これまで読んでくださった皆さんへ

このブログを続けて読んでくださってきた方には、まず一つだけお礼を申し上げたいのです。

正直に言うと、ここに書いてきたことは、楽しい話や役に立つ話ばかりではありませんでした。
むしろ、苦しかった時期のこと、答えが出ないまま抱え込んでいた迷い、そういうものを文字にすることで、なんとか形にしてきたような場所でした。

それを読んで、コメントをくださったり、黙って読み続けてくださったりした皆さんが、私にとってはずっと支えでした。
大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っています。

今日は、これからこのブログをどう書いていきたいか、少しお話しさせてください。
方向転換のお知らせではなく、むしろこれまで書いてきたことの、続きのつもりです。

振り返ると、私はずっと『中断』を書いていた

改めてこのブログの記事を見返してみて、気づいたことがあります。

私はずっと、「中断」の話を書いていたのです。

ルクセンブルクに赴任したとき、私のTOEICは420点でした。
自分なりには「結構できる」と思い込んでいた半人前エンジニアが、ゼロベースで700名規模の工場を立ち上げる仕事にいきなり放り込まれた。
採用から準備、生産開始、24時間3交代の稼働まで、一気に進んでいくプロジェクトです。
順調なわけがない。
能力も中途半端、言葉もできない、相手も日本人ではない。
それでも、後ろには誰も控えていない——助けてくれる上司も、代わってくれる同僚もいない。
この「後ろに誰もいない恐怖」は、一度味わうと人を変えます。
アホでも、一人前になるのです。

結婚したばかりで連れて行った家内は、トラブル続きで家に帰ってこない夫を、ひたすら待ちぼうけでした。
当時は気づいていなかったけれど、その時点ですでに、私は家族の時間にたくさんの「中断」を作っていたのだと、今ならわかります。

それでも、言葉を覚え、仕事を覚え、たくさんの経営者と知り合って、そうするうちに、少しずつ考え方が変わっていきました。
技術者一辺倒だった自分は、石頭で、お客様の顔も見えていなかった。
凝り固まった、アホな自信で自分を守っていただけでした。
縁があって、事業の全体が見られるプロジェクトに入れてもらえたのは、大きな転機でした。
時間をかけて、ようやく全体を見る目が出来上がっていった。
バケーションという休み方の大切さも、日本にいたら理解できなかったと思います。

海外で長く働いて、ようやく日本に戻ってきたとき、帰ってきたはずなのに、居場所がうまく掴めない感覚がありました。
本社の会議に入っても、自分だけ別のゲームをしていたような違和感がある。
海外で身についた意思決定のスピードや、ダイバーシティを前提にした物の見方は、日本の組織の中では必ずしも歓迎されません。
それは分かっていたつもりでしたが、実際に直面してみると、予想以上に消耗するものでした。

妻の病気

そのあとに、妻の病気がありました。

このことは、このブログに何度も書いてきたので、今日は少しだけ。

アメリカに住んでいたある日、妻が倒れて、助からないかもしれない、という状況になりました。
何が起きているのかも、すぐには理解できませんでした。
最初にかかった病院では手の施しようがないと言われて、超巨大な病院に運ばれました。
受付で「お金持ってる?」と聞かれて、「なんとかするから!!」としか答えられなかった。
そんな場面でした。

妻は命はつなぎました。
けれど、右半身の麻痺、失語症、視野欠損が残りました。
そして、脳卒中のあとに残る強烈な痛み——。
この痛みに、一時的にでも効く薬がなかなか見つからない。
私たち夫婦は、その痛みの手がかりを探し続けて、もう15年になります。
今日も、その途中です。

無職の期間

アメリカの病院で、考えられないほどの金額を払いました。

金がない、仕事もない、働きに出ることもできない——妻のそばを離れられないから。
自分ひとりで稼ぐ方法を、そもそも私は知らないんだ、という事実に初めてぶつかった時期でした。
神様が助けてくれるかな、と思考が飛ぶような瞬間さえありました。

はっきり書きますが、お金が入ってこなくて、貯金だけが減っていく、いつ無くなるのかという恐怖と戦う状態というのは、思考停止しか楽になる手段がないんですよ。
あれは経験しないと分からない感覚です。

それでも、日々は続きます。

『空白』が私に残してくれたもの

ここが、今日いちばん書きたかったことです。

中断というのは、世の中的にはマイナスです。
履歴書の「空白期間」は、どう埋めるかを問われるもの。
仕事から離れた時期は、なるべく早く「普通」に戻すべきもの。
それが、日本の社会の、静かだけれど強い前提になっています。

でも、私は今、違うことを思っています。

家族の誰かが大病やメンタルダウンの時に、迷わずに仕事から離れる。
そのことで、キャリアがマイナスになるどころか、プラスになる——そういう生き方が、もっと普通にあっていいはずです。

