引越完了しました

こんにちはパッチングワーカーです。

ゴールデンウイークを如何お過ごしでしょうか?

我が家は引越後の整理と片付け、掃除などに追われております。

車が来るのもまだまだ先で、

駅前のレンタカーもゴールデンウイークで軽まで全て貸出中。

今までお世話になってきたカーシェアはここにはありません。

車がなくては生活できないエリアですから、必要な時だけ車を使うライフスタイルはここにはないのです。

そんなわけでモーター付き自転車と歩きだけが頼りなのです。

幸い複数のネットスーパーの配達エリア(アマゾン、東急ストア、イオン、セブンアンドアイ)なので、早速お世話になっています。

4月24日(日)にインドネシアから帰国して、27日(水)には引越だったのでそれはハードでした。

ホテルの隣が火事になった後に同行者が重度の脱水症状で入院するというハプニングもあって、帰国まで気を抜けずに緊張状態でした。

同行者にとって初めての海外!!

初海外で火事と入院の両方体験するなんて持ってますよね🙃

出張に出る前に

『パッチングワーカーさんは大丈夫なんですが、同行者さんは方角が悪すぎるので注意が必要です。

できれば7月まではこの方角に行かないのが良いのですが…』

信頼する占い師の方に言われていたのです。

火事を経験して

『これか?』

って思ったのですが、それだけではありませんでした。

そんな訳で史上最も疲れた海外出張となったわけです。

とはいえ、無事に予定通り日本に帰ってくることができましたから感謝です。

引っ越し前日は、家族全員(息子も合流)がお気に入りの吉祥寺GGさんでナポリピッツアを食べながら送別会をしました。

元ピッツア職人として、ここのナポリピッツアはおすすめです。

生地の熟成香は本物です。

ピッツァのお店って客単価が上がりにくいので回転させないと大変なんです。

なので、短時間で沢山食べて沢山飲んできました。

ブレない美味しさです。

遠くなってしまってしばらく来れません。

ご馳走様でした。

白と赤を開けました

さようなら&ただいま

大分から東京に家族で引っ越してきて7年でした。

家具が全て運び出されるとそれなりに広いスペースで暮らしていたことに驚きました。

キッチンからリビングを見た景色
主寝室でした

綺麗に掃除をして管理人さまにご挨拶をして、7年間お世話になったマンションにさよならを言いました。

車で約1時間の距離にある私たちの家。

14年ぶりの我が家。

築20年なんですけど借主さまが丁寧に使っていてくださったようで、それなりに綺麗です。

14年ぶりの玄関〜懐かしい
子供達の声が聞こえるFlex room (26歳と24歳になってしまいました😄)
ダイニングとキッチン(20年前の家には見えないでしょ)
近くからの眺め(心地よい風が流れます)

綺麗な空気と素晴らしい気の流れで、家内の調子が良くなることを願っています。

坂ばかりの地形なので心配していましたが、結構器用に上り下りができていて安心しました。

戻ってきてよかった!!

