——先生のこの言葉が、今は深く響きます。手だけの問題ではなく、気血の滞り、関節のガス、内臓の状態、感情の歴史——すべてがつながっていた。

中医学を知っていれば——という後悔

発症から15年後に薬酒を知った。

この事実が意味することを、私はずっと考えています。

もし発症直後から、あるいは発症後1年以内に、この療法を知っていたら——関節のガスがまだ柔らかい段階で詰まりを取り除いていたら——どれだけ違う未来があったか。

もしかしたら、この時点では現代医学以外を信じなかったかもしれません。

後悔を書いても、時間は戻りません。

だから私は、この後悔を記録として残します。

中医学が見ていたもの

中医学は、脳出血後遺症を「気血の大きな滞り」として捉えます。

脳出血という「気血の暴走・崩壊」の後、体は防衛反応として患部を固めようとします。麻痺はその固まりの結果です。固まりを放置すれば、やがてガスが溜まり、血が届かなくなり、組織は深く眠り込んでいく。

西洋医学のリハビリは「動かす」ことで神経回路の再建を図ります。それは正しいアプローチです。でも「詰まりを取る」という視点は、そこにはありませんでした。

両方あれば——と思います。

倒れてしまった人へ、後遺症が残った人の家族へ

この記事を読んでいる方の中に、脳出血や脳梗塞の後遺症を抱えている方、その家族の方がいるかもしれません。

発症から日が浅い方は、今すぐ神山先生への相談を検討してください。詰まりが浅い段階での介入ほど、効果が出やすい。

発症から年数が経っている方も、諦めないでください。15年経っても、変化は起きています。

「もう遅い」と思わないでほしいのです。私がそう思っていたから。でも、遅くはなかった。

家族が大病を患うとき、社会に求めたいこと

最後に、制度の話を書かせてください。

これは個人の体験を超えた、社会への問いです。

家族の急性期・回復期に寄り添うための「家族介護休業」制度の拡充

これは見るデータが違っているだけです。チーム未来が訴えている「高額医療制度」変更への反対の根拠と似ています。医療費だけでなく、翌年以降(今年も入る)の収入が大幅に減るんです。家族を支えている大黒柱が病に倒れた場合の想定は大切ですが、大黒柱が看病しなければならない局面に立たされた時はどうなりますか?それまでは頑張って働いて、税金をたくさん納めてきたんです。深く深く、性善説での設計を望みます。

介護する側(ケアラー)のメンタルヘルスへの公的サポート

西洋医学と東洋医学が連携できる医療体制の整備

この件が難しいことは承知しています。リハビリ方法の作法というか、派閥みたいな壁があって認め合わないなんてことも存在しています。西洋医学とそれ以外も同様です。目線を患者に移せば、簡単にわかることが見えなくなっている。最近、すこしづつ政治に風穴が開き始めている。皆が諦めていたのにです。だから、諦めてはいけない。患者やその家族の目線に立ち返れば、全員が井戸から飛び出さなければいけないことは明白。戦うのではなく、それぞれの得意分野が違うだけ。そこが完璧になれば、金儲けしか考えていない、なんちゃって合法サードパーティが台頭できる余地が狭まります。

後遺症患者とその家族に、中医学・鍼灸などの選択肢を情報提供する仕組み

子育てに育児休業があるように、家族の大病に寄り添うための制度が必要です。

「見舞いに行く」ではなく「一緒に回復していく」ことを、社会が支える仕組みが必要です。

痛みを一緒に感じることが、家族の結束を守ります。その時間を社会が保障することが、長期的には社会全体のコストを下げることにもつながるはずです。

おわりに

妻が倒れた日から、私の人生は変わりました。

それは悲劇でした。でも同時に、私に多くのことを教えてくれた出来事でもありました。

中医学と出会い、神山先生と出会い、「全てがつながっている」という視点を得た今、あの日の経験を無駄にしたくないと強く思っています。

養生日和は「乗り越えられない試練はない」をテーマにしています。

15年越しの薬酒が、その言葉の証明になるかもしれない。

まだ途中です。でも、動き始めています。

後遺症で諦めているすべての人と、その家族へ。まだ、道はあるかもしれません。

神山道元先生への相談・薬酒についての詳細は、コメント欄からお問い合わせください。なお、薬酒の処方箋は診察を受けないと発行されませんので、ご了承ください。
このブログは法律遵守を心がけて制作しています。

── 養生日和 TOMO


Q1|脳出血の後遺症に薬酒は効きますか?

神山道元先生(中医学専門医・龍門派)によると、脳出血後遺症で麻痺が残る場合、長期間動かない関節にガスが溜まり、気血の滞りが固着することがあります。薬酒と火の療法によってこの滞りを取り除くことで、回復の可能性が生まれる場合があります。発症からの年数に関わらず、まず専門家への相談をお勧めします。

Q2|薬酒とはどういうものですか?

神山先生が患者の状態に合わせて調合した漢方生薬を、白酒(中国の蒸留酒)に約2週間漬け込んだものです。内服することで関節に溜まったガスを体内から解消し、気血の滞りを解いていく効果があるとされています。処方は個人の状態によって異なります。

Q3|脳出血の家族を介護している人が鬱になりやすいのはなぜですか?

睡眠の慢性的な不足、先の見えない状況への不安、自分の感情を後回しにし続けることによる肝の疏泄(気の流れ)の乱れが重なることで、気滞から鬱証へと発展しやすくなります。中医学では「痛みを共に感じること」が家族の養生でもあると考えますが、支える側のケアも同様に重要です。

Q4|日本の介護制度で、急性期・回復期の家族に寄り添える制度はありますか?

