結婚して杉並区堀之内の小さなアパートで暮らしていた私の父と母。

高円寺駅から歩いて15分くらいだったといいます。

環七通りが建設中で、都電が走っていたそうです。

都電の軌道をそのまま地下に埋めたのが、東京メトロ丸の内線。

営団地下鉄と呼ばれていました。

が、当時はまだ地下鉄はありませんでした。

近くの妙法寺というお寺の境内で撮られた、ベビーカー(当時は乳母車といいました)に乗せられた私の写真があります。

月曜から土曜日まで、毎日毎日夜8時まで残業して頑張っていた父。

技術者として働いていました。

私は新宿にある東京医科大病院で産声を上げました。

働け働けの時代です。

父は私が生まれた時も働いていたそうです。

すでに二つの縁があるのです。

一つ目は、家内がアメリカで倒れて帰国して、脳卒中後疼痛で苦しんでペインクリニックにかかって、縁あって東京に引っ越して、ペインクリニックの先生が書いてくれた紹介状の宛先が『東京医科大病院』

不思議な気持ちで自分が生まれた病院の門を潜ったのです。

二つ目は、杉並区堀之内。

私が生まれた時に住んでいた街。

父は埼玉県朝霞市に家を買い、私が2歳の時に引っ越したため、私の記憶に高円寺はありませんでした。

両親に高円寺の話は聞かされていましたが、高円寺の土を踏むことはありませんでした。

通っていた大学は新宿区にあったのにです。

家内が倒れて、家内の実家のある町に引っ越して、無職でリハビリをサポートしていたことは書きました。

https://keiken.blog/2020/11/21/example-post-3/

そのあとナポリピッツアの店を開き、家族総出で頑張っていました。

経営も安定して、なんとか食べていけるようになった頃、ある方を通じてメッセージがもたらされます。

ヨーロッパから帰って独立した頃に、私の技術者としての腕を買っていただいてくれていた社長様からでした。

『ひと月に何回大分と東京を行ったり来たりしても良いからうちへこい!!』

というものでした。

知らなかったのですが、その会社の所在地は杉並区堀之内でした。

こんな縁ってありますか?

妻の病気をきっかけにして、私は自分の原点に戻ることになるのです。

技術者

私が若い頃、父親の仕事が嫌いでした。

毎日帰るのが遅く、一緒に晩御飯を食べた記憶は数えるほどでした。

航空機のエンジンを作る父の会社は、超有名な会社です。

工場見学に連れて行ってくれても

『油臭い場所で嫌だ!!』

なんて、生意気な口をきいていました。

パイロットになりたくて頑張りましたが力及ばず。

気がついてみれば父と同じ機械系技術者になっていました。

気がついてみれば、油の匂いが大好きになりました。

気がついてみれば遅くまで仕事をしていました。

4年前に心臓の大手術を経験した父。

隣で心配そうに支えた母。

社会人になってから5年は九州、10年はヨーロッパ、5年はアメリカ(家族は2年)と、全然両親の近くにいなかった親不孝者。

今生きてくれている幸せ。

どんどん小さくなっていく両親(Rumikoさんの受け売りです)を心配する毎日。

毎週末は実家に通います。

家内を一人にする不安はあるけれど、今しかない。

片足が痛くて歩き方がおかしい母。

妻を見続けて、川平先生直々にリハビリを学んだ私。

このために生きてきた人生なのかと不思議に感じる今日この頃。

宇宙なんて大きなことは言わないけれど、繋がっている。

たくさんの愛情を受けて育ち、たくさんの愛情を注ぎ返す。

家族にも両親にも。

生きていてくれてありがとう。

妻に、父に、母にそして子供達に捧げます。

素晴らしいシナリオを描いてくださって感謝します。

神様ありがとう

“親” への2件の返信

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