そう思えるのです。

スカイラークがご馳走だった時代

こんにちは、パッチンングワーカーです。

インドネシアに来るといつも思うこと。

一般的なランチ代は120円くらい。

月給は4万円くらい。

大卒の給与ですよ。

でも、50円出せば飲める珈琲を380円出してまでスタバで飲む。

ホテルのディナーは5,000円以上するのに家族や恋人同士で食べに来ている。

月給4万円だから5,000円のディナーとか日本では2万円以上の計算ですよ。

『なんでだろう?』って。

でもね、私がまだ高校生だった頃スカイラークが街にできた事を思い出したんです。

今じゃただのファミレス(スカイラークブランドが無くなってます)ですけど、あの頃の私たち(若い世代の方には本当に御免なさいです)にとってはご馳走でした。

ナイフとフォークでご飯を食べるなんて夢のまた夢でした。

ライスの食べ方が分からなくて手をつけなかった事もあったくらいです。

外国に憧れて、洋食に憧れたあの頃が懐かしいです。

父はエンジニアでしたが、家は決して裕福ではなかった。

たまの外食はラーメンか蕎麦だった。

年に数回寿司屋で食事したけれど、何を食べたいなんて子供心に言えなかった。

そんな文化の中にできたスカイラークのハンバーグは憧れの的だったんです。

今のインドネシアの人々はそんなフェーズなんだろうと思ったら、私のむかしむかしを思い出したのです。

アテンションプリーズで飛行機に憧れて、羽田でパンナムのジャンボ(ボーイング747)を見て、商店街の年末の福引の1等賞がハワイ旅行(1人198,000円相当)で、カラーテレビも同じくらいしてました。

まさか自分が英語を話すとか、欧米に住むなんて想像すらできなかった時代。

高校の時にロータリー交換留学生の資格を得たけれど、とても親には言えなかった。

留学も医学部もうちには無理だとわかっていました。

私の人生は壮絶すぎて誰にも真似させたくないけれど、留学しなかったけれどヨーロッパにもアメリカにも住めたし英語も話せるから『諦めなければ願いは叶うよ!』と言いたい。

第一希望の公立高校の受験に受かった時に、父が寿司を腹一杯食べさせてくれたことは今でも覚えています。

回転寿司なんかなかった時代の話ですからね。

『俺は学歴がなくて苦労したからお前は大学に行け』って、口癖でした。

今でも大したことは出来ていないけれど、最後まで感謝の気持ちを忘れずに面倒を見させてもらいたいと思っています。

美味しいものを食べさせてもらった想い出って絶対に忘れないものなんですよね。

インドネシアでセンチメンタルな気持ちになっているおじさんなのでした。

珈琲もおしゃれ

話は違うんですけど、今泊まっているFour Points by Sheraton Surabayaの朝食で出していただけるコーヒーがおしゃれで美味しいんです。

『これ絶対にコーヒーに合うよ!!』

って言ってクロワッサン生地のワッフルバナナソース掛けを出してくれました。

本当に美味しくてびっくりです。

朝食もバラエティ豊富で美味しいし、とてもエンターテイメントな感じです。

追い追いレポートしますね。

なんたってここに15泊しますからね。

写真撮るのが恥ずかしいんですよ。

仕事で来ているおじさんですからね。

Bonvoyプラチナを満喫

以前、tabisurueiyoushiさんとのやりとりで、日本はエリートを量産しすぎというお話をしました。

tabisurueiyoushiさん、許可を得ずにごめんなさい。

ラウンジも混み混みだし、アップグレードもままならないことが多い。

ここインドネシアでは違うぞという経験を続けてしましたので緊急投稿です。

シェラトンジャカルタガンダリアシティでは、洗練されたラウンジやジムでのひとときが素敵でした。

もちろんがら空きで、ラウンジの方々とお話しするのも楽しいのです。

昨日はLe Meridien Jakarataのラウンジで満喫させていただきましたし、エグゼクティブスイートにしっかりアップグレードしていただいた事は昨日のブログに書かせていただきました。