現状では、急性期・回復期に家族が継続的に寄り添うための制度的保障はほぼありません。介護休業制度は要介護認定を前提とするため、最も重要な発症直後の時期にはカバーされないことが多い状況です。制度の拡充が社会的課題として残っています。

これまで読んでくださった皆さんへ

このブログを続けて読んでくださってきた方には、まず一つだけお礼を申し上げたいのです。

正直に言うと、ここに書いてきたことは、楽しい話や役に立つ話ばかりではありませんでした。
むしろ、苦しかった時期のこと、答えが出ないまま抱え込んでいた迷い、そういうものを文字にすることで、なんとか形にしてきたような場所でした。

それを読んで、コメントをくださったり、黙って読み続けてくださったりした皆さんが、私にとってはずっと支えでした。
大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っています。

今日は、これからこのブログをどう書いていきたいか、少しお話しさせてください。
方向転換のお知らせではなく、むしろこれまで書いてきたことの、続きのつもりです。

振り返ると、私はずっと『中断』を書いていた

改めてこのブログの記事を見返してみて、気づいたことがあります。

私はずっと、「中断」の話を書いていたのです。

ルクセンブルクに赴任したとき、私のTOEICは420点でした。
自分なりには「結構できる」と思い込んでいた半人前エンジニアが、ゼロベースで700名規模の工場を立ち上げる仕事にいきなり放り込まれた。
採用から準備、生産開始、24時間3交代の稼働まで、一気に進んでいくプロジェクトです。
順調なわけがない。
能力も中途半端、言葉もできない、相手も日本人ではない。
それでも、後ろには誰も控えていない——助けてくれる上司も、代わってくれる同僚もいない。
この「後ろに誰もいない恐怖」は、一度味わうと人を変えます。
アホでも、一人前になるのです。

結婚したばかりで連れて行った家内は、トラブル続きで家に帰ってこない夫を、ひたすら待ちぼうけでした。
当時は気づいていなかったけれど、その時点ですでに、私は家族の時間にたくさんの「中断」を作っていたのだと、今ならわかります。

それでも、言葉を覚え、仕事を覚え、たくさんの経営者と知り合って、そうするうちに、少しずつ考え方が変わっていきました。
技術者一辺倒だった自分は、石頭で、お客様の顔も見えていなかった。
凝り固まった、アホな自信で自分を守っていただけでした。
縁があって、事業の全体が見られるプロジェクトに入れてもらえたのは、大きな転機でした。
時間をかけて、ようやく全体を見る目が出来上がっていった。
バケーションという休み方の大切さも、日本にいたら理解できなかったと思います。

海外で長く働いて、ようやく日本に戻ってきたとき、帰ってきたはずなのに、居場所がうまく掴めない感覚がありました。
本社の会議に入っても、自分だけ別のゲームをしていたような違和感がある。
海外で身についた意思決定のスピードや、ダイバーシティを前提にした物の見方は、日本の組織の中では必ずしも歓迎されません。
それは分かっていたつもりでしたが、実際に直面してみると、予想以上に消耗するものでした。

妻の病気

そのあとに、妻の病気がありました。

このことは、このブログに何度も書いてきたので、今日は少しだけ。

アメリカに住んでいたある日、妻が倒れて、助からないかもしれない、という状況になりました。
何が起きているのかも、すぐには理解できませんでした。
最初にかかった病院では手の施しようがないと言われて、超巨大な病院に運ばれました。
受付で「お金持ってる?」と聞かれて、「なんとかするから!!」としか答えられなかった。
そんな場面でした。

妻は命はつなぎました。
けれど、右半身の麻痺、失語症、視野欠損が残りました。
そして、脳卒中のあとに残る強烈な痛み——。
この痛みに、一時的にでも効く薬がなかなか見つからない。
私たち夫婦は、その痛みの手がかりを探し続けて、もう15年になります。
今日も、その途中です。

無職の期間

アメリカの病院で、考えられないほどの金額を払いました。

金がない、仕事もない、働きに出ることもできない——妻のそばを離れられないから。
自分ひとりで稼ぐ方法を、そもそも私は知らないんだ、という事実に初めてぶつかった時期でした。
神様が助けてくれるかな、と思考が飛ぶような瞬間さえありました。

はっきり書きますが、お金が入ってこなくて、貯金だけが減っていく、いつ無くなるのかという恐怖と戦う状態というのは、思考停止しか楽になる手段がないんですよ。
あれは経験しないと分からない感覚です。

それでも、日々は続きます。

『空白』が私に残してくれたもの

ここが、今日いちばん書きたかったことです。

中断というのは、世の中的にはマイナスです。
履歴書の「空白期間」は、どう埋めるかを問われるもの。
仕事から離れた時期は、なるべく早く「普通」に戻すべきもの。
それが、日本の社会の、静かだけれど強い前提になっています。

でも、私は今、違うことを思っています。

家族の誰かが大病やメンタルダウンの時に、迷わずに仕事から離れる。
そのことで、キャリアがマイナスになるどころか、プラスになる——そういう生き方が、もっと普通にあっていいはずです。

「あの時しか気づけなかったことが、ひとつあった」——そういうロマンチックな書き方を、私はしたくありません。

正直に言えば、そういう一点突破の気づきは、私にはなかったからです。

あるのは、「こうなったから気づけたことが、数えきれないほど積み重なっている」という、もっと地味で、もっと揺るぎのない事実です。

その中で一番大きいのは、人の痛みがわかるようになったことです。

これは、仕事を続けていたら、たぶん一生身につかなかった感覚です。
それを知らないまま生きていたら、ルクセンブルクで出会った経営者たちの言葉も、半分しか聞こえていなかったかもしれない。そう思います。

師を探す旅

妻の痛みに、どうにか手がかりを見つけたい。
その一心で、私はずっと動き続けてきました。

ドクターショッピング(もちろん現代医学だけでなく)の中で、大学病院にも3か所行きました。

大阪大学病院では、痛みを和らげる目的で電極を埋め込みました。
残念ながら、効果は得られませんでした。
東京医科大学病院のペインクリニックでは、痛みの大きさが尋常でないことが測定で分かりました。
それでも、良くなる方向に進む道はなかなか見えません。
電極を抜去してくださった執刀医の先生が、横浜市大から来られていて、そちらのペインクリニックを紹介してくださいました。
1年待って、ようやく診察を受けた初日に、「治らないよ!」と言われました。
骨粗鬆症の検査をはじめ、痛みとは関係のない、患者の痛みは二の次の、病院経営の匂いがプンプンする勧めには疲れました。

ありとあらゆる方法を試しても、辿り着かない。
諦めそうになるのですが、諦められるわけがない。
そういう日々の中では、いつでもどこでもアンテナを張っている——そういう状態がずっと続いていました。

ある日、YouTubeのおすすめに、一人の先生が現れました。

色彩療法の阿久沢先生です。

すぐに電話をして、水戸まで車で行きました。
泊まりがけで。
先生はたくさんの手技をお持ちで、話を伺っているうちに、長く張っていたアンテナが、ようやく何かを捉えた——そういう感覚がありました。
効いた/効かない、という話ではありません。
ただ、「ここは通うべき場所だ」と身体が知った、と言ったら近いかもしれません。

