はじめに——「気持ちの問題」と言われても
「最近、なんだか気持ちが沈む」「朝、身体が重くて動けない」「理由もなくイライラしてしまう」——春が深まるこの時期、そんな声を聞く機会が増えます。病院で検査をしても「異常なし」、心療内科では「軽いうつ傾向」と言われ、薬をもらって帰ってくる。けれど、本当にそれだけで解決するのでしょうか。
心の不調は、気持ちの問題だけでは片づきません。身体のどこかに、確かに「溜まって」いるのです。今日は日曜のコラムとして、その「溜まり場所」について、少し広い視野から考えてみたいと思います。
常識——メンタル不調は「脳の病気」なのか
現代医学では、うつ病や不安障害は、脳内のセロトニンやノルアドレナリンといった神経伝達物質のバランスの乱れとして説明されます。抗うつ薬は、その神経伝達物質の働きを助ける薬です。重度のうつ病に薬が必要な場面があることを、私は否定しません。家内が脳卒中後疼痛(CPSP)で鎮痛剤の恩恵を受けたように、現代医療にはたしかな力があります。
それでも、薬を飲んでも、カウンセリングを受けても、「なんとなく晴れない」という声はあとを絶ちません。西洋医学は、心を「脳」という一点に集約しすぎているのかもしれない——東洋医学を学ぶほどに、そう感じるようになりました。
視点の転換——心は五臓に住んでいる
東洋医学では、心(こころ)は脳ではなく、五臓(ごぞう)に宿ると考えます。喜びは「心(しん)」に、怒りは「肝(かん)」に、思い悩むことは「脾(ひ)」に、悲しみは「肺(はい)」に、恐れは「腎(じん)」に。感情はそれぞれ、内臓と深く結びついている——これを「五志(ごし)」と呼びます。
春はとくに「肝」の季節。肝は気(エネルギー)の巡りを司る臓であり、ストレスの影響を真っ先に受ける場所です。肝気(かんき)が滞れば、胸のつかえ、ため息、怒りっぽさ、月経前の不調として現れます。滞りが長引けば、肝は脾(消化器)を弱らせ、食欲不振や倦怠感につながる。これを「肝脾不和(かんぴふわ)」と呼びます。
つまり、春のメンタル不調は、「気持ちの弱さ」ではなく、「気の巡りの滞り」なのです。原因が身体の側にあるのだとしたら、身体の側から整えていけばいい。そう考えると、少し肩の力が抜けませんか。心を責める必要はなかったのです。
養生法——心を身体から整える、三つの習慣
一つ目は、「深い呼吸」。肝の気を巡らせる、もっとも手軽な方法です。朝、窓を開けて、ゆっくり息を吐き切ってから、鼻から静かに吸う。これを三回繰り返すだけで、胸のつかえが軽くなります。呼吸は、自律神経に直接働きかける唯一の身体機能。心を動かせないとき、呼吸から動かす、と覚えておいてください。
二つ目は、「香りのあるものを食べる」。セロリ、三つ葉、春菊、紫蘇、柑橘類——香り高い食材は、気の巡りを助けます。春の食卓に、ひとつまみの香味野菜を添えるだけで、身体は変わります。気分が沈む朝ほど、意識的に香りをとってみてください。
三つ目は、「日が落ちたら、スマホを置く」。肝の血(けつ)は夜に養われます。夜更かしとブルーライトは、肝血(かんけつ)を消耗させ、翌朝の憂鬱につながります。午後十時を過ぎたら、画面を閉じて、照明を落とす。これだけで眠りの質が変わり、朝の気分が変わります。
まとめ——治すのではなく、整える
心の不調は、敵ではありません。身体が「少し休みたい」「巡りを戻したい」と、サインを送っているだけなのです。薬で症状を抑えることも必要かもしれませんが、それと並行して、身体を整えるという選択肢があることを、ぜひ知っておいてほしい。
治すのではなく、整える。乗り越えられない試練はない——この言葉を、今日も胸に置いて過ごしてみてください。
※本記事は東洋医学の考えに基づく養生の知恵を紹介するものであり、医療行為の代替を推奨するものではありません。症状がある方は必ず医療機関を受診してください。


コメントを残す