今日からはFourPoints Surabaya なので、朝食無料サービスくらいしか正直期待していませんでした。

なんと言っても7,000円程度のリーズナブルなビジネスホテルですから、それだけでも満足なのです。

キャンペーン中のため1泊を2泊として数えてくれる。

それだけでもありがたいサービスなのです。

でも、チェックインしてびっくりでした。

エグゼクティブスイートにアップグレード。

ウエルカムスイーツがテーブルに置かれ、スタイリッシュな角部屋は一人で泊まるには素敵すぎです。

tabisurueiyoushiさん、やはりエリートメンバーとはこうでなくてはいけませんよね。

明日からの過酷な作業も頑張れるというものです。

外国人入国時のPCR検査廃止

こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日からインドネシアに来ています。

4月5日から入国時のPCR検査が廃止になって、着陸から空港を出るまで1時間かからなくなりました。

ほぼ以前の状態に戻った感じです。

スラバヤに向かうのですが、乗り継ぎに間に合わない可能性がある事を見込んでジャカルタに1泊しましたが次回からはその必要がなくなりそうです。

今回は以前隔離で使用したLe Meridien Jakartaに泊まっています。

空港ではホテルピックアップを頼んでおいたのですが、税関を出るまでの時間が短すぎて迎えが来ていませんでした。

すぐにホテルに電話をして、ピックアップ担当者からWhats Upが届きます。

『今いる場所を特定したいのであなたの顔入りで写真を送ってくれ!!』

との内容です。

今時の確認方法ですよね。

ICTの力に脱帽です。

こんな感じの写真を送りました。

5分以内で無事落ちあうことができました。

Le Meridien

このホテルは隔離の時に投稿したホテルです。

Marriott Bonvoyプログラムのホテルの中でも、プラチナであれば確実にスイートルームにアップグレードしてくれるホテルです。

スイートナイトアワードという確約プログラムを使う必要はありません。

ホスピタリティも完璧なホテル。

ラウンジはロビーにオープンな感じで設置されていて生演奏も楽しめます。

これから始まる地獄の日々?の前に、ゆったりとした気分にさせてくれます。

詳細はBonvoy系ブローガーの報告で確認してください。

私が通していただいたエグゼクティブスイートのリビングの写真と、大好きなillyのエスプレッソが用意されたコーヒーマシンの写真をアップします。

さて、スラバヤに向かいますか!!

想い出迷子

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

昨日遅くまで頑張って、90%程度までの箱詰めを終わらせることができました。

残りは4月末までの生活で最低限必要なものです。

私は星的に天馬と言って同じ場所に留まらない人生を歩むそうなのですが、本当にその通りになっています。

東京で生まれて、2歳で埼玉に引っ越しました。

地元の幼稚園、小学校、中学校までは周りと同じコピペ人生。

高校は地元ではなく浦和に通い、東京の大学に行きました。

大学を卒業するまでは、父が家を建て替えた時に仮住まいに引っ越しをしただけで全く同じ場所で暮らしました。

転校の辛さを味わったことがありませんでした。

就職をしてから人生が変わり始めます。

この会社は一部上場で日本橋に本社があることから、

『通える!!』

などという浅はかな考えも選択の理由です。

有名な会社でしたしね、あまり深くは考えていませんでした。

『残業が少ないと良いな』

なんて、今時の若いもんの発想!やってました。

でも実はこの会社、仕事大好き集団でした😂

そこから天馬としての星が暴れ出しました。

研修で秋田、仮配属で秋田、配属で長野、使えないと思われて(たぶん)大分、縁あってヨーロッパ(行く前に結婚、現地で長男と長女を授かる)、帰国して千葉、退社して横浜、仕事でアメリカ、妻が倒れて大分(無職)、お世話になっている会社の社長に誘っていただいて東京(今の住処)、そして横浜に戻る、わけです。

懐かしくて進まない

そんなわけで思い出だけは濃厚!!

引っ越しをしていると、ダンボール箱から出していないアルバム以外のあちらこちらから懐かしい写真が顔を出します。

その度に手が止まって懐かしむ感じです。

思い出迷子ってやつです。

人の家族写真ほどつまらないものはないですが、やたらと移動していることを感じていただけるとありがたいです。

イタリア、スイス、モルディブ、ケイマン(カリブ海)、シャルメルシェイク(紅海)、エルグーナ(紅海)。

ここにはありませんが、ディズニーワールド(フロリダ)、ディズニーランドパリ(フランス)、コスタデルソル(スペイン)等の写真が出てきました。

4月1日からは娘も社会人。

なんとか親の役目を果たすことができました。

チューブに繋がれた意識のない妻の横で、子供たちと共に祈ったあの日。

一人で育て上げる自信がなくて本当に不安でした。

妻は一命をとりとめてくれて、想像を絶する大変さながらも家族全員生きてこられたことに心から感謝しながら、しばらく停滞していた時期を取り戻すべく人生フライトが大きな音を立てながら再上昇を始めています。