そして阿久沢先生から、こう言っていただきました。
「体力が追いつかないね。漢方の助けも要るよ」。
そう言って、もうお一人の先生を紹介してくださいました。

それが、神山道元先生でした。

これから書いていきたいこと

ここからは、ゆっくり、一本ずつ書いていきます。

養生というのは、病気を治す方法ではありません。
神山先生ご自身、そうはっきりおっしゃいます。
医療の代わりではなく、医療と並んで、自分の体と日々を整えていく——そういう「稽古」の話です。

それが、50代の妻にとって、思いのほかしっくり来ました。
なぜかは、これから一本一本の記事で、具体的に書いていきます。

このブログには、これから「養生日和」という軸を加えていきます。

神山道元先生から教わっていること、阿久沢先生から教わっていること、そして私と家族が実際に日々実践してきて、少しずつ気づいてきたことを、難しくせず、毎日の具体の中で書いていきます。
呼吸、食事、睡眠、季節の変わり目の過ごし方。
そういう話です。

一つだけお断りしておきたいことがあります。

これらは医療のお話ではありません。
体調の不安があるときは、必ず医師にご相談ください。
私が書くのはあくまで、「もう一つの見方」としての養生です。
医療と並んで、自分の日々を整える稽古のこと。

でも、これまでの記事も消しません

方向を変えるからといって、これまで書いてきた記事を消すつもりはありません。

あの時期の苦しさや迷いは、今の私から見ると「起点」だったのだと分かります。
でも、苦しんでいたその瞬間には、それが起点になるなんて、まったく見えていませんでした。

だから、残しておきたいのです。
今まさに「中断」のただ中にいて、このブログを見つけてくださった方が、もしいらしたら、その方に読んでいただきたい。
「このあと、ちゃんと続きがありますよ」と、私自身の記録で伝えたいからです。

一緒に歩いてくれる人へ

これから書いていく養生日和の記事は、読むだけでも何かが残る、そういうものにしたいと思っています。

神山先生・阿久沢先生の教えを、もう少し体系立てて学んでみたい、という方向けの学びの場も、時期を見てご案内します。

タイミングを見つけて、神山道元先生について、もう少しきちんと書きます。


※本記事は学習・教育目的の内容です。医療行為ではありません。健康上のご不安は医師にご相談ください。


神山先生の貴重な教えをデータベースにして、いつでも身体の不安を訴えることができるAIアプリを開発しています。

ご無沙汰しておりました ― 阿久沢先生と神山先生との出会い、そして水戸通いの日々

もくじ

長らくの沈黙、本当にごめんなさい

まずは、本当に長いあいだブログの更新が止まってしまっていたこと、心よりお詫びさせてください。「お元気ですか?」「どうされましたか?」と気にかけてくださった方々、コメントやメッセージをくださった方々、本当にありがとうございました。返信もままならない時期がありまして、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

離れていた理由はいろいろあるのですが、一言で言ってしまえば「自分自身と向き合い直す時間が必要だった」のだと思います。体のこと、心のこと、これからの生き方のこと。ひとつひとつ立ち止まって、ゆっくり噛みしめる時間。そんな中で、どうしても言葉にできないことが多くて、ブログという形で発信するのがしばらく難しくなっていました。

でも、この沈黙の時間は決して無駄ではありませんでした。むしろ、人生でいちばん濃密な「学びの時間」だったと言ってもいいくらいです。というのも、この間に、本当にすばらしい二人の先生と出会うことができたからです。今日はそのご報告を、近況報告として綴らせてください。

阿久沢先生との出会い ― 色彩療法の不思議

まず一人目は、阿久沢先生。先生が実践されている「色彩療法」との出会いは、私の中の「治る」という概念を大きく揺さぶるものでした。

色彩療法、と聞くと、「色で癒される?なんとなくリラックスするやつ?」くらいのイメージを持たれる方も多いと思います。正直に言うと、私もそうでした。きれいな色を眺めてほっとする、アロマみたいな感じのもの、と。

でも、阿久沢先生の色彩療法は、そんな表面的なものではまったくありませんでした。色が体のどこにどう作用するのか、その人の今の状態に何色がどんな形で必要なのか ― 先生は一人ひとりをていねいに視て、必要な色をそっと届けてくださるんです。

最初に施術していただいたとき、正直「えっ、これだけ?」と思ってしまったくらい、やっていること自体はとても静かで、穏やかでした。ところが、終わったあとに体の感覚がガラッと変わっていることに気がついて、本当にびっくりしたんです。ずっと重かった肩の奥のほうが軽くなっていたり、頭の中の霧が晴れたような感じがしたり。目に見えない「色」というものが、こんなにも体に影響するんだ、と。

阿久沢先生ご自身は、決してご自分の技術をおおげさに語られない方です。むしろ「私が治すのではなくて、その人が本来持っている力が戻っていくだけですよ」と、さらっとおっしゃる。そういう謙虚さの奥に、深い知識と経験、そして何よりも「人を治したい」という強い思いがあるのが伝わってきて、毎回頭が下がります。

色彩療法については、また回を改めて、もう少しちゃんとご紹介できたらと思っています。今まで私が抱いていた「治療」のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていった、そんな出会いでした。

神山先生との出会い ― 本物の「気」を知る

そしてもう一人、どうしてもお話ししたいのが神山先生のことです。神山先生との出会いは、「気」というものを本気で信じるようになったきっかけでした。

「気」という言葉自体は、日本人にとってすごく身近なものですよね。「元気」「病は気から」「気持ちいい」…毎日何気なく使っている言葉なのに、改めて「気って何ですか?」と問われると、ちゃんと答えられる人は意外と少ないのではないでしょうか。私もずっと、なんとなくの概念として使っていました。

でも、神山先生の前に立ったとき、そのなんとなくが一気に吹き飛びました。言葉で説明するのがとても難しいのですが、先生の「気」は、ちゃんと体でわかるんです。先生が手をかざしてくださると、その場の空気が変わるというか、自分の内側のざわつきがすーっと鎮まっていくというか。これが世間でいう「気功」とか「ヒーリング」のイメージとも、また違うんです。本物の気、としか言いようがない、圧倒的な何か。