「あの時しか気づけなかったことが、ひとつあった」——そういうロマンチックな書き方を、私はしたくありません。

正直に言えば、そういう一点突破の気づきは、私にはなかったからです。

あるのは、「こうなったから気づけたことが、数えきれないほど積み重なっている」という、もっと地味で、もっと揺るぎのない事実です。

その中で一番大きいのは、人の痛みがわかるようになったことです。

これは、仕事を続けていたら、たぶん一生身につかなかった感覚です。
それを知らないまま生きていたら、ルクセンブルクで出会った経営者たちの言葉も、半分しか聞こえていなかったかもしれない。そう思います。

師を探す旅

妻の痛みに、どうにか手がかりを見つけたい。
その一心で、私はずっと動き続けてきました。

ドクターショッピング(もちろん現代医学だけでなく)の中で、大学病院にも3か所行きました。

大阪大学病院では、痛みを和らげる目的で電極を埋め込みました。
残念ながら、効果は得られませんでした。
東京医科大学病院のペインクリニックでは、痛みの大きさが尋常でないことが測定で分かりました。
それでも、良くなる方向に進む道はなかなか見えません。
電極を抜去してくださった執刀医の先生が、横浜市大から来られていて、そちらのペインクリニックを紹介してくださいました。
1年待って、ようやく診察を受けた初日に、「治らないよ!」と言われました。
骨粗鬆症の検査をはじめ、痛みとは関係のない、患者の痛みは二の次の、病院経営の匂いがプンプンする勧めには疲れました。

ありとあらゆる方法を試しても、辿り着かない。
諦めそうになるのですが、諦められるわけがない。
そういう日々の中では、いつでもどこでもアンテナを張っている——そういう状態がずっと続いていました。

ある日、YouTubeのおすすめに、一人の先生が現れました。

色彩療法の阿久沢先生です。

すぐに電話をして、水戸まで車で行きました。
泊まりがけで。
先生はたくさんの手技をお持ちで、話を伺っているうちに、長く張っていたアンテナが、ようやく何かを捉えた——そういう感覚がありました。
効いた/効かない、という話ではありません。
ただ、「ここは通うべき場所だ」と身体が知った、と言ったら近いかもしれません。

そして阿久沢先生から、こう言っていただきました。
「体力が追いつかないね。漢方の助けも要るよ」。
そう言って、もうお一人の先生を紹介してくださいました。

それが、神山道元先生でした。

これから書いていきたいこと

ここからは、ゆっくり、一本ずつ書いていきます。

養生というのは、病気を治す方法ではありません。
神山先生ご自身、そうはっきりおっしゃいます。
医療の代わりではなく、医療と並んで、自分の体と日々を整えていく——そういう「稽古」の話です。

それが、50代の妻にとって、思いのほかしっくり来ました。
なぜかは、これから一本一本の記事で、具体的に書いていきます。

このブログには、これから「養生日和」という軸を加えていきます。

神山道元先生から教わっていること、阿久沢先生から教わっていること、そして私と家族が実際に日々実践してきて、少しずつ気づいてきたことを、難しくせず、毎日の具体の中で書いていきます。
呼吸、食事、睡眠、季節の変わり目の過ごし方。
そういう話です。

一つだけお断りしておきたいことがあります。

これらは医療のお話ではありません。
体調の不安があるときは、必ず医師にご相談ください。
私が書くのはあくまで、「もう一つの見方」としての養生です。
医療と並んで、自分の日々を整える稽古のこと。

でも、これまでの記事も消しません

方向を変えるからといって、これまで書いてきた記事を消すつもりはありません。

あの時期の苦しさや迷いは、今の私から見ると「起点」だったのだと分かります。
でも、苦しんでいたその瞬間には、それが起点になるなんて、まったく見えていませんでした。

だから、残しておきたいのです。
今まさに「中断」のただ中にいて、このブログを見つけてくださった方が、もしいらしたら、その方に読んでいただきたい。
「このあと、ちゃんと続きがありますよ」と、私自身の記録で伝えたいからです。

一緒に歩いてくれる人へ

これから書いていく養生日和の記事は、読むだけでも何かが残る、そういうものにしたいと思っています。

神山先生・阿久沢先生の教えを、もう少し体系立てて学んでみたい、という方向けの学びの場も、時期を見てご案内します。

タイミングを見つけて、神山道元先生について、もう少しきちんと書きます。


※本記事は学習・教育目的の内容です。医療行為ではありません。健康上のご不安は医師にご相談ください。


神山先生の貴重な教えをデータベースにして、いつでも身体の不安を訴えることができるAIアプリを開発しています。

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