弁当と引っ越し

引っ越しの荷造りをコツコツ進めていたら、思わずアルバムに見入ってしまいました。

一眼レフ(もちろん銀塩)で撮った会心のショットが出てきました。

イタリアはシチリア島の北東部にあるエオリア諸島にあるパナレア島。

以前、このパナレア等について書いた記事があります。

その時娘が大怪我をして大変だった事を書いています。

この写真はその数日後に島内を散歩した時のシーン。

よく見ると娘の右目の横あたりに大きなガーゼが見えます。

今でもうっすらと傷は残っています。

彼らも26歳と24歳です。

Time flies!!

光陰矢の如し。

引っ越しの荷造りの時くらいしか歴史をじっくりと見ないものなんですよね。

メディアの移り変わりがユーザーから見ると本当に最低!!

フィルム写真がデジカメに。

8ミリフィルムからVHS-Cや8mmビデオテープに変わって、そのあとDVCが来て気が付けばSDカードですからね。

せっかく残した思い出を見る機材がないなんてよくある事です。

データ移行がビジネスになるなんて許せないですよ。

私が作っていたカセットテープもVHSカセットも見る影もありません。

久しぶりのお弁当ショット

お弁当は相変わらず作っているのですが、娘用が必要なくなって寂しい限り。

今日は久しぶりに写真を撮ってみました。

大意はありません。

出汁巻卵と鳥もも肉の柚子胡椒風味塩焼き、温野菜のマリネです。

そろそろお弁当作りも終わりかなー?

転換期、引越

大変ご無沙汰しております。パッチングワーカーです。

人生の波と言いますか、大きな波が来ようとしている予感です。

昨年終わり頃から動きが始まりました。

仕事面、家内の病気、生活面等々、心配事はたくさんあるのですが、全てが動き出しています。

一番大きいのは自分達が希望に満ちて建てた家に帰ることです。

マイホーム

今だったら持ち家なんて要らないって言えるのですが…..

ヨーロッパでそれなりに広くて快適な環境で10年も暮らしていました。

帰国した途端日本の家の現実を突きつけられてしまいました。

そんなわけで、20年程前に家内と夢を見ながら横浜に土地を買って家を建てました。

当時は条件を満たす建売物件は皆無でした。

住宅展示場を周って徹底的に検討しました。

ヨーロッパの寒い土地で10年暮らして感じていた日本家屋の問題

  • 冬は寒くて夏は暑い
  • 部屋が多い方が良いとされて解放感がない(多分暖房効率)
  • 殆ど本来の目的として使われない客間が邪魔
  • 居間が狭い
  • オシャレじゃない(個人のイメージ)

みたいな感じ。

今はだいぶ改善されてきましたが、当時これらの願いを叶えてくれるハウスメーカーは少ない印象でした。

スウェーデンハウス、三菱地所ホーム、東急ホームズなど。

当時は珍しかった高機密高断熱で全館空調を備えた住宅こそが、ヨーロッパで体験した寒くない家(ルクセンブルクは夏は暑くなかったので冷房設備は不要でした)に匹敵すると確信していました。

広くて開放感のあるリビングを実現するためには、空調効率を犠牲にしなくてはいけない。

そんな常識を高機密高断熱住宅が変えてくれていました。

今では当たり前なのに。

そして大切なのはデザイン性。

コストパフォーマンスを考えて、結局東急ホームズ(当時は東急ホーム)を選びました。

ツーバイフォー工法の輸入住宅です。

引越しの準備をしていて、当時のカタログを見つけました。

今でも通用するデザイン性。

でもテレビがブラウン管だったり、よく見ると時代を感じます。

家を建てて7年で仕事の転機が訪れてアメリカに移住しました。

その家を人様に貸し出しをして移った訳です。

帰国したらまたここに住む!!