最初は半信半疑、というか「気って本当にあるものなのかな」と頭の片隅で思っていた自分が、一回の施術ですっかり変わってしまいました。理屈ではなく、体が納得してしまった、そんな感覚です。

神山先生もまた、阿久沢先生と同じく、とても静かで、声を荒らげたりしない方です。むしろ「治してあげる」という押しつけがましさがまったくなくて、ただただ目の前の人に寄り添ってくださる。その在り方そのものが、すでに治療になっているような気すらします。

毎月、泊まりがけで水戸に通っています

そんなわけで今、阿久澤先生のもとへ通うため、毎月泊まりがけで水戸に足を運ぶ生活を続けています。「毎月、泊まりで?大変じゃない?」と驚かれることも多いのですが、正直に言うと、全然大変ではないんです。むしろ、その時間がないと自分が整わない、と感じるほど、今の私にとっては欠かせない時間になっています。

水戸までの道のりも、いつの間にか好きになってしまいました。行きの電車の中では「今回はどんなお話を聞けるかな」とわくわくしますし、帰りの電車では施術の余韻に包まれながら、ぼーっと窓の外を眺めるのが何とも言えず心地いい。旅と治療と学びが一度に味わえる、贅沢な時間です。

泊まりがけにしているのは、日帰りだとどうしてももったいないから。先生のお話をじっくり伺ったり、同じように通われている方々とお話ししたり、夜は静かに自分の体と心に向き合ったり。一泊するだけで、全然体への入り方が違うんですよね。翌朝、宿で目覚めたときの体の軽さといったら、本当に別人になったような感じです。

神山先生の薬酒のこと

そして、神山先生の話でどうしても触れておきたいのが「薬酒」のことです。

もともと薬酒という言葉にもあまり馴染みがなかった私ですが、「これは普通のお酒とは全然違う…」とすぐにわかりました。処方して下さる生薬のブレンドを、白酒に2週間漬け込んで、毎日15ccずつ飲むんです。

どんな素材を、どんな配合で、どんな時間をかけて仕込まれているのかは、先生にとってとても大切なものですから私が軽々しく語るべきではないのですが、効果を感じれらなかった頃でも、阿久澤先生のところに行くと気が強くなってますね!!、そう言われました。。

そして飲み始めて1ヶ月後の変化は、微動だにしなかった指が動き出したこと。

少しずつですが希望を持てるようになってきました。

神山先生は池袋に院を構えていらっしゃいます。
有名重鎮政治家から送られた額が飾ってあったりと、別格です。

これからのこと

こうして振り返ってみると、ブログを書けずにいたこの期間は、私にとって「静かに種を蒔く時間」だったのだと思います。阿久沢先生との色彩療法との出会い、神山先生との本物の気との出会い、水戸通いの日々、薬酒の力 ― どれもこれも、以前の自分では想像もしなかった経験ばかりです。

これからは、少しずつではありますが、またこの場所で近況や学びをシェアしていけたらと思っています。毎日更新、とはいかないかもしれませんが、その分、心を込めてひとつひとつ綴っていくつもりです。色彩療法のこと、気のこと、水戸での時間、薬酒との付き合い方 ― それぞれについて、もっと深く書きたいテーマがたくさんあります。

長いあいだ離れていたにもかかわらず、こうしてまた読みに来てくださった方がいるとしたら、本当に本当にありがたいことです。ありがとうございます。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

また近々、更新しますね。

2024年1月6日(土)午前5時55分電話が鳴った。

母の携帯から。

顔を洗っていたので出ることができず、

折り返しをしようとスマホを持ったと同時に、

また着信があった.

正月に元気な姿を見たばかりだったのだが、

92歳になる父が弱っているので、少し嫌な予感がしつつ電話に出る。

いきなり背景からサイレンの音が響く中で、

知らない男性の声が聞こえてきた。

『親父に何かあった』

咄嗟にそう思った。

『◯◯消防署の◯◯と申します。

パッチングワーカー様でしょうか?

お母様が階段から落ちて、複雑骨折をされて運んでいます。

意識はしっかりされていますが、骨が皮膚の外に飛び出しています。

◯◯病院に運んでいます。』

もたらされた想定外の情報に動揺しながら、慌てて服を着替え、

妻を家に置いたまま車に飛び乗った。

足が震えていた。

横浜にある私の自宅から、指定された病院まで2時間強かかる。

車の中からハンズフリーフォンを使って、

妹に連絡を取る。

実家には、介護の必要な父1人になってしまっているので、

私は病院、妹は実家と、手分けして対応する依頼をするためだ。

13年前に、アメリカで家内が倒れた時を思いだしながら運転する。

圏央道に入ると、レーダークルーズコントロールを115km/時にセットして巡航する。

感心できるものではないが、

囚われた場合でも免停を逃れられるギリギリの速度。

遅延した航空機が、安全を害さないギリギリの速度でキャッチアップを図る様なもの。

勝手に言い訳を考える。

1時間ほどすると、運ばれた病院から電話があった。

痛み止めを入れてMRIを撮ったが、損傷度合いが激しすぎてリスクが高い。

埼玉医科大学国際医療センターに転院させてから緊急手術をする方針なので、

国際医療センターに向かってほしいとの依頼だった。

埼玉医科大学国際医療センターは埼玉県でも有数の、高度救命救急を担う病院だ。

父が心筋梗塞で倒れ、3本のバイパスと、2箇所の弁置換術を受けた病院だ。

当時は、現東京女子医大心臓外科教授の新浪博士さんが、埼玉医科大学国際医療センター心臓外科教授をされていた。

素晴らしい手技の持ち主で、

12時間かかった手術の翌日には、ベッドから起き上がって歩くことができた。

昭和天皇の心臓手術を担当された順天堂大学の天野篤教授の右腕として、同大学心臓外科助教授を務めていた方だ。

現サントリー社長である、新浪剛史氏の弟であることは有名だ。

そんなわけで、私の中ではこの病院への信頼度はMAXだ。

転院と聞いて、逆に安心した。

予定より2つ手前のインターで高速を降りて、埼玉医科大学国際医療センターへと向かう。

ERに運ばれていて、早速医師の説明を受ける。

最初に運ばれた病院で撮影した3DのMRI画像が、深刻さを瞬時に理解させる。

ヒビの入った部分を入れると4箇所が損傷を受けており、

親指に繋がる骨は、手首の位置から外に飛び出していた。

皮膚の壊死を覚悟する様に言われ、

手術前から、1ヶ月以上の入院を告げられた。

手術室に母が入ると、専用の携帯電話を渡されて、病院から外に出ない様に言われる。

父の時は携帯ブザーだった気がするが、

父の手術中に心配MAXだった母が、今は向こう側にいる。

3時間弱ののちに電話が鳴った。

Covit-19の影響で、面会は許されていないが、

10分間だけ、特別に話をさせてもらった。

自分の事ではなく、置いてきた父の心配ばかりしている。

妹が付き添っていること、

特別一時預かりの施設を、ケアマネさんが探してくれた事を伝える。

しきりに謝る母に、

『良い機会だから、ゆっくり休んだほうが良いよ』

そう伝えた。

埼玉医大国際医療センターHPより

リッツカールトン日光

中国から帰った翌日の11月8日に、家内を連れてリッツカールトン日光に宿泊してきました。

何ヶ月も前に、

紅葉に当たればラッキー!!

くらいの気持ちで予約入れていました。

もちろんポイント宿泊です😄

私の誕生日なんです。

観光もせずに、美味しいお蕎麦と温泉、そしてリッツカールトンのお料理を楽しむだけの旅。

私の大好きなYouTuberである、現在はラスベガス在住のUS生活&旅行さんが、一時帰国の際にお母様を連れてリッツカールトン日光に宿泊した旅行記が大好きです。

そんなわけで、我が家も少し背伸びをしてみることにしたのです。

まず目指したのが、日光市に無数にあるお蕎麦屋さんの中でも、評価の高い『三たてそば 長畑庵』

前日、上海から成田を経由して家に帰ったのが21時。

少しお疲れモードなので、10時30分に家を出てきました。

朝ごはん抜きで、お蕎麦に集中します。

晩御飯の予約を、19時半と遅めに入れたのは、お蕎麦を堪能するため。

天ぷらを置いていない潔さは、蕎麦に自信があるからでしょうね。

13時過ぎに到着したのですが、10組先客が待っていました。

ここを目指してこないと、絶対に見つかりません。

たまたま通りかかった、なんてことがない立地。

でも混んでいます。

1合が一人前で、あとは大ざる(1.5人前)、2人前、3人前っていう感じです。

天ぷらも、そばがきも置いてないから、お酒も飲みたくなりません。

助かった😄

無理かも?って思いながら、家内と2人で4合を注文。

2人前ずつ食べる計算。

うわあ、すごい量だ。

でもぺろり!!

まだ行けそうな感じでした。

が、後でお腹が膨らんで、晩御飯の予約を18時なんてしていたら、楽しめなかった。

美味い蕎麦、恐るべし。

リッツカールトン日光は中禅寺湖畔にあるので、いろは坂を登って行きます。

いろは坂を登る手前は、なかなかの紅葉。

いい感じです。

いろは坂を登っていたら、野生のお猿さんが道を塞いでいました。

スマホを向けると、さっさとお猿のように(お猿でした)登っていきました。

リッツカールトン日光は、いろは坂を登り切ったところに佇んでいます。

2軒隣に、星野リゾート界日光があります。

日光国立公園内にあるのです。

到着すると、すぐにバトラーさんが出迎えてくれて、車を預けます。

坂の麓と全然違う空気で、キリッとしています。

寒いです。

ロビーは高級な日本旅館の佇まいで、フロントではなくゆったりと置かれたソファに腰掛けてチェックインを行います。

何から何まで凝った作りで、他のマリオット系ブランドとは一線を画しています。

素晴らしいと感じたイラフSUIでも、館内の創りを見る限りでは歯が立ちません。

館内を案内されながら、309号室へ。

普通のお部屋でも65㎡あります。

まあ、素泊まり15万円(秋の金額)ですから、他のホテルではスイートクラスです。

(私たちはポイントです。ごめんなさい)

上の動画の最後に見える建物が、晩餐を楽しむLakeHouseです。

部屋からの景色は、沖縄の海とはまた違う、キリッとしたマイナスイオンを感じて素敵です。

テラスの柵がガラスなので、景色がとても美しく映ります。

他の国でこのデザインを施しても、あっという間に白く濁った汚れだらけになることでしょう。

日本は素晴らしい国です😊

温泉に浸かりに、まずは大浴場に行きました。

部屋に素晴らしい眺めの良いお風呂がついているのですが、これは温泉ではありません。

洗い場にも床暖房が付いていて、抜かりありません。

このお風呂に入ると、ずっと体がポカポカしているので、軟水化かなんかやってる気がします。

洗面ボウルは背面にもう一つあります

大浴場の温泉は硫黄の匂いがする、しかし透明な温泉で肌ツルツル。

バスタオル、ハンドタオル、垢すりタオル?、シェービングフォームから、レザーまで、なんでも揃っています。

手ぶらで行けます。

家内が脱衣場の手前で、装具を外すのを見ていた係の方が気を利かせ、帰る時には装具を装着するための椅子が用意されていたそうです。

心配させない、恐縮させない心配りは(も)超一流です。

温泉に行く時に発見した、エレベータが来るときの合図。

来ない方のライトが消えます。

素敵です。

一つ一つがさりげなく、しかし一流。

黄金に煌びやかに飾るなんてしません。

でも高級感が滲み出ています。

時間が近づいてきたので、LakeHouseに向かいます。

素敵な演出です。

まずはアミューズ。

コースを予約していました。

家内がグルテンをミニマムにしたいと、伝えてありました。

右のキャビアの下のパンケーキは、蕎麦粉なんだそうです。

メニューは割愛しますね。

私は日光のビール、家内はリースリングからスタートします。

これは絶対に白でしょ。

私もリースリングに参戦。

すごく美味しいパンは、巾着に入れられて出てきます。

暖かいです。

家内には、グルテンフリーブレッドがサーブされました。

フレッシュトマトのパスタです。

家内の皿はグルテンフリースパゲティで、ソースは同じ。

舌平目が出て、

栃木県産の和牛。

お酒は、家内はカベルネ・ソーヴィニヨン、私は栃木県産ロゼをチョイス。

ピノノワールです。

フルーツとスイーツ2種がサーブされて、

美味しいコーヒーを淹れていただきました。

2時間かけていただきました。

部屋に帰る途中、ロビーへ。

バーで一杯飲みたかったのですが、

家内も私もお腹が満杯で、無理でした。

素敵な時間を過ごすことができました。

今年は、出張と出張の間に、家内と旅に出る事ばかりで、わさわさしていました。

家内の父上が旅立ちましたので、

逆に家内を楽しませようと、沢山スケジュールしたのですが、

仕事と仕事の狭間での旅は、少しせせこましくもありました。

私たちだって、いつ向こうに行くかわかりません。

先送りせずに、できることは全てやってしまいたいと思うのです。

あれだけ楽しんだのだから、悔いはないよね!!