そう思ってアメリカに向かいました。

すごく嬉しい

アメリカで家内が倒れて半身麻痺になりました。

横浜の家ではなく家内の実家がある九州に帰りました。

両親が近くにいる環境でリハビリをしようと思ったからです。

建っている土地は南ひな壇と言って日当たり良好な丘の中腹。

わざわざこの環境を狙って探したのですが、家内にとっては歩くのが大変という逆効果になってしましました。

仕事の関係で東京に来た時は、職場の近くの中野区のマンションを借りました。

バリアフリーの建物で、比較的平らな地形です。

仕事に大きな転機が訪れているのもありますが、東京23区で静寂な環境にあぐらをかいてもいました。

私が借りているマンションのオーナーは海外駐在者です。

私が留守の時に家を貸していたのと同じ。

管理会社も偶然同じで、貸している連絡も借りている連絡も同じ会社とやりとりしていました。

2023年の2月までの契約で、漠然とその後のことを考え始めていました。

今年の2月に入ったある日突然、この管理会社から電話がありました。

オーナーが3月に帰国することになったので、出る予定があったら教えて欲しいと。

もちろん契約期間は借主が守られるし、オーナーも早く自分の家に住めればいいな、くらいの気持ち。

時を同じくして私の家の借主が、持ち家を手に入れて退去したいとの連絡が。

即決しました。

でも一つ問題が…、4月末までインドネシア出張で家を開けることになっているのです。

そんなこんなで、4月末に引っ越しですが箱詰めは既に始めているというイレギュラー。

家族4人がゆったり住める大きな家(床面積は今のマンションの2倍あります)なのですが、長男は既に自立しているし、長女は4月から新入社員です。

長女は私の両親が経営するアパートに住むことになっています。

両親を見守ってもらう意味もあり、本社のある池袋に乗り換えなしで行けるメリットもありなのです。

家内と二人きりになるのです。

広い家に年寄りが二人で暮らすのです。

ヨーロッパから帰って、夢と希望に満ちて家内と二人でデザインした家に戻る日が来るとは思ってもみませんでした。

アメリカで高額な医療費を払って大変で、何回か家を売ることを考えたりもしたんです。

なんとか手元にあって、こんな偶然が重なって(多分神様の筋書き通り)帰れるのですから、感謝しかありません。

仕事が忙しいけれど、大きなウッドデッキを作って(当時も作ったのですが、さすがに手入れしなかったので腐っています)座布団敷いて家内と二人で七輪バーベキューをしたいと思っています。

新しい生活をご報告できると良いなあと思っております。

内容無いですが、仕事の合間に近況をお知らせしたくて書きました。

続・創作意欲

皆様こんにちは、パッチングワーカーです。

憂鬱な確定申告もなんとか終わらせることができました。

皆様はいかがですか?

さっさとやってしまう派ですか?

ギリギリまで重い腰が上がらない派ですか?