って、子供達から言われたいです。

朝食はゆっくりと、ルームサービスをお願いしました。

和食と洋食。

凄すぎて、どっちが和食かわかりません。

こちらは洋食ですね
これが和食

このプリン、拘りの奴ですよ。

2層に分かれているの、わかりますか?

これは、搾りたてのミルクをホモゲナイズ(分散化)しないで低温殺菌して、プリン液を作ったら低温でじっくり焼くんです。

ゆっくり焼くので、脂肪分が浮いてくる。

だから2層に分かれます。

寒い地域のミルクだから、脂肪層が厚いです。

ほんと美味しい!!

低温で焼くので、ミルクの風味が活きています。

実はこれ、九州でピッツアの店をやっていた時に、モッツアレラチーズ用に頂いていた、ブラウンスイスのミルクで作っていたプリンです。

作っていたからこそ、パティシエの拘りを感じることができました。

朝の暖炉も素敵です。

美しいホテルでした。

夕食時にターンダウンをしていただいたのですが、

PCのケーブルをこんな感じでまとめてくださいました。

わざわざ、バンドをつけてくださった。

感動です。

テーブルは今滞在中のALOFT JAKARTAのものです

帰り際にお守りもいただきました。

そして驚いたのは、用意してくださった車のカップホルダーに、

リッツカールトンのミネラルウォーターが2本、置かれていました。

どこまでも気配りの行き届いたホテルでした。

大満足でした。

インド&中国

みなさまこんにちは。

パッチングワーカーです。

前回、カオスへの入り口と題してブログを書きました。

インドへ行く予定だったからです。

4年前に行ったインドは、それはそれはカオスでした。

デリー国際空港(インドを代表する空港)では、案内表示がほとんどなく、どこに行けば良いのか迷うほどでした。

近隣のエアロシティという空港ホテルエリアに行く際に、MRTに乗車しようと空港駅に向かおうとしたところ、ホームレスのような人々が屯していて、とてもそこを通る気がしませんでした。

軽ワゴンのタクシーで(インドにしては高い)移動した程です。

今回驚いたのは、全てがドラスティックに改善されていました。

前回はターミナル移動するバス乗り場がわからなっかたのですが、明確に示されていました。

何から何までわかりやすかったです。

G20開催のために整備したのでしょうか?

ジャカルタはアジア大会でドラスティックによくなりましたし、東京は1964年のオリンピックで近代化を遂げたのですよね。

素晴らしい事だと思いました。

インドへ行くことを恐れていたので、胸を撫で下ろしたのでした。

ターミナル間移動バスは、ブンブンふかして恐ろしいくらい飛ばしまくる、狂ったバスだったのに、TATAが作った電気バスで優しい運転になってました。

道路も整備されてびっくり。

以前来た時に、Indigoのヴァドーダラ行きがターミナル1からだったので、何の疑いもなくターミナル1に移動。

なのにターミナル3になっていて、バスに乗る必要がなかったというオチ。

行って帰ってきました😩

デリー空港第3ターミナル入国ロビーです

待ち時間4時間は長くて、こんな馬鹿げた移動をしても時間たっぷりでした。

Indigoはインドの航空業界を変えた素晴らしい航空会社。

時間にルーズで、汚くて、欠航もしょっちゅうだったインドの航空業界に、定時運行、綺麗、低い欠航率で殴り込みをかけたのがIndigo。

50%近いシェアを奪ったところで、国内線シェア20%を切ってしまったAir Indiaが覚醒。

TATAグループ傘下に入り(元国営)、定時出発率No.1に躍り出ました。

でもね、さすがインド。

911以降、世界中の航空会社のコックピットは固く閉ざされていたのですが、ご覧の通り。

旅客機大好き人間としてはありがたいのですが、ちよっと心配ですよね。

ここまで開いて中が見えれば、トイレのドアと間違える心配なしです。

ちなみに画像左側のドアはトイレです。

その昔書いた気がするのですが、ドイツの航空会社Condor (当時はルフトハンザの子会社で、今はThomas Cookのグループ)で、ルクセンブルグからバケーションでドミニカ共和国に行った時のお話。

私たちが最前列に座っていて目撃したのですが、フライト中、かなり高齢のお婆様が前方のトイレを目指していて、左手前のトイレが使用中だったのです。

機材はDC10でした。

そのお婆様、何を思ったのか、鍵の掛かっていなかったコックピットに吸い込まれていきました。

多分、前方に2箇所トイレがあると思ったのでしょうね。

私たちは左側の席でしたが、真ん中の列に座っていたドイツ人のおじさまが、私を見ながら大爆笑。

テロではありませんでした😄

911のはるか前の、1995年の出来事です。

インドの地方はまだこんな感じ。

のどかです。

Vadodara郊外です

Vadodaraはグジャラート州にある町です。

ここです

ヴァドーダラー(Vadodara, グジャラート語: વડોદરા, マラーティー語: वडोदरा)は、インド西部のグジャラート州の都市である。かつてはガーイクワード家及びヴァドーダラー藩王国の首都であった。
面積148.22平方キロメートル、人口約160万人(2012年)[1]。インドの都市圏で16番目[2]、グジャラート州で3番目に人口の多い都市であり、州の人口のおよそ7%が集中している(2001年人口統計)[3]

Wikipedia

グジャラート州では、公の場での飲酒が禁止されています。

レストランで飲めないんです。

そんな私を、お客様の社長様がご自宅にあるBARに招待してくださいました。

ありがたいことです。

ビールもウイスキーも、ワインも、ジンも、なんでもお持ちでした。

おつまみは和を取り入れたもので、締めはなんとカツカレー!!

つまみに寿司まで出てきました。

満足しましたー。

英国の大学留学経験をお持ちの副社長様との、英語での会話が心地よいです。

ちょっと飲みすぎたかな。

でも楽しかった〜。

最終日はデリー空港近くのALOFTホテルで、翌日の夕方フライトに備えてレイトチェックアウト。

どんな環境下でも、マリオットグループのホテルは安心してくつろげます。

10月29日(日)の朝着で帰国して、11月1日(火)朝、成田空港から中国へ来ています。

杭州空港に入り、杭州臨安というところのお客様を訪問。

バッテリー関連のハイテク企業です。

人工的な建物だらけで、写真を撮る気が起きないです。

粉飾でナスダック上場廃止になった、ラッキンコーヒーがあったので、飲んでみました。

普通でした。

接客は全然よくありません。

スタバの半額だけど、飾りっ気のないざわざわした店内です。

皆がQRコードで購入していて、店員は製造業のオペレータ。

コミュ障店員だらけで、正直私は?です。

ごめんなさい

店は落ち着いて飲む環境にはなく、部屋で飲みました

途中、安針という街のカビ臭いホテル滞在があるも、今は上海郊外の松江という街のコートヤードに宿泊しています。

ほんと、マリオットグループは安心できます。

ただし、エレベーターで降りようとしているにも関わらず、構わず乗ってくる振る舞いは変わっていません。

インドネシアもインドも同じ。

これってDNAですか?

胡麻信用ってご存知ですか?

詳しくは調べていただきたいのですが、このシステムで民度が一気に上がったと言われています。

でも、この国の方々は、基本的に周りの人に気遣うことが苦手に思えます。

クラクションも6年前と比べたら減りましたが、相変わらず『どけどけ!!』と、自己中の音が響き渡っています。

上海郊外ですよ。

平安時代から、周りの人への気配りを行っていた、日本人のDNAなのでしょうか?

車を洗わない、高級ホテルの窓ガラスを掃除しない文化。

日本人が綺麗好きすぎるのでしょうか?

ホテルエレベータ(コートヤード)の中も汚いし、隣のテナントがほとんど入っていないモールは、しょんべん臭い(下品でごめんなさい)です。

うーん、好きになれません。

私ってダメですね。

シティホテルにある居酒屋

お久しぶりでございます。

8月3日に関西教育ICT展という展示会で、基調講演をしてきました。

パートナーになっているアメリカ企業の依頼です。

プレゼンは得意なつもりでも、いつも緊張してしまいます。

3日と4日の2日間だけの展示会だったのですが、結構な来場者数がありました。

4日は金曜日で、17時に閉幕するとすぐに会場を後にして、新幹線で自宅に帰りました。

5日は義父の初盆で大分に行くことになっていました。

21時に家に着いて、翌朝は4時に家を出るタイトさ。

危なっかしいスケジュールばかりでドキドキですが、問題なく早朝のANA便に乗って鹿児島に向かいました。

鹿児島?

そうなんです、鹿児島。

7日と8日を休みにして、日曜日から2泊の予定でシェラトン鹿児島に滞在しようと企てたわけです。

義父の件も、家内のリハビリでも色々とあった鹿児島ですからね。

供養と家内の心のリハビリを兼ねていたのです。

8時半には鹿児島空港に到着して、レンタカーで大分を目指します。

最近の車は限りなく自動運転で快適。

4時間のドライブですが、疲れることなく安全に目的地に到着しました。

15時の法事にはたっぷりと時間があったので、昼ごはんは大好きなウエストのうどん。

グルテンを控えている家内も

「絶対に食べる!!」

と言って参戦。

ふわっとしていてコシも感じる麺と、上品な出汁が美味しいんですよ。

「俺は針金のようなうどんが好きだから、腰がないうどんは嫌いだね!!」

なんて言っていた人たちを、どれだけ虜にしたことか。

私は暑さに負けて冷たいうどんを。

ふわっとした麺を冷水で締めているので、無茶苦茶上品なコシです。

美味極まりない。

店内は寒いくらいの冷房設定だったので、温かいうどんも正解でした。

法事も会食もソツなく終わり、市内のホテルに泊まりました。

翌日は義母と一緒に買い物に行って、美味しそうな食材を冷蔵庫一杯になるほど買ってきました。

かなり元気になっていて一安心です。

秋には遊びに来てもらう計画です。

昼前に鹿児島に向かって走り出しましたが、ANAから連絡が。

「8日にパッチングワーカー様が予約されている鹿児島発羽田行きの便ですが、欠航の可能性が高いと判断しております。台風の速度が遅いので、お帰りの際は前倒しが懸命かと存じます」

だそうです。

スイートナイトアワードを利用した、シェラトン鹿児島のスイート2泊滞在計画がオシャカです。

マリオットBONVOYの致命的な欠陥で、連泊の予約の場合減泊が難しく、予約をキャンセルして取り直さなくてはいけません。

ところがキャンセルをした途端に、確約されていた2泊のスイート宿泊の権利が剥奪されてしまうのです。

フロントオフィスマネージャーの柳澤さんが助けてくださいました。

1泊に減泊して、2泊分のスイート宿泊権利は失いましたが、取り直した予約にスイート宿泊をプレゼントしてくださいました。

失った1泊分は仕方ないです。

いつも使いきれなくて流れてしまうので、諦めます。

お部屋はこんな感じ。

窓からの眺めは桜島です。

素晴らしい温泉も完備されたホテルなのですが、バスタブも素晴らしい。

シェラトン鹿児島には、5つ星のシティホテルでは(私は)聞いたことがない居酒屋があるのです。

早速予約をお願いしました。

先ずは温泉に入ってさっぱりして、お腹が空いたところで居酒屋さつまぐまに!!

その前に、せっかくなのでラウンジのカクテルタイムに。

軽くおつまみをいただいて、家内と2人でワインで乾杯。

30分もいなかったと思います。

予約の時間が近づいたので、さつまぐまに。

グラスが居酒屋じゃないです😃
全部地魚のお造り
揚げたてさつま揚げ。シェラトンの焼印は後で気がつきました
ホントうまいです。空港に売っているやつと全然違う
桜島の溶岩をイメージしたコロッケ
薩摩牛のイチボ
薩摩黒豚の生ハムサラダ
私は日本酒を2種類飲みました

他にさつま黒豚のグリルを食べたのですが、痛恨の撮り忘れ。

嘘みたいに美味しかったのですが残念。

コースもあったのですが、好きなものだけ食べたくてアラカルトにしました。

全部美味しくてびっくり。

一般的にシェラトンの食事は美味しいのですが、南の方のシェラトンでガッカリしてからというもの、少し疑心暗鬼になっていました。

でもやはり美味かった!!!!