何はともあれ納税は義務ですから、やるしかないです。

やっと解放された(仕事からは解放されていませんが…)ので、溜め込んだブログを少しずつご紹介させていただきます。

今日はとっくに完成していた妻の作品をご紹介します。

ゴソゴソとパッチワークを始めたと思ったらバッグになりました。

もちろん片手作品で誰も手伝っておりません。

ってか、手伝える腕を持っておりません…あしからず。

文章はここまでにして、ぜひご覧いただきたいです。

片手が不自由な家内目線から使いやすいバッグを作ったのだそうです。

障がい者=地味、お年寄り=地味

こんなイメージは勝手に作られたものですから、ヨーロッパみたいに皆がおしゃれできるといいですよね。

自己満足のお披露目でした😄

絶望から12年が経ちました

2月15日は家内の誕生日でした。

仕事に追われてすぐにアップできず、今になってしまいました。

バレンタインデーの翌日なので忘れないのですが、我が家にとっては歴史みたいなものです。

12年前の1月17日にアメリカのオハイオ州で家内が倒れました。

重度の脳出血でした。

地元の病院では対処できず全米トップ100に数えられる病院に転送されましたが、意識不明になり4日間生死を彷徨いました。

初日は家族用の宿泊施設に空きがなく、ICUで付き添うことも許されず近隣のホテルで長男、長女と共に不安な夜を過ごしました。

大きな部屋でしたが、3人とも不安で同じベットで過ごしました。

翌日からは病院に併設させている宿舎に空きが出て移りました。

隣はヘリポートで次々と患者が運ばれてきて眠れませんでした。

宿舎から病室(ICU)に行く途中に教会があり、たくさんの家族が祈りを捧げていました。

また、教会を過ぎると玄関先に常に10台近い救急車が停まっていて、次々と患者が搬送されていました。

覚悟をする余裕さえなく、昼は簡易人工呼吸器(切開しないタイプ)に繋がれている家内に寄り添い、時間ギリギリまでICUにいて救急車の大群や教会で祈りを捧げる患者の家族を見て部屋に帰るだけでした。

意識が戻るまで4日間でしたが、それはそれは長く感じていました。

第二の人生12歳

右半身が完全に麻痺し、嚥下障害で水を飲むと咳き込み、失語症で言葉を完全に失った状態で病院を移ってすぐに誕生日を迎えました。

病院の職員や看護師達で家内の誕生日を祝ってくれたんです。

絶望の中の一瞬の明るい話題というか希望というか。

その頃撮った写真をPCに保存していたのですが、悲しいことにハードディスクがクラッシュしてデータも取り出せずに消え去ってしまいましたので、思い出の写真(消し去りたい部分でもありますが)が残っていないのです。

クラウドも無い時代でした。

この辺りのエピソードはは過去に詳しく触れましたので今日はここまで。

家内は生まれ変わって12歳になりました。

温泉にも行くし、少しだけですがお酒も飲むし、ゆっくりですが歩くこともできている。

作品を作る喜びも持っているし、何より家が買えるほどの医療費で家計が大ピンチになったのに、今はしっかりと暮らせている。

感謝しかありません。

家内も四捨五入すれば60歳です😄

もう少し生きて人生を楽しもうと思っております。

同じ日に、神経再生を研究していた娘の修士論文が通って卒業が確定しましたので、少しだけ良いワインを開けて祝いました。

絶望のどん底にいる方も多いと思いますが、生きていれば本当に楽しいことがありますよ。

何よりお金払わなくても苦労できて、経験者として親身になって人助けもできるようになれる。

人の痛みが心の底から理解できるようになるのですから悪いことばかりではありません。

私も何回も変なことを考えたりしましたけれど、生きててよかった!!!

神様の書かれたシナリオを一緒に楽しみましょうね。

感動的なエピローグが待っているかもしれませんよ。

家内のプチ作品展

お久しぶりです。

パッチングワーカーです。

隔離が開けてインドネシアで仕事をしています。

今日はインドネシア情報ではなく、オミクロン情報でもありません。

家内の作品が中野区の生涯福祉センターの1階ロビーに展示されているお話です。

【片手でできるもん】シリーズ〜即興命名でした

何回も話題にしているので諄いかもしれませんが、家内が左手だけで作り上げた作品達です。

絶対に手伝わせない正真正銘の片手作品です。

最近は革細工にハマっておりまして、私へのプレゼントも作ってくれました。

既に福祉会館には任意で通っているのですが、素敵なお話をいただいて二つ返事でOKしたようです。

やりがいにつながりますよね。

お世辞でも褒めてもらえると嬉しいものです。

両手を使っても私には作れません。

ヨーロッパに住み始めた時の家内の猛烈なフランス語の勉強のように、みるみる上達してゆく姿を見るのがとても楽しみです。

ほんとすごいでしょ😃

いつもアホみたいな自慢に付き合わせてごめんなさい。

今日はここまでにします。

コメントいただけたら嬉しいです。

全て伝えます。

WordPress.com Blog.

ページ先頭へ ↑