家内が焼酎の水割りを飲んだのも入れて、1万2千円くらいでした。

ホテル価格ではないですよね。

大満足でした。

気分が良すぎてバーにも行っちゃいました。

本当に素敵なホテルです。

ホスピタリティも最高でした。

翌朝はラウンジで朝食をいただいて、温泉に浸かってから空港に向かいました。

美しく盛り付けたつもり😃
温泉のあるSPAに通じる通路

何もかもが満足の1泊でした。

2泊したかったけれど、翌日乗るはずだった便の欠航が決まっていました。

ギリギリセーフ。

また来たいと思わせてくれたホテルでした。

所得格差と不景気

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

明日の飛行機で帰国なので、気分の良い朝を迎えております。

こちらの化学系、食品系の方々(日本人)は口を揃えて景気が悪いと言います。

ほぼ全員が言うには、売り上げ減の理由が解らないのだそうです。

日本人出向者の方々は、日本にいる時よりずっと良い給料を貰って、素晴らしいお家に住んでいます。

皮肉ではありません。

私も海外にいる時はそうでした。

出張者の私は、昨日も能天気に1人でピザを食べに近くの人気レストランに行ってきました。

自分へのご褒美?アホ

ピザ1枚とワインをグラス2杯で4,000円くらいでした。

さて、インドネシアの平均月収のお話です。

インドネシア全体で26,000円、ジャカルタだと50,000円くらいです。

ただしこれは平均であって、格差の大きいこの国ではベンチマークにはなりません。

下記はかけもちというサイトからお借りしたデータですが、職種ごとに収入が大きく違います。

農林水産業従事者は極端に低いのですが、オペレータクラスでも3万円強。

この収入で家族を養うと考えると、家族全員で1日1,000円。

3人家族で一人当たり330円です。

この金額には住にかけるコストも、エネルギーにかけるコストも含まれますから、食事にかけるコストは想像ですが1人100円程度でしょう。

様々な要因が噛み合って、この国でもインフレの波が押し寄せています。

20%近いインフレになっているようです。

物価に対して十分な所得がある世帯にとっては、物価上昇は気にならないと思います。

Covid-19が来る前に比べて、飲みに出る機会が激減しているので、かえって家計は楽かもしれません。

1人100円の食費ということは、単純計算で1食33円程度です。

自炊するしか手がありませんが、それでも質素な食事でしょう。

例えばの話ですが、食材が20%値上げされたら、コーヒーを飲む余裕などありません。

従って、コーヒーの消費が大きく落ち込み、コーヒー容器の需要が落ち込み、容器を印刷するインクの需要が落ち込むわけです。

スナック菓子なども同様です。

車の販売は好調です。

Covid-19による販売低迷を梃入れすべく、政府が補助金を出しているからです。

車の価格はインドネシア産(日本メーカー)で日本並、輸入車(日本メーカー)は日本の約2倍します。

従って、車を買える層は高所得層だけなのです。

国全体の底上げを図るには、高所得層の購買意欲を煽るのが手っ取り早いのは仕方ないのですが、この国もまた、田中角栄氏のような強力な政治家の出現が必要なのだと思うのです。

乗り場が不便すぎて使われない新幹線然り、鳴物入りで作られたのに80キロ以上出すと危ないほどの凸凹超高速仕様の道路、中国のように飽和状態なのに作り続けるショッピングモールなど、どう考えても国民の生活が楽になる道筋が見えないのです。

いつまでも回復の兆しが見えない大渋滞、張り巡らされていない公共交通機関、Grabバイク(ウーバーのバイク版)が異常発達して公共交通機関の必要性を感じていない状況。

賛否があると思いますが、田中角栄氏が作った新幹線網や高速道路網は、本当に素晴らしいと思うのです。

人流や物流が激増して、お金もまた大きく流れ始めました。

それを真似した中国の新幹線のように、嘘みたいな赤字に喘いでいるということもないし、航空各社との共存も果たしています。

タクシーの運転手に多めに渡すとか、レストランでたくさんお金を使うくらいしか、私にはできませんが、この国を良くすることができるのは政治家しかいないと切に感じるのです。

我が国では、大勢が文句言っている皆保険制度、張り巡らされた公共交通網、生活保護の制度やさまざまな免税措置。

日本人であることに感謝しなければバチが当たると思います。

日本がそうであったように、ウクライナは凄まじい経済発展を成し遂げると思います。

戦争がなくても発展できて、格差が広がりすぎない社会が実現できると素晴らしいと、能天気に考えるのです。

支離滅裂ですが、そう思うのです。

インドネシアスペシャルティコーヒー

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

月曜日になって、いきなり時計が早回しで動き出したかの様な1日でした。

昨日、お話ししていたANOMALI COFFEEに行ってきました。

私のホテルから一番近いお店でも、徒歩で30分近くかかります。

歩くといっても、こちらは33度80%の不快な天候。

行きはタクシーで行ってしまうことにしました。

タクシーで5分ほどで到着。

スターバックスと比べると、少し見劣りする店構え。

早速コーヒー豆を物色します。

何やら雑然と並べられたコーヒー豆達を発見。

200グラム入りのコーヒー豆に目を取られます。

写真撮っていい?

て聞いたら、良いよ!!

って言ってくれました。

私が購入したのはこの5種類。

おしゃれな紙袋に入れてもらいました。

コーヒー1杯サービスするよ。

ホットかい?アイスかい?

って言ってくれたので、迷わずホットを選択。

ううううううううー、やばい。

今まで味わったことのない複雑な味と香り。

舌の部位毎に感じる味が異なって、舌が混乱しています。

間違いなく自分史上最高のコーヒー。

うまいいいいいい!

紙コップでここまでなのだから、コーヒー専用グラスで味わったらどこまで凄い?

少し細目で挽いてハンドドリップしています。

この店はコーノ式で淹れています。

早く帰宅して、自分の味を追求したくなります。

店はこんな感じ。

外は暑いのだけれど、ホットが美味いです。

帰りは緑の濃い道を選んで、ゆっくり帰りました。

このチョコレートとのマリアージュ最高でした。

複雑 × 複雑 = 舌フル稼働

なのでした。

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